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死神の終末  作者: 白唯奏
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正義☓正義

 数人の教師の声を背にしながら、職員室のベランダの戸を開けた。

眉をひそめて見てきた教師もいたが、結局は何も言ってこない。まあ、一人だけ口うるさい例外がいるが。

ベランダの隅に置いてあった錆びついたスタンド式の灰皿を引き寄せて、柵に寄りかかった。ギシ、という小さな音が響いた。

日差しに目を細めながら、ポケットから煙草を一本取り出す。

すると、背後で例外がベランダの戸を開けてきた。

「如月先生も、職員会出てください」

俺は黙ってライターを取り出し、火をつけた。

「くだらねぇ」

と、煙を吐きながら呟く。するとその例外_関舞衣は、腰に手を当てて喋り始めた。

「本当にもうっ!どうしてそんなんで教師なんてできてるんですかねっ!」

「…うるせーよ。俺も好きでやってるわけじゃねぇし」

追い払うように片手を振ると、舞衣は「ふんっ」と言って職員室に戻っていった。同時に、舞衣がお気に入りだと言っていたピアスがキラリと光った。

「なんだアイツら」

俺がそう呟いた時、冷たい風が頬を撫でた。

校庭の向こうの校門近くに二人の人影が見えた。小学生の少女と黒いローブを着た若い男。見るからに生徒ではない。俺はそのまま煙草を咥え、黙ってその二人を見つめた。

数十秒後、少女と男がこちらの方に堂々と歩いてきた。それはまるで周りが見えていないような歩き方だった。

吸い終わった煙草を灰皿に押し付けた、その時だ。少女が『げっ』と言ったのが聞こえ、顔を上げると目が合った。

「ば、バレてないよね……」

少女は男に向かって視線を送った。すると男は、呆れた様子で返した。

「どう考えてもバレてますよ」

「そんなぁ。どうすれば良い?殺す?殺っちゃう?」

「本気ですか?」

少女が隣の男とコソコソと話しているが、全て丸聞こえだ。

「なあ」

俺が話しかけると少女はにこりと笑った。

そして、まるで自分から話しかけてきたように話し始めた。

「わたしたちは死神。この学校に用があるから見逃して?わたしも今は見逃すから。ね?」

「はあ?」

意味がわからず聞き返す。

そもそも、少女の親に見える男はなぜ止めないんだ。

「そしたら、あなたは今死ぬことはないよ♪……そうだ。葉巻をあげよう♪モラール、葉巻」

「……お嬢様。ワタクシはそのようなものを吸ったことがないので、持っておりませんが」

そう言い放った男に少女はがっかりしながら「仕方ないなぁ」と言って、自身のポケットを探り始めた。

葉巻っていつの時代だよ、と心でツッコミつつ違和感を覚えた。

「なあ、お前ら_」

「あった!はい、これ」

少女が俺の声をかき消した。そして、ポケットから取り出したロリポップを差し出してくる。

「たまには細い葉巻なんかじゃなくて、アメも食べたらどう?…まあ、あなたの葉巻の匂いは好きだけどね」

少女の手の乗ったロリポップは、思い出したくないくらいに見覚えがあった。包み紙は赤いが、中身は全く食欲をそそらない紫色の飴だ。

「じゃ、またね♪」

少女が押し付けるようにロリポップを俺の手に握らせ、校舎の方へ歩き出した。

男も「ご理解いただき、光栄です」と言って、少女と共に校舎へと去っていった。

 

 職員会が行われている会議室に行くと、十数人の教師がコの字型に座っていた。

「関先生のクラスの綾瀬あおいさんについてなのですが」

と話し始める養護の先生の後ろを通り、自分の席に座る。隣は舞衣と教頭という嫌な組み合わせの席。

「如月先生、遅いですよ」

と舞衣が小声で言ってきた。それに返すと、今度は教頭に話しかけられた。

「ヤニ切れたらどうしてくれるんだよ」

「もともと吸わなきゃ良いんですよっ」

「まあまあ、関先生も如月先生も落ち着いて。ところで、如月先生は来週の懇親会には参加いたすのかな?たまには参加も」

校長は額に滲んだ汗を吹きながら聞いてきた。

「いえ、その日は」と言葉をこぼした時、部屋に取り付けられていたスピーカーからノイズが走った。

教頭は首をかしげながら、腕時計を見た。

「放送の時間にしては早すぎな__」

『みんな〜、聞こえてる〜?これから楽しいゲームの始まりだよ♪』

スピーカーから流れてきた声には、耳を疑いほどに聞き覚えがあった。鈴を転がすような楽しそうな声。あの時、ベランダで会った少女の声にそっくりだ。

『ルールは簡単。とある鍵を探し出すだけ♪タイムリミットまでに鍵を探し出すことができれば君たちの』

ガタガタッと椅子が倒れた。教師たちが一斉に音がした方を見た。教師たちの視線の先には、普段は温厚な校長がいた。

「ふざけてるのか!誰がこんな悪ふざけを!」

校長はスピーカーに向かって指を指した。

「き、如月先生どうすれば」

と慌てふためく舞衣に、俺は笑って返した。

「ヤニ切れるとああなるんだぞー。とりあえず、ニコチン吸わせとけ」

だが、舞衣は聞こえないフリをして校長の所へと掛けて行ってしまった。他の教師も校長をなだめに行ったり、放送室に行った教師もいた。

それでも、スピーカーからは声が聞こえ続けた。

『_と、そうそう。手の甲にトランプのマークをつけといたからね♪一番大切な事を思い出せたらそのマークが消えるよ。しかも、マークが消えると鍵探しに役立つかも♪』


 悲鳴のような声がして、目が覚めた。気づけば、もう校長の騒動は終わっていたようだ。机に突っ伏していた俺は、ゆっくりと頭を上げる。

案の定、もうそこには誰もいない。

「クビ確か」

大きなため息を付いた。椅子の軋む音とともに立ち上がる。ふと視線を落とすと、丁寧に折りたたまれたメモ書きを見つけた。表に『如月先生へ』と舞衣の字で書かれていた。開いてみると、『私はちゃんと起こしましたからね。怒られても知りませんから』という文字が刻まれていた。それを舌打ちしながら、クシャリとまるめてゴミ箱に捨てた。

ふと少女のあの放送が頭を過った。

「大切なこと、か」

手の甲に刻まれた黒いマークを見ながらそう呟く。

「俺の大切なことなんて忘れるわけ無いだろ」

瞬間、マークは淡い光を出してスッと消えた。跡形もない手の甲を見て、俺はまたため息をついた。

部屋を出る途中、隅にあったカレンダーが目に入った。

「そういえば、明日はあいつの命日か」


 担当のクラスである教室に行くと、いつもと打って変わって静かだった。

「あ、先生だ…」

生徒の一人が言った。他の生徒は皆ただ机を見ていたり、隣の席の生徒とコソコソ話したりしている。その中で一人、立ち上がってきた男子生徒がいた。

「センセ、翔が戻ってこないけど見てねえ?」

「翔?」

そんな奴もいたかもしれないが、あまり印象がない。そもそも、クラス全員を覚えることなどできるわけがない。無論、今話している生徒の名前すら分からない。

「教室戻ったらいなくなっててさ………、それと藤森も」

「どうせサボりだろ。放っとけって」

「雪ちゃんはサボったりなんかしないよ!」

ガタッと椅子が引かれ、女子生徒が叫ぶ。多分、藤森雪という生徒の友達だろう。

俺は鋭い視線を追い払うように息を吐いた。

「わーったよ。チッ、探してくれば良いんだろ。お前らは静かにしてろよ」

教室の戸を開けて、廊下に出た。隣の教室からは舞衣の声が聞こえる。

この学校は小規模だった。一学年一クラス、全校生徒40人ほどだ。都会で暮らしていた数年前の俺だったら考えられない少なさだ。

適当に校舎を歩いていると、倒れている人影が見えた。

「おい……」

血が広がった床に、見覚えのある生徒が二人倒れていた。腕に触れてみたが、氷のように冷たい感触だけが残った。

「…嘘だろ」

喉が張り付いたかのような、かすれた声が出た。

目の前の光景が、少しずつ滲み始める。


 「先生は僕の正義の味方だよ」

屋上の隅っこで、空に手を伸ばしながらそいつはそう言った。空は日が沈み、星がまたたいていた。下では様々な車がライトを付けながら行き交っている。

「本当かぁ?」

「うん、ほんと」

そいつは笑った。

「だって先生、僕が余命宣告もらってから煙草吸ってないしょ?あんなに好きだったのに」

「っ」

図星だった。俺はそいつから顔を背けた。

肺がんになったと聞いたのは、今年の春頃だった。そしてその時に、余命宣告も受けていた。去年、初めて高校のクラス担任を任された時の生徒の一人だった。その時は俺も生徒の名前を覚え、どうにか生徒と関われるように一生懸命だった。そんな俺に話しかけたのがあいつだった。天野湊。中学までは病院に閉じこもっていたようだが、そんなことは感じさせないほど友人が多かった。もちろん、教師からの信頼も厚かった。

「せーんせっ」

そう呼ばれて顔を上げると、貯水タンクの上で湊が手を差し出してきた。中には赤い包み紙のロリポップが入っていた。

「なんだこれ?」

「先生が煙草我慢してるからご褒美。…まあ、先生の煙草の匂い好きだけどね」

へへっと笑う湊からロリポップを受け取った。

「ありがとな。ところで湊くん、もうとっくに下校時刻は過ぎてるぞ」

俺は誂うように言ってやった。すると湊は「そんなぁー」と言いながらタンクから軽やかに飛び降りた。

「じゃまた明日ね、先生」

そう言って走り去った湊に俺は軽く手を振った。

 数時間後、俺はなぜか病室にいた。目の前には酸素マスクに覆われ、張り巡らされた点滴の中に湊がいる。心電図の音が響き渡り、湊の両親たちが必死に声をかけていた。

しばらくすると、湊の両親は担当医師に呼ばれて別室に行った。

「せ、ん……せい?」

湊がゆっくりと体を起こした。

「おい、大丈夫なのか?」

「うん。へーきへーき。ちょっと車に轢かれただけだから」

酸素マスクを取り、「ふう」と息を吐いた。

『ちょっと轢かれただけ』では済まされないほど重症だった。両足にギプスが巻かれ、腕には複数の点滴ラインが繋がれ、顔にはガーゼが貼られている。

「どこが“へーき”だよ」

思わず苦笑してしまった。湊もつられるように笑っている。

「やっぱり、先生は僕の正義の味方だね」

 湊に明日は来なかった。俺が病室から去った後、容態が急変しそのまま息を引き取ったという。

俺はその日から何かを諦めるように生きた。全部どうでも良かったのかもしれない。できるだけ孤立して生きた。人の名前すら覚えられなかった。湊が死んだ年は、教員用の狭いアパートに閉じこもった。湊があの日くれたロリポップの赤い包み紙が剥がれかけ、紫色の飴に群がる蟻をただただ見つめていた。

「正義なんて、馬鹿らしいな」


 その二人の生徒はもう死んでいた。

ふらつく足を必死に動かして階段を下りた。壁に寄りかかっているのに、体全体が重い。

やっとの思いで階段を降りきった。やけに静かな廊下を歩き、俺の担当であるクラスの前にたどり着いた。閉めたはずのの扉がなぜか開かれており、どこからか鼻を刺すような鉄の匂いがする。

「_____っ」

視界に飛び込んできたのは赤く染まった世界だった。教室は血に覆われ、割れた蛍光灯のガラスが散らばっている。その中に動かない生徒たちの姿があった。手足は不自然に曲がり、肉体は原形をとどめていないものも多かった。

「正義ってなんだろうね」

その声は俺の背後からした。まるで嘲笑うかのような甘ったるい声。

反射的に振り返ると、どこか見覚えのある少女がいた。

「また会ったね」

少女は呆然としている俺の横を通り過ぎ、窓辺に立った。開いた窓から風が入り、少女のワンピースドレスの裾がなびく。

声を出せないでいると、少女が微笑んだ。

「あなたの正義はわたしとは違うみたい」

少女が器用に銃を回す。銃にはめ込まれた青い宝石が僅かに光っている。

分かり合えないね、と。

「_鍵なんて、ないんだろ」

振り絞った声で俺は少女に言った。

「大正解♪」

少女は、まるで最初から知っていたと言わんばかりに驚きもせずに言った。

「流石だね。どこで分かったの?」

「……俺は大切なことを忘れたりしない」

「そっか」

少女は暫く考える素振りをした。長い沈黙の後、やっと少女は口を開いた。

「ねえ、貴方の正義って何?」

「守ることさ……もう間に合わなかったけどな」

自嘲じみた自分の声に反吐が出る。

数年前に死んだ湊の顔が脳裏にちらつく。

「違うでしょ」

その声は刃のように鋭かった。

ぐちゃり、という嫌な音が静かに響く。

「罪を正当化するために、『正義』っていう言葉を使ってるんでしょ?」

床に転がった生徒の死体を少女は目もくれずに踏み潰した。

「クラブの8。わたしも、わたしの為の『正義』で殺していいよね?」

俺を見つめる少女の瞳は死んでいた。喜怒哀楽の欠片もない、ただの人形のような顔だった。

ゆっくりと近づいてきた少女が銃口を向けてきた。

俺はそいつに迷わず言った。

「殺せよ」

今更生きるつもりはない。

少女は一瞬、驚いた顔をした。だがすぐに表情を戻した。

「もう死んでるよ」

「じゃあ、ここは地獄か?」

「さあね」

少女は「疲れた」とだけ呟いて、引き金を引いた。

乾いた音が響く。が、痛みはなかった。

閉じていた瞼を恐る恐る開くと、教室にガラスが降っていた。

「は……?」

それだけじゃない。

「演出は大事だからね♪」


 この学校は数百年前に、土石流に飲み込まれた。土石流が学校を飲み込んだときは、ちょうど学校があった平日の朝だった。もちろんそこにいた人間は全員死んだ。死者数五十名。一瞬のことだったからか、死んだ者の魂が残りそこに居続けた。その魂は自身が死んだことに気が付かず、ずっと『その日』を繰り返していた。

「演出は大事だからね♪」

銃声と共に、教室が崩壊した。机や椅子は散乱し、窓ガラスは粉々に砕けた。床には泥が広がっている。ポッカリと空いた壁からは、空が見える。

風が吹いた。

「人間って言うのは好都合に物を捉えるよね」

土と血が混ざったような臭いが鼻を刺してくる。

「何がだよ…」

でもそんな臭いにはとっくの昔に慣れていた。

「まだ気付かないの?もう死んでるんだよ」

風が止む。

「………そうか」

クラブの8に向かって引き金を引いた。だがもう、そこに居たはずの魂は消えていた。行き場を失った銃弾は、床に跳ね返って消えた。

「今行くからね」

少女がその場に取り残された赤い包み紙のロリポップを踏み潰した。

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