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夢界

作者: 天ノ川夢人
掲載日:2025/04/20

統合失調症の幻聴を苦にして生きている主人公が夢をただの夢と見做し、夢中自殺してしまう話です。

 夜の深い森を抜け、蒼白く光り輝く湖に辿り着く。私は崩れるように湖の畔に膝を突き、湖の底を見下ろす。闇夜の湖の底は銀河の星々をちりばめたように光り輝いている。水中から何やら心地好い音も聴こえてくる。私は水面に顔を近づけ、湖の中を見つめる。湖の中には眩いばかりの光の宇宙が広がっている。この湖の中には安らかな世界がある。この世の苦しみにはうんざりしている。私は躊躇いもなく別世界に想いを寄せ、そっと湖の水の中に頭を入れる。何と湖の中には美しいノイズのような音が煌びやかに鳴り響いている。そのノイズは耳に優しく、赤ん坊のうわ言のように柔らかくて可愛らしい。息が続かず、私は一端水面に顔を出す。耳の中に入った水が脳を心地好く刺激する。大気中にも光り輝く光の粒子のようなものが細やかな優しい音を奏でている。大気中にもこんなに素晴らしい音が鳴り響いていたのか。意識がインドの女性が赤い紅を付ける眉間の少し上辺りに引き寄せられる。体から一遍に疲れが吹き出る。

『おい!そこのぼんやり!もっと頭をはっきりさせろ!そんな夢幻の世界を想って、幽霊みたいに心をさ迷わせていると、本当に自分の想念がそういう世界に入り込むぞ!随分とぼんやりとした漫画や小説ばかり読んでいるようだな。ああ、あなたは小説を書くのか。なるほど。あなたはもっと神仏に意識を向け、信仰の道に進むべきだ。今なら間に合う。少し引き返すだけだ。あなたは自分だけの力ではこの道を引き返す事は出来ない。あなたにはこの道を引き返すのに十分な善人の資質がある。あなたは自分の正義感に対する照れ臭さがあるな。あなたは善人になる事を簡単な事だと思っている。完全なる善人になるには大変な努力がいるんだ。あなたは心の温かい人より冷たい人を好むな。あなたは道化を軽蔑している。それでいて道化になろうと思えば、簡単になれる自信もある。あなたは道化にはなれない。現実には心から道化になり切れる人間は一人も存在しないんだ。全てを物笑いにするのは大変な苦しみを伴う。愚かしい行い、間違った行いだと判っていながら、それを意識的に行う事は罪深い事でもある。確かに統合失調症には息が詰まるような苦しみが伴なう。あなたの生きる日々は辛い事の連続だ。もう少し辛抱していなさい。もう少し辛抱したなら、神の御計らいがあるからな』

 あの夜の闇の中から聴こえた声は誰の声だろう。夢の中でこれほどはっきりと人の言葉を聴いたのは初めてだ。一体何の夢だったのか。目覚めると、段々夢の中の言葉や出来事を忘れていく。目覚めから幻聴が騒いでいる。頭の中を掻き混ぜられたような混乱が幻声に表われている。早朝のパート・タイムの仕事を休む訳にはいかない。

 私は昼食の休憩時間に読む夢野久作の『ドクラ・マグラ』を楽しみにしている。『ドクラ・マグラ』を読破するだけの安定した精神状態を維持しなければならない。統合失調症の治療のために読みたい本を制限する気はない。『ドグラ・マグラ』の前は『アメリカン・サイコ』を読んでいた。その前は『二十四人のビリー・ミリガン』を読んでいた。ゴシック・ロックを聴きながら、サイコ・ホラーを好んで読む。こんな生活を続けていたなら、何時狂ってもおかしくはない。それ程大変なリスクを冒してまでも自分の読みたい小説や聴きたい音楽を愛する。統合失調症の精神苦にスリルを交え、日常の楽しみを回復させたいのだ。

 私のもう一つの趣味は睡眠中に見た夢を記録する事だ。睡眠薬と精神安定剤を服用するようになって以来、私の見る夢はカラーになった。睡眠中に失禁するような悪魔を毎日のように見る。一方、夢の齎す臨場感を熱心に研究している。夢の中の自分は主人公でありながら、夢を進行させる力に対しては受け身にある。夢の力に抵抗し、夢の中に確かな居場所を獲得出来ないものか。

 自転車で早朝のパート・タイムの仕事に出かける。仕事は近所にある生協の倉庫内作業である。最近、入社してきた若い人妻の存在が私に働く喜びを齎している。職場に着くと、年増の人妻が先に来ている。職場のドアーの鍵は私が持っている。

「大月さん、遅いわよお!」と年増の人妻が甘えたような声で言う。

この人妻の夫は大阪に単身赴任している。この人妻には二度不倫の誘いを受けた。私はこの人妻から不倫の誘いを受けると決まって断わるようにしてきた。その年増の人妻の子供はまだ小さいらしい。正月にも帰らない自分の夫は浮気しているのだろうとその年増の人妻は言う。年に一度とは言え、ソープランドの世話になるような男が何故不倫の誘いを断わるのか。敢て理由を言うなら、全てを台無しにしたくないからだ。よそ様の幸せな結婚家庭を壊したくないからだ。自分を誇れる現況に留まりたいからだ。私は初婚同士の恋愛結婚を願っている。早くソープランド通いから脱したい。普通の独身女性とセックスをしたい。因みにその年増の人妻は特別美人ではない。

「おはようございまあす!」と少し遅れてお目当ての若い人妻が自転車で職場に到着する。その人妻ときたら、胸がときめいてしまうくらいの美人なのだ。早朝の仕事仲間は他に三人いる。二十代の大学生の男と妻子持ちの四〇代の男と事務員の仕事の傍らここで働く三〇代の独身女性だ。

 私は早速若い美人の人妻と組んで、トラックの荷積み作業を始める。

 仕事が終わると、二階の会議室でホカ弁の鳥南蛮弁当を食べながら、『ドグラ・マグラ』を読む。午後はおばさん達と冷凍食品を詰めた発泡スチロールの箱に保冷剤を仕込む作業とパンフレットにチラシを折り込む作業がある。

 昼の一時に仕事を終えると、私は自転車に乗って真っ直ぐに帰宅する。アパートメントに同居する弟は芸大の大学院生で、夏休みを利用してイタリアに語学留学している。私はパート・タイムの仕事が終わると、夕の六時まで小説を書く。三〇代に入り、そろそろ新人賞を諦め、自費出版でデビューしようかと考えている。

 小説を描いている間は幻聴も静まる。日記の内容は大分幻聴から関心が離れてきた。統合失調症の幻聴が聴こえる生活は本当に辛い。日常生活には幻聴の嵐への絶え間ない不安と恐怖が付き纏う。

 夢が叶わないのも人生なら、叶うかもしれないのも人生である。私はもうクタクタに疲れ切っている。死にたいような気持ちを心から追い払い、自殺だけはしまいと固く心に決めている。この人生に打ち勝てなくて、どんな楽しい来世があると言うのか。生まれ変わる事を想うと、再び人の心の声を聴いて、心の中が筒抜けになる世界を迎え、統合失調症の幻聴地獄に引き摺り込まれる事を思う。誰の人生にもこれ程の辛い経験があるのか。作家になった人はどうか。思い当たる不幸な作家は統合失調症の作家ばかりだ。何のカルマか。学生の頃の虐めが原因しているのか。前世の悪業の報いなのか。もしかして前世で殺人の罪でも犯したのか。統合失調症にはそれ程の精神苦がある。生き地獄である。虐めを軽んじている訳ではない。仮に学生時代の虐めの業の報いがあろうとも、これ程に辛い悪業の報いにはならないだろう。毎日のように精神錯乱による死の危険を経験し、数え切れぬ程の心の限界を超えてきた。幻聴の言葉に心の底まで意識を追い詰められ、心臓が馬鹿になりそうな程乱れた鼓動の中で、骨で泣こうとも苦しみは終わらなかった。このままずっと眠ったままでいたい。一日が終わると、疲れ果てた私はぐったりとベッドに横たわる。職場では統合失調症である事を隠して働いている。


 荒い息を吐きながら、貪るように飯を食っている。腹一杯飯を食らい、鱈腹水を飲む。苦しくなる程腹が膨らみ、尿意を催して便所に入る。喇叭のように勃起したデカいチンコで小便をする。沸き立つような黄色い小便が止まらない。瞬く間に便器から黄色い小便が溢れる。その溢れた黄色い小便が踝まで達しても止めるに止められない。黄色い小便の水面が膝下まで上がってくる。閉ざされた便所の中で黄色い小便の水面が顎下まで上がり、それが間もなく頸元に達する。尽きる事のない黄色い小便頭がやがて頭の天辺を越える。最期には便所の中一杯に小便が満ち、私は最早息をする事も儘ならない。魂が体の中に居続け、小便が便所の壁を軋ませる。膀胱から溢れ続ける小便が口から体内に入り、小便の終わりなき循環を人間ポンプのように繰り返す。私は遂に息絶え、小便に満ちた便所の中で死んだ魚のように意識が途絶える。


 夢から目覚めると、私の目の前には壁が立ち塞がっている。背に当たる物の感触がなく、足場になるような底もない。私は空中で自分の体の状況を確かめる。眼下にベッドがある。私は宙に浮いたままベッドを見下ろす。私は自分が幽体離脱しているのではないかとベッドの上に自分の体を捜す。ベッドの上に私の体はない。私は体ごと宙に浮いている。

 私は便所の中で何が何でも夢の中に居続けようと、死を覚悟して夢の中に留まった。夢の中の出来事にどれ程の現実感があるのかを知りたかったのだ。夢の中で死んだ私は、一体、今、何処にいるのか。あの世か、それとも別の夢の中か。私は生きているのか、それとも死後の世界にあるのか。

 私はあの便所の中で小便をする夢の中で恐怖の限界を超え、死の向こうへと通過した。私の頭は今、自由に現実の記憶を引き出し、正常な思考が出来る状態にある。目覚めてから夢の中で考えた事を思い出すと、何ともへんてこりんな思考をしているものだ。私の今のこの思考も、もしかしたら、おかしな考えであるのかもしれない。

夢の本来の働きとは夢から抜け出す意思を取り戻す事にあるのか。少なくとも悪夢にはそのような仕組みがある。一方、幸せな夢を見ている時には夢から現実へと引き裂かれるようにして目覚める。夢の中に在り続けようとする意思を引き裂こうとする力は無意識の心から生じるのか。それとも神なる魂からか。私は嘗て夢の中で自分の信じる神様の御顔を見つめていたら、思わぬ知人の顔を神様の御顔として見つめ続けていた事がある。それは実に奇妙な瞑想的な夢で、ブラフマンに対する作り物の信仰心を意味していた。実は夢の中に現われる人間や神様の姿は様々な姿に変化し続けている。その変化する姿を自分の心の中で同じ人物の姿や存在として辻褄を合わせているのだ。その夢の中の現実に近づこうとする意志こそが目覚めを出現させるのである。

 夢の中で夢と言う幻を祓おうとする意志は何処から起きるのか。現実に似たものを眼の前にし、より現実的な性質を追求する。その結果、夢は夢見る人の心から引き裂かれるようにして現実へと変貌に移行していく。楽しい夢が終わろうとし、目覚めが近づくと、人間は夢の中の展開を強く願い、その夢が続く事を望む。夢の中にある人間は夢に対して自分の想像力を加えようとはしない。夢とはコンピューター・ゲイムのような参加型の映画で、夢見る者は想像力を封じられている。夢の中にあっては人間的な心の働きはほとんど封じられてしまう。一方、夢には人間の精神構造の特徴が色濃く表われる。夢には幻聴の人格群がよく表われるのだ。

 心の価値を一点における特色だけで判断するのは間違っている。喧嘩に強い心、異性とのやりとりがしなやかな心、話し上手な心、本番に強い心など、人間は一点の長所のみに価値を絞り、自らの精神構造を変えようとする。苛められ易い心、勇気に欠ける心、泣き虫など、対人関係において不利な立場に陥り易い心を変えたいと思っている人は非常に多い。そういった負の要素に関係のある心にも、何かに役立つからこそ自分の中に残っているのだ。学校や会社から帰宅し、独りになると、その心と一つになる事で心の安らぎを感じたり、不思議と気持ちが落ち着いたり、和らいだり、自分の好みや人生を肯定する力が生まれたり、優しい気持ちを取り返したりなど、プラスに働く心でもあるのだ。対人面だけで自分の精神の良し悪しを判断するのは大きな間違いだ。創作や表現をしている時にはそういった心をフルに活用しなくてはなかなか良い作品が出来ない。

 想像力には滑らかに連想出来る時と息詰まったように創造性が失われる時とがある。想像力の主体を人間の心だとする事に疑問を抱く人達もいるだろう。自由な想像力で自慰行為をしていると、良心のような善的な力が人間の想像力を制限する。夢も想像力も完全なる人間のコントロール下にはないのだ。

 夢みたいな事ばかり考えてないでもっと勉強しなさい、働きなさいと、常日頃親に言われているような時には嫌々勉強し、嫌々働いているのが現実であろう。人間には目覚めている時にも夢見る事を楽しみたい欲求がある。寝ている時に見る夢のもの足りなさを文学や芸術作品などの虚構によって補おうとする心の傾向がある。精神医療や一般的な見解では不安や恐怖が生じるような表現物の鑑賞は心の健康を損なうと考えられている。そのため「表現物を観たり聴いたりした後に幸せな気分、楽しい気分になる表現物の方が良くありませんか?」と問いかけるような場面がよく見受けられる。ほとんどの人達がそう言った正論に納得し、自分の生活や好みを改める。一方、そこで納得のいかない人達は自分の欲望を満足させる文学や芸術を一層支持する。

 私は天井すれすれの宙に浮かんだまま、何時の間にか頭の中で文章を書くように考え事をしていた。私は宙に浮かんでいる自分に全く不安も恐怖も感じない。私は宙に浮かんだまま何をどうしたら良いのかも判らない。眼下のベッドの上には下りたくない。何時までもこうして宙に浮かんでいたい。幼い頃、私はこの寝室のベッドの上に寝て天井を見ていると、天井が下がってくるのではないかと言う恐怖に襲われた。あの時の私は恐怖に怯え、布団を頭から被って、天井を見ないようにして眠る事で問題を解決した。あの時の恐怖に対する対処は一体何を意味していたのか。天井が下がってきたなら、自分は押し潰されてしまう。布団を被って、布団の上から押し潰されるのなら良かったのか。

 いやいや、妙に頭が働くな。

 誰かこの部屋に現われてくれないかな。確かこの部屋のあった家は私が中学生の頃に取り壊されたんだよな。私はその事を思い出し、漸くベッドの上に下りていく。ああ!このふわふわの懐かしいベッドの感触!私は枕に顔を押しつけ、顔を左右に振るようにして枕の感触を顔に擦りつける。ああ、ここでしばらく眠ろうか。

 私が金縛りと言うものを初めて経験したのは高校生の頃である。二十歳の頃には何度眼を開けても目覚められない夢を何度も見た。一度瞼を開けると部屋の中には既に朝日や夕陽が差し込んでいた。そこはもう現実の筈なのに透明な瞼が幾重にも重なっているせいでなかなか体を起こす事が出来なかった。目覚める事の出来る次元に帰るには何度も眼を開けねば本当に目覚める事はなかった。そんな奇妙な体験を私は何度か経験した。あれも今思えば、一種の金縛りだったのだろうと思う。

 私はベッドから起き上がり、ベッドの左側に腰かけると、部屋の中をぐるりと眺める。壁紙のない灰色のコンクリートの壁が四方を囲み、懐かしい絵本や漫画の単行本の入った本棚と漫画週刊誌に掲載された漫画新人賞の入選作の切り抜きをホチキスで留めたコレクションの本棚が真ん前のドアの右隣の壁に並べて置かれている。部屋の右壁面には背の低い幅広の四段式の洋服ダンスが置かれている。その箪笥の上にはソニーのカセットデッキとヤマハのアンプが重ねて置かれ、その左側に大きなヤマハのレコードプレイヤーが置かれている。その二つ並んだオーディオの左右には大きなビクターのスピーカーが置かれている。その箪笥と右端の角との間にはレコードやカセットテイプの入った本棚が置かれ、その本棚の前にはアクースティックギターのケースが置かれている。ベッドの頭は左壁面にあり、ベッドに横たわった右側面は壁面に沿って置かれている。ベッドの右隣には勉強机が置かれている。そうそう、このベッドの下の頭側の引き出しにはポルノグラフィーが隠してある。足側の方の引き出しには自分が作詞作曲した曲の譜面が仕舞われている。私はこの懐かしい部屋を本当によく思い出した。思い出の部屋は別にこの部屋に限らない。部屋換えや引越しの度に過ごした部屋部屋の記憶には幸せな思い出が一杯ある。私は三十二歳の時にそれら全ての部屋をイラストレーションや漫画で再現し、『部屋』と言う作品集を完成させた。書きかけの漫画がまだ二作も残っているじゃないか。いや、この執着こそが思いをあちらに残す原因となり、成仏の妨げとなるのだろう。もしもこれが夢ならば、随分と鮮明な夢だ。初めて言葉を交わした時の初恋の伊沙子ちゃんの顔だって正確に思い出せる。確かこの部屋の向かいにはカフカの『変身』の中の毒虫の部屋があるんだ。いや、何だ、それ?夢だな、これは・・・・。私はこの部屋の向かいにあるカフカの『変身』の中の部屋に対して奇妙な不安がある。ああ!私はまだ目覚められる!不安があるなら、恐怖だってある筈だ。そう思った途端、私の心の中にあの便所の中で小便をする夢のクライマックスが鮮明な記憶として蘇る。俺は窒息しそうな恐怖と共に慌てて目を覚ます。これは夢の中の自殺行為に対する業の報いなのか。死んだら、あの世で思う存分眠ろうと決めていた事は叶わぬ望みだったのか。ああ、目覚めていく・・・・。

 私は担架に縛りつけられ、精神病院の病棟内の保護室に隔離される。私の顔の中には悪魔のような狂気の笑みを浮かべている者がいる。その笑みは私のもの?いいや、これは私が書いた太宰治の『人間失格』の二次小説の書き出しだ。破いた原稿が全部頭の中にある。精神病患者の精神苦は過去に虐められた者の呪いである、か。どうかなあ。何を根拠にこんな事を言い切るのか。ああ、また思い出した!『記憶の消しゴム』!これは確か俺の自信作だった!嘗ての虐めっ子を呪い殺すより悪霊から受けた虐めの記憶を消したい!ってね。いや、待てよ、もしも、私がここで目覚めたら、私は一体何処で眠っているのか。そうか!私は統合失調症を患っていたんだ。私は二十二歳の時より幻聴が聴こえ始め、三日で全人生の限界と感じた幻聴が二十四年間聴こえ続け、現在に至っている。これまで丸一日幻聴が消えた日は一日とありません。って、何だ!これも文章か!一体私の身に何が起きたんだ!

 何だか股の間が生温かく濡れている。もしかして私はお漏らしをしたのか。 私の体は担架に縛りつけられているんだよな?縛られている感覚がない。いや、それは私の『人間失格』の二次小説の場面だ!何だか酷く頭が混乱してきた。何かが眼に浮かんでくる。真っ黒な宇宙が眼の奥に迫ってくる。いいや、迫り来る真っ黒な宇宙に引き寄せられているのだ。ゴムで出来た宇宙空間に吞み込まれていくような独特な気持ちの悪い音がする。太った女の腹に減り込んでいくようなとても柔らかな感触ながら、他に何と例えたら良いのか判らない。光の中か、闇の中かと言えば、光の中なのである。周囲は暗くとも、状況が見えるのは光の中にいるからだ。何かどろっとしたゼリーの中のような空間に入り、息をしようと口を開ける。何だかとても甘い物が開いた口の中に入ってくる。私はその甘い物を味わってみる。そのまま飲み込んで良いのかどうか判らず、味だけ確認すると、ゆっくりと口から吐き出す。あっ!と思った途端、私の体は真っ黒な宇宙空間から地球に墜落しいく!このまま地に叩きつけられるのか!これは夢なのか、あの世なのか!私は空から大地に墜落していく。夢の中の死を認めようとしない心が私をこの奇妙な世界に留めているのか。何の不安もないところで態々心を動揺させる必要もない。悪夢を見ていながら、危険信号が生じないのだ。大地が段々と近くなる。チンコが持ち上がるような感覚はジェットコースターに乗っている感じによく似ている。私は足からぴたりと着地出来るよう、心の準備をする。突然の事態を落ち着いて受け止めるだけの理性がある事は好ましい事である。私は覚醒した意識状態にあるのか。夢の中でこれ程覚醒しているのならば、目覚めるのは容易い筈だ。そういう眠りは疲労回復した途端、ぴたりと目覚めるような浅い夢見状態にある。それでも目覚めないのはあの世にいるからか。向こうの私は植物人間なのか。それとも死体を既に焼かれ、帰るところを失っているのか。私は寝たきりの危険を感じて素早く起き上がる。

 私は物心付いた時からずっと母なる女神を求めてきた。心が弱くなると、私は女神の気をひたすら飲み食いし、体内の宇宙がパンと膨らむまで貪り続けた。私は宇宙を管理し、優しさと丸さと柔らかさを維持している。最も小さく存在するのも、最も大きく存在するのも、私にとっては単なる心の変化に過ぎない。母なる女神は確かに私の内的な宇宙に存在する。私の体内の宇宙はとても温かい。私の宇宙が冷たかったり、熱かったりする時は必ず外界の誰かが私の宇宙に毒のある言葉を放った後である。誰かが毒のある言葉を私の宇宙に放り、私の宇宙のエナジーの温度に変化が起きると、私は必ずその冷たさや熱さに苦しむ。全ての言葉には必ず意味がある。意味のない言葉は存在しない。私の内的な宇宙には光と影がある。もしも、この光と影の内的な宇宙に母なる女神の光が満ちたなら、暗黒の混沌たる宇宙の核に大爆発が起きるだろう。

 私は闇の中で目を開ける。私は棒状の直立した体を物凄いスピードでぐるんぐるんと前転宙返りでもするように回転させながら、宇宙空間に吹っ飛んでいく。一瞬の記憶ながら、ふと起き上がろうとした時に何処かに横たわっていた。なるほど、私の心は神学的な虚構を展開しているのだ。私は現実に根差して考える事をしていない。これは恐らく人為的に作り出された夢に違いない。それは虚構世界なのか。否っ!私は自分が書いた文字の宇宙をさ迷っているのだ。

 私は作家になる夢が叶わず、統合失調症の苦しみに絶望した末、自殺したのである。私にある自作品は幻聴や無意識に関する本物の狂人日記だけだった。何故、あの時、私はスランプと言う言葉を思い付かなかったのか。いいや、私には他にも作品がある!統合失調症の苦しみに絶望なんてしてない!

 何でこんなに自殺者の顔が浮かぶのだろう。そうか!私は自殺者に心を寄せて生きていたのだ!違う。判らない。この救いのない世界は何なのだろう。私は極平凡な役所勤めの公務員であった。私は心底自分の退屈な生活に嫌気が差していた。私は社会を呪い、神を呪い、そして、今日、自殺をする決心をした。なるほど。確かに思いつくままに話すだけで苦もなく完全な文章が出てくる。これはやはり文字の宇宙だ。言葉の一つ一つが別の文章に飛び移るための扉の役割りを持っているのだ。どうして私はこれ程に救いのない話ばかり書いていたのか。作品の中に一時住んで、束の間戯れていられるような心の安らぎが全く見当たらない。狂気、夢、自殺、私は本当にそんなものに救いを求めていたのか。私は在り来たりな創作を捨てて、夢のように荒唐無稽な文学を作り出そうと試みていた。そこにはシュールレアリスムに端を発した完全なる虚構世界が構築されていた。私の眼前に、一瞬、タルコフスキー監督の顔写真が浮かぶ。

 思うように笑えなくなるどころか、何かを話す声さえも出なくなった。私は空腹を無視し、頭から蒲団を被って、一日中ベッドの上に横になり、動かない小さな球のようにただ死期を待っていた。私は骨と皮だけの痩せ細った体で血の気の引いた青白い顔に白い目を見開いた美しい死体になろうとしていた。ううん?小説か。真実は何処までなのか・・・・。

 二〇一五年六月二十八日日曜日。

 面白くない小説を書いていたら、読者は離れてしまう。幾ら主人公の真面目さや誠実さを描き続けても、その人物を魅力的に描く事が出来なければ、退屈な真面目人間を主人公にした詰まらない話にしかならない。日記だな。狂人日記とは書いては溜まり、破り捨てるだけの幻聴や無意識に纏わる妄想記録のようなものである。なるほど。私は自分の狂気を少し自覚しているんだな。本物の狂人日記には本にして出版出来るような内容は全くない。幻覚を面白く料理すれば非真の幻覚を生む事になり、本物の幻覚となると、作品化するには単調過ぎる。うん、大分、こっちに近づいてくるな。

 空気まであと五センチメートル。苦しいよ。胸が苦しい。神様はそんな僕を簡単には死なせてくれない。僕にこれ以上何が出来る。涙が止まらない。このまま死んでしまいたい。僕は悪い事を一杯した。その悪業の報いが毎日僕を苦しみのどん底へと陥れる。救われない日々からの解放を神様に祈っても、苦しみは当然の如く続く。苛めに味を占めた一秒置きに聞こえてくる悪霊の声。集中力を失わせ、体のバランスを破壊するような体感幻覚の地獄。愛する者達との間にすら思考障害が見えない壁となり、彼らと僕とを隔てていく。僕は皆の嫌われ者。頭のおかしい愛のない心で人の心の温もりを求め続けている。人前で弱音を吐き、人に甘える事を当たり前のように思っていたら、僕の周りから友達が次々に離れていった。両親にも兄弟にも自分の話にうんざりされ、辛いなら黙って部屋で寝ていろと家族の輪の外に追いやられた。僕はもう独りぼっち。僕は自分の日常の苦しみを人に話す社会的な繋がりが全くない。大切なのは僕の病気が治る事。一番苦しんでいるのはこの僕なのだ。それなのに誰も僕の苦しみを理解しようとしない。何かがおかしい。

 僕は精神障害者が大嫌いなんです。三大障害の各障害者間にはお互いを差別し合う現実があります。僕は精神障害者でありながら、精神障害者が一番嫌いなんです。こりゃあ、障害者モノの小説が綺麗過ぎるのに疑問を持って書いたのだろう。果たしてラストはどうなるのか。気になるけど、そろそろ別の文章に飛びたい。文字の宇宙で思考するには縦横無尽に飛び回るのが一番純粋思考に近いだろう。天国に入るまでの作品に英知を獲得する境地までを書き切らねば、何時まで経ってもカオスから抜け出る事は出来ない。違う!それは創作した主人公の設定だ。文字の記憶の中には読書の領域もある。宗教聖典や霊的な書には真理がある。このまま思い付くままに話し続ければ、その内天国への入口が見えてくるに違いない。ああ、神様!どうか真理の光で私の心の闇を照らし出し給え!アーメン!

 自分達の国の安全は自分達国民の力で守るべきではないか。日本国民はこの国の保護下で当たり前のように平穏に暮らしている。日本人は自衛の精神を長らく失ってきた。これが平和ボケと呼ばれた戦後の日本人の在り方なのだ。しかし、この国の平和が敗戦と言う形で勝ち得た平和主義者達の戦利品であるとしたら・・・・。

 神様の守護下で人間として行うべき義務とこの国の国民が持つべき自衛の精神は何処が異なるのか。それは全然問題の取り上げ方が違うよ。人間は人間同士の争いを可能な限り避け、人の命を殺めるぐらいなら自らの死を選ぶぐらいでなければ、神の子とは言えないんだ。戦時中の日本にも非国民と呼ばれた真の平和主義者達が大勢いたんだ。その多くは殺されたり、大変な迫害を受けたけれど、彼らの御霊が新しい日本人達を平和な未来に導き、この国の平和と繁栄を実現させたんだよ。日本はもう戦争の歴史を終わらせなければいけない時期にきていたんだ。もしも、日本が再軍備し、再び世界と戦争を始めたら、今度はこの国も完全に滅びるだろう。

 活字の宇宙に封じ込められたんだな。自分の描いた言葉に頼るぐらいなら、神様に祈る方が良い。私の心を言葉の宇宙から解放してください。アーメン。言葉が失われたら、どうやって知能を働かすのか。思考は考え尽くせば止まる。眠り込めば良いのか。夢の中で更に眠り込むのか。

 突然頭の留め金が外れるような音がし、頭頂に浮き上がっていた脳が頭蓋骨の中に降りてくる。


 夜の闇を照らす月明かりを頼りに私は暗い森の中を独りさ迷い歩いている。木々の根元で眠る旅人達が其処彼処で灰色の石と化して固まっている。人は眠っている間に石と化すのだろうか。寝ている間の自分の体の状態など知りようがない。私はドストエフキーのような何も信じていない人間ではない。何かを信じるのに人の力は頼れない。石と化して眠っている間に途轍もなく長い年月が経過していたら、目覚めた彼らは何処に目覚めるのだろう。もしもこの石と化して眠る人々をハンマーで叩き壊したなら、果たして彼らの灰色の石の体から赤い血が流れ出るのか。果たしてこの人の形をした石の中には魂が宿っているのか。私はその人の形をした石が彫刻なのか人間なのかを確認していない。興味本位に石に触れ、彼らを永遠の眠りから目覚めさせてしまったなら、私は彼らの安眠を妨げた事になる。私だって歩き続けて疲れたなら、そんな人の形をした石のように木の根元で眠るだろう。自分の安眠を保ちたければ、人の安眠も妨げるべきではない。

 この人の形をした石達が熟睡状態から夢を見る浅い眠りに入ったら、この石達の霊に何が起きるのか。意識や心が夢の中に紛れ込むのか。植物と言う静かな瞑想者達は夢を見る度に一つ一つ実を結ぶのか。甘い実、苦い実、酸っぱい実、淡白な味の実と、植物の実にも様々な味がある。一つずつ実を口に入れ、その味を味わうのはとても楽しい。可能ならば、口に入れた実をよく味わい、植物の見る夢を見てみたい。 

 カラスは子供の頃からずっと私の人生に寄り添うように深く関わってきた。カラスは私の自然界の友である。こんな暗い森の中を独りさ迷い歩いている時にもカラスは必ず私を見守ってくれている。私の行く周囲には常にカラスの鳴き声が聞こえる。私が歩き疲れて眠っている時にも必ずカラスが頭上の木の枝に止まり、私の安眠のための番人をしてくれる。餌付けなど私の方からカラスの面倒を見た事は一度もない。自分が信じる事の出来る動物が自然界に一種ある事がどれ程人に安心感と幸せを齎す事か!

 周囲を見回すと、木の根元で石と化して寝ていたらしい人が少し離れたところでゆっくりと立ち上がろうとしている。背の高い細身の男で、木の影に隠れて姿が見えなくなる。大声で男を呼び止めようとした瞬間、眠っている人達の安眠を妨げるのではないかと思って止める。私は男の姿が消えた辺りに駆けていく。男の姿が消えた木陰を回り込むと、先の方に大きな硝子製の建築物が見える。先の男がその入口から中に入っていく後姿が見える。私は男の後を追ってその建築物の方に駆けていく。

 硝子製だとばかり思っていた骨組みだけの巨大な建築物は何と氷で出来ている。球体の建築物の骨組みが氷で出来ているのだ。建築物の中にゆっくりと入っていくと、建築物の内部には雨が降っている。氷の巨大建築物の中に降る雨は骨組みに当たると音を立てる。建物の骨組みのあちらこちらに音が鳴るため、その無数の音が不思議な癒しの音楽として鳴り響いている。先の男は氷の球体の建物の中心に立ち、目を閉じた顔を上に向け、雨を顔面に受けている。とても気持ち良さそうな顔をしている。私はその姿を眺めている内に再び男に声をかける機会を失う。私は建築物の中心にいる男の近くに歩いていく。五メートルぐらいまで男に接近すると、男は私の気配を感じ、こちらに振り向く。男の眼光は鋭く、眼の色は青い。男は何も言わずに私が接近するのを見ている。私は近づけるだけ男に接近する。一メートル以内まで接近して立ち止まると、「美しい建物ですね」と親しげに男に話しかける。男は口許に人差し指を当て、私に黙るようにと合図する。男は小さな囁くような声で、「これはね、或統合失調症患者が心の扮する神に捧げた神殿なんだよ」と言って微笑む。男の青い眼の微笑には魂まで見えてきそうな程の優しい奥深さがある。男はそう言って眼を閉じると、再び顔を上に向け、気持ち良さそうに顔一面に雨を受ける。

「今ね、この神殿を造った統合失調症患者の心の中に現われた心の扮する神の名と姿を知ろうとしてるんだよ。じっとこうして五感を澄まして眼を瞑っていると、熟睡した統合失調症患者が僕の思いに答える声が聞こえてくるんだよ」

 私は雨の降る氷で出来た巨大な球体の神殿を中心から見上げる。私は眼を閉じ、五感を澄まして作者の魂に意識を合わせる。

「グリセラ・ポンヌフ・ガサーゴ!美しい名前だね。この神殿の作者は本当に神のような穏やかな口調で話す優しい人だよ。グリセラと言う心の扮する神の姿には白人的なとても美しく女性的なしなやかさがあるんだ」

「ああ、本当だ・・・・」と私は眩しい光を放つグリセラと言う心の神の姿を見て呟く。「グリセラは統合失調症の彼が神の化身だと思い込まされた時の数多い前世の中の一つなんだね」

「そうなんだ。この氷の神殿はどうやら瞬間移動出来るらしいよ。ああ、この作者は日本人だよ!」

「あっ、消えた・・・・」と私は思わず呟く。

 氷の神殿が消えると、私と男は静かな夜の森の中に取り残される。近くでカラスが一声上げる。私はカラスの声がした木の上を見上げ、木の枝に止まったカラスを見る。青い眼の男の後から夜の森の中を歩いていく。足首まで浸かった水には流れがあり、森の中には絶え間なく冷たい雨が降り続けている。私はその雨音に不安な心が癒される。絶え間ない雨音がじっくりと私の心を落ち着かせる。ここでは幻聴がないんだな。森の木々の高い所にはどの木の上にも小さな木の家が作られている。夜の森の木々の上の家屋の中から人々の囁き声が聞こえる。人々の姿は見えない。様々な言語による囁き声が森の遠くの方まで広がっていく。私は囁き声の聞こえてくる木々の上の方を見上げる。私は木々を見上げ、ゆっくりと頭上を見回しながら、様々な言語で囁かれる言葉に耳を澄ます。木々の上の家に住む者らの声は老人と子供しかいない。私は黙って青い眼の男の後から森の中を歩いていく。

 しばらく歩くと、森の外れに銀色の巨大な銀行の金庫のような建物が空高く聳え立つのが見えてくる。

「あの銀色の金属的な建物は何ですか?」

「図書館ですよ」

「図書館・・・・。こんな森の中に図書館を求めるような人がいるんですか」

「あれは人類の記録物が所蔵された珍しい図書館でね、あなたもきっと御自分の懐かしい記録物に再会するでしょう。あそこにある記録物は文章ばかりではありません。まあ、期待していてください」

「私の心には大切にすべき物を捨てた事への強い後悔の念があります」

「皆、そうですよ。二十世紀の先進国に生きてきたような人間には特にそう言う後悔の念があります」

「二十世紀の日本は正に物溢れの時代でした。日本人の何でも丁寧に保管しておくような習慣が一時的に崩壊していました。外国から日本に移住してきた外国人などには高級住宅街のゴミ収集所で拾ってきた物で生活必需品を揃えるような人達が大勢いました。二十世紀の日本人は自分達が本当に欲しい物が判らなくなっていました。次から次へと新しい物を買い漁り、新しい物が出る度に古き物を捨てていくような有様でした。物を粗末にする当時の日本人にはどれだけ欲しい物を買い揃えても一向に満足出来ない飢えや不満がありました」

「人間は心が貧しくなると物欲に走りますからね」

 銀色の金属的な建物の前に来て、「さあ、中に入りましょう」と男は言うと、私の背中に手を当てて先を譲る。私が銀色の金属の自動ドアの前に立つと、自動ドアが静かに左右に開く。

「開け胡麻みたいな暗号は要らないんですね」と私が冗談交じりに言うと、「ここは神聖な領域です。お喋りやおふざけは慎んだ方が良いでしょう」と青い眼の男が生真面目な顔つきで言う。別に神を冒涜しようとした訳じゃない。友達として君を楽しませたかっただけだよ。

 私は病院の中のような真っ白な壁と高い天井とシンプルなデザインによる広い空間に入る。私と男は受付の机の前に立つ。その受付の白いカウンター越しに黒縁眼鏡をかけた細身のフランス人女性が椅子に座っている。ショートカッティングの黒い髪に白い無地のTシャツと細身のブルージーンズを身に付けた受付嬢は私と男に笑顔を見せると、「ここにお名前を御記入ください」と明るく穏やかな声で言う。私はノートにペンで『和田国男』と記入し、背後に立つ男に場所を譲る。私は男がノートに名前を記入するのを傍らで見ている。男が『レオン・ベネル』とノートに記入すると、受付嬢が笑顔で、「ベネルさん、ここにいらっしゃるのは二年ぶりぐらいじゃありませんか?」と男に話しかける。

「しばらく瞑想期に入っていたんです」と男は爽やかな笑顔で受付嬢に答える。

「そちらの方はお友達?」と受付嬢が私の顔をちらりと見て、男に訊く。

「久しぶりに会ったせいか、彼はまだ僕を思い出せないみたいなんです。何しろ彼が出会った私は彼がまだ子供の頃の老年期の私なんです」

「自覚がない方なの?」と受付嬢が前のめりになって男に小声で訊く。

「そっとしておいてあげましょう」

「それではどうぞ御自由に館内をご覧ください」と受付嬢が姿勢を正し、軽く我々に会釈して言う。私が彼女の顔を繁々と見つめていると、彼女はにっこりと私に微笑む。何故かとても懐かしい気持ちになる女性だ。

「私があなたと一緒にいられるのはここまでです。どうぞ御自由にあなたが見たい記録物をお探しください。私は私で自分の記録物を見て回りますから」

「そうですか。縁があったら、またお会いしましょう」と私は男に別れを言って、館内を歩き回る。私は『和田国男』の名で記録物を探す。何と探し回るまでもなく、『和田国男』と言う記録物のファイルが私の眼前の棚にあるではないか!私は閉じたラップトップ・コンピューターを立てたようなファイルが本を並べるように本棚に置かれているのを見て、そこから自分の記録物を抜き取る。私は広い棚と棚の間にあるテーブル席に腰を下ろす。ファイルを開くと、中身も外も全くのラップトップ・コンピューターそのものである。ケーブルやアダプター等の付属品は付いていない。画面とキーボードがある我々の知るラップトップ・コンピーターとも違う。画面とキーボードがあるべき二面が白く光っている。キーボードがある筈の部分に右手を乗せると、画面から女性の声がして、『底辺のボードに手を載せてください』と指示が出る。私は言われるまでもなく右手を底辺のボードの上に載せている。

『本人確認が出来ました』とコンピーターが言う。『記録物の表示は古い物からで宜しいですか?』

「はい」と私は答え、右手を底辺のボードの上から退かすと、何やら絵のようなものが描かれた紙が白い光の画面に浮き上がる。私が何やら判らずに見入っていると、皮を剥いた蜜柑を握った赤ん坊の手が見えてきて、蜜柑の汁が付いた赤子の手が白い画用紙に触れるのが見える。映像はそこで消え、再び前の紙が表われる。なるほど、この蜜柑の汁の付いた手で紙に触れたのが私の絵画の原点だったのか。何とも心温まる微笑ましい思いがする。一九七一年二月十日午前九時二分とある。まだ二歳にもなっていない。

「次の作品を見せてください」と私がコンピューターに言うと、『畏まりました』とコンピューターから女性の声が答える。

 母親と父親の間で手を繋いだ絵が出てきた。一九七二年六月二十日十一時五分とある。これが将来画家を志すようになる三歳にも満たない子の絵か。普通の子供の絵だ。私の子供時代の絵はピカソの子供時代とは違って、大人びた写実的な絵ではない。私は思わず溜息を吐く。

「次の作品を見せてください」と私はコンピューターに言う。

『畏まりました』と女性の声が答える。

 ううん?カバの群れの絵か。これは良い。なるほど、この辺から才能の芽が出てきた訳か。画家だった父が物凄くこの絵を誉め、「国男は将来画家になると良い」と言うのか。父も私も間違ってはいなかった!母は確かこの時、「画家だなんてとんでもない。私の方の才能を受け継いだマンガチックな絵じゃありませんか」と父に言うんだ。それに対して父が、「画家の私が言うんだから、少しは信じなさい」と母を叱るんだ。私にとって絵画の師でもあった父は私の才能が衰える事のないようにずっと私の近くで見守ってくれていた。

「次のを見せてください」と私はコンピューターに言う。

『畏まりました』と女性の声が答える。

 私は次々に自作品を観ていく。変化のない安定した作風を見ていく。私は小学校六年生の頃の粘土細工を見た瞬間、背筋がぞっとする程の心の変化を見て取る。作風が突然がらりと変わり、ぐっと暗い心を表わすのだ。自分にしか判らない強い憎しみが表われ、作品にまでそれが影響している。私は目を閉じ、その頃の憎しみを解析する。

 その頃の憎しみは明らかに体罰教育に原因があった。正義感を疑い、暴力による理由なき虐めを盛んに行うのだ。 

 私は次々と作品を観続ける。憎しみの暗雲が全く晴れない。確か自画像も肖像写真も眼光が鋭くなり、心がどんどん歪んでくるのだ。

 確か、十七歳ぐらいからか、サイケや狂気への傾倒が強くなるのだ。神になる夢も段々とぼんやりとしてきて、悪魔のようになっていくのだ。一方、芸術表現に関しては創作を通じて細かく追究されていく。それと同じ頃、西洋人への憧れが強くなり、自分の肌や眼や髪の色に強いコンプレックスを抱き始めるのだ。それはジーザス・クライストを白人だと勘違いする事が原因していた。大好きな音楽鑑賞も九割以上を欧米の洋楽が占めるようになる。

 ああ、確かこの黄色い抽象画が二科展に入選するのだ。この二科展への入選を機に聖なるものを特別視する理由が見当たらなくなるのだ。ああ、これからはどんどんどんどん邪悪な発想による絵を追求していくのだ。この頃に私は自分の絵が確実に歴史に残る絵だと確信するのだ。どうして私はこんな絵が歴史に残ると判って、あれ程までに喜んだのだろう。

 私はコンピーターの前から立ち上がり、先程の男、レオン・ベネルは何処にいるのかと辺りを見回す。そうか、一緒に行けるのはここまでだって、確か先、あの人が言ってたっけ。

 私は生まれ変わったような気持ちで生きる決意をし、独り図書館を出る。

 月夜の広大な湖面の上を毬ぐらいの大きさの無数の蒼白い火の玉が飛び交っている。プランクトンでも食べているのか、湖面の上で静止しているような火の玉が点々と見える。火の玉が湖の中に話しかけているようにも見える。火の玉の群れの動きは水面の三十センチぐらい上の空中を滑るように縦横無尽に水平移動している。上空から見下ろせば、その動きはきっと幾何学的な模様を描いているに違いない。人の姿の映像を薄っすらと重ねたならば、使者の魂にも見える。それが一向に人の姿を表わす様子がない。この湖は何処かで見た記憶がある。確か老人の声に注意されたのだ。目に見えない老人の声に・・・・。何処で経験したのか。ああ、あれは確か夢の中の出来事ではなかったか・・・・。

 辺りは静まり返り、空高く止まった銀の満月が湖面に写って輝いている。火の玉の群から遠ざかろうとしたら、脚が地に張り付いたように動かない。広い湖の上に群れる無数の火の玉が一斉に私の周囲に近づいてくる。私が恐れをなすと、点々と火の玉から光り輝く人の姿が現われる。亡霊達は笑いながら私に近づき、次々と私の中に入ってくる。私は息が詰まり、精神錯乱する。私は心の中で、『僕の体の中に入ってこないでくれ!』と何とか憑依した霊達に伝える。苦しい・・・・。体の力が抜けていく。闇の中で息絶える覚悟をすると、光り輝く様々な人々の顔が見えてくる。これは死なのか?息苦しさはもうない。私は空中に浮かんだような気分で光の中にいる。呼吸はもうしていない。

 私は何時の間にか木の幹に凭れて居眠りをしていた。

「あんた、その木の下で眠っていたのかい?」と一人のムスリムが通りがかりに話しかける。

「ええ、長旅で疲れていたのでしょう。何時の間にか眠り込んでいたようです」

「何か奇妙な夢を見なかったかね?」

「ええ、火の玉の夢を見ました」

「その木は『夢見の霊木』ってここらでは言われていてね、その木に凭れて眠るととても不思議な夢を見たりするんだよ」

「そうなんですか。不思議と言うか、僕は自分が死ぬ夢を見ました」

「ほう、そうかい。この先を少し行くと、無料で食事を出す店があるんだが、腹は空いていないかね?何ならそこまで一緒に食事をしに行かないか?」

「ああ、良いですね。それじゃ、御一緒させて戴きます」と私は喜んで男の誘いに同意し、『夢見の霊木』の下から立ち上がる。

 あの世は地球から遥か離れた宇宙の果てにあるのか。それとも私が次元の高い別の世界に意識を合わせれば、私のいるここにあるのか。

 どうして人間は幽霊を恐れるのだろう。肉体を捨て去り、この世とは別の次元に生まれた者を何故敵わぬ敵と見做し、恐れるのか。この世にある全ての生き物が死後霊となって、自分の生き方に見合ったあの世に行くのならば、やはり殺人や暴力や裏切りは絶対に犯してはならない罪だろう。この肉体と心があるために判らずにいるならば、霊にはこの世がどんな宇宙であるのかを正しく説明してもらいたい。

 果たして苦しみの生を生き抜いた精神障害者のあの世は天国なのか。誰もが自分に相応しいあの世に往くのならば、人間界などに何の未練があろう。この世に根差す執着はなかなか振り払えない。文学や芸術により自分の幻をこの世に残そうとする行為は生まれ変わりを信じる者の楽しみだ。

 私が我に返った時には既にムスリムとの昼食を済ませた後だった。一体私は彼と何を食べたのか。全く憶えていない。まるでムスリムの望む楽しい昼食の思い出作りが目的であったかのようだ。私は今まで一度たりとも寂しい人のために食事を共にした事がない。その代わり私は何度となく寂しい食事を経験してきた。

 私は子供の頃からカルマの法則を知っていた。善行の喜びを知らない訳でもなかった。大人になるにつれ、私は買い物に夢中になり、貪るように読書や芸術鑑賞を繰り返した。幾ら読書や芸術鑑賞を貪っても一向に心は満足しなかった。恋人のいない寂しさを読書や芸術鑑賞で紛らわせようともしていた。私にとって小説の創作は射精よりも素晴らしく大切なものだった。ウェブ小説サイトで私の作品を観てくれた人達からの反響は私の創作意欲を一層掻き立てた。創作以外の本望から逸れる行いは全て恋人のいない寂しさに立ち返らせた。私は次第に自分を導く神の存在を想うようになった。祈りの中で何故私には恋人が何故出来ないのかと神に問うた。答えは自ずから出た。恋愛のための時間を全く作っていないのだ。街中を当てもなく彷徨い歩いても出会いなどなかった。私には同じ独身の女性に繰り返し出会える環境が必要だった。職場の女性達の大半は既婚女性だった。職場の数少ない未婚女性達は揃って不美人で魅力がなく、美人の既婚女性ばかりに気を取られた。

 私は独り眩しい金色の木漏れ日の射す森の中を歩いている。森の中を歩いていると、モスクが見えてきた。モスクの前には沢山のムスリムが集っている。私の足はぴたりとそこで止まる。私は子供の頃に自分の通う小学校に転校してきた或ムスリムの少年の事を思い出す。休み時間になると陽の当たる窓の方に向かって教室の床に膝を突き、お祈りを始める子だった。その子のお祈りがとても美しい行為として目に映った私は遠くからそっとその姿を眺めていた。クラスの仲間達はその光景を見て言葉も出なかった。その時、クラスの悪坊主が真剣にお祈りをするムスリムの転校生の真似をしてふざけ始めた。ムスリムの転校生はとても複雑な表情を顔に浮かべ、狂人を見るように黙ってその悪坊主を見つめた。そのクラスの悪坊主は転校生の眼差しを見て、愛想笑いをした。ムスリムの少年は悪坊主の目の奥の邪悪な心を深く凝視し、あからさまに軽蔑の眼差しを向けた。クラスの悪坊主はその時どのように感じたのか、突然ムスリムの少年を押し倒し、ムスリムの少年の顔を拳で乱打し始めた。ムスリムの少年は厳しい眼差しで悪坊主を見つめ、全く反撃しようとしなかった。ムスリムの少年の上に馬乗りになった悪坊主は殴り疲れて荒い息を吐き始めた。悪坊主はムスリムの少年の眼から視線を逸らせずにいた。ムスリムの少年は悪坊主に対して軽蔑の眼差しを向け続けた。悪坊主は悲鳴を上げながら、ムスリムの少年の上から下り、後退りすると、狂ったように床の上でのた打ち回った。授業開始のチャイムが鳴ると、ムスリムの少年は何事もなかったかのように黙って自分の席に着いた。私は先程昼食を共にしたムスリムの事を思い出し、ムスリムの転校生の顔の記憶と照らし合わせる。私ははっとして背後を振り返る。背後には先程のムスリムが立っている。ムスリムは私に向かって光り輝くように微笑む。私は心の奥まで癒されるような安らぎを感じる。

「和田国男、私を忘れたのか?」とムスリムが笑顔で私に言う。

「漸く今、思い出したところだよ。私の愛する信仰の友、ムハンマド・ラシード・ザルダーリ!」

「国男、君は早く眠りから目覚めるべきだ」とムスリムの友人が言う。

 私はゆっくりと眼を開ける。

 私はどうやら家のベッドの上に横たわっているようだ。窓からは昼の強い日差しがカーテンの隙間から射している。私の顔はどうやら、レースのカーテン越しの淡い光に照らされているようだ。私ははっとして上体を起こし、「ラシード!」とムスリムの転校生の名を呼びながら、部屋の中を見回す。ドア越しに人の話し声が聞こえる。父と母の話し声である。私が部屋を出ると、「国男、漸く目覚めたわね」と母が笑顔で私に言う。

「おお、国男、随分ぐっすりと眠っていたな。目覚めと共にあっちに生まれ変わっていくようなタイプかと思ったよ」と父が陽気な声で言い、楽しそうに笑う。私は頭の中が混乱している。私は両親の座るダイニング・テーブルの席の前に立ち、ゆっくりと頭の中を整理する。

「お父さん、お母さん、僕ら、また逢えたんだね」

「そうよ。それなのにあなたときたら誰か大切な人を探してるようだったから邪魔をしないでいたのよ」と母が笑顔で言う。

「お母さん、俺、夢の中でラシードに逢ったんだよ」

「あら、そう。ラシードの事なら心配しなくともまた会えるわ。何たってあの御方は神様なんだからね」

「神様?」

「まあ、ここに来て、お父さんと一緒にお昼御飯でも食べなさい」と父が自分の隣の空席の背を叩きながら言う。

「ああ、でも」

「ラシードは本来この次元にいる人じゃないんだ。神霊界にいらっしゃる方なんだよ。でも、お前が会いたい時には何時だって目の前に現われてくださるよ」と父が若々しい笑顔で言う。

「僕、もしかして、死んだの?」

「自分ではどう思うんだ?」

 私は自分のふさふさとした長い髪に触れながら、「確か便所で小便している夢を見て、自分の小便で一杯になった便所の中で窒息死したんだよ」

「今はどう?本当にあなたは死んだのかしらね?」と母が私の眼の奥を覗き込むように訊く。

 私は首を傾げ、考え込む。

「さあ、こっちに来て、冷めない内にあなたの好きなクリームシチューを食べなさい」と母が笑顔で言う。  

 父も母も三十代ぐらいの若い頃の姿をしている。

「何だかお母さん達よりあなたの方が余程年取った姿をしてるわね」と母が転がるような声で笑いながら言う。

「僕は若い頃の自分の姿が必ずしも一番綺麗な心であった訳ではないんだ。仕事の方も二十代は統合失調症の幻覚と妄想に苦しみながら、朦朧とした意識で働いて、本当にくたくたに疲れていたんだ。三十代半ば以後は精神科への入退院を繰り返しながら、細々と創作に専念していたんだ。何故だか僕にはその三十代半ば以後が一番自信に満ちていて、一番若々しい心でいられたんだよ」

「その頃はまだお母さん達も元気だったからよく知っていますよ」

「ああ、そうだっけ?」

「あらっ嫌だ、この子ったら。あんた、自分の事しか憶えてないんじゃない?」

「ずっと仕事に追われてたし、家族との思い出は余りないんだ」

「あらっ、困った子ね。しばらくテレビでも見てなさい」

「テレビ?」

「神様が仕事人間だったような人達には知りたい事を全部テレビで見せてくださるのよ。黙って眼を閉じれば、直ぐに見えてくるわよ。こっちではね、神様の映画を観るためにわざわざ映画館に入る人がいるくらいなの」

 私が試しに眼を閉じると、早速映画が見えてきた。私は再び眼を開け、両親と共に昼食を取る事にした。映画館か。面白そうだな。

「いただきまあす!」と私は言い、食パンを一枚母の手から受け取る。「ありがとう」と私は母に礼を言って、食パンをクリームシチューに浸して食べ始める。

「国男は高校を卒業して一年後に自立した後はお正月にも家に帰ってこなかったから、お母さん達も社会人になってからのあなたの事はよく知らないのよ。あなたにも色々な事があったんでしょうね」と母がしんみりとした口調で言う。

「本当に寂しい孤独者の生活だったよ」と私は温かいシチューを愛用の木製のスプーンで食べながら答える。「でも、作品作りが物凄く大切な行為だったから寂しさには余り苦しまなかったよ」

「子供でも産まれていたら、あなたも可愛くて仕方なかったでしょうね」と母が悲しみを振り払うように作り笑いを顔に浮かべ、明るい声で言う。

「子供がいたら、子供の将来を考えると変に心配になって、自分の生きてきた道ばかりを子供になぞらせるような親になっていたかもしれない」と私が両親への皮肉を込めて言うと、私は両親のエナジーの風に吹き飛ばされ、暗い宇宙のトンネルの中を物凄い速さで飛んでいく。暗い宇宙のトンネルの筒の壁面には私の近くにいた亡霊達の姿が映し出される。こんな世界に引き込まれて日常を送っていたのか。暗い怨念に満ちた言葉が渦を巻くように私の耳を掠めては後方へと流れていく。

 意識が途絶えたのか、それとも突然チャンネルが切り替わったのか。気付くと何時の間にかアパートメントのアトリエの愛用の肘掛け椅子に座っている。私はアトリエの窓辺に歩いていき、外の景色を眺める。ああ、何て息苦しい生活だったのだろう。私はこの苦しみの部屋からほとんど外に出ない生活をしていた。私の父は三十代の頃から同じ自慢話を毎回初めて話すように繰り返す人だった。私はそんな父が機嫌良く楽しそうに話している時に、「もうその話は何度も聞かされたよ」とうんざりとした気分で話の腰を折った。その内、母も弟の則男も、父に対して同じような発言をするようになった。父は自分が話した記憶がなくて、酷く戸惑っていた。

 私も三十六、七ぐらいから段々と同じ話を同じ人に話すようになった。或友人からその事で、「僕は同じ話を何度もする人が大嫌いなんだ」と言われた。私はその友人に、「我々ももう年なんだし、君だって同じ話を何度も僕にしてるよ」と言い、「もっとこう、この人のあの話をもう一度聞きたいって気持ちで、自分から同じ話を相手にさせるぐらいの会話を楽しんだ方が良いんじゃない」などと、あべこべに会話の楽しみ方まで教えようとした。

 私は幸せではなかった。引き返す事も変わる事も出来ずに只管小説を書き続けてきた。小説を書いている間だけは幸せだった。

 私はふと思い出したようにアンドレイ・タルコフスキー監督の『ストーカー』の一場面を目の前に思い浮かべる。もう一度始めから観てみたいと思ったら、『ストーカー』の最初の場面が眼に浮かんできた。私は自分の正確な記憶に驚く。映画の音までが聞こえてくる。これならふんだんに読書や芸術鑑賞をしてきた甲斐もある。

 私は十代の終わり頃、ヴィデオカメラで自分のタルコフスキー研究の卒業制作として、『狂人との出会い』と言う短編映画を撮った。私はアトリエにあるTVとヴィデオデッキでその自作映画を観る事にした。ヴィデオテープは本棚の中の自作映画の段に並べて置かれてある。その本棚には自作の音楽を吹き込んだカセット・テイプや漫画の原稿や絵画も保管されている。


 『狂人との出会い』

 私は異国の地で故郷に似た街並みを探し歩いていた。

 私は幼い頃から父の仕事の事情で何度も何度も引越しを繰り返していた。そんな私にとっての故郷とは私が産まれた土地から何度も引越しを繰り返した後に移り住んだ長崎県の島原半島だった。一年以上同じ土地に留まる事のなかった少年時代に、島原には例外的に三年半住んでいた。

 島原にいた頃は地元の子供達とは一人も友達になれず、私は毎日父から買い与えられたカメラを持って、愛する島原の風景を写真に収めて楽しんでいた。その頃の私の心は寂しさのせいでとても痩せ細っていた。島原の肥沃な土地はそんな私の心をとても優しく包み、私は次第に島原半島の自然に心惹かれていった。

 イタチやタヌキのいる里山に出かけていっては餌付けをしたり、私は自分に心を許した動物達に会いに出かけては放し飼いのペットのように可愛がった。私は里山に棲む動物達を沢山写真に収め、動物図鑑を作る事に夢中になった。図鑑の写真と原稿の内容はその後の植物図鑑や昆虫図鑑の写真や原稿にまで広がっていった。

 或日、学校から帰宅して、いつものように近くの里山にカメラを持って出かけると、大学生ぐらいの青年がカメラで写真を撮っていた。私は何と言って、その青年に話しかけたら良いのか、すっかり人に話しかける切っかけを掴めずにいた。私は青年が写真を撮っている後姿を黙って見ていた。青年は辺りを見回し、私の方に振り返ると、私の姿を見て、とても驚いた顔をする。幽霊だとでも思ったのか、青年は無言で私を見つめる。青年は口を開け、何やら私に話しかけようとしている。私も何を話したら良いのか全く判らなかった。青年は私に向かって笑顔で何遍も頷くと、「そうですよ。私は神です。あなたは私の生活を見て、写真を撮るようになったんですか?」と話しかけてきた。私は何と返事をしたら良いのか判らなかった。青年は私を見て話していながら、私に全く身に覚えのない事を尋ね、私は何も答えられずにいた。私の生活を見てって何だろう?この人は本当に神様なのだろうか。

「あなたは神様なんですか?」

「それを私に知られてはいけないんでしょう?」

「あの、何を仰っているのか僕にはよく判らないんです。本当にあなたは神様なんですか?」

「二重に見えたり、聞こえたりする世界が今は一つではありませんか?」

「はい?」と私は何となく彼の事を察して訊き返す。この人は頭のおかしい人だ!

「いいんだ。気にしないでくれ。初めて人に確認した事なんだが、どうやらその事を答えられる人間は早々見つからないようだね。それじゃ、僕はもう十分写真を撮ったから、一足先に帰る事にするよ」と青年は言い、僕に背を向けて里山から去っていく。私はさよならも言わずに黙ってその青年の後姿を見送る。別に危険な人ではない。性格的にもとても穏やかな人だった。あの青年が何か重要な事を話していたとしたら、相手になった私の応対は十分ではなかったろう。神様って・・・・。いいや、あの人は神様なんかではない。あの人は何一つ私に神である事の証明が出来なかった。もしかして、あの人は冗談を言って私を笑わせようとしたのか。

 青年が去った後、私は幾つかの新しい視点による写真を意味が判るまで撮り続けた。

 結局、私はその視点が何であるのかも判らぬまま家に帰り、暗室でフィルムを現像し、写真を乾かしながら、自分の撮った写真に対する満足感が一体何から起きているのかを考える。もっと自由な発想で物を見たって良いのだと私は思った。私の図鑑作りはこの日を最後に終わらせる事にした。私がやりたい事は写真ではなく、絵画なのだった。

 私は母にスケッチブックを買ってもらい、翌日、学校から帰宅すると、スケッチブックと鉛筆と学校の図工の時間に使っている水彩絵の具とパレットと筆とバケットを持って、早速絵を描きに出かける。

「優一、図鑑作りはどうだ?まだ続いているか?」と父が夕食の食卓で僕に話しかける。

「図鑑作りはもう止めた。図鑑用の写真はもう撮らない」

「一旦中断した訳だな」

「違うよ。止めたんだ。僕が本当にやりたい事は絵を描く事だったんだ」

「一度やり始めた事には全てゴールがあるんだ。新しい事に挑戦するために肩に背負い込んだ物を捨てたい気持ちは判る。でもな、また再び写真を撮ったり、図鑑や写真集を作りたくなるような時が必ず来るものだよ。絵画は絵画でとても奥の深い芸術だ。絵画は写真と平行して行うと、絵画ならではの表現が判り、写真には写真ならではの表現がある事にきっと気づくだろう。二つの事を同時にやっていたなら、お前は画家であり、写真家でもある訳だ」

「それなら、写真も撮り続けるよ」

「『継続は力なり』ってな、すばらしい諺があるんだよ」

「諺って、一体誰の言葉なの?誰か昔の人が言っていた言葉でしょう?」

「諺の由来は必ずしも定かではない。諺は昔の人が残した教訓的な言葉で、何時の時代にも知っておくとためになる言葉なんだ。賢い人は皆、諺を知り尽くす程夢中になって諺を憶えようとしたものだ」

「ふふん。『継続は力なり』か。辞書で意味を引いてみる」

「うん、判らない言葉を直ぐに辞書で引いて意味を知る習慣を付けた者は将来正しい日本語と正しい外国語を話すようになるよ。外国語を完全に習得出来る者とは母国語をきちんと勉強した人だけなんだ」

「僕、近くの山で自分の事を神様だって言う人に遇ったんだ」

「何時?」

「今日の昼過ぎ」

「その人は何か神の力をお前に示したか?」

「何だか言ってる事がちんぷんかんぷんで、僕、その人の言ってる事の全部が何を意味してるのか全く判らなかったよ」

「どんな感じの人だった?」

「何か頭のおかしい、子供みたいなお兄さんだったよ」

「そうか。もうこれからはその人に遇っても挨拶ぐらいにしなさい。余り深く関わっちゃいけないよ。不吉な事の前触れだったら、尚更関わってはいけない」

「うん、判った」

「一寸、あなた、それは差別よ」と僕の席の真向かいに座る母が父に注意する。

「優一、もしかしてお前は頭のおかしい人の言葉に興味があるのか?」

「ううん・・・・」

 父がぱちんと手を叩く。私はその音にはっとして我に返る。

「優一みたいな子は危険だな。先行きが心配されるよ」

 母が父を注意した事で、私は父をも頭のおかしい人なのではないかと疑い始める。

「千恵子、お前はどうだ?頭のおかしい人間の言葉に興味があるか?」

「誰とだって、知り合えば、お話ぐらいしますよ」

「優一はお前に似たな」

「あたしは元々看護婦よ。仕事柄精神分裂病の患者さん達のお世話もしてきたのよ」

「そうか。お前は医療関係者として言っている訳か」

「精神分裂病って何?」と私は父に質問する。

「昔の差別用語で言えば、気狂いとか、狂人って呼ばれる人達の病名だよ。お前の心が何らかの関心や同類である事でそう言う人を引き寄せているんだよ」

「引き寄せるって?」

「そこからはインド哲学の領域になる。インド哲学は生活の中で自然に学ぶ方が良いんだ。お坊さんが大学で学ぶような難しい言葉で憶え、習得するには、大変な苦労がいるんだ。引き寄せるの意味を知りたければ、先ず自分で辞書を引いて、意味を調べなさい」

「うん、・・・・判った。お父さん、何か怒ってるの?」

「別に怒っちゃいないよ。お前の事をただ心配してるだけだ」

「そうなんだ・・・・。御馳走様。僕、引き寄せるの意味を辞書で調べてくる」

「うん、そうしなさい」

 私は食卓の席から立ち上がり、部屋に向かう。部屋の机の上に国語辞典が置いてある。私は電気を点けて引き寄せるの意味を引く。

『自分の手元へ(引いて)近づける(かせる)』

『三省堂・新明解国語辞典』より。

 これが私の心がした事だとはとても理解し難い。はっきり言って、全く私には意味が判らない。私は辞書を持ってダイニングルームに戻ると、父に『引き寄せる』のページを開いたまま辞書を手渡し、「僕、お父さんの言ってる事の意味が辞書を引いただけじゃ判らないよ」と不安な気持ちで父に打ち明ける。

「ううん、確かにこの説明ではお父さんにも判らないな」

「何だ!お父さんにも判らないのか!」

「思いの力が原因となって、出会いや出来事を生むんだよ」

「念力の事?」

「字から解釈すると確かにその通りなんだが、一寸待ってな」と父は言い、国語辞典で調べる。「『意志の力』、ううん・・・・、引き寄せは必ずしも意志の力として人間が自覚出来るような現象ではないからなあ」

「僕、インド哲学習ってみたい!」

「そうか。ならば、お父さんが時々話してあげよう」

「うん!」

「自分の心と体がこの物質世界の現象を引き起こしてるんだが、この事をはっきりと認識するには真理を信じる気持ちがなければいけないんだ」と父が頸を傾げ、独り言のように言う。

「優一はあなたの言葉を信じてますよ」と母が父に言う。

「俺もインド哲学は母親から習ったんだ。あんまり高い次元になると、母もこう頸を傾げて自信なさそうに言っていたなあ」

「神様の教えだものね」

「うん。家は仏教家系だがね」

 母は席を立ち、食卓の上の皿を台所に運ぶ。

「子供はそう言うだらあんとした自信の無さそうな口調ではなかなか受け入れ難いものですよ」と母が洗い物をしながら言う。

「いやあ、そんな事はないよ。母も自分では判らない事に関しては全てを見通した者のような自信満々な口調では教えなかったんだ」

「その自信の無さそうに伝えられたインド哲学の教えが家には三代も続いていく訳?」

「皮肉を言うなよ」と父が台所にいる母に向かって苛立ったように言う。

 母は黙って洗い物をしている。食器洗いの盥一杯の水面に水道水が流れ続け、盥から水が溢れている。

 私は国語辞典を持って、部屋に向かう。

 青みがかった薄暗い部屋の中、開け放った窓の外にはしとしとと雨が降っている。私は窓際のベッドの脇に腰かけ、窓外の雨音に耳を傾けながら、あの里山で見かけた神様の事を思っている。


 私は改めて自分のタルコフスキー研究の卒業制作として作り始めた学生時代の初監督作品『狂人との出会い』を観て、とても懐かしく思った。

 私はTVの前の愛用の肘掛け椅子から立ち上がると、アトリエの真ん中に置かれたイーゼルの方に歩いていく。イーゼルの上に載せたキャンバスには、大草原の真ん中に立って、大空を見上げている少年の姿が鉛筆で描かれている。私はアトリエ全体を眺める。ここには嘗て手放した作品までもがある。年代を追って、目に浮かんでくるままに自作品を思い返していると、自分の一生は夢見るような事ばかりなのかもしれないと思った。私は幼い頃からずっと絵を描き続けてきた。途中、他の表現を試みながらも、幼い頃から絵を描く事だけは一生続けなければいけないと思ってきた。私はこのアトリエの中の過ぎ去りし日々の行為を振り返る事の無意味さに気づいた。生きている限り、延々と続く画業であったろう。幾ら作品を描き続けたところで、人間の神性を実現する事がなければ、人智を超えるような事までは描けない。私は今、とても満ち足りた思いでいる。愛する行為をとことんやった事によって、次に生まれ変わった時にはきっと人間の神性の実現のための修行や奉仕活動に専念出来るだろう。突然、ムスリムの友である結跏趺坐を組んだラシードがアトリエの空中に眩しい光を放ちながら現われる。ラシードはインドの弦楽器を弾きながら、とても楽しそうに歌を歌っている。


この世は夢、

夢夢夢、夢ばかり・・・・。

泣いても笑っても夢、

夢夢夢、夢ばかり・・・・。

終わりなき夢の中で

人は如何にして生きるべきか。

人は皆、

正しい生き方を知らぬまま、

我流で生きている。

それは遠回り。

取り返しの付かない結果にもなる。

人は皆、

自分が盲である事を知らぬ者なり。

生き方は聖なる師に学ぶべし。

転生したならば、

必ずや弟子として共に生まれ来るような

愛すべき人生の師を探すべし。

聖なる師の下に赴き、

尊い教えを授かるべし。


 眩い光を放つラシードが空中でそう歌い終わると、シードの声が

オームの御声と一つになって、「友よ!この光を忘れる事なかれ!」と部屋に満ちる。


 私の人生はこのまま絵や小説を書くだけで良いのか。その事をずっと疑問に思いながら、絵や小説を書き続けてきた。私の画家人生の最後ら辺は神仏の絵を描いていた。自分が満足のいく神様の絵を描き終えても、尚私の余生は続いた。信仰の証として神仏の絵を描き残した後の余生とは何に費やすべきなのか。やり始めた事は来世に引き継がれるのだろう。


 何かに引っ張られているような感じがずっとある。心が何処へともなくさ迷い続けているのか。エイジアの何処かにありそうな貧民街に入り込む。焼き玉蜀黍を売っている露店に若い褐色の肌をした女がいて、じっと私の眼を見ている。左右に立ち並ぶ粗末な民家はどれもが一階を商店とし、二階を売春宿にしている。辺り一帯の二階の窓から化粧をした女達が道行く人々を眺めながら、笑顔を振り撒いて客引きをしている。私の視線がふと薄暗い路地の方に向けられると、何だかとても懐かしい気持ちが込み上げてくる。私は路地に入っていき、懐かしい友との再会を期待して、誰に会うと言う明確な目的もなく、私の心を満たす友の方へと足を進める。私は子供達が奇声を上げて飛び出してくる古惚けたアパートメントの入口に入り、迷いなく薄暗い廊下を一番奥まで進む。ドアを外して、入口の脇に立てかけた一階の一番奥の部屋の前に来ると、私は断りもなく友の家の中に入っていく。薄暗い室内の壁には額に入った風変わりな油絵が沢山隙間なく飾られている。私はその風変わりな絵をゆっくりと一つずつ眺める。

「クニか?」と家の奥から低くしゃがれた男の声が私の名を確認する。私は声のした奥の部屋の方に振り返る。眩しい陽射しが奥の部屋から溢れている。私は思わず眼を細める。

「そうだよ。こっちに来なさい。あなたにプレゼントしたい絵があるんだ」

 私はまるで神様の御光の中に一歩一歩入っていくような気持ちで奥の部屋へと進む。私は光の世界に入り込む。そこは光以外何もない。あの声の主は一体何と言う名の男だったろう。確かに聞き覚えのある声だ。 

「ソム・ポン、それが私の名だ。天国の記憶を絵にしていたタイの画家だよ」

「ああ!思い出した!あなたとは直接会ったんじゃない。あなたは私が日本のTVで知った最も尊敬する画家だった」

「来る時に焼き玉蜀黍を売っている露天商の女を見たね?」

「はい」

「あの女の名はソム・インと言い、あなたの描いた女神の絵のモデルだよ」

「ああ!自分では誰とまでは思い出せなかったんですけれど、何処かで見た事のある女性だとは思っていました」

「うん」とソム・ポンは言い、「クニ、こっちに来なさい」と私を更なる眩しい光の中へと招き入れる。私が一歩一歩光の中を進むと、突然私を笑顔で迎える褐色の肌をした男の姿が現われる。その背後には大きな油絵がイーゼルに立てかけてある。私はソム・ポンに握手を求める。ソム・ポンは気持ち良く握手に応じ、私をハグする。

「あなたは確か人の前世までもが判る英知に目覚めているとTVで仰ってましたね」

「うん、その通りだ。その他にもあらゆる事が判る。私は十代の頃から神への信仰に生きてきた。私は天使としての役目を果たすよう、使命を持って生まれ変わった者だ」とソム・ポンは言って、唐突に笑い出す。「その男の名なら後で思い出せるようにしてあげよう。私はその男を知っている」

「彼の事を御存知なんですか?あなたは本当に神様のような人ですね」

「ううむ。私があなたをここに呼んだのは確かだ」

「ここはあの世ですか?それとも夢の中なのでしょうか?」

「そのどちらでもある。あなたの心は自分という膜が破れて、現われては消える泡のような夢に反応し続けているんだ。あなたは何としても再び現実界に目覚めねばならない。あなたの見る夢はなかなか手強い。あなたには現実ではないと判っていながら、あらゆる夢や幻を芸術作品を鑑賞するかのように楽しむ心がある。良いかい?私の眼から視線を逸らさず、しばらく私の眼を見ていなさい。そうすれば、きっと夢から覚めるだろう」

「はい、判りました」

 私がソム・ポンの教えに従うと、私の周りは眩しい光で満ちていく。

「何か別の世界が見えてきました」と私はソム・ポンに言う。

「来なさい。私の中に」

「あなたの中?」

「そうだ」

「あなたは今、何処にいるんですか?」

「私はこの宇宙の偏在者だ。私に会いたければ、遠くまで私を捜しに行かなくとも、ただあなたが私を想いさえすれば、あなたの眼の前に現われるだろう」

 私の前にはもうソム・ポンのアトリエはない。

「あなたには死の概念が全くない。あなたは魂が体を脱ぎ捨てる事が死であり、決して経験されるものではないと信じていた。あなたに魂の存在を教えた師は水木だ」

「水木って、漫画家の水木しげるさんの事ですか?」

「そうだ。あなたは彼の原作のアニメーションで魂が体から火の玉のように抜け出す死の場面を観て、魂の実在を信じたのだ。その時にあなたはあの世の存在までをも信じるようになった」

「ああ!憶えています!『ゲゲゲの鬼太郎』ですね!あれは大好きなアニメーションでした!」


 私はアトリエのイーゼルに載せたキャンバスの描きかけの絵を見ている。私がダリ研究として描いた絵である。若い頃の私は頭の中が整理されてしまっては良い絵は描けないと思っていた。絵画のために面白い夢を見ようと様々な表現作品を態と頭の中が混乱するように鑑賞していた。例えるなら、恐怖を感じていながら、笑っているような狂気を経験したかったのだ。

 全知全能の神を想うと、私には狂気を超越した境地のように思えた。狂気なくしては人間の神性や仏性には到達し得ないと思い込んでいた。修行僧の体験記には修行僧が座禅を組み続けて限界に挑戦すると、統合失調症患者が経験するような幻聴が聞こえてくる事があるとも書かれていた。

 イーゼルに載せたキャンバスの描きかけの絵がどのようにしたら、完成するのかが判った。私は筆を持ち、描きかけの絵を難なく描き上げる。

 本当に頭のおかしな人が傑作と称すべき絵画を描き上げるのは無理な事だと判った。奇想天外な発想から作品を完成にまで持っていく能力や閃きは、狂気でなく、正気なのだ。子供が描くような絵を描く事を目指す大人の画家にも同じ事が言える。子供が描くような絵は子供の絵を真正面から分析して、その特徴を作品に取り入れれば、どんな大人にも描ける。大人は大人の絵を追求すべきだと思う。一見子供が描いたような絵に見えて、実は大人が描いたなんて絵は単に観察力や認識力が常人に比べて足りないだけなのだ。奇妙な造形を型作る才能や強烈な色彩感覚が欲しければ、形や色による刺激を脳に与えれば良い。仮に精神異常者の表現物に調和的な全体感があったとしたら、それは当人が自分の心で感じたものをデザイン化する能力や歪んだ心を正確に表現する能力が一定以上に秀でているのだろう。現代には心の病んだ人達が大勢いる。心の病んだ人々は当然の如く心の病んだ画家の絵を好む。心の病んだ画家の絵には観る者の心に強く訴えかける卓越した表現力で迫ってくるような作品が沢山存在する。一流の表現者になるには心が病んでいなければならないと解するのは正しくない。もっと心の病んだ表現者が探し当てた大切な一点に注目しなければいけない。そう言った大切な一点を得るには日頃の観察力が必要とされる。

 これは思考だろうか。文章のように誰かに向かって訴えかけている。ああ!この表紙絵とタイトルは俺の本だな。ああ!やっぱり!和田国男著とある!

「思い出したかな?」とソム・ポンがイーゼルの右隣に立って、私に確認する。

「はい!思い出しました!」

「君が向こうの未来に書く本だよ」とソム・ポンが笑顔で言う。「向こうでは作品を抱えて他界したくなるような強い執着も起きるだろう。こっちに来れば、重要なのは物質としての作品ではないんだ」とソム・ポンがキャンバスの頭を手で叩きながら、笑顔で言う。

「はい」と私が答えると、胸の辺りから煙のようなムッとする何かが溢れ出る。私は開いた眼をもう一皮開けて見るような眩しい光を目にする。

「ははは、君は若い頃によくそういう目覚めに苦しんでいたな」

「はい」 

「活字の問題を机に向かって解くような感じとは少々違っていてね、なぞなぞを解くようにのめり込んではいけないんだ」

「はい」

 ソム・ポンは少し頭を反らし、厳しい顔で、「うん」と頷くと、アトリエの背後を見回し、自分の足元を見る。ソム・ポンは上目使いに私の眼を見ると、「大勢の人達が君の目覚めを待っている」と眉間に皺を寄せて言う。

「はい」

「行って、会ってきなさい」

「はい」

「さあ、私の中に入ってきなさい。そうそう、そうだ。さあ、入ってきなさい。入ってきなさい。皆、向こうで君の目覚めを待っているよ。皆、君を愛しているんだからね。心配はいらないよ」

「はい」と私は言って、涙を拭うと、眩しい光の中へと進んでいく。

私の小説のジャンルは基本的に純文学と解しています。人間の心や人物描写が必ず行う関係で、エンターテイメント的な発想の小説でも純文学の範疇と解される事を望みます。

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