3.広間にて
空巫女。名前はカザン。
広間にて、彼女は複数の狐人達に付き添われながら、私達を迎え入れた。
どうやら、この大社に仕えているのは狐人とジズの子孫である人鳥ばかりで、人間は殆どいないらしい。だからだろう。プシュケに付き添ってきた人間の若者達は、三人とも何処か落ち着かない様子だった。
だが、その事に関してカザンや人鳥達が何かしら言う事は無かった。
大社に入って以来、ここまでついて来てくれた人鳥達は周囲を警戒することに努め、必要以上の事を口にすることはなかった。
また元よりこの大社に仕えていた人鳥達も同じだった。
彼らの様子は竜族よりも何処か荒々しいが、竜族と同じように無駄なことは一切しないと決めているらしい。
それこそが神獣の血を引くという者なのかもしれない。
空巫女のカザンはただ、プシュケの訪れを歓迎していた。
その美しい容姿から生み出される笑みには、私だけではなく、同行したニフやルーナも魅入られてしまっていた。いかに狐人を残虐に殺せる狩人であっても、カザンの事は殺せないだろう。また同じく、たとえ、魔女の性で狐人に固執する者がいたとしても、カザンだけは例外となるだろう。
そのくらい、カザンは神聖な巫女だった。
神聖なだけ、恐ろしくなった。
グリフォス。あの気の狂った女はきっとカザンの事も欲しがるだろう。艶やかな肉体に、美しく清められた体毛を見逃すとは思えない。
今も何処かでこの場を眺めているのだろうか。
「長旅ご苦労様でした」
カザンが言った。
「先代の海巫女がお隠れになった時から、この日の訪れを、我が主ジズはずっと待っていました」
透き通るような色の手がプシュケの頬に触れる。
カザンはプシュケを見つめると、優しげに目を細めた。
「あなたの健やかな成長をお守りくださった神々に感謝致します」
厳かな言葉を前に、プシュケは黙したまま頭を下げる。
その光景は眩いほどに輝いて見えた。
カザンの視線が私達へと向けられた。その作り物のような狐の目に見つめられ、ルーナもニフもやや怖気づいた。
しかし、カザンは気にすることなく微笑んでみせた。
「あなた達の訪れを、ジズは予見しておられました」
「予見……ですか?」
プシュケが不穏そうに訊ねた。
それに対して、カザンは小さく頷く。
「悪しき者がまだ幼い海巫女を狙っている。リヴァイアサンの加護を得る前に、掠め取ろうとしている、と」
カザンの声が広間に響く。
「その手より海巫女を守るべく《赤い花》は差し向けられた。かつてマルを守った勇敢な青年の末裔が、リヴァイアサンに手助けをするだろうと」
諳んじるように言うと、カザンはふと俯いた。
「この先は、ジズにも分からないそうです。戦いの行方は口の堅い運命の神のみぞ知る。全ての魔物達に神獣と崇められるジズであっても。全てはあなた達次第。この先何が起ころうとも、あなた達次第で勝敗は別れるのでしょうね」
カザンに見つめられ、私は小さく目を伏せた。
この世にもっと《赤い花》が生き残っていれば、私はプシュケに選ばれなかっただろう。そういった想いは、ずっと残っていた。私は強くはない。《赤い花》に拘らなければ、もっと頼もしく、グリフォスからプシュケを守ることの出来る勇士がいたはずだ。
それでも、カザンは信じているらしい。
そして、恐らくこの大社の主であるジズも。
「どうか、海巫女とその従者を守り、必ずやリヴァイアサンの元へお届けください」
カザンの言葉に私とニフは即座に頷いた。やや遅れて、ルーナも慌てて頷く。
その様子を見届けると、カザンはふと周囲を見渡した。
不穏な緊張感は絶えず私達を覆っている。
こうしている間にも、グリフォスに見られている気がして仕方なかった。
ジズと人鳥の加護が無ければ、プシュケとカザンはたちまちのうちに彼女の手に落ちてしまうかもしれない。
そんな気配を感じたのか、カザンは眉をひそめる。
「プシュケ。そしてマルと同じ血を引く者たち」
カザンは周囲に気を配りつつ、プシュケに向かって言った。
「ジズの御前に向かう前に、あなた達には身を清めて貰います」
カザンの緊張には人鳥達も気付いているようで、絶えず周囲を警戒していた。彼らがいる限り、大丈夫なはずだ。けれど、私も怖かった。
せめて、グリフォスの気配が人狼のようにはっきりと掴められれば――。
そんな願いも虚しいものだ。
私の傍に近づいたり離れたりするカリスの気配はよく分かるのに、人間であるグリフォスの気配は今も全く分からなかった。
もしかしたらそれが、人間の身体を持つ利点なのかもしれない。
「彼らが身を清めている間に、あなた達は客間にお通しします。そこでご自由に疲れを癒してください」
カザンはニフとルーナに向かって言うと、そっと私に耳打ちをした。
「あなたには話しておきたいこともあります。どうか一人で私と共に来てください」
何処か怯えを殺したような声に、私は静かに頷いた。