1章 魅入られた話
田舎に住む伊崎澪は、根っからのヲタクだ。
自覚したのは小学生。兄や親戚もヲタクだったおかげでゲームや漫画が身近にある環境だった。
だからこそ、ヲタクというものが特殊だと思ったことは無かったのだ。
けれど成長するにつれ、自分が特殊と言われる側なのか、と自覚するようになった。
キッカケは些細なこと。『ヲタク』という言葉が世間に広がり、どういう人間を言うのか知られるようになった。
そして、嫌悪する文化の一つと言われるまで、そう時間はかからなかった。
子供とは残酷で、そんな情報をテレビで仕入れれば、新しい玩具とばかりに利用する。
「ヲタクなんて気持ち悪い。虐めていい相手」
それが当たり前として、学校のクラスという小さな集団の中で、蔓延するのは必然だ。
そしてテレビで見た特徴と同じ人間を、標的として遊ぶのだ。
それが普通と、なっていたのだ。
だからこそ、きっとこの話を聞いた最近の若者は驚くだろう。
ーこの事実が、ほんの十年ほど前の普通である事にー
ヲタクは悪しき文化。そんな風に言われてたのは昔のよう。
今では『推し活』という言葉が流行り、専用グッズが販売され、ヲタクであることを隠すことが少なくなった。
確かに偏見はまだあるけれど、好きを素直に言えるようになったのは、とても喜ばしいし、気持ちが楽になった。
改めて、生きやすい世の中になったな、と澪は思いながら珈琲を流し込む。
『推し』は偉大だ。しんどい仕事もグッズを買うため、と思えば嫌々ながらも出勤できる。
けれど…。
「…2.5次元舞台、か。」
受け入れてもらえるようになったヲタク文化。そしてどんどん広がる界隈。
どんどん増えていく、舞台化。
(…なんとなく予想してたけど…)
今では使ってる人のが少ないのではないか、と言われるSNS。
そこに載っている、現在お熱なゲーム作品の2.5次元舞台化の情報。
眉を顰め、澪は重い溜息をついた。
澪は舞台化や実写化が苦手だからだ。
過去に大好きだった作品の実写化が、悪い方向に炎上したのが1番の理由。
澪本人もどちらかというと否定的な感想を持った側だし、なによりショックが大きかった。
けれど自分はファンの一人にすぎないし、原作者が認めたならそういうものだと割り切るしかない。
そう自分に言い聞かせ、澪はその実写化に関して、触れることもせず、蓋をした。
ただそれだけなら、澪本人もそこまで苦手意識を持つことはなかっただろう。
そこから数年、これまでの実写映画とは比べ物にならないくらい完成度の高い実写映画何本も発表された。
色々な大人の事情があるのは承知している。それでも、ショックだった。
「どうして。」
そう答えのない疑問が、永遠と澪の心を蝕んだ。
蝕まれ続け、それはトラウマとなって澪に残ってしまったのだ。
「……」
告知と共に記載された舞台アカウント。
リンクをタップし、ホーム画面に移動する。そして、ポチポチと操作していく。
そして映しだされた『ミュートしますか』の選択に、『はい』とこたえる。
(…自衛くらい、いいよね)
作品は好きだ。キャラも好きだ。
苦手なのは自分の都合だ、この情報を楽しみにしている同志達に水を差したくもない。
だからこそ、澪はこっそりと情報を遮断した。
「コスプレ写真なら、平気なんだけどねぇ…。」
はぁ、と何度目かの溜息をつく。
ヲタク文化の一つ、コスプレ。
コスプレ写真を見るのは好きだ。
それはきっと、同じファンの人がその世界観を、キャラを、再現しようとしてるから。
それが解るから、好きなのだ。
けれど、それが実写映画等、俳優さんが演じるとなるとどうしても拒否反応をしてしまう。
どうせまた、そんな猜疑心が生まれ、見れないのだ。
俳優さんが悪いわけでもない。全部が全部そうなるとはない、それは理解している。
現にとても完成度の高い実写映画の話題をテレビで聞いてるから。友人が喜んでいる姿を見ていたから。
解っている、それでも無理なのだ。どうしても、あの当時の苦しさが、辛さが、蘇ってしまう。
澪自身も、この状態がなかなか拗らせている状態で、面倒な状態だと理解している。
だからこそ、彼女は口を縫い付ける。
こんな感情を告げて、壊したくないからだ。
盛り上がってる同志を。
ユーザーの為に沢山頑張ってくれている公式を。
だからこそ、澪を口を縫い付けるのだ。
*
舞台化に関する情報を遮断して数か月。
舞台の開演時期などはゲーム内のお知らせで把握していたが、キービジュアル等を澪は一切見ようとしなかった。
(どうせ行かないし…またメンタルやられてもしんどい…)
そして仕事に忙殺され続けたある日、休憩中にいつものようにSNSを開くと、タイムラインはとても盛り上がっていた。
呟きにつけられたハッシュタグを見て、はた、と気づく。
「そういえば今日か…。」
どうやら今日が舞台初日だったらしい。
好きな絵師の人等何人かが観劇してたのか、とても盛り上がり、感動したと呟いていた。
その呟きの中で、澪がひと際目を引いたのが。
『大好きなあの子が居た。全てがあの子だった。』
この言葉だった。
ハッシュタグで調べると、言葉は違えど観劇したと思わる人が口々に似たことを呟いていた。
(…あの子が、居る、か。)
実写化がショックで、俳優さんが演じる2.5次元舞台も似たものだろうと、澪は偏見を持っていた。
けれど友人の話を聞いて、驚いたし、目から鱗が落ちた。
原作の世界観を現す舞台セット。再現された衣装や髪型。
そして、変えられる事のないキメ台詞や、キャラの名前、生い立ち。
原作を、原作を愛したファンを、大切にしつつ、舞台にしていく。
それが2.5次元舞台。
「2.5次元舞台はね、原作の世界観やキャラをとても大切にしてるんだよ。
実写化が原作を大事にしてない、とかそういうわけではないんだけど。
なんていうのかな。実写化は『現実化』。2.5次元は『原作再現化』って感じ。
だからコスプレ写真好きなら、2.5次元は見れるんじゃないかな」
そう告げた友人。
(…原作の再現化…)
気が付けば、澪の指はミュートした舞台アカウントへ移動するため、操作していた。
タプ、タプ、と画面を押していき、開かれた公式アカウント。
そこに投稿された、ポスター写真。
「…すご」
澪は呆然と、写真を見つめた。
キャラの特徴ともいえる髪型や服を事細かに再現されていた。
撮影のポーズも実際にそのキャラの紹介立ち絵とそっくりで。
かつて、実写化でみたキービジュアルと真逆の、まさに原作を再現したものだった。
(確かに再現凄い、でも…)
それでも、澪はそのまま、ミュート解除をすることなくSNSを閉じたのだ。
(…それでも、まだ動いてる所を見るのは怖い、かな)
*
舞台が始まって少し経つ。
相変わらず澪は舞台のアカウントをミュートし、情報を入手することなく過ごしていた。
SNSで見かける反応は好評で、興味を惹かれつつもその先へ、それをできずにいた。
(…我ながら偏見持ってたなぁ…)
知識不足の偏見をしていた自分に自己嫌悪しつつ、澪は大手の動画サイトを開く。
慣れた手付きでパソコンを操作し、澪はおススメマイリストを開く。
一覧を流し見て、気になるタイトルの音楽集を再生させる。
イヤホンに流れるゴシック調のBGMに、澪の機嫌は上を向く。
(結構好みだな、これ。
自動生成されるおススメはこういう掘り出し物と出会えるから好きなんだよねぇ)
ほんのり口角をあげながら、澪は更にパソコンを操作し、テキストソフトを起動する。
「今日こそはお話書きあげたいなぁ…」
澪は昔からの友人と二人でゲーム製作を趣味として活動している。
といってもゲームの中身を作るのは友人の方で、澪は一部のゲームシナリオやキャラ設定、演出等の裏側の担当だ。
先ほど開いたソフトの中身も、そのゲームで使う話が纏められたものだ。
ここ数か月ずっと悩んでいたシーンをようやく仕上げ、あとはエンディングまでのラストスパートまできていた。
(今日は予定もないし、いいBGMにも会えた。これは進むな)
目を閉じながら、ご機嫌に、澪は身体を左右に揺らす。
そして深呼吸し、前日まで書いていた話を、出てきたキャラを頭の中で呼び出す。
すぅ、と目を開けると、そこには先ほどまでるんるん、と今にもスキップする勢いだった彼女の姿では無くなった。
「私…いや、『僕』は―…」
自分の名前ではない、別の名前を呟く。
そして次の瞬間、澪の指は先ほどまでののんびりとした指使いが嘘のように、軽快に文字を打ち込んでいく。
カタカタと、台詞を、情景を、空気を、演出を打ち込んでいく。
そして打ち込んだ台詞を、澪はブツブツと呟いていく。
「この時『僕は悲しかった』だから…」
そういいながら、澪を今しがた打った台詞を真逆に書き換える。そしてそこに付随する演出をどんどん書き加えていく。
澪はただ話を書くのではない。話に出てくるキャラを演じ、世界を落とし込みながら話を書き進めていくのだ。
澪自身が演劇を部活でしていた事があり、そのころからの書き方で、ただの没入型と思っている。
友人からすると演じることを含めるのは珍しいらしく、よく驚かれる。
この書き方の利点としては、演じているからそのキャラ『らしさ』が際立つ台詞を打ち込める。
ただ、この書き方には欠点が多い。
演じているから、終わりが無いのだ。
終わりはその話を結末を意味しているので、そこまで永遠と書き続けようとしてしまうのだ。
それは寝食を含めて全てを忘れるくらいに。
そしてもう一つの欠点がキャラを作れてないと、永遠に書けないということだ。
あらすじというベースが出来ても、キャラを作れないと永遠に進まない。
「…どうして、違う、ここはこっちの……」
*
打ち込み初めてどのくらい時間が経ったか。
カタカタと軽快に打ち込みしながら、澪は変わらずブツブツと呟いていく。
そんな時、急に聞こえた男性の声に、澪は驚いて動きを止めた。
慌ててBGMに利用していた動画サイトを見ると、先ほどまで聞いていた音楽集が終わってしまったらしい。
声の主は次の曲が流れる前の広告のものだった。
パソコンの時計を見れば、そこはパソコンを開いてから3時間以上過ぎた時刻で。
(…またやっちゃった)
寝食も水分補給も一切せず集中してしまう為、澪は一度熱中症になった。
それ以来家族や友人に2時間で休憩するように言われていたのに、すっかり忘れて作業していたようだ。
慌てて近くに持ってきていたペットボトルの水を飲んでいると、男性の歌声が流れ出した。
(…おススメの次のが始まったのかな。いい声してるなぁ…)
曲もゴシックロックでなかなか澪自身の好みのものだった。
(バンド曲かな、ちょっとグループ名だけ…)
そう思った時、別の男性の声が響き、澪は動きを止めた。
低いのに、綺麗に伸びる、切ない歌声。
(…なに、今の)
たったワンフレーズ。けれどそのワンフレーズに、澪は身体を震わせた。
ゾク、と良い意味で鳥肌が立ったのだ。
慌てて画面を確認すれば、そこには見慣れたゲームソフト名。
「…ぇ」
そこには、澪がここ数ヵ月、情報を遮断していたゲームの舞台映像である事が明記されていたのだ。
慌てて動画を巻き戻し、先ほどの歌声のシーンを再生する。
そこには、自分が一番好きなキャラを演じている俳優さんの姿が映っていたのだ。
そしてそこで気づいたのだ。
あのキャラのあの事を言っている歌詞だと。
そのまま澪はその動画を視聴した。そして友人の言っていた言葉の意味を、SNSで出ていた感想の意味理解したのだ。
「…あの子達、そのままだ」
歌詞の意味も、歌声も、その子達の心情が映されており、胸が締め付けられた。
その動画が終わってからの澪の行動は早かった。
スマホを起動し舞台アカウントのミュートを解除。
そして何本かアップされてる告知動画を見漁った。
気が付けば、舞台アカウントだけでなく、あの魅力的な歌声の俳優さん本人をフォローしていた。
衝動的に舞台チケットも見に行った。
けれど運命は残酷なもので、唯一公演と被る休みの日のチケットは完売。
有給も直近すぎて取れなかったのだ。
「…もっと早く聞けば良かった…」
こうして、澪は涙をのみながら公演に行くことを断念したのだ。