1.城主の導き
霧の城。
ゲネシスの話ではそう簡単に辿りつけない場所のはずだった。大魔女カタリナですら、見つけることが困難となるほどの守りの魔術師。キュベレー。長い時を過ごしながらも、やはり死ぬことは恐れているらしい顔も知らぬ魔女。
友を殺された恨みを晴らし、ゲネシスの怒りを買った時は、まさか彼がここまでの脅威となることも予測出来なかったことだろう。
――最期の大仕事か。
カタリナが言ったように、悔しくも覚悟は出来たのだろう。
人間たちにとっては害でしかなかった古き魔女も、最期のときくらいは黙って殺されるわけではない、この世の未来の為に助力をすると決めたらしい。
その証が、道しるべであった。
「あれ……」
霧の城を目指してしばらく。
私とアマリリスの前に現れたのは幻影だった。少女のような姿をしている。けれど、ただの少女ではないと分かるのは、その姿が亡霊のように半透明であるからだ。
亡霊でもないと分かるのは、私の鼻が捉える匂いと、そしてアマリリスの魔女としての感性によるものだった。
無言のまま私たちを見つめる少女の幻影。
「キュベレー」
アマリリスの問いかけに、半透明の少女は切なげな表情を見せる。
何も言わないのは、何も言えないからだろう。
黙ったまま私たちに背を向け、とぼとぼと歩いて行く。その後をついていくにつれ、段々と周囲の状況は変わっていく。
さっきまでは、確かにただの森だった。
しかし、いつの間にか私たちの周りでは霧が発生し、全てを白く染め上げていく。そしてなんの変哲もない森が全て隠されてしまってしばらく。段々と現れてきたのは、私たちの遥か頭上にまでそびえ立つほどの古ぼけた城の姿だった。
「此処が……」
霧の城。
かつてカタリナが辿りつけなかったその場所に、私たちはすんなりと導かれてしまった。
そう、導かれたのだ。少女の幻影に。
少女が見つめているのは私ではない。アマリリス。私を引き連れる《赤い花》の勇者。心を壊しながら、世界を救うためにただ突き進む哀れな魔女を信じて、少女の幻影は最期の仕事と無言のまま扉を開け、そのまま振り返りつつ消えていった。
残された私たちを迎え入れようとしているのは霧の城。
この中にはキュベレーがいる。けれど、キュベレーだけではない。私の鼻は早くも異変を嗅ぎ取っていた。憎き匂いと愛しい匂いが混ざっている。アマリリスに続いて進めば進むほど、その匂いは強まっていった。
「行きましょう、カリス」
アマリリスが呟くように言ってから、走り出す。
片手には断罪の剣。全ての世を狂わせた罪人を裁くべく、心を失った勇者が盲信的に城を踏み荒らしていく。私はその犬だ。その犬に徹した。心を殺された主人に従うのなら、せいぜいお似合いになるべく心を抑え込もう。
全ては悪魔が悪い。
グリフォスとかいう死霊がいなければ、事態は此処までややこしい事にはならなかっただろう。海巫女プシュケもアマリリスに頼るような事態にはならなかっただろう。私はただ単純に夫の恨みを晴らす事だけを考えて不幸に浸っていればよかったはずだった。
全ては神獣が悪い。
ジズ、ベヒモス、リヴァイアサン。老いぼれ神獣が不甲斐無かったがために、アマリリスの仕事は増えてしまった。巫女を守れなかったツケを払わされ、心を失っていったアマリリス。だが、もっと彼らが強ければ、こんなことにもならなかったはずだった。
全ては神々が悪い。
三神獣や赤い花に地上の世界を託しておきながら、人間たちの狂信による暴挙を止められず、赤い花を減らしてしまった。もしも、神々が無能でなかったならば、三神獣を失った世界を元に戻すためにアマリリスがここまで背負うこともなかったはずだった。
全てはアマリリスが悪い。
赤い花が何だと言うのだ。あれほどまでに奔放に狼を殺しておきながら――私の夫クロを殺しておきながら、海巫女にまんまと乗せられて剣を手にするまでになってしまうなんて虫が良過ぎる。この女の自我の弱さに失望する。もっと悪に徹してくれれば、私だってまだ気も楽だったのに。
全ては私が悪い。
夫の恨みを晴らさなければ。そう思いながらも、こうしてアマリリスの犬のように付き添い、会話をし、心の何処かで殺したくないとまで思ってしまっている私の意思の弱さと矛盾。これが苦しいと思う原因であるならば、私はどれだけ愚か者なのだろうか。クロはきっと失望しているだろう。始祖の狼の血も泣いているだろう。
それでも私は、この矛盾を解消できぬまま、ただ運命の導くままに歩んでいるのだ。
今だってそう。
仕掛けもなく、阻む者もいないただの城を突き進むのはあまりに簡単だ。アマリリスが進めば扉は勝手に開き、何処へ進むべきかを城そのものが教えてくれる。キュベレーはまだ生きているのだろう。城主は早くアマリリスに来てほしいのだろう。
すぐにその時は来る。全てが決まる瞬間はそこまで迫っているのだ。
そして何度目かの扉が開かれた直後、私たちを待っていたのは異様な一室だった。
「これは……」
先に足を踏み入れようとしたアマリリスが思わず息を飲んだ。
私もまた、一瞬だけではあったが怖気づいてしまった。
そのくらい、その部屋は異様だった。人の視線を感じる。少しではなく、大勢だ。それもそのはず。そこにあったのは大勢の子供の人形。物言わぬ人形ではあったが、ただの人形ではないと一目見ただけで分かってしまった。
――これが、キュベレーの性。
様々な子供がいた。男児も、女児も、関係ない。共通しているのは、綺麗な容姿の子供であるということ。服装も様々だった。時代の異なる高貴な服を着せられた子供もいれば、貧しい家庭の者であるだろうと察せる姿の者もいる。
ああ、彼らはただの人形じゃない。
血が通っていたはずの、犠牲者たちのなれの果て。
「――行きましょう」
敢えて何も言わず、アマリリスが進みだす。
既に次の扉は見えていた。開きもせずにアマリリスを待っている。その歩みに遅れないよう、私もまた踏み進んだ。狼の姿で歩む私の尾が、無意識に垂れさがっているのが分かる。隠しようがない、やっぱり私は恐怖しているのだ。人形だらけの部屋に? 違う。この異質さだ。
神々は何故、魔女たちに性を与えたのだろう。
こんな事になると分かっていながら、どうして。
部屋を進むだけでも、人形となった子供たちの一人ひとりから嘆きが聞こえてくるかのようだった。この中に、ゲネシスの嘆きは含まれているのだろうか。大罪を犯してまで取り返そうとした彼の家族が、いるのだろうか。
そうして、最後の扉が私たちを導くように開かれた。