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観山先輩は、今日もどこか気だるげだ。片手で口を隠しながらも、挨拶をしたそばから大あくびをしている。


「水瀬くんは勤勉だなあ。ほんと、我が園芸部の鏡だよ」


そしてふにゃりと笑いながら、室内履きのまま中庭へと降りてきた。


「観山先輩、中庭へは靴を履き替えてから降りてくださいって、いつも言ってるじゃないですか。室内履きで歩いていいのは、そこのテラススペースまでですよ」

「うーん、相変わらず固い。私、今日から三年生だよ? 最上級生だよ?」

「関係ありません」


観山先輩は僕の言を聞きもしない。そのままずかずかと中庭を歩いて、僕の隣へしゃがみこんだ。


「朝も水あげてくれてたでしょ? おかげさまで今日も緑が生き生きしてるねえ……――あれ、この白い花って新顔じゃない?」

「あ、わかりますか? このクレマチス、今日ようやく咲いてくれたんです。このまま伸ばしていって、うまくアーチにしたいなと。もう少し成長したら地植えにしてもいいかと考えてて……――」


しまった、またいつの間にか観山先輩のペースになっている。新学期は靴を履き替えるよう、厳しく徹底するつもりだったのに。


観山先輩は僕の説明にうんうんとうなずきながら、鼻を近づけて匂いをかいでいる。


「いいねえ。花の香りも緑の香りも、春って感じ」


残念ながらこの品種はあまり強い香を放ってはいないのだが、どうやら気に入ってくれたようで何よりだ。


観山先輩はいつもこうである。

出立ちのみならず言動も、自由気ままな猫のようだ。当然園芸部の活動に対しても気まぐれで、主体的に何かをすることは滅多にない。それどころか、活動に顔を出すことのほうが少ないくらいだ。


ではなぜそんな観山先輩が部長を任ぜられているかというと、単純に三年生の代の部員が一人だけだからだ。

二年生でも別にいいじゃん、と僕に部長を譲ろうとしていたが、それはさすがにお断りした。年長者を差し置いて部長になるなどと、高校生活も部活動も一年しか経験していない僕には重すぎる。考えが古いし固すぎると、その時もずいぶん怒られたものだが。


しかしそうして嫌々引き受けてくれた部長職だが、観山先輩はきちんと責務を果たしてくれている。

備品の補充や予算の確保、休日の活動の許可など、名ばかりの顧問に上手に交渉してくれるので、活動しやすいことこの上ない。


しかしこの観山先輩は中等部の一年生から園芸部に入っていたが、なんと去年まで一度も部活動に顔を出したことがなかったらしい。それまでは何か部活動をしろと言う両親からの圧力のために、籍だけ置いている状態だったそうだ。

部活動の名の下に自由に外出できるので、部員の肩書きは便利なのだと言っていた。


しかし去年、僕が中庭の手入れをしていたある日、今日のようにひょっこり観山先輩が現れた。

鬱蒼として寄りつきたくもなかった中庭に、いつの間にか光が当たっていて驚いた、と。


その日から、観山先輩は度々園芸部に顔を出してくれるようになった。


ぼやきながらも水やりをしてくれたり、クレマチスが新たに花開いたことに気がついたり、観山先輩はなんだかんだ植物が好きなのだろう。

籍を置くだけとはいえ園芸部を選んだのは、けして緩く楽な部活だったからだけではないのだと思う。


「……ところでさあ――水瀬くん、何かあったでしょ?」

「えっ……な、何かとは?」

「何かは何かだよ」


観山先輩は不敵に笑いながら、肘で僕の膝をこづいてくる。


「なんですか。別に、何もありませんよ」

「……ふーん?」


柚月といい観山先輩といい、なんて勘がいいのだろう。

それとも、そんなに僕はわかりやすいのだろうか。


「いつでも話聞くからね? 青少年」

「ですから話って、何の……」

「ふふ、何かは何かだよーん。まあ、その話はまたの楽しみに置いとくとして……――実は水瀬くんに、折り入ってお願いがあるんだよね」


観山先輩がそんなことを言うなんて珍しい。


「どうしたんですか、改まって」

「ほら、明日の入学式の後、部活説明会があるじゃん? あれ、私の代わりに出てくれないかなあ?」

「え、嫌ですよ」

「ええっ、即答?!」


予想外の答えだと言わんばかりに、観山先輩は過剰に驚いたふりをした。


「水瀬くんてば、何でそんな酷いこと言うの……先輩が困ってるっていうのに」


そして今度は泣き真似をしている。


「当たり前じゃないですか。部活説明会は部長が壇上で説明するものでしょう。運動部や吹奏楽部なんかは部員数人でデモンストレーションしたりするでしょうけど……僕ら園芸部は、何人も壇上に上がったところで披露することがないし」

「だからさあ、その壇上での説明を代わって欲しいんだってば」

「何でですか。活動内容についてまとめた原稿は、この前渡したじゃないですか。別に原稿通りじゃなくても構わないですし……」

「いやいや、原稿はあれでいいんだよ。いい感じにまとめてくれてあったし。そうじゃなくてさあ、普段あんまり活動してない私が部活説明したところで、魅力がないと思わない?」

「そんなことないですよ、最近はよく顔を出してくれてるじゃないですか。春休み中だって、水やり当番に入ってくれましたし」


春休み中は当番を組み、部員の何人かで育てている植物の様子を見にきていた。予定を組んだのは僕だが、みなが都合のつかない日には観山先輩が率先して入ってくれたのだ。申し出れば用務員さんが面倒を見てくれるが、おかげで春休みは部員だけで回すことができた。 


観山先輩を見ると、泣き真似が終わったと思ったら次は怒っているようだ。忙しい人である。


「じゃあ、部長命令ね! 実質の部長は水瀬くんなんだから、水瀬くんが説明したほうが絶対いいってば。園芸部の部長って認識されて、細かい質問とかされても困るもん」

「普段は部長って呼ぶと怒るのに。そもそも実質の部長は僕って今……――」


話は終わりとばかりに、観山先輩は両手で耳を塞いでしまっている。

別に質問を受けたところで答えられなくてもいいと思うが、観山先輩は先輩なりに園芸部のことを考えてくれているのだろう。

上級生が卒業し、ただでさえ少ない人数がさらに少なくなってしまっている。今年はどうにか新入部員を惹きつけて、迎え入れたいのもやまやまだ。


「……じゃあ、僕も壇上に立ちますから、二人で原稿を半分ずつ読むのはどうですか? それで最後に入部希望や質問がある人は僕のところへ、って言いますよ」

「お、ほんと? それならまあ……」


僕が妥協案を提案すると、観山先輩は少し思案したようだだった。しかしどうにか納得してくれたらしく、またふにゃりと笑って立ち上がった。


「仕方ない、最初の挨拶くらいは頑張るよ。水瀬くんがいてくれるなら心強いし……よかった、これで今日もゆっくり眠れそう」

「寝過ぎて明日、サボらないでくださいね」

「私、サボったことなんてないもーん。それじゃあ明日、がんばろね!」


冗談なのかわかりやすすぎる嘘なのか、判断に迷う発言だ。


「あ、そうだ。その白い花、なんて名前だっけ? ク……クラマ?」

「クレマチスです」

「おけ、クレマチスね! クレマチス、見せてくれてありがと!」


ぶかぶかの袖の中から手を振りつつ、観山先輩は上機嫌で食堂のほうへ戻っていく。

明日は袖のボタンを留めるよう、進言しなくては。

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