3.魔女狩りの剣
塵はまだ降り続いている。
人狼の気配は一か所で留まり続けている。
私は逸る気持ちを抑えながら、一歩一歩、人狼へと近づいていた。鬼達は雄だと言っていただろうか。彼もまた、私の接近を察知しているのかもしれない。一か所に留まったまま、じっとしている。
カリスとの接触があったかは分からない。
私の行く手にカリスはいないようだ。ただ、気配を殺して潜んでいる可能性もあるから、油断は出来ない。
塵の影響で辺りが町のどの辺なのかは全く分からなかった。
人々はすっかり物陰で怯え、臭気のせいで活動も出来ない。その吐息や温もりすら、塵が覆い隠してしまっていて、辺りはすっかり魔族や魔物の為だけの世界になっていた。
そして、そんな塵に導かれながら、私はその場所へと辿り着いた。
彼は、人間の姿で待ちかまえていた。
剣を構え、私を真っ直ぐ見つめ、少々にやけた表情を浮かべていた。
「いらっしゃい、魔族のお嬢さん。俺を殺しにきたんだろう?」
饒舌に彼は語った。
人間の剣士のような恰好をしているが、騙されるのは人間だけ。人狼である事を私に隠す事は出来ない。
整った顔立ちの男は私の目を見て笑みを深めた。
「アマリリスっていうんだっけな。人狼の間じゃ有名だが、人間界ではそんなに有名じゃない。まあ、当然だよな。あんたは人間相手に悪さしないからなあ」
「じゃあ、私を殺しても大したお金にはならないのね」
そっと声をかけてみると、人狼の男は声を出して笑った。
「そう思うだろう? だが、違うんだよ。人間達はあんたのような無名の魔女でも、本物だと分かればたんまりと金をくれるのさ。何故だか分かるかい?」
男が立ち上がる。
手に持っている剣こそが、魔女の命を狩り取る剣だろう。
「魔女の心臓ってのは、秘薬になるそうだ。不老不死の秘薬と言われていてね。貴族、王族共は、すっかりその薬の虜さ。あんたのような魔女の心臓なら、そりゃあ高く売れるだろうよ。人間の世界で一生遊んで暮らせるだろうなあ」
男は想像を働かせ、くつくつと笑う。
「あなた、変わっているのね。狼のくせに、人間の世界で稼いで遊ぶの?」
「そりゃあ、遊ぶさ。お嬢さんが知らないだけで、夜の町では多くの狼男が人間の女を金で買っているんだ。まあ、たまに興奮し過ぎて相手を喰い殺しちまうけれどね」
「野蛮な人ね。見た目だけは綺麗で素敵なのに」
私が言うと、男は満足げに笑って見せた。
「あんたも俺から見て綺麗なもんだ。心臓を抜きとる前に、少し楽しませて貰いたいくらいだよ。どうだい?」
「勝てたらそうすれば? 勝てたら、だけど」
私の煽りに男は笑みを殺した。
その目を見つめ、私は彼の内面を探る。だが、彼は剣を構えなおし、私の集中を逸らした。塵が晴れるまでに片づけたい。だが、相手は魔女殺しの剣を持っている。真っ向から相手をすれば、その剣にはどうしても敵わない。
だが、怯えてばかりいても無意味だ。
「来ないの? 来ないのなら私から行くわ」
「どうぞ、お嬢さん」
何を企んでいるのだろう。
不穏に思いつつも、私は言葉に甘えて魔力を放った。苦手な剣を前にしても、考えがないわけではない。冷たい風を巻き起こし、塵と共に逞しい男の身体を斬らんと向かわせる。案の定、彼は剣をもってそれを制した。
そこへ更にたたみかける。
剣一本では抗いきれないほどの風を向かわせ、少しでも彼の身体を傷つけようと狙った。最初こそ余裕の表情で跳ね返していた彼だが、次第にその額に汗が浮かび始める。このまま応戦を続ければ、私の方が有利だろう。
けれど、魔力が無尽蔵なわけではない。
ひとつひとつの風を生みだすだけでも体力を伴う。その上、風を操って狙うという地味な労力が上乗せされている。
それでも、私の生み出す魔力は、じわりじわりと人狼男の体力を削っていた。集中力が途切れれば、たちまち小さな傷が生まれる。そう、血の流れる傷さえ作ってしまえば、私はさらに有利になる。
この風はただの風ではない。
私の魔力をたっぷりと乗せた死の風。魔物にとって毒となる力が込められているのだ。そんな風が傷を作れば、少しずつ汚染されてしまう。
毒には毒。盛られる前に盛ればいい。
男もそれに気付き始めたのだろう。
段々と余裕をなくし、私の傍へと近寄ろうとし始めていた。だが、それも虚しい抵抗。私がかわすのにもさほど苦労しない程度の攻撃だった。
「くそ……魔女め……」
やがて、人狼の男は、片膝と片手を地面についてしまった。
剣を持ち手でどうにか私を威嚇しながらも、その視線は何度も地面へと落ちようとしている。全身より汗が滲んでいるのが見ていて分かる。
もう勝負はついたようなものだった。
私は彼に近寄った。
その目を見つめ、先程は読みとれなかった彼の名を導きだす。
「残念だったわね、バルバロ」
ようやく読みとれたその名を呟いた時、バルバロが薄っすらと笑みを浮かべた。その笑みに気付いた瞬間、いきなり彼は動き出した。毒がまわっているとは思えない力で、私の手を掴み、そのまま引きずり倒した。
「残念だったな……アマリリス……」
苦しそうなのは相変わらずだ。
だが、それでも彼は私を地面に押さえつけるだけの力を残していた。剣の刃を私にわざと見せつけて、彼は震えた身体で笑顔をつくりだした。
「魔女狩りの剣士って言う奴を甘く見過ぎじゃぁないかぁ……? そんな有り触れた魔術じゃ、剣士は殺せないんだぜぇ?」
息を切らしているが、その言葉通り死ぬほどのものではないらしい。
――ならば、どうなってしまうのか。
私は慌ててもがいた。魔術を思い出している余裕がなかった。とっさに何かしようとしても、視界に入る剣が冷静さを吸い取っていくようだった。
バルバロの笑い声が耳元で聞こえてくる。
「さて、約束通り心臓を抜きとる前に少し楽しませて貰おうかねぇ……」
その手が胸元をまさぐってきた時、私はようやく恐怖を覚えた。
人狼なんて糧に過ぎないと思っていた。私に殺されるだけの存在だと思っていた。カリスだってそうだ。ルーナの事がなければ、カリスを怖がる必要もないとしか思わなかった。
それが、どうだろう。
私は今、純粋に、このバルバロという男に恐怖を抱いていた。
そんな時だった。
塵の向こうから近付いて来る気配に気づいたのは。それは真っ直ぐ私達のいる場所を目指している。バルバロもすぐに気付き、警戒心を顕わにした。
私はたった今覚えたばかりの恐怖も忘れ、その気配の元を見つめた。
意外な気配だった。
どうして来るのか分からない。それでも、《彼女》は真っ直ぐ私達の元へと近づいて来る。バルバロの唸り声を聞いても、立ち止まりはしない。
そしてとうとう、《彼女》は塵の合間から姿を現した。
その姿を見ているだけで、気持ちが高揚してしまう。取り押さえられているというのに、魔女としての性が震えて仕方ない。
そんな《彼女》は薄っすらと笑みを浮かべた。
――カリス。
その名を唱えるだけで、満たされない欲望に苦しめられる。