3.未来への戦い
死を撒き散す青い剣とその罪を裁く赤い剣。
かつて淡い恋心を抱いた罪人と、激しい憎しみを抱いた勇者がお互いの命を狙って戦いはじめる。どちらの味方をすべきなのか、決まりきっているにも関わらず、戦いの最中でふと戸惑ってしまうのは、きっと私が弱いからだろう。
アマリリスの味方とならねば。
たとえ、この女のせいで未来の幸せの全てを奪われたのだとしても、今だけは、この時だけは、選ばれし勇者の従者として共に心を殺して援護しなければなるまい。
それが失う者もなくなってしまった私に出来る事。
生き物としての当然の役目。
「アマリリス!」
かつて心の底から呪ったその名を呼び、危機を回避させる。
ゲネシスの持つ剣が掠りでもしたら、途端にアマリリスは死んでしまうだろう。しかし、ゲネシスが有利だというわけではない。アマリリスに託された断罪の剣を、グリフォスがこの上ないほど警戒している。その矛先すら掠らせぬようにゲネシスを守ろうとするということは、今の彼にとってもあの剣が猛毒であるということだろう。
キュベレーの血で呪われた場。その血をアマリリスは避けながら戦っていた。
限定された足場の上で、アマリリスもゲネシスもお互いの隙を窺っては戦い続ける。体力と身体能力ではゲネシスの方が断然有利だろう。しかし、アマリリスには魔力がある。時折、魔力で身を守り、ゲネシスを責め、透かさずグリフォスがそれを打ち消して守ってやる。
此処で私に出来る事は何か。
あの二人の勝負からグリフォスの介入を遠ざけることに他ならない。
距離を保ち、私の傍へと退くアマリリスに、横目でそっと告げる。
「お前はゲネシスだけ見ているがいい。あの死霊は私が引き受ける」
「――けれど、カリス。グリフォスは……」
「人の姿を失うくらいなんてことはない。言葉を奪われるのはちと面倒だが、爪と牙を失うよりもましだ」
本音を言えばグリフォスにはあまり近づきたくない。
狼としての本能が彼女を警戒せよと訴えてくるからだ。襲いかかり、爪と牙を打ち込むなんて本来ならばもっての外。しかし、この状況下でそんな事は言っていられない。
「分かったら行け。迷うんじゃない」
私の叱咤にアマリリスが戸惑いつつも肯く。
走り出す赤い魔女の後ろを追走し、共にゲネシスを襲うと見せかけて、私だけグリフォスに迫って行った。
グリフォス。悪神の代わりに混乱をもたらす者。
悪魔であり、死霊であり、得体のしれない魔力に満たされる存在ではあるが、所詮その身体は死人のもの。ゲネシスが心より愛したサファイアとかいう女を捕えただけのもの。いるのかいないのかはっきりしない死霊であっても、この世との媒介となる肉体を壊されれば堪ったものじゃないだろう。
――サファイア。
夫恋しさにこの世を彷徨っていたがために囚われただけのお前。可哀そうだが、お前は死んだのだ。私の同胞に喰われたと言っただろうか。気の毒だが、これも世の定め。私だって飢えた所でお前に出会って居れば、同じように喰い殺していただろう。
だが、サファイア。
私は信じている。お前はグリフォスに支配されている現状を好ましく思ってはいない。霊魂となったお前は死後の世界で嘆いているのではないのだろうか。ミールの為に自分を壊していく夫の姿に心を痛めているのではないだろうか。
ならば、勇者に任せるがいい。
勇者がもたらすのは断罪だ。罪を償ったゲネシスの魂は、きっとお前とも会える場所へと行くだろう。だから、泣くのを止めろ。そして、抗ってくれ。グリフォス、タナトス、名前なんてどうでもいい。その偽物の自分から少しでも逃れてくれ。
祈りを捧げながら飛び掛かる私を避け、グリフォスは冷たい眼差しを私に向ける。
「無駄よ」
短くそう言った。
私の心など見えているのだろう。
「その祈りはサファイアには届かない。彼女は私が捕まえた。時間は十分にかけたもの。彼女の霊魂もまた、私と同化してしまった」
そう言って魔力を放つ。
アマリリスがかつて使っていたものと同じものだ。奪った力を解放しているのだろう。避ける間もなく私へと迫り、そのまま脇を通り過ぎて後方を襲った。
短い悲鳴が聞こえ、思わず振り返りそうになる。
ゲネシスと戦うアマリリスを邪魔したのだ。鼻に訊ねてみれば、アマリリスが怪我をしたような気配は感じられない。
多少の安堵を抱えつつ、私はグリフォスを睨みつけた。
「お前の相手は私だ。殺されたとしても、お前の身体だけは道連れにしてやる」
「大した意気込みね。せいぜい吠えてなさい。どうせ、あなただって生き物。死を悟るほどの痛みを伴えば、その強気もあっという間に萎んでしまう」
その手が私へと向く。
力を奪うつもりだろう。しかし、私は退かなかった。人狼としての力を奪われるのなら、そのままその手を食いちぎってやるつもりだった。牙を見せて唸り、噛みつこうとする私を見て、グリフォスは手を引っ込めた。
「――正気なの? 力を失えば、あなたはただの獣になる。そうしたら後悔するのはあなたよ。逃げる力も失って、私に喰い殺されるだけの存在となるのだから」
大した脅しだが、その表情に濁りが見える。
「脅すだけか? その肉体を壊されるのを恐れているのはお前の方だったりしてな」
煽ってみるも、グリフォスの表情は大して変わらない。
その代わり、注意は完全に私に引きつけられている。これでいい。アマリリスとゲネシスの戦いが終わるまで、こいつを動かさないことが私に出来ることだろう。
あとは信じるだけだ。
勇者を、そして、彼女を選んだ神々を。
「馬鹿な狼。唯一の神を信じる人間たちと何も変わらないのね」
一度は引っ込められた手。再び迫ってきた為に噛みつこうとしたものの、グリフォスは恐れずに私の額をぐっと抑える。女の肉体を持っているとは思えないその力の強さに怯みつつ前脚で体勢を変えようとするも、じわりと何かが奪われ、何かが与えられるような気を感じ、慌てて逃げようとした。
だが、足が動かなかった。狼の姿で棒立ちになったままグリフォスの手に触れられたまま、私の脳裏では様々な感情が巡っていく。
――これは、一体。
戸惑う私に対して、グリフォスがゆっくりと口を開く。
「――カリス」
私の名をしっかりと呟き、そして微笑みを浮かべる。
「少し、話をしましょうか」
抗う力を奪われたまま、私はグリフォスを睨み続けた。