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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
二章 ニフテリザ
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9.純粋な人間


 ニフテリザ。

 それがこの人間――ニフの本名。私はその名を読みとったのではなく、他ならぬニフ本人の口から聞いた。

 ニフは典型的な純朴の人間だった。穏やかで平和的な性格。暴力とは無縁のごく当り前の女に過ぎない。そんな彼女がハノに目をつけられたばっかりに、こんな状況に陥れられてしまったのだ。

 救われた事に感謝しつつも、ニフは絶望していた。

「私はこれからどうしたらいいの……」

 襲ってくる様子のない人食い鬼達に囲まれながら、ニフは静かに嘆いた。

「家族の元に帰りたい。でも、帰ればきっと迷惑をかけてしまうだろうね。下手をすれば私だけではなく、親族たちまで処刑されるかもしれない……」

 私は黙ったままニフの嘆きを聞いた。

 助けた事を後悔してはいない。彼女は死にたがらなかった。だが、死ぬことが怖くとも生きるのが苦難であることは変わらない。

 人間として生まれ、人間として育った彼女にとって、人間の世界に戻れない事は、私が想像している以上に恐ろしい事なのかもしれない。

 だが、ニフは私達人間でない者に囲まれているこの状況を心の底から怖がっているわけではない。

 国教を守る者達に裁かれ、理不尽に殺されそうになった事が影響しているのだろうか。彼女は取り囲む鬼達の正体が分かっていながらも、無駄に拒絶する事は無かった。それだけではなく、私に対しても、ルーナに対しても、彼女にとっての同胞である人間に対してと同じように振る舞っている。

 私は更にニフに対しての興味を深めた。

「ニフテリザ……」

 私が声をかけると、ニフが顔を上げた。

「ニフ、でいいよ」

「そう。じゃあ、ニフ。あなたはこれからどうしたいの?」

 率直な私の問いにニフは口籠った。

 考えている。その意思はまとまっているのかどうかでさえも分からない。

 ただ、私から何かを強制する事は出来なかった。彼女のことを助けて欲しいと言ったのは、鬼たちであり、ルーナであったのだから。

 しかし、私は妙な焦燥感を覚えていた。ニフの今後が気がかりになってきたのだ。助けてしまったことで情が移ったのだろうか。

 ともかく私は、彼女が殺されるような道を作りたくなかった。

「故郷に帰りたいなら帰ってもいいわ」

 私は言った。

 ニフと共にルーナも私を見上げる。怯えているように見えるのは、ニフの今後を素直に心配しているからだろう。

「あなたが予想している通り、帰れば振り出しに戻るでしょうね。でも、もしもあなたが新しい道を求めるのなら……」

 そこで私は息を入れた。

 これは強制ではない。飽く迄も提案だ。自分にそう言い聞かせてから、私は続けた。

「私達と一緒に来ればいい」

 ルーナや鬼達の表情に光が宿り、ニフの表情には驚きが生まれた。

 我ながら、柄にもない事を言った気がした。これまで、人間を本気で心配した事なんてなかったと思う。だが、自分の手で助けた人間は、やはり可愛いものに違いなかった。

 私はニフにだけ向かって言った。

「目的のない放浪生活よ。ただ、私が魔女として抱える欲を満たして生き延びているだけ。それも、塵の降る中を放浪したり、ルーナを狙った厄介な魔物に付きまとわれたり、私を憎む頭のいい人狼に常に見張られていたりするような、そんな生活よ」

 自分で言っていて、なかなか混沌としていると思った。

 魔女の私や魔物のルーナはそれでいい。混沌とされる世界を好むのが私達だ。だが、ニフテリザという女は人間なのだ。塵が降れば悪臭に苦しむ、か弱く綺麗好きな人間なのだ。

 そんな事はニフだって自覚しているだろう。

 だが、彼女は微かに視線を下げ、私に向かって頷いた

「それでもいい」

 切実な声が私に向いている。

 ニフは息を整え、今一度、私を見上げた。

「どうせ私は町の人間達にとって魔物も同然なんだ。それならいっそ、何もかもを忘れて魔物として生きて行くのもありかもしれない。あなただって、そう思うでしょう? だから――」

 人間らしい綺麗な眼を潤ませて、私に向かって懇願する。

「お願い、私を連れていって」

 それは紛れもない彼女の選択だった。

 彼女自身が決めた道。ルーナとは違い、好き勝手に離れることも出来る道。それでいい。しもべにする必要なんてない。

 相手は元々、私に敵意なんて持っていなかったのだから。

「――もちろん」

 私は頷いた。

「好きに共になり、好きに離れればいい。あなたは私達とは違う。もしも魔物の生活が耐えられないと感じたら、あなたの馴染めそうな人間の世界を見つけたら、そこで別れてしまうという道も残してあげるわ」

 それは人間達に利用されていたルーナにはない道だった。

 だが、最初から自由を与えられているニフをルーナが羨ましがるような事なんてないだろう。何故なら、ルーナは既に心身から私のしもべであり、それ以外の何者でもないのだから。

「馴染めそうな人間の世界か……」

 ニフはくうを見つめた。

「そんな世界、あるのかなあ」

 独り言のようだ。

 ルーナがそっとニフを見つめた。だが、ニフの視線は余所を向いたまま、ルーナへと動きはしなかった。

「何にせよ、よかったじゃないか」

 青年姿の鬼が言った。

「これで俺達も安心して町に帰れるよ」

 彼の言葉に仲間の鬼達がけらけらと笑う。

 そんな彼らを見つめ、ニフが何かを言いたげに視線を移した。だが、そんなニフに気付いて、町娘姿の鬼が一言告げた。

「お礼は言わない方がいいですよ」

 その目は細められ、外見の素朴さからは予想も出来ないような妖艶さが生まれる。人間達にはない怪しげな雰囲気だ。

「あたし達は人食い鬼なんです。もしかしたら、あなたが去った後、あなたの友達や家族を喰い殺すかもしれない存在。それを忘れてはいけませんよ」

 面白そうに鬼達は笑う。

 そんな彼らを見つめたまま、ニフは静かに口を閉じ、そのままゆっくりと頭を下げた。


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