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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
六章 ダフネ
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2.海巫女の期待

 辺りは妙に静かだった。プシュケがこの部屋に一人で来ている事くらい、ウィル達も把握しているのだろう。

 私がいれば大丈夫だと、そう思っているのだろうか。

 そうだとすれば、言わせてもらいたいものだ。不用心にも程があると。

「悪魔が恐れるのは、神獣の末裔だけではなく、あなたが巫女と一緒に居る事よ。わたしと共にいれば、あなたの力には敵わないと悪魔は知っているの。わたしは悪魔の力を相殺できるから」

 プシュケはそう言って、私に近寄った。

 その手に触れられると、妙に温かな気が流れ込んでくるような感触を覚えた。思えば既に、二回ほど、この力の世話になった。

 悪魔が奪う力を持っているとすれば、巫女であるプシュケのこれは与える力なのだろう。

「あなたが力を発揮できれば、グリフォスはあなたの肌すら傷つけられないわ」

 プシュケの言葉を受けて、私は静かに笑った。

 俄かに信じることは出来なかった。

 かつての私ならばきっと自信があっただろう。《赤い花》の生き残りの中でも、自分は誇れる力と冷静さを持っていると。

 けれど、そんな私はもうすでに何度か戦いに負け、死にそうな目に遭い、その度に獲物であるはずのカリスに助けられたのだ。

 ――そんな私が自信を持ち続けられるわけもない。

 しかし、自信があろうとなかろうと、私は引き受けたのだ。断れる状況になかったにしても、引き受けた以上の責任はある。

 身に余る経験。そうニフは言っていただろうか。私だって同じだ。古ぼけた血をたまたま引いていたが為に、尊い祖先と同じ道を辿る日が来ようとは思わなかった。

 それほどまでに、《赤い花》は廃れてしまったのだ。

「あなた達《赤い花》を減らしてしまったのは人間の罪」

 プシュケはふと俯き気味に言った。

「伝承を信じない人間達が犯してしまった、絶対にやってはいけない蛮行。人間を愛した神様も、きっとお心を痛めているわ。けれど、今は昔の人間達をいくら言葉で糾弾しても、過去を変える事は出来ないのよね」

「――プシュケがそんな顔をすることはないわ」

 私は思わず言った。

 まるで自分の事を責めているように見えたからだ。忌まわしき花狩りの大波が押し寄せたのは、自分が生まれるよりもずっと前の事なのに。

「あなたの言う通り、過去を変える事なんて出来ないもの」

 私の言葉に、プシュケは静かに頷いた。

 《赤い花》。

 プシュケに会ってから、もう何度そう呼ばれてきただろう。

 ヒレンが一緒に居た頃は、誇らしい家名だと思っていた。その名を語れるのは、《赤い花》の心臓を引き継いでいるものだけ。同じ血を分けた兄弟姉妹でも、心臓が違えば《赤い花》とは言われない。私に《赤い花》を継がせたのは亡き母であったが、ヒレンに《赤い花》を継がせたのは行方不明となった彼女の父親だったらしい。

 私もヒレンもその血を誇らしく思っていた。

 けれど、私は変わってしまった。ヒレンを失ってから、変わってしまった。最愛の友を助けられなかった事と、何故、私達が人食いに狙われたかを考えて、忌まわしく思ったのだ。

 《赤い花》なんて継がなければ良かったのだ。継ぐのならば、もっと強い魔女でなければならなかった。

 それでも、《赤い花》は私にも継がれている。

 そんな私がプシュケに誰よりも先に出会ってしまった。

「これはきっと神々の御慈悲なのね」

 私の手にその手を重ねたまま、プシュケはそっと言葉を告げた。

「減り過ぎた《赤い花》にこうして会うことが出来たのだから」

 《赤い花》は《赤い花》からしか生まれない。だから、どんどん減っていく。ヒレンは子も残さずに死んだ。そして私もまた子を残さなければ、また減っていくのだろう。

 子を残したとしても、《赤い花》が継がれるかも分からない。

 確かに、これは奇跡なのかもしれない。

「そうだとすれば、神様とやらのご期待を裏切らないようにしなければならないわね」

 海巫女の不思議な温もりを感じたまま、私は誓った。

「あなたのことは決して、グリフォスに渡したりはしないわ」

 私を頼り、見つめてくる、若き巫女の姿は人間として生まれてきたという事実を忘れるくらい神々しい。

 人間を糧としかとらえない人狼でさえも尊ぶ少女。清らかなこの少女に対して残酷にも手を出す者がいるなんて、信じられないくらいだ。

 だが、それが悪魔というものなのだろう。

 当り前の生き物でしかない私は、結局、悪魔の気持ちなど理解出来るはずがない。それに、その気持ちがどういうものであろうと、プシュケが無慈悲にも喰い殺されていい理由にはならない。

 カリスでさえもそう判断しているのだ。

 沢山の人を喰い殺してきたはずの彼女でさえも。

 プシュケはそっと笑んで私を見つめる。しかし、その表情から不安が拭われるのはだいぶ先の事だろう。彼女が主であるリヴァイアサンの元に無事に捧げられたならば、きっと全てが上手くいく。

 そう信じたかった。信じるしかなかった。

 だからこそ、カリスの情報が欲しいのだ。あの後、どうなったのか。彼女が見た事は何だったのか。彼女は今、何処で何をしているのだろう。

 欲望に狩られるわけでもなく、こんなにも人狼の訪れを待っていた事があるだろうか。私を見下したような言葉に、心底恨まれていることがよく分かるその声。

 それでも、彼女の訪れが待ち遠しい。

 あの声でまた、からかって欲しい。

 ――そして、自分が無事であると言う事を示して欲しい。

 奇妙なものだと思う。頭が痛くなるほどに都合のいい話だ。

 私がクロを殺し、カリスの怒りを買った時点で、彼女の心とは交わり合えないはずだった。私達の間に横たわるのは、汚らしい欲望と、おどろおどろしい憎しみだけのはずだったのだ。それなのに、魔女の性から解放された私はカリスを心配している。

 それはとても不可思議な感情だった。

「ありがとう、アマリリス」

 ふとプシュケが口を開いた。

「とても心強いわ」

 そう言って彼女は潤んだ目で私を見つめる。

 リヴァイアサンに捧げられる為だけに生まれてきたプシュケ。それだけが生きる目的である若き巫女。生まれた時から、或いは、生まれる前から、彼女は他人とは違う存在だったのだろう。

 マルの生まれ変わり。

 その肩書きは単なる肩書きには留まらず、今を生きる人々の知らない真実を示している。リヴァイアサンはどんな思いで彼女の出現を待っているのだろう。

 胸に手を当てながら、私は無言でプシュケにお辞儀をした。


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