君が好きだったこと
『死ねよ』
そう言われて線路に飛び出した。
なのに、死んだのは俺じゃなくて君だった。
あの日から俺は『自分』を殺して生きた。
明るく振る舞って、くだらないことで笑って。
それは、『他人』を見ているようだった。
「で、翔はどうやって彼女作ったの?」
前の席の樹が椅子を傾けながら聞いてきた。樹の周りの男子が期待を込めた眼差しで見てくるのが分かった。
「雪のこと?雪とは告られたから付き合っただけだけど」
「はあっ!?」
「あれ?言ってなかったけ?」
と、わざとらしく言った。
『ジジッ……』
教室のスピーカーからノイズが走った。
だが、誰もその小さな音には気づいていないのか、気にも留めていなかった。多分、誰かの声に掻き消されるほど小さかったからだろう。
ノイズが聞こえてから数秒後、スピーカーから少女の声が響いた。
一瞬で教室が静かになる。
『みんな〜、聞こえてる〜?これから楽しいゲームの始まりだよ♪』
「なにこれ」と誰かが呟いた。
スピーカーから聞こえてくる少女の声は嬉々としていて、まるで歌うような声だった。
『ルールは簡単。とある鍵を探し出すだけ♪タイムリミットまでに鍵を探し出すことができれば君たちの勝ち。タイムリミット中は一人ずつ死ぬ。一人も生き残らなかったら私の勝ち。じゃあ、ゲームスタート!』
そう言って放送は止まった。
クラスメイトは互いに顔を見合わせながら、戸惑うように笑った。
「なあ、死ぬってガチ?」
「ただのイタズラじゃない?」
コソコソと話していたのが、段々騒がしくなり始めた。
「なあ、翔は本当だと思うか?」
「何が?」
そう聞くと、樹が興奮気味に語り始めた。
「あの放送だよ。鍵探しの。なあ、一緒に鍵探しに行こうぜ!」
「………分かった。行けば良いんだろ」
「ヒュー、さすが翔。分かってるやん」
断っても、ずっと誘ってくる樹の性格はもう知っている。足掻いたって無駄なのだ。
半ば樹に引っ張られるようにして立ち上がった時だった。
止まっていたスピーカーからまた、あの少女の声がした。
『ちゃんと動いてる〜?早くしないと死んじゃうよ〜?と、そうそう。手の甲にトランプのマークをつけといたからね♪一番大切な事を思い出せたらそのマークが消えるよ。しかも、マークが消えると鍵探しに役立つかも♪』
プツ、と放送が切れる。
「うお、ガチやん。かっけぇ!」
樹が拳を上に掲げた。その拳にはダイヤの6が刻まれていた。
俺も恐る恐る、手の甲を見た。
スペードの2。
まるでトランプの一枚をそのまま貼り付けたようで、擦ってもマークはびくともしなかった。
「なあ、ジョーカー見たくね?ぜってぇカッコイイだろ」
「あ、おい。まてよ、樹」
樹が一人で教室を飛び出していってしまった。しかたなく、残った男子と樹を追いかけようとした。
「ねえ、翔くん…」
後ろから声がした。振り向くと、少し恥ずかしそうにしている雪がいた。
「一緒に居たいの。お願い?」
雪が首を少し傾げ、にこりと笑う。
「………っ」
一瞬だけ、『君』に見えた。そう、ほんの一瞬だけ。
「どうしたの?」
「あ、いやなんでもない。ただ……」
樹を追いかけようとしているクラスメイトの男子に視線を送った。すると、「いーよ。僕達で樹のこと探しとくから」と言って行ってしまった。
「わたしたちもどっか行こう?」
「そうだな」
雪と並んで廊下を歩いた。
廊下は騒然としていた。泣き出している女子や騒いでいる男子。放送室に行こうとしている人。だが、その中に先生の姿は一人も見当たらなかった。
「どこ行く?」と雪が呟いた。その声は震えていた。
「人がいないところ行こうか。屋上、とか」
雪の手を引きながら、屋上に続く階段を上った。
屋上はいつも解錠してあり、出入り自由となっている。
屋上には案の定、人はいなかった。きっと、鍵探しとかをしているのだろう。
「翔くん」
フェンスにより掛かりながら空を眺めていると、雪が俺の前に立ってまっすぐと見つめてきた。
乾いた風が、彼女の髪を揺らす。
眩しいくらいの青い空が、彼女を引き立たせていた。
__そこには『君』がいた。
「帰ろう」
「え?」
「ここにいたらまた死んじゃうんだよ。もう『君』を失いたくないんだ」
フェンスからは飛び降りれない。出口はひとつ。
早くしないと、『君』はまた『僕』を庇って。
「ねえ、おかしいよ。いつもの翔くんじゃない」
「同じだよ」
「違う!」
『君』が叫ぶ。
_違う。『君』じゃない。
「ねえ、翔くん。『誰』を見てるの?」
「………ごめん、雪」
そう言いながら、目を伏せる。垂らしていた手の甲に、視線が映る。
「こっちこそごめんね。こんなこと聞いて……」
「___」
「……私、ちょっと教室戻るね」
取り繕った笑みをして、雪は踵を返した。扉の前で少し躊躇う素振りを見せていたが、何も言わず扉の向こうに消えていった。
『お前なんか生きてても、不幸にするだけだな。お前なんか死ねよ』
脳の奥に仕舞い込んでいた言葉が、不意に蘇った。
「死ねば、『君』に会えるよな」
振り返る。少し登れば反対側に行ける高さのフェンスだ。
指先に力を込めて、フェンスを掴んだ。鉄製のフェンスが軋む。
「きゃぁぁぁ!!」
フェンスに足を掛けた時だった。悲鳴が聞こえた。声は雪が消えていった扉の方からだった。
嫌な予感がした。
フェンスから離れ、屋上の扉を勢いよく開ける。
「雪!」
3階の廊下に、しゃがみ込む雪がいた。
「大丈夫か?何があったんだ?」
「翔くんっ」
駆け寄ると、雪が泣きついてきた。
「化け物がいるのっ。だから、早くここから逃げて!」
「化け物って…。幽霊か何か?大げさだな」
「違うってば。ほら、あそこ……」
雪が震える手で、廊下の奥を指さした。
そこには小学生ぐらいの少女がいた。
金髪で、青い瞳。一見するとただの少女のように見えるが、手には短銃。そして、表情は狂ったような笑顔だった。
「一人目発見♪」
スピーカー流れた声と同じだった。鈴を転がすような声。
「雪、逃げろ」
「翔くんは?翔くんはどうするの?」
少女が銃口をこちらに向けた。
「逃がすと思ってんの?」
同時に引き金が引かれた。
雪を庇うように頭を下げた。
「チッ」
銃弾が左肩を掠めた。
「ふざけるなよ」
撃たれた箇所を抑えると、ベタつくような感覚が走った。隣で雪が「ひっ」と言う。
「庇うんだね。…じゃあ、一つ。面白いことを教えてあげる♪」
少女が短銃の引き金部分を指に通して、クルクルと回し始めた。
「ダイヤのK」
少女は雪を軽く見て言った。
「もしその子が、君をいじめていた一人だったらどうする?」
「は……?」
「君の大事な子に、君が線路に飛び込むと言ったのがその子だったらどうする?」
そこまで言うと、少女は「どうする?スペードの2」と言いながら俺を見た。
「雪は、雪はそんなことしない」
「だってよ、ダイヤのK」
少女に睨みつけられた雪が、小さく息を呑んだ。
その肩は震えていて、青ざめていた。
「…………ごめん、なさい。ごめんなさいごめんなさい」
雪の震える声が廊下に響きわたった。
顔を押さえて泣く雪の手の甲には、ダイヤのKのマークが刻まれていた。だが、そのマークは明らかに薄い。
「思い出してきたんだね。でも、ざんねーん♪」
少女が雪に向かって銃口を向けた。
「雪っ!」
叫んだが、雪はこれでいいと言うかのように動かなかった。
「じゃ、サヨナラ」
銃声が響いた。
目の前の雪がゆっくりと倒れていった。
制服が赤く滲んでいた。
「だまし、て、…ご、めん……」
「喋るなっ!今助けるから」
肩の痛みを堪えながら上着を脱ぐ。
「いい、の。もう……いい、の」
雪が伸ばしてきた手をそっと握った。
その手の甲に目をやると、あったはずのトランプのマークが消えていた。
「雪…」
返事は帰って来なかった。
冷たくなった雪の手を、ただただ握りしめた。
「君の番だよ」
少女が隣にやって来た。
硬いものが頭に押し付けられる。
「…何がしたいんだよ」
少女は何も言わず、銃口を当て続けた。
短い沈黙。
__少女は結局、何も言わずに引き金を引いた。
沈んでいく意識の中、『君』の笑顔が浮かんだ。
『君が好きだったこと』も知らないまま、『君』が好きだった。
____ただ、それだけだった。