8.頼もしい味方
低俗な人食い鬼。
その印象はちょっとやそっとじゃ覆りそうにない。けれど、今の私にとって、彼らの到達は思っていた以上に有難いと感じられる存在だった。
人食い鬼達は真っ直ぐハノを睨んでいる。
その手に握られているのは、こん棒や短剣といった気休め程度の武器。それで吸血鬼を倒せるわけがない。けれど、私が期待しているのは彼らの戦力なんかではなかった。少しでもいい。ハノがこの人数差に怯んでくれればそれでよかった。
「世の中は本当に変わり者が多いようだ」
口元は笑っているが、その目は全く笑っていない。無心そのものの視線が、新たに現れた鬼達を突き刺すように捉えている。
同じ鬼でも違い過ぎる。
彼らは弱々しく若い人食い鬼。
真っ向から挑んでも、吸血鬼なんかに勝てないだろう。
だが、彼らは武器を構えると、躊躇うことなく飛び掛かっていった。ハノは怯んだ。幾ら力差があるとはいっても、複数を相手に、それも、怯えることなく次々に向かって来る者が相手では惑わされるものだ。
私は冷静に彼らを見守った。
この戦い方は、犬の仲間に似ている。狙われた者はその連携によって知らず知らずのうちに惑わされ、乱されていく。
――ハノ。
彼の注意は完全に逸れていた。
私は魔力を溜めて、機会を窺った。相手はただの生き物ではない。深手を負わせて追い払うか、命を絶ってしまう他ない。
そして、確実な方法は只一つ。
人狼を相手にする時以上の力を意識的に溜めて、私は状況を見守った。人食い鬼達は果敢に攻め続けている。彼らにすっかり乱されて、ハノは苛立ち始めている。
そろそろいいだろう。
私はハノの姿を見つめた。周りを取り囲む人食い鬼達が無いものと捉え、忌々しい吸血鬼だけをこの目に焼きつける。
そして、私は魔力を放った。
容赦なんてしない。する必要が無い。する余裕も無い。私とハノの実力には隔たりがある。それを埋めるには、生まれた隙を見逃さずに全力でぶつかるしかなかった。
私の放った魔力が火の玉となって飛んでいく。
ハノがそれに気付いて身構えた。
だが、もう遅い。遅過ぎる。
魔物との戦いはいつだって一瞬の隙が命取りなのだ。その隙を生まぬように戦い、怒りを抑え、冷静さを保てた方が勝利できる。少なくとも、私にとっての戦いはそうだった。
火の玉がハノの周りを飛び回る。
その間に、鬼達が距離を保つ。
もう避けられない。そう察したハノの表情が私の目に焼きついた。音を立てて、火の玉はハノにぶつかる。その直後、ハノの身体は破裂し、燃え尽きた。対象を灰となるまで燃やし尽す業火。私が出来る限り魔力を溜めてやっと放つことのできる大技だった。
世界に降り積もる塵によく似た灰がぱらぱらと地面に落ちていく。
それがかつて町を徘徊し、人々を襲っていた吸血鬼だったなんて誰が信じるだろうか。私はそんな哀れな姿になった吸血鬼を見つめた。
命は感じられない。
これからはただの物質として世の中に存在し続けるのだろう。
やがて風が吹き、灰が攫われていく。それを見送ってから、相談でもしていたかのように鬼達が同時に脱力した声を漏らした。
「死ぬかと思ったぁ」
少年の無邪気な声に、私は振り返った。
助太刀してくれた鬼達は汗を拭いながら地面に座り込んでいた。
こうして見れば人間の若者たちにしか見えない。だが、忘れてはいけない。彼らは人間や低級魔物を襲って食べる鬼なのだ。
「やっぱり魔術ってすごいな。僕も魔術の一つ覚えてみたいよ」
「お前が魔術を使うとか、考えただけで危なっかしくて冷や冷やするよ」
青年の姿をした鬼がけらけらと笑う。
その誰もが強敵が去った事に喜び、私達を襲ってくるという様子も見せない。どうやら、何の下心も無く、本当に、私を助けに来ただけのようだ。
彼らの姿を茫然と見つめている者がいた。
いつの間にか人間姿に戻ったルーナの傍で立ち尽くしている、純血の人間であるニフと呼ばれていた女だった。
彼女の視線に気づいたのだろう。
町娘の姿をした鬼が、笑みを投げかけた。
「よかったですね。命拾いをして。それとも、やっぱりあなたは悲しむのでしょうか? ねえ、吸血鬼の恋人さん?」
からかうように町娘は言う。
それに同調するかのように他の鬼達も笑った。別にニフを虐めたいわけではないのだろう。人食い鬼の若者は低俗な分、遠慮というものがない。彼らにとっては戯れの一つに過ぎないのだ。だが、ニフにとってはどうだろう。
私はニフについて察してみた。
ハノを見て少なからずショックを受けた女。吸血鬼の手口なんて有名なものだ。男であれ、女であれ、彼らは純粋で愚鈍な人間達の恋心を利用する。心の底から自分に依存させ、逃れられないようにしてから捕食する。それが吸血鬼というものだ。
狙われた者は最期まで吸血鬼を信じ、愛し続ける。そんな者が殺される前に真実を知ったらどうなるか。私には想像もつかない。
ニフは鬼達から目を逸らした。
鬼達にピュアとまで言わせた女だ。繊細なその心は隠しきれない。だが、彼女は弱いわけではないようでもあった。
「悲しくない……わけではない」
ニフはそう言って、足元を見つめた。
「でも、助かって嬉しくないわけでもないのが正直なところかもね」
笑っているが、その目は疲れ切っている。
この半日ほどで、一体どのくらい死を覚悟してきたのだろう。きっと処刑が決まるまでも長く拘束されていたと思われる。それらの重圧すべてから解放されれば、訪れるのは忘れていた疲労のみ。
ニフがふらつき、慌てて傍にいたルーナがそれを支えた。
人間ではないルーナに触れられても、人間であるはずのニフは震えもしなかった。視線を動かして見つめるのは私の姿。
縋るように、頼るように、ニフは私を見つめていた。