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――畜生道の朝は早い。
常世の長鳴鶏の鳴く声が、地獄江戸城の庭から響く。畜生道における絶対権力の持ち主、【お犬様】のお散歩タイム開始の合図だ。運良くお犬様世話係に任命されたマリアンヌも、軽装に着替えてお散歩の準備。
「きゃわん」
「ふふっ。朝から尻尾を振って、元気いいわね。ほら、リードをつけるから大人しくしててね」
「くいーん」
かちゃん!
手際よく首輪に迷子防止のリードを取り付けて、長さが合っているか確認する。
お犬様こと狆様の首輪は、地獄でも大人気の花柄モチーフのブランド首輪でリードも揃いのブランド品だ。前世だったら『こんな高級な首輪を犬になんかつけて!』と怒られたものだ。が、畜生道ではお犬様は絶対権力者であり、お犬様が最も良いアイテムを使用しなくてはいけない。
「おぉマリアンヌ、初陣の準備が整ったようだな。ふむ、なかなかスポーティーなファッションも似合っているじゃないか。ショートパンツにレギンスというのか、お犬様のお散歩にはちょうど良いだろう」
「はい。それにこのスニーカーという靴も、お犬様が走り回る速度に追いつけるような素晴らしいアイテムです。こんな便利な靴が、地獄には存在していたなんて」
「はははっ。まぁスニーカーは地獄というより、現代の品なのだが。マリアンヌの時代には無かった品だという」
お世話係はあくまでもお犬様に仕える使用人扱いだが、お犬様が恥をかかないようにそれなりのファッションが要求される。だから、今朝のマリアンヌの装いはスポーツウェアでありながらお犬様とそろいのブランド品であるし、スニーカーも一流の人気アイテムだ。
だが、マリアンヌはそれ以上に自分が生きていた年代よりも地獄の方が進んでいる気がして、時折違和感を感じていた。
「時代……そういえば、私が畜生道に辿り着くまで随分と年月が経っていたみたいだし。もしかしたら、お散歩の途中で文明の利器に出会えるかも知れないわね」
「ふむ。いろいろ興味深いものとの出会いもあるだろうが、寄り道はいかんぞ。なんせ、初陣じゃ。まっすぐ、まっすぐな」
「分かりましたツナ様。まっすぐ、まっすぐ帰ってきます」
お散歩コースの地図を手渡されて、地獄江戸城の門を出る。昨日、ここまで来た道のりはずっとツナ様に着いてきただけで、マリアンヌはまだ土地勘がない。地図が頼りになるのは明白であったし、寄り道など御法度であった。
* * *
「さあ、狆様。行きましょう。私と狆様で初めてのお散歩ね。えぇと……お散歩コースは、地獄江戸城から三丁目付近。公園でひと休みして帰ってくる……と」
「きゃうんきゃわわん」
徐々に強くなる朝の日差しを浴びながら、狆を連れて地獄通りをお散歩。火の玉や妖怪が歩いてるものの、動物中心の世界なだけあって他の地獄に比べるとかなりまったりとした世界観だ。すれ違うお犬様連れの鬼達に挨拶をして、ようやく三丁目公園に辿り着く。
赤い彼岸花が咲き乱れる景観を愉しみながら、東屋で休憩タイムを設けて、ペットボトルのスポーツ飲料で喉を潤す。
「ふう。意外とハードな道のりだったわね。このお散歩を毎日するのか……まぁ一般的な地獄の責苦に比べたら、楽しい部類よね」
「きゃわん! う、きゃんっきゃんっ」
これまでずっと良い子だった狆が、警戒モードに入り吠え始めた。どうやら、外敵が近づいているらしい。
「どうしたの、狆様」
「おやおや、賢いワンちゃんですね。でも、大丈夫。怪しい者ではありませんよ。なんでも昨日、畜生道に新たな住人が増えたと小耳に挟んだのですが。貴女が噂のマリアンヌ嬢ですか、ツナ様のお城でお勤めが決まったという」
失礼します……と、東屋に潜り込んできたのは黒髪眼鏡の東洋人らしき男性だった。畜生道公式ガイドブックによると、人間も存在する設定らしく、彼の服装はサラリーマンと呼ばれる職種のものと同じに見える。
人種に関しては東洋風の地獄なのだから、人種は東洋人が多いのだろう。だが、現実的な住民は殆ど鬼ばかりだと思っていたマリアンヌからすると驚きを隠せない。
「はい、私の名はマリアンヌであってますが。あなたは……人間。珍しいわ、私ここに来てからまだ日が浅いけど、雇い主のツナ様以外まだ人間に会っていなかったのに」
「人間、ははっ。まだ僕のことを人間扱いする人がいらっしゃったなんて、ひひひ……不思議な気持ちですよ。マリアンヌさんはまだこの畜生道に染まりきっていないんだっ。いや、失礼……正確には僕は人間ではありません」
謎の男は何がおかしかったのか、クマのひどい目を隠す眼鏡をカチャァチャといじり倒しながら、自重気味に不気味な声色で笑い出した。ちょっとテンションが微妙なところをみると、人間ではなくても不思議ではないが。見たところ、あまりマリアンヌと変わらなく見える。
せっかく端正な顔立ちなのに、全身から漂う疲労感が彼のイケメンぶりを台無しにしてる気がしてならない。
「えっ……人間じゃないって。けど、頭に角がないし肌色もいわゆる黄色人種の色合いで、鬼族とは違うわよね」
「ふっ。貴女はまだ何も知らないんですね。いやいや、そう来なくっては。僕の名はシャア・チンク。畜生道に堕とされた元人間……社畜です」
「……社畜?」
西方の貴族階級出身のマリアンヌですら知らない謎のワード『社畜』。シャアとの出会いはマリアンヌにとって新たな『畜生』との出会いでもあった。




