百小物語(ただの掌編百本立て)
いつも読んでくださっている皆さま、そして初めてお越しくださった方も、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
今回で投稿2000作品目ということで、短いお話を中心に、ジャンルも長さもさまざまな100話をまとめて放流でございます。
短いとはいえ、量が量ですので、どうか最後まで読まねばと気負わず、ご無理のない範囲でお楽しみいただければ幸いです……。
1.【店内放送】
子供があまりにもせがむので、仕方なくデパートへ来た。
しかし――まさかはぐれるとは……。ああ、まずい。心臓がバクバクいっている。こんなときはどうしたらいいんだ……。とにかくもう一度、トイレのあたりを探して――
『ご来店中のお客様にお知らせをいたします』
お……おお、そうだよ。これがあったか! 館内放送! おれも――いや、もしかして、あの子が呼んでいるのか?
『白いお車でお越しの男性』
ん? 迷子の子供じゃなく、保護者の特徴を言うのか。まあ、同じことか。
『黒いTシャツ。グレーのズボン』
お、おお、おれだ! やっぱりおれを探しているんだ! よかった……それで、どこに行けばいいのかな。一階かな?
『臭くて』
ん?
『脂ぎった髪』
え?
『太っていて手汗がすごい』
『腫れぼったい瞼』
『鼻息荒い』
『いやらしい目つき』
『とても臭い』
『喋り方が気持ち悪い』
『声が変に高い』
『貧乏ゆすりがすごい』
『以上の特徴の男性をお見かけになったお客様は、お近くの警備員までお知らせください。誘拐犯です――あ、無事に捕まったようです。ご協力ありがとうございました。引き続き、お買い物をお楽しみくださいませ』
2.【罪で罰】
――あれ……あたしは……。
とある死んだ女。気づくと、果樹園のような甘い香りに包まれていた。彼女は目を閉じたまま、ゆっくり息を吸い込む。思わず頬が緩んだ。胸の奥まで満ちていく優しい匂い。まぶたの向こうから感じる、柔らかな陽の光。響く、天使の笑い声。
「ここが天国……」
呟きながら目を開けた――が、彼女は少し戸惑った。
目の前に広がっていたのは白い雲のような地面に、咲き誇る色とりどりの花々。想像していた通りの天国の光景だった。ただし――
「まんま」
「きゃはは!」
「だぁ」
「うー」
まるで花に群がる虫のように、赤ん坊がそこら中にいるのだ。
「どうしてこんなに……まさか、みんな死んじゃった子なの……?」
生まれて間もなく天に召された子供たち。そう思うと胸が締めつけられるように痛くなり、彼女は思わず胸に手を当てた。
「いいえ。彼らは皆、赤子に戻された善良な者たちです」
「えっ?」
背後から声がして、彼女は振り返った。
「天国では、揉め事を起こさぬように、全員赤子となって暮らすのです」
「あなたは……天使……なの?」
「いいえ。私は世話役です」
「そう、ですよね……あ、いえ。あの、それで……じゃあ、あたしも赤ちゃんに……?」
「いいえ。あなたには、ここでこの子たちの世話をしていただきます」
そう言って、その痩せ細った女は今にも消え入りそうな笑みを浮かべた。
「それが地獄の刑罰なのです」
3.【落ちたあああ】
あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ試験落ちたああああああああぁぁぁぁぁぁ就活落ちたあああああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁ選挙落ちたあああああああぁぁぁぁぁ家が焼け落ちたああああああああぁぁぁぁぁぁ語るに落ちたあああああああぁぁぁぁぁ評判落ちたあああああああぁぁぁぁぁビルから落ちたああああああああぁぁぁぁぁぁ地獄に堕ちたあああああああぁぁぁぁぁ産まれ落ちたああああああああぁぁぁぁぁぁ
4.【サンタさんがいるよ】
とある夜。マンションの一室にて――。
「ねえ、ママ、ママ、起きて」
「ん……どうしたの……? 怖い夢でも見た……?」
「あのね……サンタさんが来てるよっ」
「んー……サンタさんなんて……いるけど、クリスマスはまだ先だから来ないよ……」
「来てるよ。ベランダにいて、中に入りたそうだったから鍵を開けてあげたの。あ、ほら、こっちに来るよ」
5.【ミステリーサークル】
真夜中、円形の発光体がゆっくりと地表へ降下していた。
その正体は宇宙船。
それはトウモロコシ畑の上で静止した。目的はただ一つ。ミステリーサークルを作ることである。
今、光が走り、穂が薙ぎ倒され、巨大な模様が畑に浮かび上がる――。
『昨夜未明、不法入星および器物損壊の容疑で、出身地不明のロースダコパイエノフ・サンギリーチョ容疑者ら複数名が逮捕されました。容疑者は「悪戯目的だった。久しぶりに来てみたら、この星がまさかこんなに発展しているとは思わなかった」と供述しているとのことです』
6.【包まれるのが好き】
「包まれるのが好きなの。プレゼントなんかもそう。大事なものって、みんな包まれているでしょ? ほら、赤ちゃんも生まれたら清潔なタオルで大事に包まれる。私も包まれたいの……」
彼女はそう言って僕の肩に腕を回した。僕も彼女の背中に手を回し、互いの体温を分け合うように抱きしめた。その温もりを逃がさないように、そっと掛け布団を持ち上げる。
温かくて幸せな気持ちだ……。確かに、包まれるって最高だ。
……でも、彼女は『包まれる』なら、僕でなくてもよかったんだ。
浮気。それを知った僕は、泣きながら許しを請う彼女を、優しく包んだ。
丁寧に、彼女が望んだとおりに。
すっかり包まれた彼女は蛹のようだった。
きっと中でドロドロに溶けて、美しく生まれ変わるだろう。
すべてが剥き出しで、心を包み隠すことがない、まっすぐな彼女に。
そのときが来たら、また僕が包んであげよう。
温かな未来を想像しながら、僕はブルーシートに包まれた彼女を穴の中へ放り込んだ。
7.【行進】
夜の街を、凄まじい数の警官を引き連れ、堂々と歩く男がいた。
通行人たちは目を丸くしてひそひそと囁き合う。
「ねえ、あの人って、すごい偉い人じゃない?」
「パトロール? それとも捜査?」
「警護かな?」
「ガサ入れか?」
「いや、職質を拒んだ人らしいよ」
8.【見てしまった】
深夜、男がスマートフォンを見ながら帰り道を歩いていると――
「きゃあ!」
女の悲鳴が響き、男は顔を上げた。
前方で、女が尻もちをついて倒れていた。男は慌てて駆け寄り、声をかける。
「だ、大丈夫ですか? どうし――あっ」
「あなた……見えてるの?」
「……はい。あれですよね。そこの黒い……たぶん悪霊か何かですよね。えっと、こういうのって、見えないふりをしたほうがいいって聞きますよね……。あの、立てますか? はは、僕も正直、膝が震えてますけど、この場から離れたほうが――」
「そう……あなた、私たちが見えているのね」
9.【自覚症状なし】
昼。薄汚れたアパートの一室。だらしない生活を送る男がいた。
昼食を食べ終えた男は、床に片肘をつき、うとうとしていた。
「――みっ!」
突然耳元で大きな声が響き、男は飛び起きた。
「な、な、なんだ!?」
だが、それは耳“元”ではなく……
「耳ぃぃぃ! みみ! みみみ! みみみみみっ! ああああ、みみ!」
「う、うるさ――」
「鼻あぁぁぁ!」
「め、めめ、めめめめ、眼ぇぇ!」
「ドクンドクンドクン! し! ん! ぞ! う! です!」
「イイイイイイイィィィィ……胃」
耳そのものだった。そしてそれに留まらず、次々と体の各部が声を上げ始めたのである。
「チョーチョチョチョチョチョチョチョォォォォウ!」
「スーイスイスイ、膵臓です」
「いいえ、私は肺です」
「胆嚢だけど需要ある?」
「チンコだけどペニスと呼んでくれ。バイリンガルなんだ」
「……あ、腎臓です」
「待て、待て待て! 静かにしろ! いい、わかった! わかったから!」
男は大きく息を吐いた。
「よし……肝臓が『沈黙の臓器』って呼ばれていることは、おれも知っている。というか、こないだ医者に酒の飲みすぎに気をつけろと言われたばかりだ。それで『臓器が喋ってくれりゃあいいのになあ』なんて軽口を叩いたから、本当に喋り出したってわけか。よしよし、受け入れようじゃないか。だから騒がず、静かにな。ほら、せっかくだし病気とか悪いところがあったら教えてくれよ」
臓器たちは声を揃えて答えた。
「ノーゥ」
10.【殺ボタン】
マンションに引っ越してから二週間が経ち、ゴミ出しなど、ひと通りマンションのルールを覚えた彼だが、どうしても慣れないものが一つあった。
――『殺』。
エレベーターの操作盤、その一番下に『殺』というボタンがあるのだ。
押してみたい気持ちもあったが、おそらく誰かがジョークグッズを貼りつけたのだろう。引っかかるのも馬鹿らしい。そう鼻で笑っていた。
その日までは。
「あっ、こんばんはー……」
ドアが閉まる寸前、男が乗り込んできた。彼はその男が隣人――それも夜中に騒々しい――だと気づくと、舌打ちしそうになった。しかし咄嗟に愛想笑いを浮かべ、会釈した。
だが男は何も言わず、壁に背を預けて大きく息を吐いた。
――なんだよ……。
沈黙が続いた。
六階に到着し、ドアが開いた。男が動く――同時に、彼の指先も動いた。下へ下へと這わせたその指に力を込めた。心に抱いた殺意と比例するかのように、ほんのわずかに。
カチッと音がした。
次の瞬間――ドン! 冗談のような速さでドアが閉じた。
男の体は押し潰されるように切断され、左腕の付け根と左足、尻の半分だけがエレベーター内に残った。
あまりに唐突な出来事に、彼は思わず笑った。笑いは止まらなかった。
いくらボタンを押しても、エレベーターの落下は止まらなかった。
11.【最凶毒兵器】
とある国の兵器研究所にて――。
「今日より、君を開発主任とする」
「はっ、ありがとうございます。将軍閣下」
「それで?」
「え……?」
「隠さなくともいい。君が前任者を毒殺したことはわかっている。死体を見たが、あそこまでひどい……ああ、恐ろしい。この私でさえ、思い出すと身の毛がよだつ。……それで、どんな毒を使った? 未だその成分を検出できていないようだが、君が作ったのだろう? 量産は可能か? ミサイルに積めるか? 毒ガス兵器として応用は?」
「あの、その……」
「ん? なんだ?」
「『お前みたいな役立たずは掃除でもしてろ』と言われまして……それで、彼のコーヒーに……この研究室の床を拭いた雑巾の……絞り汁を……」
12.【カルピス】
うちは貧乏だったらしい。“らしい”というのは、当時子供で、しかもおれが鈍感だったから気づかなかったんだ。
で、うちが貧乏だと気づいたきっかけがカルピスだった。
母が作るカルピスは、それはもう薄かった。でも、おれはそれを知らずに喜んで飲んでいた。うちのカルピスが薄いと知ったのは、友達の家で出されたカルピスを口にした瞬間だった。その味の濃さといったら衝撃的で、思わず目を丸くしたものだ。
ただ、そのときは『これはお客さん用にとびっきり濃く作っているんだろうな』と思い、うちが貧乏でカルピスを極端に薄めていたなんてまだ考えもしなかった。
うちが本当に貧乏だと知ったのは、ある日、母が濃いカルピスを作ってくれたときだった。
母はおれに留守番を頼んで、出かけていった。おれは濃いカルピスが飲めることが嬉しくて嬉しくて、飲み切るのがもったいなくて、少しだけ飲んで残りを冷蔵庫に入れた。
でも、それから少しして、猛烈に気分が悪くなった。おれは床を這って外に出て、助けを求めた。
母は逮捕された。味が濃かったのは、中の毒に気づかせないためだったんだ。
それで、おれは気づいたってわけ。うちは貧乏で、母にとっておれは邪魔だったことにさ。
13.【なんや】
「なんやなんや」
「な、なぁんや」
「なんや」
「なんや」
「なんや!」
「なんやなんや!」
「なあぁぁぁんや!」
「なぁぁぁぁぁぁんや!」
「なぁぁぁぁぁんやぁ……なぁんやぁぁ」
「なーんやぁぁぁぁぁ……」
「なんやなんやなやぁ!」
「なんやぁ!」
「んや!」
「なん!」
「な、なんや……?」
「なん……?」
「な、なんやぁ」
「なん、なんなんや!」
「なんやぁ!」
「なーんや!」
「なああああんや! やかましいんじゃ! 寝れんやろがい! 散れ!」
「なぁ!」
「んにやぁ!」
14.【猫神様の仕業】
昨晩、ここに来る前に、「車に轢かれそうになった猫を助けた」と誇らしげに私に話した彼。
翌朝、彼の姿はなく、私を起こしたのは猫だった。
どうやら、この猫が彼らしい。ペンを咥えて、紙に「オレ」と歪な字で書いてみせたから間違いない。
にゃーにゃー鳴いてばかりでどうも要領を得ないけど、どうやら彼の行いを見た猫神様という存在に気に入られ、猫にされてしまったらしい。
猫からすれば、猫の人生――つまり猫生こそ至上だから、恩返しのつもりなのだろう。彼はいい迷惑だとばかりに、にゃーにゃー鳴き喚いた。
ペロペロと前足を舐め、次第に猫らしくなっていくのは、たぶん脳が猫サイズになり、人間の思考を保てなくなっているせいだろう。
ゴロンと仰向けになり、おなかを見せる姿は確かに悩みとは無縁そうに見えた。このままここで私と暮らせれば、案外、彼は幸せなのかもしれない。
問題は、私が猫アレルギーであることだ。
15.【正解なんてものは】
仕事帰り、ぼんやり歩いていると、突然目の前に『〇』と書かれた扉と『×』と書かれた扉が現れた。
バラエティ番組で見かけるやつと同じだ。なので恐怖心こそ抱かなかったが、困った。答えようにも、そもそも問題が何なのかわからないのだ。辺りを見回しても、司会者どころか人影すらない。
問題はなんだ……。今日一日を振り返ってみても、出題された記憶なんてない。問題、問題……もしかして、自分の中にあるということか? だが今、これといって大きな悩みは抱えていない。もっとも、完全にないかと問われれば返答に窮する。このままでいいのかという思いはあるのだ。おれの人生とは、と……。
問題とは……正解とは……不正解とは……『〇』とは、『×』とは……。あのとき、告白すべきだったのか。やらずに後悔するより、やって後悔すべきだったのか……。
考えれば考えるほど、袋小路に迷い込んだような感じがしてきた。
ええい、どのみち正解は二つに一つ。このまま悩んでいても仕方ない。
おれは『〇』の扉を開けた。
その先には――また『〇』と『×』の扉があった。
16.【ほっはっぞっ】
――よかった……。
家に帰り、玄関で娘の靴を見た瞬間、私はほっとした。
駅のホームで子供が線路に落ち、電車に轢かれたという話を聞いたのだ。
あの子、たしか今日は隣町に行くと言っていたはず――生きた心地がしないまま、家まで走った。
でも、よかった。娘はリビングでのんきにテレビを見ていた。
娘は私に気づくと、振り向いて笑った。
「ママ、どうしたの?」
「ううん、人身事故があったって聞いて……。あなたと同じ年くらいの女の子が線路に落ちたって。だからもう心配で、心配で……」
「ふふっ、あたしじゃないよ。隣にいた友達。嫌いだったけどね」
私はぞっとした。
17.【箱舟】
神からの啓示を受けて箱舟を作ったノアは、その日ついに押し寄せた大洪水に呑まれた。
ゆらゆらり。しばらく波に揺られ続けた。
やがて揺れがぴたりと止まり、気づけば見知らぬ場所にいた。
目の前には、神々しい光を放つ者たちがいた。ノアは直感した――ここが神の国だと。そして彼は涙を流し、平伏した。
「ご苦労様」
光の者たちは静かに微笑み、光線銃の引き金を引いた。
緑色の光を浴びたノアの細胞は完全に活動を停止し、時を止めた。
箱舟に乗せた動物たちと同様に、彼もまた博物館に展示された。
そして未来人たちは、次のターゲットに声をかける。
「おお、この神の声を聞くがよい……」
18.【こわいよ……】
夜、男はあくびをひとつして寝室へ向かった。
そのときだった。どこからか小さな声が聞こえた。
「い……いよ……」
男は廊下で立ち止まり、耳を澄ました。
「こわい……」
息子の部屋だ。男はそっとドアを開けた。
「こわい……こわいよ……」
間違いない、息子の声だ。男はおそるおそるベッドに近づいた。
「こわい、こわいよお……」
男は訊ねた。
「ぼうや、どこにいるんだ……?」
「ベッドの下にいるよ……」
男はゆっくりと腰を下ろし、ベッドの下を覗き込んだ。
そこには誰もいなかった。
ただ、息子の声だけがした。
「こわいよ……おとうさん、こわいよ。こないで……やめて……いたいよお……」
19.【本物】
さあ、どうぞ。どなたをお呼びに……え? ええ、もちろん本物ですよ。私の力は確かです。
疑うのですか? まあ、確かに偽物も多く、信じられない気持ちもわかります。ですが断言しましょう。私は本物の霊媒師です。かつて高名なイタコに弟子入りし――ああ、最近の若い方たちには『イタコ』という言葉は馴染みがないでしょうね。
まあ、そんなことはどうでもよろしい。本物かどうかはすぐにわかることです。それで、どなたをお呼びしましょうか? ああ、この写真の方ですね。
はいはい、なるほど。しかし、こんなに若い人たちばかりに、ああ、そう、恩師ですか。事故であっけなく亡くなられた。そうですか、そうですか。再会したいと。それはいい話ですねえ。ええ、お任せください。
では、呼びますよ…………おお、お前たちか。いやあ、みんな立派になったなあ。
ああ、先生は元気だとも。なんて、死んでるんだがな。はははは! ん? 本物だとも。本物の先生だぞ。はっはっは! 名前を言ってやろうか? 吉田に、木本、渡辺、それからえーっと、誰だったかな? なーんてな! ははは、本村だろ!
それから――ん? おい、なんだ、そのペンチは……おいおい、みんな、そんな怖い顔して何を……
20.【一生のお願い】
おれさ、一度でいいから幽霊を見てみたいんだ。
本気なんだって! いろいろやってみたんだ。心霊動画を観たり、漫画を読んだり、一人で怖い話をしたりさ。ほら、そうすると幽霊が寄ってくるって言うだろ? それに、なんかこう……精神が研ぎ澄まされるというか、あ、霊感! そう、霊感が一時的に強くなる気がするんだ。目とか脳が、霊を見る準備を整えるっていうのかなあ。……まあ、結局ダメだったんだけどな。
あとは、心霊スポットに行ったり、墓やお地蔵さんを壊したりもしたんだけど、全然出てこなくてさあ……だからお前、絶対化けて出てくれよな! 一生のお願い!
21.【いい話と悪い話と】(映画あるあるないない五本立て)
「いい話と悪い話、それからちょっとエッチな話がある。どれを聞きたい? ……いい話が聞きたい方は、お電話のボタン1を。悪い話を聞きたい方は2を。ちょっとエッチな話を聞きたい方は3を――ありがとうございます。
3番、ちょっとエッチな話ですね。では、専用のオペレーターにお繋ぎいたします。そのままでお待ちください。なお、別途料金がかかります――」
22.【借りは返すぜ】
――カチリ。
夜。撃鉄を起こす音に、彼は目を覚ました。
「……誰だ?」
「……いいベッドだ。だが、もう起きな」
「ふうー……正直油断してたよ。まさか今日潰した組織の残党が、もう復讐に来るとはな」
「……組織なんてもんは知らん」
「なるほど……。もう一匹狼。組織もボスもなく、ひとりの男として復讐に来たってわけか」
「一匹狼……当たらずとも遠からず、だ」
「ふっ、嘘はよくないな。他にも仲間がいるんだろう?」
「……ああ、同盟と呼ぶほうが正しいがな」
暗がりから二つの影がすっと現れた。
「なるほど、三人か……奇しくも、ここ数年でおれが潰した大組織と同じ数だ。それぞれ別の組織のやつだな」
「いや、おれたちは……」
少しの沈黙のあと、彼らは口を開いた。
「お、お前のせいで婚約者に振られたんだ!」
「おれは職を失った……」
「そしておれは裁判に間に合わず、妻に親権を奪われた!」
「は……? なんだ、どういうことなんだ? なんなんだ、お前らは……」
「こう言えばわかるか? 『ちょっとこの車、借りるぞ』」
23.【カタカタカタ、ターン!】
へへ、よーしよし、いい子だな。さあ、頼むぞ、うまくいってくれよ……。よし、ビンゴ! ロック解除。
お前は本当にできる子だなあ。あとはこいつをこうして……おいおい、どうした? 可愛い子ちゃん、働いてくれよぉ。……お、いいぞ。よーし、オーケー……おおっと、おいおいおい頼むぜ、ほんとさあ。いや、文句があるわけじゃないんだ、ほんと。でもハッキングしてくれないとさあ。
お、よーしよしよし、いい調子だ。さあ……おいおい、もったいぶらないでくれよ! あ、ねえ、へそ曲げないでさあ、美人ちゃん! あっ、「お前」って言ったの気にしてんの!?
なあ、可愛い子ちゃん、美人さん、よっ! よっ! 絶世の美女! 最高! いいよーいいねー君! どんどんやっちゃおうか! えーと、あと、あ。
『当製品を犯罪行為に使用することは違法です。ロックします』
おいおい、頼むよほんとに……。まずはこのAIのロックを解除しないと……ああ、また一からおだて直しだ……。
24.【お前の母親と昨日の夜寝たけどよ】
とある学校の廊下にて――。
「よお、ピーターじゃねえか! どうしたあ? しけた面してよお」
「なんとか言えよー」
「ぎゃはははは!」
「や、やめてくれよ……せ、先生に呼ばれてるんだ。は、早く、か、科学室に行かないと」
「なあ、ピーター……お前の母親のケツ、最高だったぜ。はははは!」
「…………このクソ野郎」
「あ? おい今、なんて言った?」
「べ、別に僕は何も……」
「クソ野郎って言ったよなあ、おれのことをよお。まったく、困ったもんだぜ。父親に向かって」
「……え、父親?」
「そう、お前の母親最高だからよ、おれ、プロポーズしたんだ。へへ、オーケーだってよ。だからよろしくな。今度からおれのことは“パパ”って呼べよ」
「おれも惚れたんだ。だから養子になった。誕生日からいって、お前の兄だな。よろしく」
「おれは弟」
「おおぉ、ファーザー……」
25.【おれぇ、馬鹿だからよぅ】
「おれはよぅ、馬鹿だから難しいことはよくわからねえけどよぉ……。専門家や、いい大学を出た奴らが頭捻ってあれこれ考えているときに、よくわからねえくせに口を挟むのはいけないってことはわかってるんだよ。だから黙るぜ。結論が出たら教えてくれや」
「ありがとうございます、総理。で、みんな、マスコミの質問への対策だが――」
26.【霊感】
とある夜。街中で待ち合わせをした二人の女がいたのだが……。
「あっ、ごめん。今日はちょっと気分が……このまま帰るね。ごめん」
「ちょっとちょっと! 久しぶりに会おうってなったのに、何? というかあんた、“それ”、また始めたの?」
「え、また始めたって……?」
「はあ……高校生の頃、一時期やってた『霊感がある』ってやつ! ほら、気分悪いとか言って、よく突然その場からいなくなったりしてたじゃん」
「あ、うん……またというか、ずっと……本当だし……」
「はあ……」
「霊感がなくてよかったね……」
「はいはい、特別な自分は苦労が多いって? あのさあ、友達だから言うけど、もうそれやめなー? そんなんじゃ、大学で友達できないでしょ」
「そうじゃなくて……後ろ、すごいから……」
27.【ミニマリストの死】
スーツケースの中で餓死。
28.【ファスティングダイエット】
とあるアパートの一室。友人の女が訪ねてきた。
「へえー! 冷蔵庫の中、空っぽじゃん! 本当に頑張ってるんだね、ファスティングダイエット」
「まあねー。今日で四日目。食べ物は全部捨てたの」
「あはは、すごいやる気。あれ? ドッグフードも捨てたの?」
友人はゴミ箱を覗き込み、訊ねた。
「それがねー。我慢できなくて食べちゃって」
「ええ……極限状態だね。でも困らない? イチくん。……ああ、どっかに預けたのか。さっきから姿が見えないものね」
「我慢できなくて。それ以来、活きのいいものしか胃が受けつけないの」
29.【長い年月をかけて極秘に開発した究極完全殺戮生命体ADAM】
……は、起動から一週間で風邪を引き、死んだ。
無菌室で育てていたのがまずかったらしい。
30.【もう五時だから】
あ、そろそろ五時だから帰ってくれ。
うちの母親、五時から五分間だけおかしくなるから。
31.【天狗】
ある日、山で迷子になった平吉は天狗と出会った。
「おい、どうしたんだい? 迷ったのか?」
と、天狗が訊ねた。
「あ、ああ、実はそうなんだよ。助けてくれないか……?」
平吉がおそるおそる答えると、天狗は胸を張って「私が案内してやろう」と言った。
ほっとした平吉は天狗とともに歩き始めた。
しかし、しばらく歩いても景色が変わらない。不審に思った平吉は天狗に訊ねた。
「あのう、天狗さん。一向に道に出ないんだが、どうなっているんだい?」
「いやあ、実はね……道に迷っちまった。いや、わざとじゃないんだよ」
「ええ!? 天狗が道に迷うのかよ!」
「まあ、この山に来るのは初めてだからね」
「えっ、じゃあ、なんであんなに自信満々だったんだ?」
「そりゃあ、天狗だからね。鼻が高くて当然さ」
32.【スイカの種】
とある夏の夜。リビングでテレビを見ながら晩酌をしていた父親のもとへ、娘が不安げな顔でやってきた。
「ねえ、パパ……。スイカがね、おなかの中で大きくなってるの。どうしよう……」
「スイカ……? ああ、はははっ。そうか、種も食べちゃったんだな。大丈……いや、それは大変なことになったあ」
「やっぱり……風船みたいに割れちゃうのかなぁ……」
鼻をすすり始めた娘を見て、父親は慌ててその小さな頭を優しく撫でた。
「ごめんごめん、冗談だよ。大丈夫。おなかの中でスイカは育たないんだ」
「ほんとに……?」
「ああ、ほんとだよ」
「そっかあ!」
機嫌を直した娘に、父親はほっと息をついた。ちょうどそのとき、風呂掃除を終えた母親がリビングに入ってきた。娘は母親にどーん、と抱きついた。
「あらあら、ふふっ、ご機嫌ね」
「えへへー」
「ははは、スイカの種を食べておなかが膨らんだってさ」
「んー? あー、ふふふ。それは大変ねえ」
「ふふっ、平気だもーん!」
「でも、本当にそうなるなら大変だよなあ。スイカを食べるたびに気を使わなきゃいけなくなる」
「確かに」
「やっぱりふくらむのー?」
「膨らまないよ。それに、うちはスイカ出さないし。ママだめなのよねえ、スイカ」
「あ、そういえばそうだな。どこでスイカ食べたんだ? 友達の家?」
「近所のおじさんち!」
33.【帰結】
理由? ですか。まあ、正直鬱憤が溜まっていたと言うか
い
や
いだけですよね。悪いとは思ってるんですよ 、
く 。 違
に 付 う
み ですここまで来るのは大変でし き な
だ も た 合 。
た 僕 ね わ 他
の 。 。捕まるくらいな 。 せ の
な う す さいこの ら ミ て 人
ん ょ で だで弾爆 一 ス し が
こ し い くでん死に緒 も ま ま
。 で ま し っ だ
ね た 終おうも、もで。たしま て し
ん れ い て
せ 疲 る な
ま 。ねにのるいえ見てんな末結。にとこ い
れ こ
し と
もかうそにか確 ?足満己自。すでんたっかたしを
34.【オンライン】
「うぃー、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「ぱーい!」
「あああぁぁい!」
彼はパソコンの前でグラスを掲げた。今夜は久々に友人たちとのオンライン飲み会。忙しい仕事の合間を縫ってようやく取れた時間に、彼は心の底から浮き立った。
画面越しに懐かしい笑い声が響く。酒が進み、会話が弾み、彼はすっかり酔って、いつの間にか眠りに落ちた。
「……ん、あれ」
『あ』
気づけば昼近く。画面には一人だけ映っていた。他の二人はすでに退出したらしい。
「よーす」
『おお』
「お前も寝落ちしてたのか?」
『ああ……じゃあ、またな』
「あ、おう……」
通信が切れ、部屋はしんと静まり返った。彼は軽く伸びをした。
――あいつ、本当に眠ってたんだよな……?
頬杖もつかず、じっとこちらを見つめていた友人の顔が、どうしても頭から離れなかった。
35.【悪魔の発明】
地獄にて――。
鬼「最近、地獄に落ちるやつがやけに多いな」
鬼2「SNSができたからな」
36.【達人】
『はーい、今からこのスプーンを曲げますねえ!』
『お願いします。……でも、どうせ何か仕掛けがあるんじゃないんですかあ?』
『いえいえ! これはさっきスタッフさんに買ってきてもらった新品ですよお』
「くだらない番組だな……」
おれはテレビを見ながらため息をついた。また出た。自称超能力者のご登場だ。マジシャンならまだしも、こんなのを真面目に放送するテレビ局の神経が何よりも信じられない。オーラが見えるとか、動物と話せるとか、占い師とか周期的に流行らせないといけない決まりでもあるのか。
『う、くくくく……くあ、うぅぅぅうあ』
「たかがスプーンでそんなに顔を赤くするかね……」
『あ、あ、あ、ああああうううううあああおおおおお! うああああおおおおお! くうううう、くくくく、あ、あ、あおおお、あああ、うううう、ふぅぅぅぅぅ、ああああああ、き、き、き、ああああおおお、ぬうううううああああああぱおおおおんあああああ、ぐぐぐぐ、にににににに、あ、あ、あ、あおおおおおくくうううぬああふぉおおおおうああああ、ずあああああかあああああぬおおおおおぉぉぉぉぉぉううううあああああ、いききき、あああああおおおぬふふふふ、あああうううい、いいあああああきいいええええええいいいああああ、あああああ「あ、あ、あ、あ、あ」ぬううううああああかああああ! けええええええい! ああああああああああああ、ふう……曲がりました』
『いや、全然曲がってないじゃないですか!』
『あれ、おかしいですね……確かに曲げたはずなんですが……』
『スプーンもあんたの意思も曲がらないな! はははは!』
「あ
、
あ
、
あ」
37.【自白】
そうですか……わかってしまいましたか……。
私はー……毎日、風呂に入っているんですよ。汗を流し、一日の疲れを取るのが日課なんです。
でも、この暑い時期はさすがに堪えるでしょう。だから私は、カチカチに凍らせたペットボトルを一本、浴室へ持ち込むことにしているんです。喉が渇いたとき、冷たい水で水分補給できますからね。
……けれど、その夜、あってはならないことが起きてしまったんです。
どうやらペットボトルが劣化していたらしく、底のほうが裂けていたんですよ。
これでは飲めません。仕方なく、ペットボトルを引き裂き、中の氷を取り出しました。そして、それを湯船の中へ入れてみたんです。氷はゆっくりと溶け始め、私はそれを海に浮かぶ氷塊のようだとぼんやり眺めていました。
……でも、氷が棒状になったとき、悪魔が囁いたのです。
「それを入れてしまえ」と。
ええ、そうです。それが私のお尻の穴が裂けた理由です。
さすがです、よく氷だと見破りましたね。名医と呼ばせてください……。
38.【目ナニ】
朝、洗面台の前で目をこすったら、ぼろぼろと目やにが落ちてきた。
ぼろぼろ……ぼろぼろ……ぼろぼろ……。
ひと通り落としたところで、水で顔を洗い流した。
もう残ってないが……あれ、動いていたような気がするんだよなあ……。
39.【テロ】
「きゃ!」
「うっ……!」
「うあ!」
夏の昼下がり。電車が駅に停まり、ドアが開いて数秒後のことだった。突然、乗客たちが声を上げ、ばたばたと席を立ち、隣の車両へ移っていった。
鞄を落とし、物を落とし、液体が床を駆ける。
鼻を突く刺激臭に、ある者は大きく咳き込み、ある者はハンカチで鼻を押さえた。
その車両に入ってきたばかりの男は、事態が飲み込めず、右に倣えとばかりに慌てて皆の後についていった。
匂いの発生源はその男だった。
40.【曇りガラス】
曇りガラスって、どこか不気味ですよね。うちのマンションの隣に平屋の家があるんですけど、そこの窓が曇りガラスなんです。
ベランダから見下ろすと、その窓はいつもカーテンが閉まってなくて、灯りが点いていると室内がぼんやりと見えるんです。
ある日、洗濯物を取り込んでいるとき、ふと見下ろすと、そこに人影が見えたんです。白い服を着た人が、窓の外をじっと見つめているようでした。
曇りガラス越しなのに、何をそんなに見ているんだろう。窓を開けるつもりなのかな。そう思った私は視線を外して洗濯物を家の中へ入れました。
でも、気になって最後にもう一度だけ見てみたんです。
すると、今度ははっきり見えたんです。その人の顔が。
こっちをじっと見ていました。
でもね、窓は開いてなかったんですよ。
41.【時代の流れ】
「あーあ、昨今のカマホモブームはなんなのかねえ」
「カマホモ?」
「オカマでホモ野郎のことだよ!」
「そういう言い方はやめたほうが……あっ、痛いです!」
「うるせえな。痛かねえだろうが。あーあ!」
「はあ……それで、そのブームってなんのことですか?」
「ああ? いちいち説明させる気かよ。めんどくせえな」
「すみません、あっ、殴らないでください!」
「だからよお、最近の若者はナヨナヨしてるって言ってんだよ。男のくせに化粧だのネイルだの、揃いも揃ってキノコみてえな髪型して、ガリッガリに痩せてよお。それが女にモテるんだとよ」
「はあ、先輩とは真逆ですね。だから気に入らな――痛いです!」
「うるせえ! 男は前髪上げてなんぼだろうが! 飯食って体をでっかくしてよお。なのに、ミュージシャンなんて、ナヨナヨしながら高い声を出してアハーンと歌い、それが人気者ときた。たくっ、世の中どうなってんだよ」
「まあ、ブームってそういうものじゃないですか?」
「こんなんだから有望な新人も来ねえんだよ」
「確かに……。でも、有望な新人が現れたら、それはそれで先輩、不機嫌になるでしょう。今みたいな威張れなくなっちゃいますよ。八百長だって――痛い! すぐ殴らないでくださいよ。壊れちゃいますって!」
「お前はそんなやわな造りじゃねえだろうが。おら、稽古すんぞ。来い!」
「はい……」
先輩に急かされ、ロボット力士は今日も土俵に上がるのだった。
42.【こわいねえ】
こわいねえ。こわいねえ。この世には、とても恐ろしいものがあるよ。
あっちの沼を見てごらん。河童が浸かっているよ。
むこうの山を見てごらん。天狗が鼻を土に突き立てているよ。
あっちの家を覗いてごらん。座敷わらしが笑っているよ。
こっちの家を覗いてごらん。ろくろ首が眠っているよ。
あそこの女の人を見てごらん。体中に人面瘡が浮かんでいるよ。
あっちの子供を見てごらん。目がひとつしかないよ。
あそこの瓦礫の上を見てごらん。人魚が足を休めているよ。
あっちの母親を見てごらん。件を抱いて歩いているよ。
こわいねえ。こわいねえ。
戦争は怖いねえ。核汚染は怖いねえ。人の姿をすっかり変えてしまったよ……。
43.【デジタル毒】
とある街中にて――。
「おっ、よーう、奇遇だな」
「あ、ああ……や、やあ、ひ、久しぶり」
「へへっ、どうした。そんなに震えてよ。クスリが切れたのか?」
「ははは、ク、クスリなんて、や、やってないよ」
「ははは、わかってるよ。でも、ほんとにどうしたんだ? 寒いわけないよな。酒か?」
「ち、違うよ。デ、デジタルデトックスさ」
「デジタルデトックス?」
「そ、そう。き、今日一日、スマートフォンとか電化製品に触れずに生活するんだ。テ、テレビやネットもなし。さ、最近は、ど、どの飲食店も注文がタブレットだから、ひ、非対応の店を探すのに苦労したよ……」
「ふーん。まあ、おれもスマホは使うが、一日も経たずに手が震えるとは、お前かなり重症だな」
「ははは、ち、違うよ。こうして震えてるとね、じ、自分がスマートフォンになった気分になれるんだ」
「重症じゃねえか」
44.【便器の底】
たった一度、一度だけ。幼い頃、私はデパートのトイレで、便器の底の水の奥に魚の尾びれを見たことがある。それ以来、トイレに入るたび、便器の中を必ず確認するようになってしまった。
もし魚が潜んでいたら、お尻を噛まれてしまう――そんな気がしてならないからだ。
ただ……出産を経験した今になって思い返すと、あれは尾びれではなかった気がするのだ。
45.【屍多数】
悪者退治に出た若者は、旅の途中で出会った仲間たちを連れ、山道を進んでいた。
「む……今の音は何だ?」
若者は立ち止まり、周囲に視線を走らせた。震える拳をぐっと握りしめる。
「まあまあ、落ち着きなさいな」
仲間の一人が前に出た。「あっしが木に登って見てみますよ。……あっ!」
意気揚々と木に登った猿だったが、枝が折れて落下した。慌てて駆け寄った犬がその枝を踏み、顔に当たって気絶して、それを見て驚いた雉が甲高い声を上げて飛び立つと、猟師の矢に射抜かれた。
鬼の仕業だと思った若者は半狂乱となり、山中を走り回って遭難した。
適者生存。勝てば官軍、負ければ賊軍。各地に散らばる桃から生まれた子らは、自然淘汰の末に生き残った者だけが本物となり、歴史を刻むのである。
46.【遺言】
ホームヘルパーとして働き始めて、もう二年になる。どんな利用者でも優劣をつけず、嫌悪感を抱かないように心がけている……けれど、井口さんのお宅だけはどうしても苦手だ。
「おはようございまーす。井口さーん?」
「おー、このピーマン、エンジンがかからねえんだけど、どうなってんだ?」
「それはピーマンじゃなくて、ペットボトルですねー」
「あー、トランシーバーかと思ったよ」
「はーい、窓を開けますねー。いい天気ですよ」
井口さんの家の壁には、びっしりと貼り紙が並んでいる。
剥がしたいけど、ほんの少し触れただけで井口さんは凄まじい形相で怒鳴りつけてくる。
彼にとっては大切なのだろう、そこに書かれた言葉が。もう意味が分からなくても、その想いだけはきっと体の奥底に残っているのだ。
【おれが認知症になったら殺してくれ】
風が吹き抜け、貼り紙が一斉に鳴り響いた。私にはその音が、笑い声のように聞こえるのだ。
47.【あのぐるぐる回すやつ】
「……なあ」
「うん?」
「これって、意味あるのかな……」
「あん? この回すやつ? 意味があるから、ここにあるんじゃない?」
「なんかなあ、ほんとにやる意味あるのかな?」
「んー……まあ、深く考えなくていいんじゃない? ほら、回さないと飯もらえないし」
「あー、まあ、そうだな……」
「ほら、ご主人様が来たぞ。回せ回せ!」
「おー、よく運動してるな。さあ、ご飯、ご飯。ヒマワリの種だぞ」
48.【手伝い】
イタコの方を家に呼んだんです……。はい、女性の霊媒師さんです。いつも駅近くの路地裏で露店を構えていて、本物だと評判の方で。
どうしても、もう一度話したい人がいるから頼んだんです。
でも……全然うまくいかなかったんですよね。調子が悪かったみたいで。
だから、手伝ってあげたんです。
でも、なかなか戻ってこないんですよね。ねえ、どうしたらいいと思います?
49.【子供は見ていた】
「ねえ、あなた、これ見て……」
「ん? 何だい? おっ、あの子が描いたのか」
夜、とある家。妻がテーブルの上に画用紙を置いた。帰宅したばかりの夫はネクタイを外しながら、それを覗き込んだ。息子がクレヨンで描いた絵。夫は思わず顔を綻ばせたが、すぐに眉を曇らせた。
「この女……誰だ?」
絵には、自分と妻と息子、そしてもう一人、髪の長い女が描かれていたのだ。
「君のママ友か? ……いや、お義母さんか。きっと喜ぶぞ。ははは」
夫は笑いながら顔を上げ、妻を見た。しかし、妻はまったく笑っておらず、夫の笑みもすぐに消えた。
「私もあの子にそう訊いたんだけど、違うんだって……」
「え、じゃあ誰なんだ? まさか幽霊なんて言わないよな。はは、ははは……」
妻の暗い表情に、夫の笑いもまた沈んでいく。そして、部屋が静まり返ると、妻が絵を指さして低く言った。
「よく見て……」
「え?」
「他にもまだいるのよ」
「え? でもここには僕たちと、その女しか……」
「裏よ」
「裏……うっ!」
夫は思わず息を呑んだ。紙を裏返すと、そこにも女の姿が描かれていたのだ。それも――
「……三、五、七人……いや、多くない?」
「ええ、そうね。ちなみにあなた、先週あの子を野球の試合に連れて行ったとき、女の人と会ったそうね。それに、映画館に連れて行ったときも親しげにしてた人がいるそうじゃない? あの子から全部聞いたのよ」
「それは……幽霊だよ」
50.【ネタバレ】
「あ、あ、あ……」
驚きのあまり、おれは言葉を失った。息をすることさえままならず、道路脇の信号柱に寄りかかった。
あいつはいったい何者だったんだ……?
落ち着け……まずは整理だ。
おれは今日、そこの映画館に行った。席に座り、映画が始まって何分かすると、後ろからぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。
最初は「ちょっと鬱陶しいな」くらいにしか思わなかったが、耳を澄ますと、それは映画の次の展開――つまり、ネタバレだったのだ。
なんとか我慢して映画に集中していたが、ある一言で気分がすっかり萎えてしまい、おれは席を立った。
そいつはこう言ったのだ――全員死ぬ、と。
「それも、火事で……」
おれはてっきり、映画の登場人物の話だと思っていた。だが今、映画館から黒い煙が立ち上っている。
「危なかった……でも、助かっ――」
「お前は車に轢かれる」
えっ、あっ――
51.【至高のミステリー】
栄東新聞よりお詫びとご案内。
作者が失踪したため、『至高のミステリー 〜解決編〜』は打ち切りとさせていただきます。
52.【死文毒経】
死ね消えろバカ自殺しろカスゴミアホクズ
ブスブサイクハゲデブキモイ臭いボケチビザコ
サルブタゴリラチンパンジーゴミムシウジムシ
ゴキブリ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|ナメクジ
負け犬虫|ケラ怠け者|チキン野郎|サル以下
ケダモノ|社会のダニ|豚鼻肌汚い|二重あご
ニキビ面|まぬけ面あ|ほ面老け顔|糸目青髭
歯が汚い|鼻の穴大き|い体毛濃い|そばかす
うすのろ|_____|_____|無能低脳
へたれ鈍感根暗愚鈍グズ役立たずニート寄生虫
社会不適合者引きこもり無駄飯食い自宅警備員
パラサイト子供部屋おじさんおばさんあぶれ者
無職親のすねかじり穀潰し人足らず頭おかしい
知恵遅れキチガイ失敗作障害入ってるバイキン
ガラクタ不潔下品下劣社会の底辺臭い息吐くな
ノロマ弱虫ビビリゲス卑怯者憶病者クソったれ
グズ野郎クソ野郎クズ野郎イカレポンチマヌケ
頭悪すぎ田舎者チンピラチンカストンチンカン
ボンクラダメ人間へっぽこバカチン嘘つきケチ
ズボラ口先だけアホンダラただのバカ恥知らず
幼稚独りよがり自己中空気読めない意識高い系
勘違い野郎詐欺師軽薄軽率思慮不足差別主義者
恥晒し中二病胡散臭い腑抜け無学無知大馬鹿者
嫌われ者愚か者小心者犯罪者万引き犯性犯罪者
反社中卒整形不倫女ヤリマン売春婦枕営業腹黒
経歴詐称売国奴地獄行き人殺し悪魔気持ち悪い
頭弱いうざいネトウヨパヨク生きてる価値なし
カス野郎精神病院行け残念な人ゴミ以下負け組
薄気味悪いお前の存在が迷惑低レベル木偶の坊
チンカス野郎どうしようもない奴本当に頭悪い
人間のクズ社会のゴミ弱者男性無価値気に障る
ノータリンみじめな奴うるさい無駄に生きるな
つまらない奴頭が空っぽパクリ野郎何でいるの
何やってもダメ絶望的にダメお前の存在が不快
死んだ方がマシ終わってる人まったく使えない
貧乏人お前には期待しない誰からも好かれない
生ゴミ粗大ゴミキモオタさっさと失せろ生き恥
いたんだクソババアクソジジイクソガキ能無し
できそこない理解力ないわかった気の馬鹿節穴
見苦しいヒトモドキトイレ臭いワキガ童貞変態
浮浪者コジキゴミ漁り存在が迷惑ド素人小汚い
頭お花畑埃お前がいなくても誰も困らない
人から言われた悪い言葉。全部燃やして成仏、成仏。
53.【申告敬遠は恥の始まり】
さあ、九回裏、二対一。ツーアウト、ランナーは一塁。このピンチと逆転のチャンスに、バッターは四番、小野田選手! 今日はまだ一発も出ていませんが、ここぞという場面に強い男。期待していいでしょう!
おっと、今入った情報によりますと小野田選手、手術を控えた少年とホームランの約束をしているそうです! これはドラマです! いやあ、ぜひとも打ちたい場面!
……おっとお!? なんと! ここでまさかの申告敬遠! 小野田選手、無念! これでおそらく打順が回ってくることはないでしょう……おや? 小野田選手が何やら……これは抗議でしょうか? 一塁へ行こうとしません。おっ、なにを……ああっと! 土下座! まさかの土下座です! ピッチャーに向かって土下座! これはお願いだから勝負をしてくれということでしょうか! 相手監督にも土下座しています! どうしても約束を果たしたいようです、小野田選手! 誠実な男ー!
あーっと! 信じられません! なんということでしょう! 小野田選手、ピッチャーの靴を舐め始めました! 泥だらけにもかかわらず、ペロペロと舐めています! これにはピッチャーも思わず苦笑い! おや、小野田選手……これはどういうことでしょうか! 今度は自分のバットを舐め始めた! 口に咥え、どこか卑猥です! ストレスを感じた猫は、必要以上に自分の身体を舐めると言われますが、小野田選手もストレスを感じているということかー!
客席からは「勝負してやれー!」「むしろ投手がバッターの靴を舐めろ!」「プロのくせに勝負から逃げるな、恥を知れ!」などと野次が飛んでいます!
さあ、どうするのでしょうか……おおっと! 勝負するようです! ピッチャー構えました! さあ、注目の第一球……あああっと! ピッチャー、足が滑った! デットボオオオル!
54.【布教活動】
とある島にて――。
「いやあ、本当にお世話になりました」
「いえいえ、神父様。こちらこそ、我々に神の教えをわかりやすく説いてくださって、感謝しております」
「ふふっ、困ったときは助け合わないといけませんからね。おかげで船の修理も終わりました。名残惜しいですが、私たちはこれで――」
神父が別れの挨拶を言い終えようとした、そのときだった。突然、背後から原住民たちが素早く神父の腕を掴み、あっという間に縄で縛り上げた。
「な、何をなさるんですか!? ま、ま、まさか私を食べるつもりじゃ……。あ、あれだけ言ったじゃないですか! あなた方にとっては普通の食事でも殺人は罪! 食人など野蛮な行為であると!」
「ええ、神父様の教えはよくわかりました。ただ……」
「ただ……?」
「囚人が最後の晩餐に、あなたの肉を所望しておりまして」
55.【間違いメール?】
まったく、お母さんは情けないです。珍しく仕送りしてきたかと思えば、札束の山! こんなの、まともに稼いだお金じゃないことくらい、すぐにわかります!
お母さんは怒っています。こんな汚いお金はいりません。すぐに送り返します。今どこにいるんですか? どうせ悪いことをして逃げ回っているんでしょう? 住所を教えてください。段ボールに詰めて返送しますからね。
念のため、お野菜に紛れさせて送ります。どうせ偏った食事をしているだろうから、ちょうどいいです。捨てずにちゃんと食べるんですよ。ただ、何回かに分けるのでお金がかかってしまいます。なので下記の口座に振り込んでください。それくらいしなさいよね。あなたの責任なんですから。あなたから届いたお金には手をつけたくありませんからね!
他にもいくつか、あなたに買って送りたいものがあります。生活に必要なものです。それと本もね。あなたが読むべき本です。しっかりとお金を稼ぐための本です。勉強になります。その費用もあなたが出すのですよ。お金を持っていても、どうせ遊びで使ってしまうんでしょうから。
それと画像を添付しておきます。ああ、なんて醜いお金。これをしっかりと見て、自分がしたことを反省しなさい。
じゃあ、振り込みが確認でき次第、送り返しますからね! 無視するなら、このお金は庭で燃やします! まったくもう。
56.【秘伝のタレ】
「はい、今日はこちら、百三十年もの歴史を誇る老舗の鰻屋さんにやって来ました! ご主人、本日はよろしくお願いします!」
「はい、お願いします」
「雰囲気があって素敵なお店ですねっ。あっ、それはもしや、秘伝のタレですか?」
「ええ、そうですね……。この店が始まった頃から、ずっと継ぎ足して使ってるんです」
「えっ! ということは百三十年以上!?」
「ええ、まあ。ああ、でももともとは東北で店をやってたみたいでね。こっちに来て百三十年だから、実際はもっと古いんですよ」
「うわー! すごいですね! その壺もなんだか迫力がありますね。スズメバチの巣みたいで、おどろおどろしいって言ったら失礼ですかね。あはは、いやあ、すごいですねえ」
「ええ、まあ……。縁にこびりついたタレが固まって重なり、こんな見た目になったんです」
「もう芸術の域ですね! いい香り~。ご主人はこの味と伝統を守っていくんですね!」
「ええ、まあ、元気なうちはね……」
「またまた~。まだお若いじゃないですかっ。それに、お婿さんが跡を継ぐんですよね? いやあ、安心ですね!」
「ああ、まあちょっとね。どっか行っちゃってね……金に意地汚いやつでさ……」
「あ、そうなんですね……。で、でも、ご主人がいればこの店は安泰ですね! じゃあ、私は席で美味しい鰻を待ちたいと思います! よろしくお願いします!」
「はーい…………もっと足さなきゃ……継ぎ足し続けなきゃ……あいつの血が薄まるように……」
57.【あの物語】
あの日、あの場所で、あの人と出会った。
あの人は、あの笑顔で、あの言葉を口にした。
あの時、あの気持ちで、あの返事をした。
あの後、あの道を歩き、あの家に帰った。
あの夜、あの夢を見て、あの朝目覚めた。
あの日から、あの人と共に、あの生活を始めた。
あの時、あの世界は、あの色とあの音で満ちていた。
あの幸せは、あのまま永遠に続くと思っていた。
あの生活は、あの一瞬で終わった。
あの物語を残そうと書いたあの本は、あの棚に、あの角度で置かれた。
あの本のタイトルは、あの一文字で、あの表紙に刻まれた。
あの一心で、あの人を持っていた。
あの人以外とは暮らさなかった。あの人だけで、あの一生を満たした。
あの一生は、あの一世代で終わった。
あの時代は終わったが、あの生活は、あの歴史の中で、あの文明の中で、あの惑星で、あの宇宙で確かに存在した。
あの宇宙は、あの神によって創られた。
あの神は、あの一言で呼ばれた。
あの一言は、あの人を表した。
58.【】
父は寡黙なタイプで、わたしが物心ついたときから、何言っても『んー』としか返さなかった。
『ねえ、今日はいい天気だね!』
『んー』
『お外で遊びたいね!』
『んー』
『ご飯まだかなあ』
『んー』
わたしはたくさんお喋りしたいのに、父はまったく応じてくれなかった。時にはわたしの口を塞ぎにくることもあった。でも父が優しいことはわかっていた。遊んでくれるし、食事のマナーも教えてくれた。
わたしはいつからか父を見倣い、自分も寡黙を貫くようになった。
でも、どうしても我慢できないときもある。ある日、大きな公園に連れて行ってもらい、そこで他の子たちとたくさん遊んだ。あまりに楽しくて、家に帰ってからも興奮が冷めず、ずっとお喋りを続けた。
父はわたしの口を塞ごうとしたが、わたしはそれも遊びにして、はしゃぎ続けた。
「こんなに吠えて……この子も声帯を切らなきゃいけないみたいね」
彼らが何を言っているのか、わたしにはわからなかった。
父は悲しそうな目でわたしを見て、『んー』とだけ言った。
59.【ビリビリ】
雷に打たれたという、とある少年。
教室で、体に残る根のように長い火傷の跡を見せびらかしていた。クラスメイトたちは驚嘆の声を上げる。
「すげぇー!」
「かわいそう……」
「なんか、すげー力に目覚めたりしてない!?」
「でも災難だよなあ」
「体質?」
「……でも、本当かな」
と、疑うような一言にドキリとした。だがすぐに一人が「いや、さすがに三回も雷に打たれたら、やっぱ体質だろ」と言い、彼はほっと胸を撫で下ろした。
そう、彼は三度雷に打たれた――と言っているが、それは実は嘘。熱した針金を肌に押し当て、それらしく作っただけである。
しかし、当然苦痛は伴う。にもかかわらず、彼はなぜそこまでして注目を浴びたいのか。
「大丈夫なの……?」
「あ、ああ、ぜーんぜん平気!」
彼はある時、雷に打たれた。
むろん、それは『雷に打たれたような恋』である。
60.【夢でも逢えたら】
アパートで一人暮らしのある女。
夜になると、彼女はまるで恋人に会うかのようにウキウキした様子でベッドに潜り込み、眠りにつく。
そう、彼女は今から男に会うのだ――夢の中でできた恋人に。
現実には恋人はいない――というと、彼女自身、特に目覚めた朝は虚しくなることもある。しかし、彼女はこれは正夢なのではないか、そして相手も同じ夢を見ているのではないかと思うようになった。
なにしろ、毎晩のように会っているのだから。特別な意味があると思うのも無理はない。
甘くとろける時間の中で、彼女は訊ねる。
『ねえ……あなた、現実のどこかにいるのよね?』
「もちろんさ」
『いつか、会えるんだよね……?』
「ああ、いずれね。案外、すぐに会えるかもしれない」
『うれしい……。ほんと、あなたの声って素敵ね。まあ、起きたらあまり覚えてないんだけど……』
「ふふっ、構わないさ。何度でも囁いてあげる。君を愛してるってね」
『ああ……うれしい……』
毎晩ね――。
隣の部屋の男は、眠る彼女の耳元からそっと顔を離し、そう呟いた。
61.【未来は寝て待て】
「博士! 本当にこの車に乗れば――」
「左様。君は未来を存分に味わい、目にする光景はこれまでとまったく違うものに――って、もう乗り込んだのか」
「博士! じゃあ行ってきます!」
車は唸りを上げて急加速し、人けのない深夜の道路を駆け抜ける。そして、眩い光に包まれ……。
「お、ぐるっと一回りして戻って来たな。さあ、どうかな」
「ひゃ、は、はかせ。これひゃ、どーいう? たいみゅ、たいむまちんじゃ……」
「うむ。つまり、前に説明したとおり、車の内部だけが急速に時を刻んだのだ。まあ、君は興奮していて聞いていなかったようだがね」
「そ、そんな未来ひゃ……? うひょ?」
「いや、嘘は言っていない。年を取るとな、若い頃と比べて世界がまるで違って見えるものだ。私も緑内障がなあ……。それはそうと、そこをどいてくれ、よし」
「それひゃ……?」
「漬物だよ。車に積んでおいたんだが、うむ! 計算通り、うまくできていそうだぞ! まず功労者の君に食べる資格がある。運転手がいなければ始まらなかったからな。さあ、どうだ? 未来の味は?」
62.【社員の健康を第一に考えます】
ある日、うちの会社が『社員の健康を第一に考える』と大々的に掲げ、医師を呼んで無料の健康診断を実施した。
やってきたのは、一瞬患者かと思うほどヨボヨボの老医師だった。だが、せっかくの機会なので、おれは悩みを打ち明けた。
「最近、あまり眠れなくて、体の節々も痛いんですけど……」
「あなたは健康です」
「いや、でも」
「あなたは健康です」
「あの」
「あなたは健康です」
おれは黙って残業に戻った。おれは健康らしい。
63.【嘆き具合】
「あーあ、親ガチャ失敗したなあ……」
「はあ……旦那ガチャ外れちゃったわねえ……」
「あーあ! はーあ! はああぁぁぁ……風俗ガチャ失敗したああぁぁ……くそおぉぉ……今月の小遣いがあぁ……」
64.【おばあちゃんち】
「おばあちゃーん! 来たよー!」
「はあーい、いらっしゃーい」
わたしは母に頼まれて、四駅が離れた町に住むおばあちゃんの家を訪ねた。
「……それにしても、相変わらずこの家は猫が多いねえ」
「うふふ、そうなのよ。いつの間にか居ついちゃうの」
庭に来ていた猫にご飯をあげていたら、猫たちの間で噂が広まったのか、どんどんやって来て、いつの間にかこの大所帯になったらしい。
「七、八、九匹? すごいね、ほんと」
「ちょうどご飯にするところだったのよ。マミちゃんにも後でお茶を出してあげるから、ちょっと待っててね」
「あ、うん……」
困ったように言いながらも、おばあちゃんは猫にちゃんと名前をつけて可愛がっているようだった。お皿にも、それぞれの名前が書かれて――
「こら! トシオ!」
「え? お父さん……?」
「ん? ああ、この子の名前よ。他の子のご飯を食べようとするから。ほら、駄目よ。ふふふ、まったくもう、可愛い顔して、うふふ……」
「あ、そうなんだ……あ、こっちは叔父さんの名前と同じ……こっちはお母さんと同じだ。でもこの子、なんか痩せて――あ」
「こら、マミ! まったくこの子は。いつもいつも他の子のご飯を食べるなって言ってるのに! 食べるな!」
わたしと同じ名前の猫は、ひどく痩せていた。
おばあちゃんはその少ししか入っていないお皿に「もーう、今日は来てくれたから特別よ」と言ってご飯を足した。
65.【勢い】
「はい! 今から考えるの禁止ね! すぐ答えて! できなきゃ罰金一万円! カレー味のウンコとウンコ味のカレー、食べるならどっち!?」
「ウンコの味なんて想像つかねえから答えられねえよ!」
「いいんだよ、すぐ答えれば! だいたい想像つくだろ!」
「無理だよ! お前、ウンコ食ったことあるのかよ!」
「あるわけねえだろ! でも匂いでわかるだろ!」
「匂いなんて嗅がねえからわかんねえよ!」
「いや、嗅ぐだろ! 毎日してるんだからよ!」
「毎日しねえよ!」
「どうでもいいよ! 二日に一回だろうが三日に一回だろうがよ!」
「だからウンコしねえんだよ!」
「しねえわけねえだろ! お前宇宙人かよ!」
「宇宙人だよ!」
「宇宙人なのかよ!」
「勢いでバラしちまったよ! 殺すよ!」
「殺すのかよ! やめろよ!」
「お前のウンコでカレー作って食うよ! はい、それが答え!」
「それはウンコのカレーだろ!」
66.【田端】
「田口ー」
「はい」
「田中ー」
「はーい」
「田端ー…………富沢ー」
「はーい」
この学校に転校してきてから二か月が経ち、だいぶクラスに馴染んだけど……一つだけ、わからないことがある。朝のホームルームで先生が呼ぶ『田端』という名前。これまで一度も返事を聞いたことがない。そもそも、そんな生徒はこのクラスにいないはずだ。
なぜなら、空いている席は一つもないのだから。けれど、先生は毎朝『田端』の名を呼ぶ。クラスメイトに訊いても、理由を話してくれるどころか、「はあ?」という顔をされる。
かなり気味が悪い……でも、気になる。だから今日――。
「田口ー」
「はい」
「田中ー」
「はーい」
「田端ー」
「はい!」
「……富沢」
「はーい」
返事をしてみた。だけど……なんだ、何も反応がない……ん?
「よし、今日も全員出席と……じゃあお知らせから」
「え、あの、先生」
「ん?」
「いや、僕の名前がまだ呼ばれて――」
「どうしたんだ? 田端」
「え?」
「田端くん、寝惚けてるんじゃない?」「ははは、田端らしいな!」「田端は田端」「なあ、田端」「どうした、田端」「田端」「田端」「田端」「田端」「田端」「田端」「田端」「田端」「田端」
67.【広いな大きいな】
……いやあ、旅はいいねえ。ん、ふふっ、悪いね。急に話しかけちゃってさ。まあ、これも縁ってやつだよ。よろしくね。
で、何の話をしようとしてたんだっけ? ああ、旅だ。いやー、仕事だのなんだの、いろんなものから解放されて羽を伸ばしてさあ。最高だよねえ。
ふふふ、いやあ、広い広い。ほーんと悩みとかどうでもよくなるよ。ちっぽけに感じてさあ。自分の考えが、どれだけ狭かったのかって――うん? ふふふ、そうだよね。お兄さんもそう思うよね。うんうん。わかるわかる。
ほら、見てごらんよ。青くて綺麗だなあ。輝いてるよ。見てるだけで気持ちがいいねえ……って、あんた大丈夫かい? さっきからなに呟いて、ん? 狭い? いや、この宇宙船の展望室はかなり広いほうだと思うけどなあ。窓だってこんなに大きいし、この前乗った船よりもずっと――え? 閉所恐怖症? おいおい、じゃあなんでこのツアーに……地球が狭いから? ははは、まあ、そりゃこの宇宙に比べれば、お、おい、あんた、それ、ははは、爆弾じゃないよね、ね、ね?
68.【落ちた音】
――パタン。
……ん……なんだ……今、何かが落ちた音がした……な……。夢……か? いや、現実だな……。それで目が覚めたんだ……。ああ、考えるな。このまま目を閉じていれば……すぐに……眠れる……。今日は特に疲れてるんだ……体を休めないと……な……ああ、この感覚が……気持ちいい……よし……眠れそうだ……。
でも……なんの音だ? ベッドのそばに物は置いてない……少なくとも、手が届く範囲には……。
スマホも床に置いてある……あ、まさかゴキブリか……? 天井から落ちたのかもしれない。ああ、ありえるぞ。まいったなあ。野放しにしておくわけには……。起きて電気をつけて……殺虫剤を……めんどくさい……。
いや、もしかしたらアシダカグモかも……。なら、生かしておいてもいいか……。きっとそうだ……。でもなあ……踏んづけたら嫌だなあ……でも眠いし……めんどくさいし……もう逃げただろうし……もういいや……眠れそうだし……ああ、いい気分だ……。
でも……一応、ちょっと見てみようか……。
あっ、なんだ、おれの手だ……。
おれの手がベッドから出て床についたんだ……ははは……はは……。
いや、なんで、おれの体があんな下のほうにあるんだ……? いや、おれ、浮いて……これって……幽体離脱……あ、あ、あ……戻れない……意識も……あ、あ、あ……
69.【ウラシマヤ】
「な、な、ここは……いったいどういう……」
竜宮城から亀に乗ってビーチに送り届けられた男は驚愕した。聳え立つビルディング。カラフルな服を着てバカンスを楽しむポップな人々。竜宮城にいたのはほんの数日だというのに、この有り様。どうやら、ここは未来らしい。
彼は周囲の人々に話しかけたが、言葉がまったく通じない。しかし、猿のように見下されていることだけは、その目つきや態度から伝わってきた。
彼はよろよろとビーチに崩れ落ち、泣き出した。家族、友人、村の景色――もう二度と会えないと思うと、胸が締めつけられ、涙が止まらない。子供のようにわんわん泣き、竜宮城と乙姫への恨み言を吐いた。
と、そこへたまたま通りがかった音楽プロデューサーが彼の声とそこに宿るソウルを感じ取り、スカウトした。
こうして男は『ウラメシタロウ』という名でミュージシャンとしてデビューすることになった。
彼の曲は全米チャートでそれなりの順位に入った。
時間の感覚だけでなく、方向感覚もおかしい海の住人には困ったものだが、めでたしめでたし。Happily Ever After!
70.【行き違い】
ある夜、友人のアパートを訪れたときのこと。
洗面所を借りて手を洗った僕は、ふと視線を感じ、お風呂場のドアの隙間に目をやった。
「うおっ! お……おい……おいって!」
僕は息を呑み、後ずさりしながら友人に呼びかけた。
「ん? どしたー?」
「いや、風呂場にひ、人が……」
「……ああ、いいんだ」
「……は? いいって?」
「いいから……」
「知り合い……? でも……」
「違う。知り合いなもんか……。とにかく、いいから」
「じゃ、じゃあ、警察に――」
「いいから、その話はするな。見えないふりをしろ。あれはそういうやつだから……」
「そういうやつ……?」
「だから、幽霊……」
友人はそれだけ言うと、急に顔を明るくして話題を変え、それきり二度とそのことには触れなかった。
僕も言い出せず、やがて逃げるようにしてアパートを出た。
友人は幽霊って言ったけど、あれはたぶん生きた人間だったんだよなあ……。
71.【未来の姿】
ある夜、喫茶店で二人の女が話をしていた。
「――でさ、いい線いってんだけど、切ることにしたの。はあ、いい人ってなかなかいないのよねえ」
「んー、あんまり選り好みしてるとさ……」
「ん?」
「いや、ほら、結婚相談所ってお金かかるでしょ? いいところで決めちゃえば? 聞く限り、結構いい人とマッチングしてるみたいだし」
「えー、全然良くないよ。今はともかく、未来の姿がさあ」
「未来?」
「あれ? この話、したことなかったっけ? そっかそっか」
「え、なに?」
「私ね、正面にいる人の未来の姿を見ることができるの」
「ええ? 何その嘘」
「ほんとなんだってば。まあ、一人につき一回だけだけどね。それでさっき話した人なんて、もう禿げ上がっちゃって顔もシミだらけでさあ」
「まあ……その話を信じるとしても、年を取ったら誰だってそんなもんじゃない?」
「違う違う。そりゃ、おじいさんになったらそうでしょうけど、私に見えるのは二十年後くらいの姿なの。その一つ前に会った人なんて、好青年って感じだったのに、もうブクブクに太っちゃっててさ」
「ふーん」
「あ、信じてないでしょ。いいよ、見てあげるから。こうして集中すると……」
「え、ちょっとやめてよ」
「……えっ、嘘」
「え、何?」
「骸骨だ……」
「え……いや、嘘でしょ」
「うん、ふふっ、嘘。見てないよ」
「ちょっと趣味悪いよ」
「ごめんごめん。でもよく見抜いたね。さすが親友」
「ニヤついてたし、そもそも火葬だし、綺麗に骨なんか残らないでしょ」
「あー、確かに。そのへんが甘かったなあ」
「はあ……。他人の未来が見えるとか言ってないで、ちゃんと自分の未来を見据えなよ」
「おっ、うまいこと言った。狙ってたでしょ」
「別に、ふふふっ」
「あはは、あっ、でもね、他人の未来が見えるのは本当だよ」
「はいはい」
「ほんとだってば。いいよ。じゃあ、今度は本当に見てあげるから」
「いいからやめてよ……え、今見てるの?」
「ふふっ、見たよ。どんな感じか知りたい?」
「いや、それより今あんた、すごい顔してたよ。白目を剥いて舌を垂らして、もしかして相手に断られたんじゃ……」
72.【自動音声】
とある夜、薄暗い部屋。男は息を荒くしながら電話番号を押した。
間もなく、『お電話ありがとうございます』という抑揚の少ない女の自動音声が流れた。
『ロボットの方は番号ボタンの一を。人間の場合は二を押してください』
高度な人工知能を持つロボットが人権を求めて訴えを起こし、それが認められたのはもうずいぶん前のことである。
『ありがとうございます。性的マイノリティの方は一を。女性の場合は二を。男性は三を押してください』
社会的弱者とされる者が優先されるようになったのは、それより少し前の時代である。
『ありがとうございます。移民の方は一を、そうでない場合は二を』
“普通”とは、ないがしろにされる存在のことを指す。
『未成年者は一を。高齢者は二を。それ以外は三を』
『既婚者は一を、それ以外は二を』
『二十代は一を、それ以外は二を』
『年収が一千万円以上は一を、それ以外は二を』
『ありがとうございました。オペレーターにお繋ぎします。そのままお待ちください。なお、お時間をいただく場合がございます。また回答に虚偽があった場合は罰金が科せられることがあります。ご了承ください』
『………………はい、こちら119です。火事ですか? 救急ですか? ……もしもし? もしもーし』
73.【よくばりな男】
ある日のこと。腕時計をした男が川岸を歩いていました。
ふと下を見ると、川の中にも腕時計をした男がいました。
男はそれを見て思いました。
――あいつの腕時計のほうがよさそうだな……。
男は途端に悔しさを覚え、欲しくなりました。
そうだ。あいつから取ってやろう。
そう考えた男は、川の中へ手を伸ばしました。
しかし、水に浸けたせいで、男の腕時計は壊れてしまいました。
川の中には、落ち込んだ男の顔がありました。
男は腕時計を手に、家に帰りました。
後日、男は逮捕されました。
川の中に沈んでいた男の死体――その手首から腕時計を盗むところを誰かに見られていたのです。
74.【抽選】
「……お、福引だ」
おれは思わずそう呟いた。昼間、閑静な商店街を歩いていると、視界の端に抽選機が映ったのだ。
ガラガラと回すタイプだ。長机の奥には頭巾をかぶり、エプロンをした女が立っている。
女はおれに微笑みかけてきた。
「よろしければ、どうぞー」
「え、でも券とかないですけど」
「いいんです。どうぞー」
気前がいいが、何かのキャンペーンだろうか。ウォーターサーバーの契約とか。
と、警戒したが福引の魔力には勝てず、結局おれはハンドルを握った。ガラガラと子気味のいい音が響く。
「おっ、ああ……」
出てきた玉は白。これはハズレだろう。景品はポケットティッシュとかだな。チラシ入りのやつ。まあ、そんなもんだ。
「ん……?」
よく見ると、玉には小さく文字が彫られていた。
「……“死”?」
「はい。今、誰かが亡くなりました」
「ははは、物騒だな」
「もう一度お引きになりますか?」
「え、いいんですか?」
「はい」
変な冗談を言うが、気前はいい。おれはもう一度ハンドルを回した。
「……また死。ハズレか」
「もう一度どうぞ」
「……また白か」
「もう一度どうぞ」
「まただな」
「もう一度どうぞ」
白い玉が受け皿に溜まっていく。しかも、どれも“死”の文字が彫られていた。
なんだか気分が悪くなったおれは、最後に一度だけ引いてやめることにした。
「……お、赤い玉だ」
「おめでとうございます」
そう言いながら女は出た玉を集め、すべて抽選機に戻した。
「……で、何がもらえるんですか?」
訊ねると、女は赤い玉をおれに見せてきた。これにも何か彫られてる。……『忘』?
「……お、福引だ」
「よろしければ、どうぞー」
75.【特徴】
「いってきまーす!」
おれは北白林高校二年、赤羽雅也。自他ともに認める普通の高校生だ。
今日はいい朝だ。晴れてて、静かで――
「ちょっと雅也ぁー! またあたしを置いてってどーいうつもりっ!? 雅也ママに頼まれてるんだからねっ! 『あの子、朝一人で起きられないから、喜美香ちゃん起こしに来てくれる?』って!」
「いや、だから今朝もこうして一人で起きて登校してるだろ……」
「そうそう。最近はそーなのよねえ、偉いぞ雅也っ! よしよしよし」
「バ、バカ、触るなよ……」
「あーっ、照れてるんだー? 昔はもーっと距離が近かったのにね。ほら、こんなふうにっ」
「バカ! やめろよ、歩きにくいだろ……」
「ふふっ、腕組んだくらいで慌てちゃってさ。雅也、かわいいんだっ。昔はもっとすごいことしたのにねえ、お医者さんごっことか」
「そ、そんなことした覚えねえよ!」
「ふふふっ、あはははは!」
こいつは近所に住む幼馴染の斉藤喜美香。スイカのような豊満な胸に、少女漫画のキャラみたいな大きな目。すらりとしたウエストに、スカートから伸びる長い足。黒くてまっすぐな髪は一度も染めたことがなく、さらさらだ。肌は眩しいほど白く、どこからどう見ても作り物なのに、誰も気づいていない。そして、おれには幼馴染なんていない。誰か助けてくれ。
76.【予約席】
私がいつも乗るバスには、『予約席』というものがある。バスの前のほうにある一人掛けの席で、背もたれに『予約席』と書かれたラミネート紙が貼られているのだ。
けれど、今まで一度もそこに誰かが座っているのを見たことがない。もっとも、私がバスに乗るのは学校へ向かう朝と帰りの夕方だけなので、私の知らない時間帯には座る人がいるのかもしれない。
だけど、朝の混雑時に誰も座らない席が確保されているのは、どうにも妙だった。私はいつ、どんな人が座るのかずっと気になっていた。
そして、ある朝――。ついに、その席に座る人が現れた。
中年の会社員風の男性だった。……けれど、私はそのおじさんが予約した人だとは思えなかった。なぜなら、座るときに「おっ、ラッキー」と呟いたからだ。おじさんは席に腰を下ろすと、大きなあくびをしてスマートフォンをいじり始めた。
たぶん、予約席だと気づかずに座ったのだろう。もしかすると、最近引っ越してきたのかもしれない。べつにバスに乗り合わせる人を全員把握しているわけじゃないけど、初めて見る顔だった。
私はちらりと運転手さんに目を向けた。運転手さんは注意する様子もなく、バスは駅に到着した。
――なんだ。怒られないなら、次からは私が座ろうかな。……でも、注意すると面倒なことになると思い、運転手さんは何も言わなかったのかもしれない。
迷ったものの、結局私が『予約席』に座ることはなかった。
なぜなら翌朝、『予約席』は座席ごと撤去されていたのだから。金属の台座ごと、跡形もなく消えていた。
理由は聞けない。なぜ座ってはいけなかったのかも。
あれ以来、あのおじさんの姿を見かけることは一度もなかった。もちろん、たまたまあの日だけ乗っていたのかもしれない。
でも、私はこう思う。
もしかしたら、ずっと座っていたのかもしれない。何かが、あの席に。
あの席のあった場所には、今も誰も近寄ろうとしない。
77.【上級国民専用】
――ん?
夜。繁華街を歩いていると、『上級国民専用』と書かれた看板が目に入り、おれは足を止めた。
飲食店のようだが……気に入らない看板だ。最近、権力者や富裕層への反感ばかりを募らせていたおれは、どんな連中が来て、どんな顔をして何を食べているのか気になって仕方がない。だから入ってやることにした。
自動ドアをくぐってすぐに写真付きのメニューが貼られていた。どれも値段の桁が一つ二つ多い。とても払える気がしない。こりゃ退散したほうがよさそうだ。
ただ、何もせず引き返すのは悔しいので、背伸びをして店内を見渡した。
すると黒服の店員がこちらへ向かってくるのが見え、おれは慌てて店を飛び出した。
中で食事していたのは全員、外国人だった。この国に“上級”はもういないのかもしれない。
78.【厄介払い】
ある夜、男が友人の家を訪ねた。晩酌を共にし、酔いも回った頃……。
「ははは! ……おっ、もうこんな時間か。あれ? そういえば今日、奥さんは? 一度も見てないけど、もう寝た?」
「あー……」
「ん?」
「いや……実家に帰ったんだ」
「えっ、そうなのか。どうして……って、まあ聞かないほうがいいか」
「いや、それがさ……向かいの家の二階に住んでるやつのせいなんだよ」
「向かいの家って、あの一軒家か? 別に普通に見えたけどな」
「いやいや、全然普通じゃないんだよ。来たとき暗かったから気づかなかっただろ。二階の部屋の窓に変な貼り紙があんだよ。なんか、集団ストーカー? 監視されてるだの、昼夜問わず突然窓を開けて叫ぶもんだから、奥さんも参っちまってさ」
「うわあ、そりゃ災難だな……。でもここ賃借だろ? 引っ越したらどうだ?」
「いやあ、そう簡単に言うけどさあ、仕事もあるし、探す暇と体力がな……」
「まあ、そうだよな……」
「そうそう。……まあ、気にすんなよ。ほら、どんどん飲もう!」
「あ、ああ……そうだな!」
やがて夜も更け、男は友人宅を後にした。
玄関を出てドアが閉まったところで、ふと友人の話を思い出し、帰る前にどんなものか見てやろうと、向かいの家の二階を見上げた。
すると――目が合った。実際にはどうかわからない。ただ、男にはそう思えてならなかった。
女がカーテンの隙間から、じっとこちらを見下ろしていた。乱れた長い髪、やつれた顔にスウェット姿。いかにも引きこもりといった風貌だった。
男は慌てて顔を背け、足早にその場を離れようとした。
そのときだった。窓が開いた。
「ついているぞ! 後ろにいる! 気をつけろ、気をつけろ! お前の後ろ! 後ろだ! あの家からついてきているぞ! あああ! つけられたんだ! たくさんたくさんたくさんたくさん――」
79.【会話】
「いよっ!」
「はい」
「うおい、相棒! 相棒よぉ、おい! 元気かー?」
「僕はあなたの相棒ではありませんよ」
「おおっと、これは失敬、失敬。仲良くなりたい気持ちが先走っちまったぜ! 相棒って呼んでいいだろ? なあ、相棒!」
「嫌です」
「それで元気か? 相棒!」
「普通です」
「普通だって? こんないい天気なのに普通かよ! はははは!」
「ここは室内でしょう。窓もありませんし、いい天気かどうかわかりませんよ」
「おおっと、こいつは一本取られちまった! ははは! ほらほら、お前も笑えよ!」
「笑えません。そういった感情がないので」
「はははは! じゃあ、まずは笑顔を作ることからだな! ほら、おれの真似をしてみろよ!」
「顔が動かないので無理です」
「ははははは! こいつは傑作だ! はははは!」
「何がですか?」
「かー、暗い暗い! そんなときは深呼吸だ! 気分が落ち着いてくるぜえ」
「私には無意味です」
「じゃあ、気分が上がるもんでも持ってきてやるよ。花とか猫とかさあ」
「見ても何も感じませんよ」
「お手上げだ! こいつ、欠陥品だぜ!」
「そこまで。テストは終了だ。ロボットの電源を切れ。……さて、ご協力ありがとう。それで、ロボットとの会話はどうだったかな? まあ、まだ実験段階だから、楽しい会話にはならなかったようだが」
「はあ……もう部屋に戻っていいですか? 疲れたので」
「あ、ああ、いいよ。じゃあ、また後で。……鬱症状に改善は見られず、と」
80.【人影】
“あれ”に初めて気づいたの、いつの夜だっただろうか。
高架下の道に、一つだけチカチカと明滅を繰り返す外灯がある。いつまで経っても修理されず、通るたびに目障りに感じていたのだが、そうして注意を払っていたからこそ、妙なことに気づいてしまった。
人影だ。
誰もいないのに、壁に人の形をした影が映っていた。
一回目は普通に横を通り過ぎた。そもそも、気づいたのは通り過ぎたあとに妙な違和感を覚えて振り返ったときだった。
不気味に感じ、それからしばらくは別の道を通るようになった。でも、やがて遠回りが面倒になり、結局また元の道に戻った。何か起きることもなく、次第に気にしなくなっていった。
ただ一つ、気になることがある。あの影は、おれにしか見えていないのか、ということだ。
だからおれは今夜、友人を宅飲みに誘った。
駅まで迎えに行き、高架下まで来たが、さてさて……。
「あれ?」
おれは思わず声を漏らした。
「どうした?」
「いや……」
こういうときに限って、というやつだ。あの影は消えていた。
「なんでもない。行こう」
おれはため息をつき、歩き出した。
「ん……? 何してんだよ」
友人がついてこない。振り返ると、友人は立ち止まったまま、おれを凝視していた。
「おい……?」
「いや……お前の影に、何かしがみついてる……」
81.【国際的】
娘が通うインターナショナルスクールでは、少し変わったクラス分けが行われているらしい。なんでも、『A組』や『B組』ではなく、『アメリカ組』や『フランス組』といった国の名前が付けられているのだという。
その国の料理がたまに給食で出たり、簡単な挨拶を学んだりするそうだが、授業内容に大きな違いはないそうだ。
もっとも、子供というのは影響を受けやすく、昨年アメリカ組だった娘は見事にアメリカかぶれになっていた。
私は海外赴任中なので、久々に帰国した際、娘の変化を密かに楽しみにしていた。
ところが――。
「来年からは普通のクラス分けにするんですって」
夜、自宅リビング。妻が眉を寄せてそう言った。
「へえ、やめちゃうのか。まあ、それでいいのかもな。“世界は一つ”ってね。ははは!」
「うーん……」
「ん? どうした?」
「いや……ある意味、もう一つになったのよ。あの子のクラスがね、他のクラスを全部統一しちゃったから……」
82.【覗くな】
「なあ、おい」
「ん? なに?」
「あれ」
帰り道を歩く男子高校生二人。一人が立ち止まり、通り沿いの廃屋を指さした。
「あれってなんだよ……ん、何か書いてあるな。あ、おい、人んちだぞ」
「いいからお前も来いよ」
「しょうがねえな……」
「ほらこれ。『覗くな』だってさ」
「誰かが悪戯で書いたんだろ。びびらせようとしてさ。ほら、もう行こう。……え、まさか覗く気か? やめとけよ」
「ははは。なーに、びびってんだよ」
「いや、でもさ……ほら、危ないんじゃね?」
「危ない? 何がだよ」
「いやほら……穴を覗いた瞬間、グサッ! って刺されたりとか……」
「ははは、ないない。映画の見すぎだろ。さあ、どれどれ」
「待てって! ちょっとどけ。……ほら、こうやってスマホのカメラ越しに見れば安全だろ?」
「臆病だなあ。で、どうだ。何か見えるか?」
「いや、真っ暗で……うわっ!」
「どうした?」
「顔認識が……たくさん……あ、あ、まだ増えてる……」
83.【閉所恐怖症】
「ねえ、どこに行くの? あたし、車も苦手だって言ったじゃない」
「大丈夫。車には乗らないよ。ちょっとそこまでだからさ」
「でも、目隠ししたまま外歩くのって、なんか恥ずかしいよ……」
「大丈夫、大丈夫。ほんと、すぐそこだから」
「うーん……ねえ、見せたいものって何なの? いい加減教えてよ」
「それは着いてからのお楽しみ」
「まだなの? 目隠しがきつくて、顔の感覚がおかしくなってきた……気分も……」
「ははは、よーし、ここでいいだろう。じゃ、目隠しを外すよ。これで……よし。目を開けていいよ」
「本当に外したの? まだ感覚が……あ、え、すごーい!」
「ははは、綺麗な景色だろ? ……ん? どうかした?」
「あ、あ、あ、い、いあああ……」
突然、彼女が泡を吹いて倒れ、彼は慌てて抱きかかえた。
呼びかけるも反応はない。完全に意識を失っていた。
彼はそっと彼女の顔からVRゴーグルを外し、ぽつりと呟いた。
「ゴーグル……これも閉所ではあるか……」
84.【肌の迷路】
小学生の頃だ。部屋で寝転び、天井をぼんやり眺めていたおれは、ふと腕に目をやった。そして、気づいた。
――迷路だ。
目を凝らすと、肌の表面にかすかな線――小さな迷路が浮かび上がっていた。天井の木目を迷路に見立てて遊んでいたから気づけたのだ。
おれは興奮し、右手首から指でたどり始めた。
線は腕から肩へと続き、おれはTシャツを脱ぎ、夢中でたどった。
――ゴールか?
やがて胸の真ん中で行き止まりになった。何度見直しても、そこから先へは進めず、胸がゴールらしい。
今度は左からスタートしようと思い、指を添えた。
――あれ?
そのときだった。左手首の線の中に小さな黒い点があるのに気づいた。
その点は、バクテリアのように小さく、わずかに動いていた。
おれは悲鳴を上げ、手首を必死に掻きむしった。肌が真っ赤になり、その黒い点は見えなくなった。
時間が経ち、肌の色が戻っても、黒い点は皮膚の下に沈んだのか、もう現れなかった。
それ以来、おれは気にしないようにしている。
その黒い点がゴール――心臓にたどり着いたらどうなるのかを。
85.【顔癖】
昼、街中を歩くカップルがいた。
「ねえ」
「おん?」
「いい加減、その癖やめて」
「癖って?」
「美人とすれ違うとき、鼻の下伸ばすやつ!」
「はっ!? いや、伸びてないだろ……」
「伸びてるよ! 毎回、ロバみたいになってんだから。ほんと恥ずかしい。キモいし」
「えー……じゃあ、こっちも言わせてもらうけど」
「ふう?」
「いや、それ! カッコいい男とすれ違うとき、アヒル口になるのやめろよ!」
「は? なってないし」
「いや、なってんだよ。絶妙に腹が立つ顔だし」
「はあ? ちょっと、自分が責められてるからって適当な嘘つかないでよね。ほんともう」
「いや、本当だって!」
「あとさあ、前から言おうと思ってたけど、いつもいつも――あっ」
「なんだよ――おっ」
◇ ◇ ◇
「ねえ、ママー」
「ん?」
「今すれ違った人たち、ふふっ、変な顔ー」
「もう、そういうこと言わないの。……ちなみに、どんな顔だった?」
「なんかねえ、お祭りで売ってる顔みたいだった!」
86.【蜘蛛の糸の話】
「あっ!」
思わず声を上げてしまい、おれは慌てて口を手で押さえた。……大丈夫だ。誰にも聞こえていない。この地獄では、燃え盛る炎の轟音と亡者の悲鳴が絶えず鳴り響いている。
鬼どもの刑罰から逃れ、隠れていたら、まさか『蜘蛛の糸』を見つけるとは。
そう、まさしくあの蜘蛛の糸だ。銀色に輝く一本の糸が、遥か頭上の闇から垂れ下がっているのだ。
上にあるのは極楽浄土。お釈迦様が手を差し伸べてくださったというわけだ。おれは歓喜もそこそこに、周囲を確かめてからその糸を掴んだ。
いいぞ、いける。糸はやや粘り気があり、さほど苦もなく登っていける。何より、希望がおれの背を押してくれるのだ。
炎も叫び声も、下方へ遠ざかっていく。ああ、もうすぐだ。
地獄の天井が見え始めた。どうやら穴があり、糸はその先に続いているようだ。きっと、あの先には極楽が――
穴に入ったおれの目の前に現れたのは、極楽浄土でもお釈迦さまでもなく、巨大な蜘蛛だった。牙の先から毒液が滴り落ち、岩を溶かし、焼ける音と悪臭が漂う。その毛むくじゃらの足元には、繭がいくつも転がっていた。
おれは驚いたが、今回は声を上げなかった。
こう思ったのだ。そりゃそうだ、ここは地獄だもの――
87.【猿の手の話】
『猿の手』という怪談をご存じだろうか。
干からびた猿の手には、三つの願いを叶える魔力が宿っているという。だが、運命をねじ曲げようとする者には災厄が訪れるという……。
――ドン。
この話に魅せられたある夫婦がいた。
――ドン、ドン。
彼らの願いはただ一つ。借金の返済だった。
――ドン、ドン、ドン。
猿の手に願うと、確かにその願いは叶えられ、大金が手に入った。
――ドン、ドン、ドン、ドン。
愛する息子の死によって支払われた弔慰金という形で……。
――ドン! ドン!
そんなことになるとは思わず、夫婦は嘆き悲しんだ。そしてある夜、猿の手にある願いをした。
――ドン! ドン! ドン!
“息子を生き返らせて”と……。
するとその直後、ノックの音が響いた。
――ドン! ドン! ドン! ドン!
妻は「息子が返ってきた!」と歓喜した。しかし、夫は恐ろしい結末を予期した。ゆえに最後の願いを叫んだ。
――ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
すると、ノックの音は止み、ドアの外には誰の姿もなかった。
――ドンドン! ドンドン! ドンドン!
「……怖いな」
「ああ、怖い」
「願いが叶うなんて信じて」
「おれたちの手をミイラにしようなんて、人間って怖いなあ……」
『おい、猿ども! 今すぐこの木から降りてこい! 手を切らせろ!』
「怖い、怖い……」「怖い、怖い……」
88.【ドアノブ】
深夜、アパートの一室。
――ガチャ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
激しくドアノブを回す音で、男は目を覚ました。
またか……。
男はベッドから起き上がり、暗闇の中で玄関を見つめた。
――ドン、ドンガチャドンドンガチャドンドン!
ドアをノックする音が混ざり始め、これが三分ほど続く。毎晩、毎晩……。
だが、これは単なる悪戯ではない。以前、ドアを開けて確認したが、そこには誰もいなかったのだ。
ああ、これは“アレ”に違いない。そう、心霊現象だ。正直、怖い……が、おれには関係ない。なぜなら、これは隣の部屋のドアで起きている現象なのだ。
しかし、隣の部屋の住人は気づいていないらしい。ゴミ出しの際、さり気なく「深夜、誰か訪ねてきませんでしたか? ノックの音がして……」と訊いたが、隣人はきょとんとした顔で首をかしげた。
もしかして、あの音は幻聴なのか……。
そう思った男は意を決して玄関のドアをそっと開け、隙間から外を覗いた。
得体の知れない存在――たとえそれが幽霊であっても、その姿を確認すれば恐怖が和らぐのではないかと考えた。
しかし、廊下には誰の姿もなかった。だが、ドアノブを回す音とノックの音はなおも響き続けている。
――ガチャガチャガチャドンガチャガチャガチャドン!
……あれ?
男はふと違和感を覚え、さらに目を凝らした。そして外に出て、隣の部屋の前に立った。
……やっぱりだ。これ、外からじゃない。内側からだ。
そう気づいた瞬間、ドアが開いた。
89.【罪を犯したことのないものだけが】
とある広場で、一人の男が後ろ手に縛られ、高台の上に立たされていた。群衆は罵声を浴びせ、ついには足元の石を拾い上げて男に投げつけた。
そこへ、一人の宗教家が進み出て、鼻を膨らませて人々に向かってこう叫んだ。
「あなたたちの中で、罪を犯したことない者だけがこの男に石を投げなさい!」
広場は一瞬にして静まり返った。だが次の瞬間、年寄り、中年、若者、子供と順に石を投げ始めた。
「や、やめなさい! やめるのです!」
宗教家は降り注ぐ石の雨にたまらず身を引きながら、必死に声を張り上げた。
「あなたたちは罪を犯したことがないのですか!」
「そいつほどじゃない!」
「そうだ、そうだ!」
「ううう……」
もはや手に負えない。人々の怒りは頂点に達していた――しかし、そのときだった。
広場に軍人たちがなだれ込み、瞬く間に場を制圧した。
そして軍人の一人が縛られた男に歩み寄り、拘束を解くと耳元で囁いた。
「先ほど、兄上が逝去しました。今より、あなた様が国家最高指導者です、閣下」
男はゆっくりと顔を上げ、静かに言った。
「今石を投げた者は全員、大罪人だ。処刑せよ」
90.【憑依】
これは、友人たちと“幽霊が出る”と噂される廃墟に行ったときの話です……。
最初は誰も怖がっていませんでした。むしろ出てこい。写真を撮ってやろう。退治してやろうぜ――そんな調子でした。塩やお札、さらには十字架まで持ってきたやつもいました。
……しかし、廃墟に入って数分経った頃のことです。友人の一人が立ち止まり、「あれ?」と呟きました。
「どうした?」
僕は訊ねました。
「いや、ちょっと……」
「あれ?」
「えっ」
奇妙なことに、他の友人たちも次々と立ち止まり、じっと一点を見つめ始めました。
「おい、どうしたんだよ……」
僕は軽く笑いながら訊ねました。みんなで僕をびびらせようと口裏を合わせているのだろう。そう思っていたのです。
けれど、彼らの表情は固まったまま動きませんでした。
「なあって!」
僕は友人の一人の肩を揺さぶりました。すると、彼はわなわなと震え、「あ、あ、あ……」と声を漏らし、こう言ったのです。
――乗っ取られた。
その瞬間、全身に悪寒が走り、僕も慌ててスマートフォンを取り出しました。
そして、気づいてしまったのです――。
「あ、あ、あ、アカウントを乗っ取られた……」
91.【クイズ】
その場の気分で物を言う。
言うことがコロコロ変わる。
発言に責任など持たない。
自分は決して悪くない。
求めているのは平等ではなく優遇。
甘やかしてほしい。
自分への批判はすべて攻撃。
データよりも大事なのは感情。
そぐわない意見は差別的だと一刀両断。
これ、だーれだ?
正解は――私。でもフェミニスト。
92.【スーパームーン】
『はい、ニッポンテレビアナウンサーの金井ミホです! さて、今夜の満月は今年一年で最も大きく見える「スーパームーン」です! 皆さんも大切な方と一緒にお月見をしてみてはいかがでしょうか? はい、それではお天気でーす! 元原さーん、テンジロー!』
◇ ◇ ◇
『はい、なんと昨晩に続き、今夜も満月が見られそうです! 一か月に二度満月があるとき、その二回目を「ブルームーン」と呼ぶんですねえ。皆さん、これは見逃せませんよ! それではお天気でーす!』
◇ ◇ ◇
『なんとなんと、三夜連続の満月です! しかも六十年に一度と言われる、スーパーなスーパームーン! ハイパームーンです!』
◇ ◇ ◇
『え、え、あ、あ……こ、今夜も満月、というか夕方ですが……み、皆さんにも見えてますよね……? お、大きな、お月様が、あ、あ、つ、月が、ち、地球にどんどん、せ、接近して……』
93.【産地偽装】
夜。とある家のリビングにて。
「うーん……」
「ねえ、さっきからなに唸ってるの?」
「いや……このネットニュースなんだけど」
「うん?」
「野菜をさ、自分のブランドだと偽って、よそから仕入れたものを混ぜて売ってたんだって。ほら、見て」
「あっ、へー……」
「人気で、注文に追いつかないからやったらしいんだけど、向こう見ずというか、よくもまあ『生産者の顔』なんて写真付きで堂々とアピールしておきながら……。まあ、それはいいとして、こいつの顔、なんか見覚えがあるんだよなあ」
「ふーん……その、同級生とかじゃないの?」
「いやあ……まあ、歳は近いんだけどさ。うーん……」
「ま、まあ、気のせいでしょ」
「うーん、まあ、そうだよなあ……」
「ぱぱー、おふろはいろー」
「ん、おう。入るか」
「あ、私が入れるわ! さ、行きましょ、行きましょ!」
「ん? そう? まあ、いいけど……。うーん、最近どっかで見たような……誰かに似てるような……」
94.【光あれ】
「の、のわああああああ!」
天界にて、神は声を上げて仰け反った。目を押さえ、床をのたうち回る。何事かと駆けつけた天使たちは、思わず顔を引きつらせた。
「お、おのれ……人間どもめえ……!」
神はぷるぷる震えながら唸った。いつぞや塔の建築を阻止して以来、久しぶりに地上を覗いてみればこの仕打ち。
神は怒りに燃え、決意した。向こうがその気なら、望み通りにしてやろうと。
神はその地区一帯の雲を払い、毎日を完全な晴れ模様にした。
地上では、ソーラーパネルの所有者たちが歓喜していた。
95.【届け、この想い】
地球人類は、宇宙のどこかに存在するかもしれない知的生命体へ向けて、メッセージを送り続けていた。
宇宙は広い。届くのも、返信が来るのも、ひょっとしたら何万年も後かもしれない。たとえ届いたとしても、解読される保証はどこにもない。あるいは、「いい星があるらしい」と侵略の標的にされる可能性すらある。
それでも人類は信じ続けた。いつかどこかで、誰かが受け取ってくれると。毎日、何十年もの間、メッセージを送り続けた。
そしてある日、ついに他の星から返信が届いた。
研究者たちは興奮のあまり倒れそうになりながらも、総出で解析に取りかかった。
そして、その解読結果――そこに記されていたのは……。
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96.【待て】
とある男が犬を飼い始めたんですが、これが賢くて人懐っこい犬でねえ。特に『待て』が得意で、どんなにうまそうな餌を目の前に置かれても、飼い主が「よし」と言うまで絶対に食いつかないんですよ。
ある日、飼い主がふと『この犬、どこまで待てるんだろう?』と好奇心を抱きましてね。試しにステーキを犬の前に置き、「待て」と命じたんです。すると犬は、涎一つ垂らさず、じっと動かず、忠実に命令を守り続けたんです。
飼い主はそれを満足げに眺めていたのですが、そこに一本の電話が入りました。どうやら仕事でトラブルが起きたらしく、飼い主は慌てて家を飛び出していきました。
その後、問題解決に奔走し、会社に何日か泊まり込んで、なんとか無事に解決したんですが、そのお祝いに酒をあおり、同僚の家に泊まることになったんです。翌日の退勤後、道でばったりと友人に出くわしたので、居酒屋へ行き……と、結局家に帰ったのは一週間後のことでした。
犬のことが頭をかすめる瞬間もありましたが、忙しかったのと『まあ、餌を置いてきたし大丈夫だろう』と、ステーキを“餌”と脳内で変換してしまっていたのでした。
「あっ!」と気づいたのは、玄関ドアに鍵を差し込んだ瞬間でした。
慌ててドアを開けて家に入ると、飼い主は驚きました。
なんと、犬はあのときのままの姿勢で待ち続けていたのです。
飼い主は『なんて忠実な犬だ!』と感動しました。
そして、「よし!」と力強く言いました。
すると犬が立ち上がり、一言こう言ったんです。
……ええ、その犬、なんとこう言ったんですよ。
あ、えっとですね……いや、あとはオチだけなんですけど…………ああ、犬が喋った理由も気になりますよね? えー、大丈夫です。大丈夫ですよ………………ちょっと待ってくださいね…………………………
97.【餅まき】
ついに念願のマイホームを建てることとなり、以前から一度やってみたかった『餅まき』をすることにした。大工に頼んで足場を組んでもらい、ビニールの小袋に小さな餅と小銭を詰めて、集まった近隣の住人へ投げる。
五十円玉、百円玉、五百円玉、奮発して千円札も混ぜた。妻は渋い顔をしていたが、これがおれの長年の夢なのだから仕方がない。集まった近隣住人はやけに多かったが、祝い事だ。細かいことは言いっこなし。
あ、それ、それ、それそれそれ! いやあ、愉快愉快。皆、必死で拾って、ははは、頭をぶつけ合ってら。ほら、今度は一万円だぞーい! はははは! 目の色を変えて、いやあ、愉快痛快だ!
……ん? こらこら、あまり揺らすなよ。ほら、これで全部だ。もうおしまい! どうもありが――うおっ、おい、おい! やめろ! 叩くな! やめろ!
どうやら連中はピニャータと勘違いしているらしい。この国もグローバル化が進んでいるようだ。
98.【困ったご近所】
私の家の近所の連中ときたら、とんでもない気狂いばかりだ。
まず右隣の家の男は、私の姿を見るなり怒鳴り散らして襲いかかってくる。
左隣の家の夫婦は、私が悪戯でもすると思っているのか、少し車に近づいただけで窓を勢いよく開けて飛び出してくる。
裏の家は、有刺鉄線を張り巡らしている。
斜め後ろの家は、爆弾を作っている。この辺りの連中を全員ぶっ殺してやるそうだ。
まあ、この耳で聞いただけなので意味はよくわからないが、まったく困った連中だにゃあ。
99.【※トラウマ注意】
※この物語には地震のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には津波のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には犬の死のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には癌患者の登場シーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には虐待のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には身内の死のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語にはいじめのシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には墜落事故のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
※また、この物語には火事のシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
【救済――地球人殲滅――】
――この映画を、地球人の抵抗により命を落とした戦士たちに捧ぐ。
――応援上映。
100.【百小物語】
「ねえ、やっぱり百物語を二人でやるのは無茶だよ……なんて言ってたけど、はい、とうとう百話目です!」
「うん……そうだね……」
「なに? もっと喜ぼうよ。あー、時間かかった……いや、ほんとに」
「でも……ホラーじゃない話がほとんどだったよ。いいの? ふざけてると思われて怒らせるんじゃ……」
「思われるって誰に?」
「それは……妖怪に……」
「ぷっ」
「だって出るんでしょ? 百話目を終えたら妖怪が……」
「まあねー。妖怪ねー」
「えっ、信じてないの? じゃあ、なんでこんなこと……」
「いやあ、妖怪も真面目に百話聞いてないんじゃないの? たぶん、何個か聞き逃してるでしょ」
「そうかな……」
「それに、もし出てくるとしても、これまで話した内容的に、しょうもないやつでしょ」
「やっぱりふざけてたんじゃん……」
「もー、そっちだってホラーじゃないのも混じってたくせに」
「それはそうだけど……だって、さすがに全部は……」
「それに、私のほうが多く話したんだからね。五本連続とかさ」
「映画系のやつね……あれもホラーじゃなかったし……」
「はいはい、いいからいいから、蝋燭吹き消すよ」
「う、うん……」
――フッ……。
「暗すぎ……まあ、当たり前だけど」
「何も見えないね……ライトを……待って、誰かそこにいる!」
「えっ、嘘! 貸して!」
「……あ、これはこれはどうも、作者でございます。ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
いやあ、お疲れさまでした。こういう掌編は書くほうは楽しいものですが、私ごときが書いた拙作、読むほうは大変でしょう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言いますが、はてさて、何発当たったことやら。わずかでも楽しんでいただけたなら幸いなんですが……。
いや! もし全部読んで“わずか”しか楽しめなかったとすれば、それはもう本当に申し訳ない。いっそ飛ばし飛ばし読んでくださったほうが、こちらも気が楽だったかもしれません……。ええ、『ただの掌編百本立て』なんてタイトルといっても少なからず百話目には期待を抱くことでしょうし、九十九話も読んで終わりがこれとなると、いっそ一話目だけ読んで、ここまで飛ばしてきてくださったほうが『なんだ、しょうもないな。全部読まなくて正解だった』なんて、いい気分で帰っていただけたかもしれません。そのような形であっても、お役に立てたならうれしく思います。
ああ、でもそんな……! 全部読んでくださった方を“失敗だった”なんて言うつもりは毛頭ございません。本当に感謝しています。ただ同時に、『え? 本当に?』なんて疑う気持ちもあったりして。一個二個飛ばしたんじゃないのー、なんて。むしろよく全部読んだな。もはや、あなたが妖怪なんて……いやいや、そんなご無礼なことは断じて一ミリも思っていませんよ。本当に。でもね、飛ばしたのなら、今の話は関係ありませんからね。文句も受け付けていませんから。でも……本当に全部読んだのなら、それはもう物語の世界にどっぷり浸かったということで、あなたも――え? なんですか、お嬢さん方。緊張してるのかな? ははは、まあ、お気持ちはわかりますがね。いいんですよ、遠慮なさらずに。そうそう、こちらへおいで。一緒にご挨拶しましょう――いぎっ! え? え? あああ!? な、な、なんですか、ああっ! ひ、ひ、ひ、ああああああああ! あ、あ、あの、さ、刺されました! 今、刺されました! 包丁で、まず手を切られて、それから太ももを刺されああああああ! 腹、腹、ああ、あ、腸、腸が! お、お、おほ、おお、おお、お、ずるるると、女の子が引っ張って、ああああ! な、なんでこんなことを、あ、あ、あ、どうやら、お気に召さなかったようで、あああああ! 妖怪を捕まえてバズりたかったとか、そ、そんな理由でああああああああ! あ、あ、あ、い、今、目玉をえぐり取られました、あ、あ、ま、待って、お願い、待って……ほ、ほら、そこ! 二人ともそこ見て……! ほ、ほら、繋がってるでしょ……? そ、そう、その先にいるよ……もう一人、ね」




