03
西方文化に慣れているマリアンヌにとって東洋風の城は斬新だった。黒い瓦屋根、白く立派な作りの建築物は、外国人目線から見ても価値の高いものである。
遠くに見える庭園は地獄ながらも美しく、赤い池の周辺にはゆらゆらと火の玉が宝石のように揺らめいていた。
「おかえりなさいませ! ツナ様」
「おかえりなさいませっ! お犬様」
すれ違う使用人達は皆ツナ様をリスペクトしているらしく、マリアンヌが感じ取ったオーラは本物だったのだと確信する。
「着いたぞ。ここが地獄江戸城、畜生道の本丸だ。ワシはここの城主を務めておる。まぁ、働いている腰元なんかは、殆ど鬼娘だがな」
「お待ちしておりましたツナ様。まさか新入りのために、ツナ様自ら動くとは思いませんでしたが」
「珍しく西方からの客人だったからな。たまにはワシが自ら出向いてもよかろう」
着物姿の鬼娘が、ツナ様の帰りを出迎える。余所者のマリアンヌは、地獄江戸城ではいささか浮いていたが、狆が懐いているのを見ると皆恭しくお辞儀をして道を開けてくれた。
「鬼娘さん達、一応顔立ち的には東洋の人種がベースなのかしら。けど肌の色は赤かったり青かったりするのね。っていうか、人間もそうだけど私のような西方の人間は殆どいないみたい。けど、言語は通じるみたいだから安心だわ」
「あの世では、心の声が具現化されるようでな。西方だろうが東洋だろうが鬼だろうが、関係ないのだろう。お犬様と言葉が通じないのは残念だが、仕方があるまい」
「お犬様、この世界では人間よりも犬が上なのね」
地獄という概念は世界各国共通で、罪人が生前の罪を悔い改めるために罰を受ける場所である。畜生道はマリアンヌの祖国ではあまり聞き慣れない地獄だが、畜生つまり動物達が中心となっている世界のようだ。
その日、マリアンヌのためにささやかながら歓迎の宴が開かれた。正確にはお犬様の狆のお世話係が決まった記念の宴である。宴会の間は黄金の屏風が眩しい座敷で開かれて、お犬様のための舞を芸妓が踊ってみせた。
「はははっ。狆や、いつもは芸妓の踊りに夢中だというのに今日はマリアンヌの膝の上でべったりじゃのう。やれやれ、大した雄犬じゃ」
「うふふ狆様、わたくしちょっぴりマリアンヌ様にジェラシーでございますわ」
「きゃるるん」
マリアンヌの膝枕が心地よいのか、狆は馴染みの芸妓を軽くあしらうとそのまま丸くなってしまった。先程まで気づかなかったが狆は雄犬のようで、ちょっとしたハーレムということらしい。ただ単に、餌をくれそうな人間に懐いている犬という感じもしたが、一応雄犬を褒めるのもこの畜生道のマナーなのだろう。
「狆さま、お世話係が決まって本当に良かったですわね」
「きゃううん」
鬼娘の腰元が、狆のご機嫌を取るためにジャーキーや骨のお菓子をさっそく献上する。
「ほら、マリアンヌさん。貴女、せっかく狆様のお世話をするという名誉ある仕事に就けたのだからさっそく頑張らないと」
「あっそうね。ほら、狆様。骨のお菓子よ、健康に良いからハムハムしてね」
「ぐるるぐるる」
少しだけ野生の血が騒ぐのか、グルグルと獰猛な鳴き声で骨にむしゃぶりつく狆。
狆の食事が終わるとようやく人間の食事が始まった。刺身の類が振舞われたが、生のお魚が苦手なことを伝える。すると、テーブルを華やかにみせるための飾りとして使われていた鰹のタタキをお茶漬けにして振る舞ってくれた。
「マリアンヌは東洋の飯は初めてだろう。生魚が苦手だとしても、茶漬けなら食べやすいはずだ。西方のリゾットのようなもので、疲れた胃に優しく効くぞ」
「はい。美味しくいただいております。それにしても、カツオなんてお魚初めて食べました。これって高級なのでは」
「まぁ初物ではないから、ほどほどかな。しかし、口にあっているようで何より」
(きっとお茶漬けは新入りの使用人でも許されている食事なんでしょうけど。下働きの食事にしては、ヘルシーで良いわね。お犬様のおこぼれとは思えないほどの出来だわ)
すっかり狆が眠りにつくと、ふざけてツナ様が空いたマリアンヌの膝の上にゴロリと寝転ぶ。
「まぁツナ様ったら」
「ははは。狆にだけマリアンヌの膝を独占させては、ちと悔しいからのう。狆には内緒じゃぞ」
和やかなムードで宴は進み、空に月が昇ると時間ということでお開きとなった。
「ほれ。地獄文字で書かれた畜生道公式ガイドブックだ。今日はこれをよく読み込んで、明日から始まる畜生道生活に備えるが良い。マリアンヌの部屋は、お犬様世話係専用個室になったからな」
「ツナ様、こんな良いものを頂けるなんて。しかも個室まで……ありがたき幸せ。さっそくお部屋で、お勉強致しますわ」
「ははは! 狆と仲良くな! ではまた明日……」
お犬様世話係専用個室には風呂もトイレも完備されていて、食事以外は自室で済むようになっていた。
明日のために、軽く湯浴みをしてから寝巻きに着替える。窓辺から覗く月明かりを頼りに、マリアンヌは畜生道公式ガイドブックに目を通す。
イラストでは城勤の鬼娘達が、順番にお犬様の散歩に出かける姿が描かれていた。
人間の地位はかなり低く、お犬様のために道を開けて、お犬様を傷つけた愚か者は土下座か刑罰。食事はお犬様が食べてから、おこぼれを人間が貰っても良いというルールである。
(ふぅん。本当にお犬様が高い地位を得ている場所なのね。城下町や隣町にはたくさんのお犬様が可愛がられているみたいだわ。猫や馬の住む区域もあるみたいだし。ここって、動物好きにとっては天国のような場所じゃない?)
マリアンヌは、きっと動物好きの神様が自分にとっての天国に送ってくれたのだと感謝して、眠りについた。




