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東洋のサラリーマン風のその男は、自らを人間ではないと断言し、【社畜】であると主張する。畜生道は本来、前世での行いが祟って畜生に生まれ変わる地獄のはずだ。マリアンヌのように、人間の状態でお犬様お世話係に任命されるのは稀なのだろう。
と、考えるとやはりシャア・チンクと名乗るサラリーマン風の男も、人間ではなく畜生の一種だという社畜なのだろうか。
「けど、社畜って生物が本当に畜生道の仲間達にカウントされているのなら、この畜生道公式ガイドブックに種族が掲載されているはずよね。待ってね、ええと図録を……」
早速、『ようこそ、畜生道へ! 楽しい仲間達を紹介するよ』と書かれた畜生達一覧ページを捲る。
マリアンヌがお世話しているお犬様の狆。モフ界ナンバーワンの毛並みと巨大ぶりで有名な北欧猫ノルウェージャンフォレストキャット。普段は愛くるしいが、不機嫌になると唾を吐いて攻撃を仕掛けるアルパカなど。
写真を眺めているだけで思わず胸が『キュンッ』としてしまうような、ラブリーな動物達の写真が満載だ。
だが残念なことに、【社畜】と呼ばれる畜生はどこにも掲載されていなかった。
「無駄ですよ。社畜は危険種扱い、若しくは堕ちた人間の亜種の扱いです。そんな公式ガイドブックとは名ばかりのモフモフ天国図鑑に、僕みたいな社畜が掲載されているはずがない」
「そんな……でも、ツナ様の畜生コレクションは凄いって鬼娘さん達が話していたし。例え亜種であろうと、社畜を見逃すはずが……あら?」
パラパラとページを捲ると、第二段公式ガイドブック発売決定のチラシが、ハラリと東屋のテーブルに落ちた。シャア・チンクが、それを手に取り大まかな内容をインプットして大きくため息を吐く。
「はぁああ……第二段公式ガイドブックですか、まったく。全ての畜生を最初のガイドブックに載せずに、小出しにするなんて」
「それで、社畜は載っていそう?」
「はい。平成から令和の派遣法や氷河期世代の被害者的畜生の一つ、社畜。現在、サンプル画像準備中です……。サンプル画像って、一体なんだっていうんだ? ふざけてるっ!」
マリアンヌからすると、怒りに任せて黒い髪をくしゃりと乱すシャアがちょうど良い【サンプル画像】に見えたが、それは敢えて言わなかった。畜生道二日目の新参者が、そこそこ畜生道歴が長そうな先輩に余計なことを言うなんて、恐ろしくて出来ない。
「落ち着いて下さいな。それで、シャアさんは、私と狆様に何か用事があったのでは」
「ああ、僕としたことが。つい……。実はですね、新たに畜生道へといらした方に、この社畜コーポレーション印の栄養ドリンクのモニターをして頂きたくて。疲れた時にぐいっと飲むだけです。後で、この用紙に効果や感想を記入して頂ければ……と」
「なんだ栄養ドリンクのモニター募集だったのね。けど、雇用主のツナ様に余計な寄り道はせずまっすぐ帰ってくる様にって言われているの」
すると、シャアから見てあと一押しに見えたのか、社畜と漢字で書かれた栄養ドリンクを一本、マリアンヌにぐいっと押し付ける。
「それなら、心配いりませんよ。最初の試供品は一本だけですので、そのままお城に持ち帰っていただければ。僕は定期的にこの東屋周辺で、試供品のモニターを探していますので、別の日に感想をお持ちください。何かありましたら、名刺の裏にある電話番号で呼び出して下されば。では、ご協力感謝致します」
まだ了承もしていないのに、シャア・チンクは勝手に謝辞を述べて急ぎ足で次のモニターの元へと駆けていった。マリアンヌの手元には小型の瓶型栄養ドリンクとシャア・チンクの名刺が残された。
(どうしよう。まっすぐ帰ってくる様にって、注意されていたのに。けど、東屋に立ち寄るのはお散歩コースの想定内だから、平気かしら)
「くいーん、きゃうんきゃうん」
「あっごめんなさい、狆様。社畜さんのモニター勧誘にすっかり丸め込まれてしまって」
最初は恨めしそうな目でマリアンヌを見つめていた狆だったが、他のお犬様が東屋付近で尻尾を振っているのを発見し、そちらに気が入ったようだ。
「わん、わおん」
「きゃわん」
遭遇した犬は見たところ、芝犬という種類のお犬様だ。リードを長めに設定しているおかげで、東屋に立ち寄った芝犬とも挨拶出来た。
「あら、貴女もしかして新入りさん? 鬼娘以外のお世話係なんていつぶりかしら。私は三丁目の茶屋で看板娘をしている青鬼のホタルよ」
「私は、地獄江戸城でお犬様のお世話係に任命されたマリアンヌと申します。さっきも、社畜さんとお話したんですけど、人間って珍しいみたいで」
「うんうん。だって、ここは前世で人間だった者でも殆どが畜生になってしまうのだから。人の姿を維持しているなんて、レアな存在よ。まぁ最近では、一見人間に見える【社畜】が存在しているせいで、多少は人間っぽい見た目の人は増えてるけどね」
茶屋の着物姿がよく似合う青鬼の娘ホタルが、当然のように社畜を人間の亜種として扱っている。もはや社畜が畜生であることは明白であったし、シャア・チンクの話は嘘では無かったことが判明する。別にマリアンヌとて、全部疑っていた訳ではないのだが。
それでもまだ、『人間だったのに社畜なんてものに変化してしまうなんて、恐ろしい時代になったわ』などと。自身は民衆への我儘が祟って地獄に落ちたことを忘れて、マリアンヌは感慨深い気持ちに浸るのであった。




