02
『ようこそ、畜生道へ』
一応、地獄の入り口のようだが木の看板には可愛らしい肉球マークが描かれており、思わずマリアンヌの心は和んでしまう。
「きゃうきゃう」
「ふふ。可愛いわね、貴方。お名前はなんていうの」
「きゃうーん」
それに、マリアンヌに懐いて来たクリクリした瞳のモフっとした小型犬。ジャパニーズスパニエルらしきその犬、本物を見るのは初めてだがひと目で気に入ってしまった。
動物がメインの地獄である畜生道に来たからと言って、動物と言語が通じるわけではないらしい。白黒まだら模様の小型犬は、ハフハフとマリアンヌに擦り寄ってきて、マリアンヌはそれに応えるべく頭を撫で撫でした。
「その犬は、狆という種類の犬だ。ジャパニーズスパニエルと海外では呼ぶらしいが、チンは狆。それにスパニエルとは別の種類だ。お犬様といえば、狆……ワシは狆が大好きでな。お主も気に入ったようで嬉しいぞ」
そんなマリアンヌの愛犬家ぶりに目をつけたのか、はたまたそういう運命なのか。小気味良い低音の男の声が、マリアンヌの背後で響く。声の主の姿を確認するためにマリアンヌが振り向くと、見慣れぬ東洋の殿様の格好をした色男の姿。
「えぇと……私の名前はマリアンヌ。貴方はここに詳しいのかしら。よろしければ案内してくださると助かるのだけど」
「ほほう。案内か、これ以上先に進むとお主は畜生道で地獄の試練を受けるようになるぞ。それでもよければ、ワシについてくるとよい。ワシのことは……そうだな、ツナと呼んでくれ」
「ツナ様、ありがとうございます!」
かつて、贅沢三昧と傍若無人で処刑されたはずのマリアンヌだが、何故かその男のことは様付けしなくてはいけない気がした。
(このお方、只者ではないわ。愛犬家の血が、そう教えてくれる)
生前、自分の婚約者は王太子で身分は申し分ないはずだったが、マリアンヌからすると婚約者に対してはリスペクトするほどの何かを感じてはいなかった。
愛犬家マリアンヌのリスペクト基準は、身分でもなければ権力でもない……その人と犬との関係だけだからだ。ある意味、犬に対して圧が高い人物のことしか認めない節があるマリアンヌだが、それほどの人物に生前は会ったことがない。
「ところでマリアンヌ、お主は何故この地獄へと堕とされたのだ。ここはかなり特殊な罪人しか堕とされないはずだが」
「私は愛犬が可愛いばっかりに、庶民のお金を使い込んでしまったんです。婚約者の王太子は別の女性を妻にするために、私を処刑しました」
「ふむ。お主の国では犬の地位はそれほど高くないのだな」
飼い主の地位ということなら理解出来るが、犬の地位とは不思議な表現である。一瞬、首を傾げたマリアンヌだが、お国柄で違いがあるのかも知れないと詳しく訊いてみることに。
「おそらく、私の祖国では飼い主の地位がそのまま犬の地位と同一視されるのではないかと。地位といっても所有物に近い形ですわ。ツナ様の故郷では、ペットの犬に地位が与えられているのでしょうか」
「ふふっそうか。いや、ワシは生前犬達に独自の地位を与えたのだよ。人間よりも犬の方が有利に過ごせる天国のような国を作ろうと思ってな。やはり、そのような政策を練ったのはワシだけだったか」
「犬の方が……人間よりも地位が高い? まさか、そんなことが許される国があるなんて」
驚きの政策に声をあげるマリアンヌ。
ツナは切れ長の目を細めて、マリアンヌに優しく微笑む。
「呆れたか、マリアンヌ」
「いいえ。素晴らしいですわ! 人間は世界の王になったつもりで、好きにやり過ぎなのです。私が処刑された時に心配してくれたのは、愛犬のパピヨンだけでした。人々は私が殺されるのを嘲笑っていたわ。本当は、犬の方が地位が高くても不思議ではないくらい……犬は徳が高い生き物なのでしょう」
自分が生前好き勝手やっていたことを棚に上げて、他人の悪い面ばかり覚えているマリアンヌ。だがその答えは、ツナを満足させるのに充分なものだった。
「そうか。お主なら、この畜生道でやって行けるかも知れんな。まだ先は長いぞ、怪我せぬようにな」
「はっはい。ツナ様」
「きゃうーん」
(凄い愛犬家オーラだわ。ツナ様、一体何者なの?)
すっかりマリアンヌのペットして馴染んでいる狆を腕に抱いて、畜生道の奥の細道をどんどん突き進んでいく。気がつけば、引き返すための道は閉ざされていた。




