5.無実の罪
次の日、私はルーナを連れて町を立ち去ろうとしていた。
ここにはもう人狼はいない。いるのはカリスだけだ。そして、カリスを狩るには適していなかった。もっと違う町に向かった方がいい。
だから、何のためらいも無く立ち去るつもりだった。
だが、町の広場を通りかかった時、ルーナがその異変に気付いたせいで、予定は狂ってしまった。
「何かな、あれ……」
広場に出来た人だかりに気を取られるルーナ。
私はそっとその手を引っ張った。だが、ルーナの興味を紛らわす事は出来なかった。
喧騒は意識せずとも伝わってくる。飛び交うのは罵倒の声ばかり。人が多くてその中心で何が行われているのかは見えないが、大体は察しがついた。
ルーナと出会う前から、私は様々な町を訪れていた。
その中で、度々目にしてきたのが愚かな人間達の所業。ともすれば、彼らが憎む魔物達よりも残酷な事を平気でやってのける。それでいて、自分は清廉潔白な存在であると信じて疑わない。
何故、そんなに愚かなのか、私は知っている。
ほんの少しの挫折で生き迷いかねないほど精神の脆い彼らが縋るのは、確かな道標となるもの。この国の者達にとっては、唯一とされる神の教え。その教えは私達のような魔の者達の一切を排除するものであり、人間こそが選ばれしものであり、光であるのだと教え諭すもの。その教えを守れば死してなお安楽を味わうことが出来るという言葉は、彼らの耳にとってとても心地よいのだろう。
だが、その文化は大きな危険も孕んでいた。
少しでも教えに逸れる者、少しでも怪しげな者を見ると、悪としか思えないことだ。正義の名のもとに彼らは同胞を裁く。私達魔女の一員と疑い、一方的に決めつけて、挙句の果てには殺害してしまう。
まさに今、そうやって命を落とそうとしている者がいた。
私とルーナのいる場所からも、処刑台は見えた。裁かれる予定の人間は見えない。まだ登らされていないのだろう。だが、人だかりの中心にいる事は分かった。町を騒がす罵倒は、すべて、今から殺される者に対して向けられていた。
「何が起こっているの? どうして皆、あんなに騒いでいるの?」
ルーナがおどおどと周囲を見渡していた。
ここは危険だ。
私はルーナの手を引いて、その場から去ろうとした。深く関わるべきではない。不安に煽られた人間達ほど面倒臭いものはないからだ。その不安を解消するために生贄となってしまう人間は可哀そうかもしれないが、私には一切関係がない。
立ち去ろうとした時、ふと私達の行く手に見覚えのある面々が見えた。
あの人食い鬼たちだ。
町娘の姿、青年の姿、少年の姿、どれも覚えのある顔だった。彼らは一切笑わず、ただ私の行く手を阻んだ。
「逃げるのかい?」
青年の姿の鬼が言った。
ルーナがふと不安げに私を見上げる。
「どうせなら、最後まで見て行きなよ」
鬼の言葉に私はそっと振り返った。
処刑台に人が登らされている。女のようだ。私の目には、どう見てもただの人間にしか見えない。だが、人間達には彼女が魔物か何かに見えるらしい。
私は目を逸らし、鬼達へと視線を戻した。
「あれは、あなた達の知り合い?」
周りに聞こえぬように問いかけると、鬼達が顔を見合わせた。
やがて、町娘の姿の鬼が口を開いた。
「知り合いのような気もするし、そうでもない気もします」
何だかはっきりとしない言葉だ。
だが、すぐに青年が付け加えた。
「彼女が囚われている間、俺達はからかい半分で話しかけに行っていたのさ。だが、見事に空ぶってしまった」
「あの人、ずいぶんとピュアな人なんだ」
今度は少年姿の鬼が言った。
「疑われたのも、誰かの嫉妬のせいみたい。さすがに僕達もなんだか可哀そうになってね、どうせ残虐に処刑されるくらいなら、いっそ僕達が苦しまずに殺してやろうかって提案したんだけど、断られちゃったのさ」
「当然よ。純粋な人なら、最後まで人間の神様が助けてくれるって信じるでしょうから」
私は何故だか憂鬱な気持ちになった。
人間になんて同情する価値はないと思っているはずなのに、こういう場面はやはり苦手だった。何故だろう。人狼狩りに関わっていれば、平気で人間を餌にしようと思えるのに、人狼の影が消えた途端、安っぽい慈愛のような気持ちが芽生える。
「ねえ、アマリリス」
ルーナが私を見つめた。
「あの人、無実なのに殺されちゃうの?」
純粋な気持ちで問いかけてくる。
私はその質問に答えずに、鬼達を見つめた。
「それで? 図々しいあなた達の頼みは何?」
「察しが早いね、お姉さん」
青年姿の鬼が嬉々として言う。
「あんな光景見るのは俺達も嫌なのさ。人間なんて獲物に過ぎないって思うのだけど、変なものだよな。でも、俺達の力じゃ、彼女を助けるなんて無理だ。だから、力ある人狼を葬ったお姉さんの力を見込んでお願い。あの人を助けてあげて」
予想していた通りの依頼だった。
今度は全く利点がない。人助けなんて全くする気になれないし、人狼の為に取っておきたい力をどうしてここで使わなくてはいけないのか理解出来ない。
けれど、鬼の話を聞いたルーナがすっかり私を見つめているので困ってしまった。
「ほら、その《妹》さんも助けてあげて欲しそうじゃないですか」
町娘姿の鬼が私に語りかける。《妹》とわざと強調している所に悪意を感じるが、そこはまだ可愛いものだ。
「あなたなら容易いものでしょう? あの場所から彼女を攫って町の外まで運ぶ程度の事でいいんですよ?」
「《その程度の事》が面倒で大変なの。どうして私があなた達のつまらないボランティア精神に協力しなきゃならないのよ」
私は率直に不満を告げた。
だが、横から刺さって来るルーナの視線が無視出来ず、私は段々と追い詰められていた。これが鬼達の狙いなのかもしれない。
「アマリリス」
ルーナの純粋な声が耳に入りこむ。
「お願い。あの人を助けてあげて」
可愛い僕の懇願を、私はどうしても無視できない。腹立たしい気持ちをどうにか抑えながら、私は彼らにひっそりと告げた。
「――仕方ないわね。分かったわよ」
鬼達がその言葉に安堵の表情を見せた。まったく、風変わりで人懐こい魔物ほど面倒臭いものはない。頭が痛くなるくらい、思い知らされた瞬間だった。