9.人狼の想い
竜族が駆けつけるには、まだ少しだけ時間がかかりそうだ。
その間に、塵は降り積もり、私の腕の中で眠るニフも苦しそうに呻いていた。
この塵は人間にとって害にしかならない。死をもたらすまではいかなくとも、不快な思いは免れないだろう。
ルーナが身を寄せて、塵からニフを守ろうとしてくれた。
その様子を見て、カリスが呟いた。
「人間の仲間という奴も面倒なものだな」
その言葉に私はふとカリスを見上げた。
彼女は私達から距離を取っている。だが、そもそもニフを奪い返してくれたのは、カリスなのだ。人間を日々の糧としか思っていないはずの彼女が、その人間であるニフを助けてくれたのは何故か。
「カリス」
何が理由であれ、私はカリスに向かって言った。
「助かったわ」
それは、生まれて初めて私が人狼相手に向けた言葉だった。
カリスは一瞬だけ私を見つめたが、すぐに目を逸らした。恨めしそうな、苦しそうな表情は、やり場のない怒りなのだろう。
彼女の恨みはそれだけ深い。
弁解するつもりもないし、許して貰おうとも思っていない。彼女の伴侶クロだけではなく、これまで数え切れないほど人狼を殺してきたのだ。そんな私に、そのような感情が芽生えるはずが無い。
「軽々しく礼を言うな」
カリスは低い声で言った。
「お前個人を助けるためにやったわけではない」
「でも、ニフを助けたのは事実でしょ?」
ルーナが豹の姿のままカリスに目を向けた。
その視線からカリスは目を逸らし、狼の声で唸ってみせた。
「お前は黙っていろ、下級魔物」
カリスの脅しにもルーナは首を傾げるだけだった。
喉を鳴らすことで、言葉にならない感情を解消しているらしい。
そんなルーナの様子に、カリスは大きく溜め息を吐いた。
美しい金の髪が揺れる。その仕草は妙に色気があったけれど、以前ならば湧き起こるような殺害欲求は全く湧いてこなかった。
やっぱり、今の私は魔女の性というものを忘れている。
「ともかく、私はお前達の味方じゃない。三神獣の味方だ」
カリスはそう言って私達の後ろへと目をやった。
「どうやら、のろま共がようやく追いついたらしい」
彼女の視線の先は塵で何も見えない。けれど、確かに竜族らしき者達の気配が近づいて来ているように感じられた。迷いなく私達の元へとやって来る。彼らさえいれば、塵が晴れてもグリフォスに襲われることはないだろう。
「ウィルとかいう竜族に伝えろ」
カリスは俯き気味に口を開いた。
「トカゲに指図されるほど落ちぶれてはいないとね」
唸るようにそう告げると私の姿を見ることも無く塵の積もる地面へ吸い込まれるように消えてしまった。
ルーナはカリスの消えた場所と私とを何度も見比べた。
だが口にするべき言葉は見つからなかったようで、彼女もまた溜め息を吐くだけに留めたようだった。
そうしているうちに、駆けつけた竜族達の姿は見えてきた。
「アマリリスさん……」
私を引きとめた竜族達の内の二人だ。残りはきっと大社に留まっているのだろう。
「御無事で何よりです」
丁寧に言われ、私は思わず目を背けた。
辺りにはもうカリスの気配もない。塵に隠れてしまっているわけではなく、私達から遠ざかって何処かへ行ってしまったらしい。
それでも、彼女がここに居た事は分かっているだろう。
カリスがいない事、ニフを取り返している事、ルーナが獣でいる事、私の魔力が枯らされてしまっている事、グリフォスが姿を消している事、そのあらゆる事を見通せる竜の目を持ちながらも、二人の竜族は無駄口を一切叩かずに私に言った。
「今のうちに帰りましょう。海巫女様も心配なさっています」
私がその言葉に頷くのを確認してから、竜族の一人がニフを引き寄せて容易く抱きかかえた。もう一人の竜族が辺りを警戒し始める。
私は立ち上がり、ルーナに視線を向けた。ルーナはそれを見ると、待ちわびていたように変身を解いて人間の娘のような姿に戻った。
「やっぱりこの恰好の方が安心する!」
そう言って、彼女はすぐに私へと身を寄せた。
塵のせいか、若干興奮しているらしい。その頭をそっと撫でてから、私はルーナの柔らかな手を握った。
私も、こうしている方が安心する。
心の中でそっと思いながら、ルーナの手を引いて歩きだした。竜族達も私に歩みを合わせて歩き始める。
塵はすでに深く積もっていて雪のようだ。
気を抜けば走り出してしまいそうなルーナの手をしっかりと握りながら、私はふと何処かへと離れていってしまったカリスの事を想っていた。
彼女は何処へ消え、今、何をしているのだろう。何故だかその事が、妙に気になった。