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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
四章 グリフォス
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6.物影の中

 その日はもう間もなくだった。

 マルの里に滞在し始めて数週間。その間にもグリフォスの影は絶えず里の者達を怯えさせ、プシュケの匿われる扉はいつも閉まったままだった。

 異様な殺気に包まれる中で、里の人間と竜族はプシュケを運ぶための話し合いを繰り返し行っていた。その中には私達も組み込まれた。

 プシュケを生まれ故郷から連れ出して、ジズ、ベヒモスの祠に参らせた上でリヴァイアサンの元へ向かう一連の儀式は輿入れの儀とも呼ばれるらしい。

 新たに供物となる者が必ず行わなければならない儀式だ。

 滅多に行われるわけではないこの儀式は、普通ならばもっと厳かに、神秘的に行われるものだが、今回の場合はそうはいかない。

 グリフォスは今もプシュケを欲しがっているのだろう。

 私は大社の客間から窓を見つめながら、出発の日を思った。プシュケを守ると誓ったその日から、私達は民宿からこちらへ荷物も移動させていた。客間は民宿の客室よりも広く、家具も質が良かった。特に寝台は寝心地がいい。ここへ移動してから数日間、ルーナが子猫に変身して寝台ではしゃぐ姿を見ることが出来たが、さすがに最近は飽きたらしい。

 そう、いつの間にか時間は過ぎていく。

 出発まで残り数日。

 塵が降った時、町に付いた時、祠に向かう時、グリフォスが現れた時と、決めておくべき事は様々だった。

「そうだ。あなたの《追跡者》にもし会えた時にはお伝えください」

 ウィルが突然私にこっそりとそんな事を言い出したのは、つい先ほど、大社の広間で話し合いと再確認を行った後の事だ。

「優秀な狼の鼻にも頼りたい事があると」

 誰に宛てたものかはすぐに分かった。

 意味があるかどうかはともかく、私は今いる客間を見渡した。カリスの気配があるのは分かる。けれど、その距離まではよく分からない。遠い時と近い時は分かるけれど、具体的な距離は分からないのだ。

 物陰から見ているといっても、一体何処にいるのかを考えたことはなかった。

 考えたって無駄だからだ。人狼の使う魔術は、魔女が使う魔力とは全く違う。仕組みも違えば性質も違う。私がどんなに魔術を極めても、人狼がどうやって潜んでいるのかなんて知る事は出来ないだろう。

 カリスはそんな力を使って、絶えず私を見つめている。

 どんなに警備の強い場所でも、人狼ならば姿を隠して忍び込むことが出来る。気配でいることが分かっても、何処にいるのか分からなければ意味が無い。

 竜族達は皆、カリスの存在を知っていた。

 知っていたけれど、カリスが何かするわけではないと判断しているらしく、人間達に悟らせるような事はしなかった。

 私は薄暗い客間を見渡した。

 他には誰もいない。ニフとルーナはプシュケの元へと呼ばれてしまった。私だけがこの部屋で待機していたのだ。

 そんな部屋の中で、私は部屋に出来た影と言う影を一つずつ確認した。

「カリス。いるの?」

 返答はない。

 いたとしても今の私には近づかないだろう。プシュケのお陰で私には魔力が戻ってきているのだ。一時的に使えなかった魔術の全てが復活している今、私は容易くカリスを殺す事が出来るのだ。

 けれど奇妙な事に、今の私はカリスを殺したいだなんて思わなかった。

 それどころか、魔女のさがというものの実感がない。プシュケに触れられて以来、私の中で何かが変わってしまった気がした。

 誰もいない、誰も返事をしない、そんな部屋の影に向かって私は言った。

「ウィルの言った事も聞いていた? あなたは御免だと思うでしょうね。愛しい人を殺した私と共闘だなんて……」

 沈黙と気配だけが私の傍にいる。

 だが、一瞬だけ影の中で微かな動きを感じた気がした。間違いない。カリスだ。やはり、こんなにも近くにいたのだ。

 怖くは無かった。殺せないとはっきりと言ったからだろうか。それもあるだろうけれど、カリスの事を思うと、数週間前にこの目で見た、あの涙を思い出してしまった。

 魔女の性の実感がない今、私はクロを殺した時の快感を思い出せずにいた。

 これも、プシュケの力なのだろうか。

「カリス。私、この数週間、考えていたの」

 返事が無い狼の気配に対して、私は話しかけ続けた。

「この役目が終わった後の事よ」

 再び影の中で動きがあった。私の話に興味を持っているらしい。私はその動きを感じられる場所に視線を向けた。どう目を凝らしてみても、気配だけで何も見えなかった。

「あなたが生き残るのか。私が生き残るのか。私が生き残るとして、あなたを殺した後、どう過ごすのだろうってなんとなく考えるの」

 それは、限りなく闇に近い色をした未来だった。

 役目を終えればただ狼を殺して欲望を満たしていただけの日々が始まる。ルーナという存在もいるし、ニフもまた気が向くまでついて来るかも知れない。だが、彼らには別の道も作ってあげられないわけでもない。

 主従の誓いを立てたルーナだって、しもべであるままにして何処か信用のおける場所に預け続けることもやろうと思えばできるのだ。むしろ、その方がルーナにとってはいいのかもしれない。私の傍にいて無駄に身を危険に曝すよりはずっと。

「あなたを手に入れれば、私の世界はそれで終わるでしょうね」

 ぼそりと言うと、やや視線を感じた気がした。その場所を見つめてみても、やはり何も見えない。

 だが、私はその視線を感じる場所を見つめたまま、そっと言った。

「それなら、あなたに負けるのもいい気がしてくるの。役目が終わった後、ニフとルーナの為に何処か安全な場所を見つけたら、あなたにこの命をあげてもいい」

「何を言い出すかと思えば……」

 やっと唸るようなその声が聞こえてきた。やはり視線を感じる場所にカリスはいるようだ。それが確信へと変わった。

「私たち魔女の最期は虚しいものよ」

 私はカリスに言った。

「欲望を満たし損ねて命を落とすのが大半なの。私もきっとあなたを殺した後は、汚らわしい魔物か、あなたよりもつまらない人狼の男にあっさりと殺されてしまうかもしれないわね。そうなるくらいなら」

 私の視線の先で、薄っすらとカリスの輪郭が見えた気がした。

 暗闇の中で獣の目が光り始める。動揺しているのかもしれない。それは私自身も同じだ。けれど、引き下がる気にはならなかった。

「あなたに殺された方がましだわ」

 私の言葉にカリスが表情を歪ませる。

 今や、彼女の姿ははっきりと見えていた。その美しい姿を見ても、やはり、私の中ではかつての欲望を思い出す事が出来ない。

 やはりこれは、プシュケのせいなのだろうか。それとも、何でも力を吸い取ってしまうというグリフォスのせいだろうか。

「くだらない戯言を」

 カリスは人の姿のまま狼の唸り声をあげる。

「言われなくともそのつもりだ。私に殺された方がましだなんて言葉、撤回させてやるほど痛めつけてやるから覚悟しておけ」

 吐き捨てるように言うと、そのままカリスは影へと消えていった。

 その直後、客間の扉が開かれた。


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