転生もチートも要らないと言ったら、女神が泣き出した
「やばい、遅刻する!」
月曜の朝、寝坊して横断歩道を駆けていた。
すると、俺は轟音とともに巨大トラックのエンブレムとキスした。
味は鉄と油のブレンド、朝食には重すぎる。
――衝撃より先に、『保険金いくら?』というリアルな心の声が浮かぶ。
気がつけば真っ白な空間に立っていた。
霧のような床に足が沈みもしない。
俺のほかにスーツ姿の青年やパーカーの女子高生、派手な金髪の男……
合わせて十人ほど。
みんな目を白黒させ、現状を理解しようとキョロキョロしている。
「ここ、どこ……?」
俺が思わずつぶやいた。
すると、純白のドレスをまとう女神――としか形容できない女性がふわりと現れた。
背中に淡い光の翼、長い銀髪、慈愛に満ちた微笑み。
「ようこそ、選ばれし魂たちよ」
鈴のような声が響く。
「あなた方は現世で亡くなり、新たな世界へ転生する資格を得ました。こちらが世界カタログ、そしてチート能力一覧です。お好きな人生をお選びください」
足元に煌めく書物と水晶板が並ぶ。
(これが噂の異世界転生か! 漫画でさんざん読んだやつだ!)
ページを開いた青年や女子高生が歓声をあげた。
「剣と魔法! 魔法無限使用のチート付き!? これしかないだろ!」
「私、美貌チートで貴族の令嬢になりたい!」
それを聞いた女神は満面の笑みで頷いた。
「承知いたしました。それではご希望通り――転生ゲートオープン♪」
虹色の渦がひとりずつ飲み込む。
彼らは歓声をあげたまま消えていく。
――落ち着かない。
順番が来るまでの間、俺はカタログを眺めてみた。
竜を従える能力、蒸気機関を一夜で電気文明に進化させる天才発明家……
――派手ではあるが、正直どれも俺にはピンとこない。
俺は魔王討伐よりも洗濯機の有無が気になるタイプ。
トイレが汲み取り式かもしれない世界でチートを振り回すのは微妙すぎる。
近代的なインフラが整っていなさそうじゃないか?
それなら普通の日本でスマホ片手に生き直すほうが、よほど魅力的に思えるのだ。
やがて全員が転生し終え、白い空間には俺ひとりと女神だけが残った。
「さあ、あなたの番です。望む人生を存分に――」
女神の声はやや弾んでいる。
転生こそがご褒美というテンションだ。
「……いや、普通の人生でいい」
「……え?」
女神の笑顔が固まる。
「できれば元の世界に戻してほしいんだけど」
「も、ももも、戻る……?」
女神は目を瞬かせ、後退りした。
「ですが、ここまで来られた以上、異世界に行かないのは――」
「別にチートも要らないし、今さら勇者にもなりたくない。普通に仕事して、普通に寝て起きて、そういう日常でいいんだよ」
そこまで言った瞬間、女神の顔が青ざめ、唇が震え始める。
「な、なんで、なんで面倒くさいこと言うんですかぁぁ!」
次の瞬間、女神はしゃがみ込み、わんわん泣き始めた。
「皆が喜んでくれるから頑張ってきたのに! これじゃ私、『転生させられないポンコツ女神』って上位神様に笑われるんですぅぅ!」
まさかのメンタル豆腐!
俺は慌てて近寄った。
「いや、泣くほどのことか? ……というか、カタログを読む分には面白かったよ? チートのアイデアも凝ってたし……」
「ほんとですか……?でも、確かにおすすめもたくさんあるんです!」
女神は涙でぐしょぐしょのまま、上目遣い。
「……ほら。この《世界最強パーフェクト勇者セット》とか、みんな喜んでくれたんですよ?」
女神がちょっとどや顔で言う。
「この能力を持って異世界転生へゴー!」
俺はカタログをペラリとめくり、鼻で笑った。
「名前が長いわりに内容は筋肉モリモリと剣術MAXだけじゃん。ガチャのハズレ枠みたいだぞ」
「ひどいっ!」
「次、《隕石落下を操れる勇者》? 隕石って当たったら星ごと吹き飛ぶんだよ? 自滅スイッチじゃねえか」
女神はさらに大粒の涙をぶわっと噴き出す。
銀髪をぐしゃぐしゃにしながら肩を震わせる。
「うああああん! 頑張って考えたのにぃ~!」
「落ち着けって……チートの方向性が間違ってるだけで、発想力はあるんだから」
俺はため息をつきつつも、差し出したハンカチで女神の涙を拭ってやった。
あれ、ハンカチはここに持って来れてるんだ。
「じゃ、じゃあ、私のチート案をもっと改良してくれませんか? 選ばれた人たちが心から『これ欲しい!』って思えるように……!」
「え、それ俺がやるの?」
すると女神は謎空間から黒電話を取り出す。
――なんで黒電話……?
時代錯誤も甚だしい。
そして、ジリリとダイヤルを回し始めた。
「はい、あのっ、上位神様ですか? ご相談です! ええ、はい、チート監修者として人間をひとり雇ってもいいか、と……。ありがとうございますぅ!」
受話器を置き、女神が満面の笑顔で俺に向き直る。
「許可いただきました! あなた、今日から私のチートコンサルタントです!」
「コンサルタント……?」
……意味が分からない。
なぜ俺がそんなことをしなければならない?
だが。
汲み取り式トイレしか無さそうな異世界へ飛ぶくらいなら。
ここでチートを練るほうが何倍も楽しそうだ。
それに、この泣き虫女神――鍛えがいがありそうじゃないか。
どうせ元の世界へは戻れそうにないし、いっそ付き合ってみるか。
「まあ、やるだけやってみるか」
女神の瞳が星のごとく輝いた。
◇◇◇◇
空間の一角に即席オフィスが生えた。
机と椅子と、カタログを投影するホログラム。
女神は俺の隣にちょこんと腰かける。
そして、期待で尻尾が生えそうな勢いで身を乗り出す。
「まず既存のチートを棚卸ししようぜ。重複が多すぎる。《最強剣士》と《剣聖》と《ブレードマスター》って、どれも同じじゃん」
「うぅ……確かに耳が痛いです」
「あと、《見るだけで相手が即死する眼光》ってさ、危なすぎない?危険人物すぎる」
「えっ……でも男子ウケがいいかと……」
「次。《全ステータス999999》 ステータスの概要も分からないし、数字を盛りすぎて小学生の落書きみたいじゃん」
「うぅ……確かにバランス悪いかも……」
「極めつけは《死んだ瞬間に一時間前へ巻き戻る無限リトライ》これ、状況によっては罰ゲームじゃない?人生までバグるだろ」
「ぎ、ぎゃふん……。派手ならいいってものじゃないんですね……」
俺は顎に手を当てた。
「じゃあ、『役立つのに映える』路線でいこう。たとえば――《万能ツールキット》。対象を見ただけで構造図が脳内に浮かんで、必要な工具が手のひらに現れる。井戸ポンプの修理からドラゴンの義肢製作まで一瞬だ」
「すごい! 王都の職人ギルドがあなたを神棚に飾りそう!」
女神が虹色インクで書き込むたび、カタログに新ページが増える。
「《セルフリカバリー》。常に病気も疲労もゼロ。ブラック企業どころか魔王軍でも倒れ知らず」
「全冒険者が行列確定! 治癒院のベッドが空くわ!」
実用性最強のチートが完成し、女神はキラキラした瞳で書類を掲げた。
これなら転生者も、世界も、誰もがハッピー。
――派手さより実用性。まさに俺好みのチートだ。
「あと、派手だけど運用にテクニックが要るものにしよう。例えば――《重火器召喚無制限》。装備は呼び放題だけど扱えなきゃ自爆の危険」
「なるほど、スリルもあって男心をくすぐる、と!」
女神が走り書きする。
「あとこれ、料理好き向け。《究極の火加減》――対象を最適温度で加熱できる。ドラゴンでもパンでも、外はカリッと中はジューシー」
「美食家の転生者が歓喜しそうです!」
気がつけば俺も楽しくなっていた。
ふたりで膝を突き合わせ、ぶっ通しアイデアを出し合う。
バカみたいに笑い合いながら。
◇◇◇◇
数日後、新しい転生者が現れる。
女神が壇上で胸を張る。
「こちらが最新バージョンのチート一覧です♪」
浮かび上がるホログラムに、転生待ちの面々がどよめく。
「重火器召喚!?」「セルフリカバリー一択!」
歓声の嵐。
俺は袖の裏から会場を覗き、思わずガッツポーズを取った。
全員が転生し、女神が俺に跳びつく。
「大成功です! 皆喜んで転生していきました!」
「それほどでも――痛たた、羽根が刺さる」
必死に引き剥がすと、女神は頰を染めて離れた。
「ねえ、これからも一緒にチート考えてくれる?」
「え、これから?」
「うん! だってあなたとチートを考えるの楽しいし……」
頬を赤らめる女神を前に、俺の心臓もバカみたいに音を立てた。
冗談半分で言ってみる。
「じゃあ、いっそ俺も神様になっちゃう?」
「……それ、上に聞いてきます!」
女神は黒電話をダイヤル。
数秒後、彼女は受話器を戻し、弾ける笑顔で親指を立てた。
「問題ないって!」
「マジかよ」
――え、神様ってそんな簡単になれるの?
ていうか俺、いま完全に状況に流されてないか?
思考が追いつかないまま背中に羽根が生え始め、ますます現実感が遠のく。
「これから《補佐神》として、一緒に転生者を送り出すお仕事しようよ!」
あっという間に肩書が決まった。
俺の背中に薄い光の羽根が見える。
――意外とあっさり神様になるらしい。
それからの日々――。
俺と女神はチート開発部門を立ち上げる。
そして、ふたりでホログラムに向かい合う。
転生者の希望を聞き、世界設定との整合を取る。
時には口論し、時には腹を抱えて笑った。
「ねえ、この《史上最強のメイド》って本当に需要ある?」
「能力の内容がいまいちつかめない上に、メイド限定なのも気になるな」
「いっそ《最強家事代行》にしよう!」
「それだ!」
そんな俺たちを、ほかの神々も遠巻きにしつつ暖かく見守る。
ポンコツ女神と、転生拒否の元・凡人。
奇妙なコンビだと囁かれながらも、転生者を異世界に送り続ける。
転生者がいなくなり、二人きりになると、女神はときどき恥ずかしそうに目を逸らす。
「ねぇ、貴方は元人間だけど、今は立派な神様なのよね……私のこと、どう思う?」
羽根をすぼめてのぞき込む女神の声が、やけに甘く耳に残る。
「いや――まあ、その……確かに規格外に美しいとは思うけど……」
「あはは……ありがとう!」
ぱっと花が弾けるような笑顔。
――え、神様同士って、恋愛感情アリなの?
調べてみると、どうやら神同士なら普通に恋も結婚もするし、子どもまで授かるらしい。
ギリシャ神話で親子の神さまがわんさか出てくるのも納得だが……
いや待て、その理屈を自分に適用していいのか?
恋愛経験ゼロの俺が、女神相手に動揺する日が来るとは思わなかった。
――羽根の生え際まで熱くなるのを感じながら、必死に顔をそむけた。
トラックにはねられた瞬間からここに辿り着いた。
まさか、チートも転生も要らないと叫んだ俺が。
女神と二人で『世界そのもの』を面白くする道を選ぶなんて……
無限の転生ゲートが虹色の光を放つたび、新しい物語が生まれる。
そのすべてが、俺たちの共同作品だ。
今日もカタログに新たなページが追加される。
どこかの誰かが「それ欲しい!」と瞳を輝かせる。
白い空間の片隅で、女神が微笑む。
「ねえ、次はどんなチートを考える?」
「そうだな……『幸せをちょっと分け合える力』ってのはどうだ?」
「素敵! でも、それってあなたと私、もう持ってる気がする」
照れ隠しに羽根をすぼめた女神を横目に、俺は小さく笑った。
神様業に首を突っ込み、隣には泣き虫だけど最高に可愛い女神。
これ以上のチートなんて、きっとこの世に存在しない。
――主要キャラ紹介――
★主人公
月曜の朝にトラックと正面衝突し、気付けばチート監修課にスカウトという、履歴書まるごと事故物件系男子。
好きなものは温水洗浄便座と一日三食。嫌いなものは汲み取り式トイレと盛り過ぎステータス。
カタログの重複チートを瞬時に棚卸しし、女神のポンコツ案に秒速ツッコミを入れるスキルを持つ。
★女神
黒電話を司る女神。
黒電話をこよなく愛し、上位神への電話口調は昭和の新人OL。カタログのネーミングセンスが古いのは、おそらく黒電話経由で脳内に電波が入っているからだと思われる。