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「狆様、今日はいつものお散歩コースじゃなくてトリミングが出来るリゾート施設に行くことになったわよ。地獄江戸城前のバスから直通で行けるから、お散歩はリゾート内で済ませましょう」
「きゅいんっきゃんきゃん」
狆様とマリアンヌは言葉こそ通じないが、なんとなく意思疎通の類はこなせている気がする。つぶらな瞳をウルウルさせて、ペット用キャリーバッグにぴょこんと飛び乗った。
ご機嫌な態度を見てどうやら、お気に入りのリゾート施設らしいことに気づく。行きのバスの中で、これからの目的地の詳細を確認。
(それにしても、随分と大胆なコンセプトのリゾート施設よね。牧場と温泉が一体になっているなんて)
本日の行き先。
地獄江戸城から直通バスで行けることがウリの畜生向け複合リゾート施設、その名も【わくわくアルパカ牧場温泉地獄の宿】だ。
畜生様のモフモフした毛並みをトリミングしたり、温泉で身体を癒してリフレッシュさせてあげることが出来る。
そしてアルパカ牧場の名称からも察せられるように、羊系最強の天使アルパカ様と触れ合い体験をすることも可能。買い物コーナーも充実しており、お犬様などの畜生だけではなく、お世話係も一緒にリフレッシュが出来るとあって注目の施設だった。
「アルパカ達と狆様が、直接触れ合うことはないだろうけど。アルパカって身の危険を感じると、唾を吐いて攻撃するんですって。何でも、か弱いアルパカはそれしか攻撃スキルを持っていないとか。一応、狆様もアルパカを刺激しないように気をつけてね」
『もちのろんろん!』
(えっ……今、狆様『もちのろんろん!』って言った? ううん、気のせいよね。きっと疲れが溜まっているんだわ。こんなことなら、あの栄養ドリンクを飲んでくればよかった)
キャリーバッグの中から、愛くるしいお返事が聞こえた気がしたが、お犬様お世話係特有の幻聴だと思うことにした。元気の前借りだという依存性の高い栄養ドリンクを飲まなかったことを後悔しながら、バスの窓から見える地獄の景色を眺める。
高速を出てススキの原を抜けると、景色が一変。三途の川や血の池など、昔ながらの地獄の風景が広がる。
『オラオラァ、まだまだ石蹴りはこんなもんじゃねぇぞっ。そんなことじゃ、全国大会には行けないからなぁっ』
『はいっコーチ!』
県境の賽の河原で餓鬼くんたちが鬼コーチにしごかれながら、石蹴りに熱狂している様子が遠巻きからも分かり微笑ましい。
(凄い、あんなにまだ幼い餓鬼くんなのに夢中になって石蹴りをエンジョイして。本格的な競技か何かのようだわ。この辺りは赤鬼さんは、上半身裸と棍棒装備の伝統スタイルで霊魂を整列させているのね。けど私って、本当に地獄に堕ちてきたんだ……感慨深いわ)
観光気分でまるで地獄の絵図のような光景に目を奪われていると、【もうすぐ、わくわくアルパカ牧場温泉地獄の宿】の看板が見えてきた。
* * *
「うわぁ。流石は流行の複合施設、お犬様連れがたくさん。えぇと、お犬様トリミングコーナーはアルパカ牧場に隣接しているのね。行きましょう」
「きゃうん!」
バスから降りてようやくキャリーバッグから解放されて自由になった狆は、クルクルと自分のふんわりした尻尾を追いかけて上機嫌だ。小型犬である狆を長く歩かせるわけにはいかないため、まずはトリミングコーナーで受付を済ませて休んでもらうことに。
「地獄江戸城からお越しの狆様とマリアンヌ様ですね、お待ちしておりました。お犬様のトリミング中は、お世話係の方はネイルアートなどのサービスを受けられますが」
「ネイルアート? まぁワンちゃんのイラスト付きのネイルなんてあるのね。じゃあこれをお願いしようかしら」
「畏まりました。ではこちらへどうぞ」
狆がリフレッシュしている間、生まれて初めてのネイルアートに挑戦するマリアンヌ。ネイルに施す犬のデザインは様々だが、生前飼っていたパピヨンに似たデザインに目が留まる。
「このパピヨンネイル、まだ私が生きていた頃に可愛がっていたうちの子に似ているわ」
「愛犬はパピヨンちゃんだったんですね。パピヨンちゃんは、かの有名な姫君にも可愛がられていた伝統あるお犬様で、愛犬家に人気なんですよ」
マリアンヌを見ると自然と皆、その姫君の話題をしたがる。それほどまでにイメージが被るのか、もっと彼女について知りたくなった。
「かの有名な姫君か……随分とそのお姫様はいろんな方に知られているのね。一体、どのような功績なのかしら」
「とても可愛いらしい容姿で、若くして嫁いできて世間から注目をされた姫君なのですが……。宮殿に華やかな庭を造ったり、羊を飼い農業を推奨する一方で、貧困に悩む民衆に厳しい言葉を放ったとも言われています。パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない……とても有名なセリフですが、実は真意は別にあったとかで。彼女の人気を失脚させたいアンチが、悪い意味合いで解釈して風聴したのだとか」
(パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない、私の祖国に伝わる格言だわ! 私の故郷は彼女の理念を基に作られたというの?)
自分の出自の秘密について触れてはいけない何かに触れてしまった気がして、マリアンヌは思わず背筋がゾッとする。これ以上、自分自身の隠された真実について知ってはいけないと胸の何処かで警鐘が響く。
そして、動揺するマリアンヌの後ろ姿をたまたま営業でアルパカ牧場に飛ばされたサラリーマン風の男が、ジッと見つめていた。
「あれは、新入りお世話係のマリアンヌさん?」




