4.民宿にて
手配された民宿は、非常に温かな場所だった。
魔女であるはずの私にまで伝わるほどの温かみなのだから、人間にしてみれば揺りかごの中のような印象を抱くかもしれない。
民宿の主も、奥方も、そしてその夫婦の息子である年端もいかぬ兄弟も、真心をこめて民宿を営んでいるらしい。
ここはそれなりに利用客が多いらしい。
私から見て無理やり人間達の国教に含まれたところからも分かる通り、三神獣への信仰はどんなに時を経ても薄れる事はない。彼らに縁のある聖域と言われれば、一度は訪れたいと思う者ばかりだ。特に、ここは人間を守ると約束した海の獣リヴァイアサンに関わる里であるため、人間の訪問者ばかりらしい。
「同じように三獣に縁のある他の里では、魔族とか魔物とかが巡礼している事があるんだって。そこに住んでいる人もその類の人が多いって言っていたけど……」
夜も更けようとする頃、あてがわれた部屋の中でルーナがそんな事を言った。もうすっかり民宿の兄弟たちと仲良くなったらしい。
「魔族はともかく、魔物の里なんて本当にあるのかなぁ?」
ルーナは首を傾げる。
低級魔物とはいえ、彼女は閉じ込められていたという記憶しかない。生まれた時も恐らく、人間の監視下での事だったのだろう。
そんな彼女が魔物について詳しいわけもない。
「そう言われているなら、あるんじゃない?」
ルーナに答えたのはニフだった。
「ひと口に魔物って言っても色々種類がいるだろうし。ルーナみたいに温厚な性格の魔物も存在することだし」
ニフの言葉にルーナは歯を見せて笑う。
僕であるせいかもしれないけれど、非常に可愛らしく見えた。
獣の姿をしなければ、ルーナは人間にしか見えない。この姿の彼女が人間でないと分かるのは、他者を食らう事の出来る魔物くらいだろう。
「そうだ」
ニフは私へと視線を向ける。
「アマリリスは昔からずっと旅をしていたんでしょう? 見たことない? 魔物の里っていうやつ」
「ないわけじゃないわ」
即答しながら私は寝台に寄りかかった。
それはやはり、ヒレンと共に三獣の治める場所へ訪れていた時の事だ。思い出してみれば、やはりもう随分と昔になるらしい。
「通り過ぎただけ。滞在はしていないし、ちらりとしか見ていないわ」
「でも、あるんだね? どんな場所なの?」
ルーナが無邪気に訊ねてくる。
私は記憶を辿りながら、それに答えた。
「狐人という狐の魔物が住む里。人狼のような二つの顔を持つ魔物だけど、好奇心旺盛で人懐っこいの。そう珍しい奴らではないわ。行商人の中には、彼らが混じっていて、無知な人間とか魔族を見つけると、紛い物を高くで売りつけようとするのよ」
へえ、と首を傾げるルーナ。本当に納得できているのかはともかく、どういう場所かは彼女なりに分かったらしい。
「彼らの里があるんだ……」
ニフもまた感心したように呟いた。
狐人を知らない人間はいない。人狼と同じようによく知られた魔物だからだ。魔物といっても、彼らは人間にさほど恐れられていない。それどころか、逆に自ら捕まえに行く者たちもいる。狐人の毛皮は美しく、当り前の狐の毛皮よりも高い値がつくからだ。
もしも狩人がこの話を聞いたら、喜んでその里を目指す事だろう。
だが、そういった者がいても一筋縄ではいかない。その場所は、このマルの里と同じように営まれているからだ。
「そこは空の獣ジズと縁のある場所って言われていたわ。魔物を守る空の神獣。ジズの末裔という魔族も多く住んでいた」
懐かしい光景が目に浮かぶ。
ジズの末裔である人鳥という魔族たち。
竜族と同じく、人間からさほど警戒されない存在だが、竜族よりも少々気が荒いところがある。その分、非常に逞しく、凛々しい。
ヒレンはそんな人鳥の一人に惚れて、影でこっそり騒いでいたものだ。騒がしいしみっともないから止めなさいと文句を言ったのを今でも覚えている。
今となってはその記憶すら恋しくなってしまう。
彼女の事をこんなに思い出すのはどうしてだろう。
「空の獣ジズかぁ……」
物思いに耽っていると、ルーナの恍惚とした声が聞こえてきた。
ほのかに明るいランプの横で頬杖をつきながらルーナは想像を働かせていた。
「どんな御方なんだろう」
魔物を守ると聞いて興味を持ったのだろう。
当然だ。人間ならばリヴァイアサンに、魔族ならばベヒモスにある程度興味を持つものなのだ。ヒレンと私も魔族を守るというベヒモスに興味を持ったからこそ、聖地巡礼という柄にもない旅をしていたのだ。
あれはもうどのくらい前の事なのだろう。
あの頃はもっと世界が明るく見えていた気がする。彼女が得意だった風の魔術を使う時、今のこの目に見えている世界と記憶の片隅に残っている世界の色合いの違いに気付いて驚く事があるくらいだ。
「アマリリスはジズも見たことあるの?」
無邪気にルーナに問われ、私は苦笑しながら首を横に振った。
「いいえ」
「リヴァイアサンやベヒモスも?」
ルーナは不思議そうに首を傾ける。
私は笑って彼女に答えた。
「ない。その姿を目に出来るのは、ごく一握りの存在だけでしょうね。例えば、生贄に捧げられる巫女とか」
「巫女?」
ルーナが問い返す。その仕草がほんの少しだけ、ヒレンに似ている気がした。
「神獣たちの供物と呼ばれ、捧げられた者たちよ。ジズには魔物が、ベヒモスには魔族が、そしてリヴァイアサンには人間が捧げられる。彼女達は皆、神獣の恋人の生まれ変わりと言われているの」
「恋人の生まれ変わりかぁ。何だかロマンチックなんだね」
ルーナが無邪気に言った。
私は短く「そうね」とだけ同意し、すぐに切り替えた。
時計は既に深夜を指している。
「そろそろ寝ましょうか。あまり夜更かししていても無駄よ」
私の言葉にニフが頷きランプの明かりを弱める。
ルーナはまだ何か聞きたそうにしていたが、私も、ニフも構わずに寝る用意を始めると、文句も言わずに寝台へと潜り始めた。




