第四話 屋上のアポロ 三
夜の山道を
息を切らせて歩く
相変わらず地獄の苦しさだ
昔のままの
抜け道を
通って
屋上に上る
雲はなく
月も出ていない
何も変わっていない
フェンスに手をかけ
街を見下ろす
それから、小さく口を開いた
「まだ、ここにいる」
風が
その言葉を持っていった
夜へほどけて
たぶんどこにも届かない
「きみがいなくなってからも
ちゃんと生きてるのが
嫌だった」
喉が痛んだ。
けれど
止めなかった。
「でも」
そこだけ
少し長く息を吸った。
「でも、見てるものは、まだ同じかもしれない」
返事はない
それでも
確かに
伝えた気がした
受信されることのない
小さな信号
それでも送らずにいられない
言葉
これが出発ななおかもしれない
宇宙飛行士
巨大な暗がりへ
ひとり進む者
戻ってくる保証もない
名づけられない孤独の中へ
進んでいく者
自分は
屋上のアポロなのだ
この重力の強い世界の片隅
自分の孤独という宇宙へ
届かない言葉を届けるために出発する
宇宙飛行士
ひどくささやかで
頼りない定義だった。
その頼りなさが
今の僕にはちょうどよかった。
喪失はなくならない
孤独も消えない
重力のある世界は
明日も
床へ
朝へ
仕事へ
会話へと
引き戻されるだろう
それでも
もう行き先は
わかった
外ではなく
内にある
届かないものへ
届かないと知りながら
言葉を放つ。
その軌道が
自分を
かろうじて形にする
フェンスから手を離した。
夜はまだ続いていた。
世界も変わらずそこにあった
けれど
宇宙へと
飛び立てた
小さく、確かに。
消えない灯りのように。




