1.獣の町
獣の町。
そこは魔族を守る地の獣ベヒモスの末裔である、一角という魔族たちによって営まれている。三神獣の巡礼者は皆、人間と全く変わらない姿をしているが、その多くが魔族。つまり、魔女である私の遠縁ともいえそうな者ばかりだ。
この聖地こそが私達魔族の発祥の地。
――そう思うと何だか懐かしい気がしてこない?
かつてここに来た時、ヒレンはそう言った。
町の隣には森が広がり、その奥地には祠がある。祠までの道のりは、昼間は特に巡礼者が行き来しているので、あまり静かな雰囲気ではなかったのを覚えている。たぶん、今もそうなのだろう。
ヒレンとの想い出をそっとしまいこみ、私は宿屋の客室に一人閉じこもっていた。
ルーナとニフはいつも通りだ。あらゆるものに興味を引っ張られるルーナの保護者として、ニフもまた行ってしまった。
プシュケはウィル達竜族と共にいる。町にいる一角たちと込み入った話をしていた。私にも話が舞い込んでくるのは、何もかも決まった後だろう。
ベヒモスの祠のある大社には、やはりウィル達は向かえない。彼らはまたしてもこの場所に留まり、祝福の終わりを待つことしか出来ないわけだ。
となれば、一角の協力は必要不可欠。彼らの特徴は名前の通り、額にある一角とタテガミ。その角に正しく願えばあらゆる力を発揮できるらしい。
竜族、人鳥とも並ぶ、この世で確かな力を持つ者。
恐らく、グリフォスは一角の事も嫌うだろう。
「カリス……」
部屋の中で一人、私はカリスに声をかけた。
返答はなかった。気配を探っても感じられない。
鳥の町の宿で話して以来、カリスとはまだ一言も話していない。あの夜、カリスの報告を受けて、怪しい人間の存在を竜族と人鳥に告げたことで、ジズの大社の警護は増したはずだった。だが、その後、どうなったのかを私達は知らない。
人鳥が必ず大社に連絡すると取り合ってくれた時点で、町を出たからだ。
私はカリスが教えてくれる事を期待していた。
カリスは私の事を確かに恨んでいるけれど、神獣の事となれば驚くほど協力的で義理堅いことが分かったからだ。
けれど、いつまで待ってもカリスは来なかった。
気配すら、感じられない。私が一人でいれば勝手に現れて話しかけてきていたはずの彼女が、一切姿を見せなくなったのだ。
私は不安だった。カリスは最後になんて言っていただろう。
――邪魔をしてみようと思う。
間違いないだろう。カリスの身に何かが起こった。
「カリス……何処に居るの……」
鳥の町の噂は全く入って来ない。
警備を固めた後、その人間が何かしたか、何もしなかったかということさえも分からない。どちらにせよ伝えると約束したのはカリスだけではなく、人鳥も同じだったはずだ。
それなのに、人鳥の使者は現れなかった。
あれから、どれだけの時間が経っただろう。
とっくに私達は獣の町についていて、明日はベヒモスとベヒモスに捧げられた地巫女に会うと言うのに、何の情報も分からない。
私が頼れるのは竜族達の気の聡さだけだった。
彼らに寄れば、グリフォスの気配はずいぶんと遠い。だが、一定の距離を保って同じ場所を目指していると。つまり、グリフォスの見守る人間もまた、とっくに鳥の町を出ているのだ。こちらに来ている。
ただの巡礼だったならば、どうしてカリスも人鳥も来ないのか。
「アマリリス、いる?」
ふと声が聞こえた。閉められた扉の向こうからだ。その声を聞くと一気に現実に引き戻されてしまった。
我らが海巫女、プシュケだ。
「いるわ。一体、どうしたの?」
私が訊ねるとプシュケはゆっくりと扉を開けた。
連れはいない。竜族も人間の従者もつけずに一人でやってきたようだ。
プシュケは扉を丁寧に閉めると、軽く首を傾げた。
「ニフとルーナは?」
「二人とも町に観光に行ってしまったの」
私が答えるとプシュケは「そうなんだ」と小さく笑んだ。
二人きりで会う時だけは、プシュケはただの少女のようだった。きっと人間の従者ともこのように接しているのだろう。
傍から見ていてもそんな雰囲気が少しだけ伝わってくる。
「明日はやっぱり一角の皆さんと一緒に行くことになったの」
プシュケはそう切り出した。
「そう。それなら私も安心よ。私だけではグリフォスには敵わないもの」
「いいえ、そんな事はないわ」
プシュケは何故だか断言する。
「あなたは《赤い花》の血を引くもの。マルを悪魔から救った英雄の子孫であるあなたなら――」
「無理よ。《赤い花》の血脈は閉ざされてしまっているもの。今や私のように弱々しい力を持った魔女や魔術師しか残っていないわ」
私はそう言って、床に視線を落とした。
マルの里で対面して以来、グリフォスと直接戦ってはいない。それが逆に不気味だった。私にとっても脅威となる力を持っていながら、どうして向かってこないのだろう。
竜族が恐ろしいからなのだろうか。
それとも、襲うよりももっといい案を、義弟のために巡礼しているという人間の青年に託しているのだろうか。
「あなたは確かに《赤い花》なのよ」
ふとプシュケが切なげな声を零した。
見れば、彼女の顔いっぱいに憂いに満ちた表情を浮かべていた。