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【秋の文芸展2025】逆再生の友情~友情の過程を巻き戻す機械。

作者: 妙原奇天
掲載日:2025/10/07

—「出会いに、戻れる。」Rewinder™ for Friendship by HUMNEX—


 装置に名前を付けるのは好きではない。

 機械が人間ぶると、誰かが安心し、誰かが許されないことを許すからだ。


 それでも、研究費を出す連中は、呼びやすい名前を欲しがった。私が出した候補は“観測機一号”で、企画会議の場はしーんとした。あとで所長に呼ばれ、もっと柔らかい語感にせよと言われた。柔らかさは、説明を滑らかにする。滑らかさは、摩擦を消す。摩擦がないと、人は止まらない。


 私は折れて、白い筐体の隅に小さなラベルを貼った。

 〈Rewinder/友情過程逆再生装置〉。

 “友情”の二文字は私が勝手に入れた。責任の住所がほしかったのだ。


 仕組みは単純だ。単純に見えるように、骨を削って作った。

 互いの関係に残った“痕跡”――メッセージ本文、送った時刻、既読までの遅延、写真の画角、位置情報の重なり、出入りした店のレシート、心拍の同期。街頭カメラのフレームに二人が同時に写っていた時間。笑い声の音域の近さ。

 それらを時系列の逆順に束ね、関係の“強度”として可視化する。

 画面には色の帯が現れ、最近の日は熱い色、古い日は薄い色になる。巻き戻すほどに色が退く。壊れた瞬間に近づくと、色は急峻に割れる。

 映像は出ない。映画のようにはならない。

 ただ、強さの曲線が逆流し、原因と呼べそうな起伏が浮く。


 依頼第一号は、三十代の男性だった。名札には「羽田」とあった。

「親友と絶交しました」

 彼は椅子に浅く腰かけ、指を組んだ。

「どちらが悪いのか、何が悪かったのか、よくわからない。わからないままは、落ち着かない」

「観測は観測です」私はいつもの文句を言った。「介入はできません。戻しますが、触りません」


 羽田は、うなずき、署名した。紙は整っている。整っている紙は、人を安心させる。裏のことは、裏のままにできる。


 装置を起動すると、スクリーンに帯が流れた。

 最新の日の端に、赤い裂け目がある。絶交の当日だ。そこから色は黄になり、灰になって薄くなってゆく。

 音声ログが重なった。

『お前、いつもそうだ』『そっちこそ』

 短く、固い語尾。言い終わる前に切られる通話。

 さらに巻き戻す。

 貸し借りの記録。小さな出納の偏り。返却の遅延。埋め合わせの順番を誤った日付。

 さらに。

 二人で写る写真。料理が相手側に少し寄って盛られている。分け合う癖の名残。

 さらに。

 最初の旅行。深夜のカラオケ。共通の笑いのスタンプが生まれた日。

 さらに。

 最初のメッセージ。

『――はじめまして。○○の同僚の××です』


「ここまでは、思い当たるところがいくつか」羽田が言った。声の高さが、少しだけ軽くなっている。

 私は頷いた。

「不公平の累積。貸した側の“恩”と、借りた側の“負い目”。どちらも声に出さないと、増幅器になります」


 帯をさらに巻き戻すと、強度の曲線がふいに滑った。

 スクリーン上の点が一瞬だけ消え、すぐ戻る。

「今の、何です?」

「記録の穴です。データがないのか、私たちが見落としたのか」

 穴は珍しくない。人の生活は、網目からこぼれる時間でできている。


 巻き戻しは続く。

 二人の同じフレームの時間は減り、別々の場所、別々の時間が画面を占める。

 やがて、出会いの手前が見えてくる。

 帯の端で、店名と座席配置が浮かんだ。歓迎会。グラス。乾杯の音。

 ここで、彼らは初めて、同じ笑い声の周波数を持った。


 私は、指の力を少し抜いた。

 そのとき、羽田が眉をしかめた。

「変な感じがします」

「どんな」

「頭のどこかが、急に軽くなった。名前をど忘れする前の、手が空を掴むみたいな感じ」

 私は彼の手首に貼ったセンサーを見た。α波が浅くなっている。

 観測は観測で、介入ではない――そう説明してきた。

 しかし、“友情の過程”を逆にたどることは、現在の世界の“参照順”を入れ替えるのかもしれない。

 参照順が変わるだけなら、上書きではない。

 上書きでないなら、倫理審査を通る。

 倫理審査を通れば、装置は稼働する。

 装置が稼働すると、スポンサーは満足する。

 満足したスポンサーは、もっとやれと言う。


 私の端末にメッセージが点滅した。スポンサーの簡潔な文面。

〈そのまま。根本原因を〉

 続けて、倫理担当の定型文が届く。

〈観測は観測にとどめよ〉

 どちらも正しい。だから、役に立たない。


 私は帯を進めた。

 最初の出会い――店のドアが開く寒気――に触れる直前、羽田がこちらを見た。

「すみません、あの、あなたは、どちら様でしたっけ」

 私は名札を指で押さえた。

「研究所の者です。さきほどご説明を」

「そうでしたか。失礼しました」

 礼儀は崩れない。崩れない礼儀の上で、どこかが剥がれてゆく。


 私は止めることにした。

 指でつまみを押さえ、帯の端で静止させる。

 画面には、グラスとグラスが触れる寸前の光がとどまった。

 ここで止めれば、過去はここまでにしか薄くならない。

 この先に進めば、“出会う前”が露わになる。

 “出会う前”は無に似ている。無は、何にも似ていない。


「ここで止めます」私は言った。

 端末が震える。スポンサーの短い問い。

〈なぜ〉

「これ以上戻したら、もう出会えなくなる」


 羽田は黙って画面を見、ゆっくり息を吐いた。

「――静かだ」

「静か?」

「胸の奥が。落ち着きました」

 彼はポケットからスマホを取り出し、連絡先の一覧を眺めた。

 そこにあるはずの名前の一つが、少しだけ色あせて見える。見えなさは、消失とは違う。

「会いに行きます」

 彼は立ち上がり、丁寧に一礼した。

「原因が見えた気がする。今のうちに、短く謝ります」


 私は頷いた。

「短く、早く。帳尻は、今後の行動で。結論は急がないでください」

「はい」


 羽田を見送った後、モニタに残る帯を私はしばらく眺めた。

 白い箱は静かだ。静かさは、親切に似ている。親切は、よく切れる。


 夜、所長から連絡が入った。

「スポンサーが不満だ。なぜ止めた」

「出会いは保護したほうがいい」

「保護?」

「海でも森でも、入り口のところに柵があるでしょう。あれです」

「詩人の返答は、報告書にならない」

 私は報告書を書いた。

 観測の範囲、被験者の反応、α波の変化、倫理上の留意点。

 最後に一文を付けた。

――“出会い”は、観測対象ではあっても、観測資源ではない。

 所長は赤を入れ、語尾を「〜と考えられる」にした。


 翌日、見学会があった。資金提供先の役員と、その家族。私は白い箱の前に立ち、マイクで説明した。

「ここに見える帯の濃淡が、二人の関係の強度を示します。巻き戻すほどに薄くなり、原因に近づく」

 役員の少年が手を挙げた。

「全部、透明にしたらどうなるんですか」

 私は少し笑って、マイクを口から離した。

「透明は、何色にもなれるということです」

 少年は納得したふりをした。ふりは、子どものほうが上手だ。


 見学会のあと、私は装置のラベルを指でなぞった。

 Rewinder。

 名前は、ものの性格を歪める。

 それでも、名前は要る。話を始めるために。


 数日して、羽田から短いメッセージが届いた。

『会えました。静かでした。ありがとうございました』

 句読点の置き方が、最初のメッセージの頃に似ていた。

 私は返事をしない。返事をするべき相手は、彼のほうにいる。


 その日の午後、別の依頼が入った。

 女性で、年齢は二十代後半。

「大学の同期と疎遠になりました」

 彼女は、言葉を選ぶように話した。

「昔は何時間でも話せたのに、最近はすぐ疲れてしまう。理由が思い出せない。思い出せないのは、嫌です」

「観測は観測です」私は繰り返した。「介入はできません」


 装置は静かに動き始めた。

 帯は薄まり、共通の画角が減ってゆく。

 彼女は目を閉じ、肩から力を抜いた。

「軽いです」

「重いものを持ち上げる前に、位置を確かめるのは良いことです」


 画面の端に、路上ピアノの録音が浮かんだ。二人で鍵盤を叩き、笑っている。

 そこから少し先で、強度が揺れている。

 “特別視”の設計ミス。期待値の誤差。それを埋める沈黙の習慣。

 私は帯を緩め、出会いの手前に触れない程度で止めた。

「ここまで」

 彼女は目を開け、少し考えた。

「“友だちだった私たち”から、“知人としてやり直す”のは、いけませんか」

「いけませんとは言えません」

 彼女は微笑した。

「ゼロではない道があるなら、それでいい」


 観測は続く。

 ある日には、依頼人が観測中に私の名前を忘れ、また思い出した。

 ある日には、出会いの場所が画面に映り、私はそこから指を離した。

 ある日には、スポンサーが“出会いより前へ”のボタンを提案してきて、私は笑って答えなかった。

 笑いは、答えの代わりに使える。答えは、笑いの代わりにはならない。


 夜、廊下を歩いていると、清掃ロボットが静かに床を磨いていた。床はつるりとして、足音が吸われる。

 丁寧だ。

 丁寧さは、冷たさの別名だ。

 私は自分でつぶやき、少し笑って、研究室に戻った。


 ある午後、装置の前に、痩せた男が立った。

「すみません、予約はしていません。ただ、見せてほしくて」

「見学会は来週です」

「今じゃないと、気持ちが動かない気がする」

 彼は帽子を取って頭を下げた。髪に白いものが混じっている。

「息子の友達と、うまくいかない。やさしい言い方が、できなくなっている」

 私は少し考え、白衣のポケットから“来客用”の説明書を渡した。

「これは二人のための装置です。二人の合意が要ります」

「でしょうね」

 男は書類を見て、ため息の代わりに紙を折った。

「合意がいちばん難しい」

「いちばん簡単なときもあります」

 男は笑い、頭を下げて帰った。

 合意は、誰のものでもない。だから、持ち運びがむずかしい。


 装置の評判は、静かに広がった。

 派手な広告は打たなかった。派手さは、誤解と同音だからだ。

 代わりに、所長は私に寄稿を頼んだ。

「『観測の倫理』と題して、千二百字」

 私は、八百字で書いた。

――観測は、祈りに似ている。

――祈りは、押しつけに似やすい。

――似ているが、同じではない。

 所長は残り四百字を「具体例」で埋めた。具体例は、読む人を安心させる。安心させすぎると、足が浮く。


 遅い夕方、私は白い箱の前に一人で立った。

 ラベルを指で押さえ、声に出して読んだ。

「Rewinder」

 名前は、呼ぶためにある。

 呼んだ先に、誰もいないのが、いちばんいい。


 そのとき、端末が震えた。

 スポンサーからの短い招待。

〈分断の逆再生プロジェクトの打診〉

 私は、端末を裏返して置いた。

 人の争いを巻き戻して原因に触れる――それは甘い響きがある。

 甘い響きは、喉にひっかかる。

 私は台所に行き、水を飲んで息を整えた。


 数週間後、羽田がふらりと研究室に現れた。

「差し入れです」

 紙袋には焼き菓子と、小さな青い瓶が入っていた。

「海で拾ったやつです。二人で拾ったような気がしていたけど、たぶん昔の友達と拾った。本当は」

「本当は」

「でも、今は私のものだし、今はあなたに渡してもいい」

 羽田は笑った。

「最近、言い訳が短くなりました」

「良い傾向です」


 彼が帰ったあと、私は瓶を窓辺に置いた。

 夕陽が当たり、内側の気泡が光った。

 過去のものは、今の光で光る。

 過去の音は、今の耳で鳴る。

 私は窓を少し開け、風を入れた。ラベルがはためく。


 ある朝、若い研究員が私の机に来た。

「主任、質問があります。“最初の出会い”の手前で止めるのは、科学じゃなくて、気分じゃないですか」

 彼はまっすぐだった。まっすぐさは、ありがたい。まがり角に気づくから。

「気分かもしれない」私は素直に言った。「だから、書いておく。気分だ、とな」

「倫理レビューがうるさいです」

「うるささは、必要です」

 若い彼は首をかしげ、また頭を下げた。

 私は、止めるという行為に、私の年齢ぶんの重さが乗っていることを知っている。

 年齢の重さは、合理では説明できない。

 合理で説明できないものは、軽んじられやすい。

 軽んじられやすいもののほうが、よく効くときがある。


 夜、白い箱の前に立ち、私は薄く笑った。

 この装置に人格が宿ることを、私はいちばん恐れていた。

 だが、装置は何も言わない。

 代わりに、私は時々、装置に向かって言葉を置く。

「これ以上戻したら、もう出会えなくなる」

 装置は返事をしない。

 返事がないのは、礼儀に似ている。

 礼儀は、沈黙の形をしている。


 冬になった。

 外気は張りつめ、窓の縁が白く曇る。

 装置はいつも通り静かで、廊下の清掃ロボットはいつも通り床を磨く。

 私は湯気の立つ紙コップを手に、白い箱の前で立ち止まった。

 たとえば、今この瞬間、私がつまみを回して、自分と誰かの関係を巻き戻すなら。

 薄くなる帯の向こうに、研究室の扉が開く瞬間が現れ、誰かが入ってくるだろう。

『あ、どうぞ』『いえいえ』

 礼儀正しい、ありふれた会話。

 そこから、長い線が描かれる。

 その線の上で、私たちは何度もすれ違い、時々ぶつかり、ときおり笑う。

 線は、出会いから始まる。

 出会いの前に線はない。

 線のない場所は、地図には描けない。

 描けないから、保護するしかない。


 私は紙コップを捨て、照明を落とした。

 装置のラベルは暗がりで読めない。ただ、指先は覚えている。

 Rewinder。

 名前を呼ぶとき、人は自分の声を聞く。

 その声が、誰かの声に似ているかどうかを、確かめる。

 似ていなければ、よい。

 似ていても、よい。

 どちらでも、よい。


 廊下を歩くと、誰かの靴音が重なった。

 すれ違いざまに、軽く会釈する。

 礼儀は、出会いの一番小さな形だ。

 その小ささで、十分な夜もある。

 私は、出会いに名前を付けないことにしている。

 名前を付けると、安心して、動きすぎるからだ。


 翌朝、所長からメールが届いた。

〈“出会い保護”の一文、削除されたくなければ、別の案も出せ〉

 私は別の案を出さなかった。

 代わりに、いつも通り、装置の前で指を止めた。

 観測は、観測だ。

 介入は、しない。

 止めることは、選ぶことだ。

 選ぶことは、責任だ。

 責任は、名前のある場所に置く。

 私は、ラベルの“友情”という二文字を指で押さえた。


 ドアが開き、朝の冷たい空気が流れ込む。

 今日も誰かが来る。

 誰かは、理由を探しに来る。

 理由は、帯の中にあることも、ないこともある。

 ないとき、私は小さく肩をすくめる。

 あるとき、私は小さく指を離す。

 どちらのときにも、最後にひとことを言う。

「これ以上戻したら、もう出会えなくなる」


 言いながら、私は知っている。

 人は時々、戻りたいのではなく、止まりたいのだ。

 止まりたいとき、装置よりも先に、言葉が必要だ。

 その言葉が、たまたま私の口に宿っているあいだは、私はここに立つ。


 白い箱の中で、ファンが静かに回っている。

 静けさは、親切に似ている。

 親切は、よく切れる。

 切れるものは、よく研がねばならない。

 私は、今日も研ぐ。

 観測の刃を、止めるために。

 出会いの手前で、指を止めるために。


(了)

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