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「まあまず、椿ちゃんはあのルックスだからさ。入学してきた時から、すごい美人が入ってきたって噂になったんだ。わざわざ彼女のクラスまで見にいくやつとかもいてさ」
たしかに彼女の美しさは群を抜いている。耳目を集めるのもいたしかたないだろうか。
「それに見た目だけじゃなくて、あの子って雰囲気が他の子と違うっていうか……オーラがあったんだよね。水瀬も会った時そう思わなかった?」
「まあ、たしかに」
元の世界の彼女も、いつも魅了的なオーラを放っていた。真崎さんにも言えることだが、この世界の彼女もやっぱり同じなのだ。
「あの容姿にあの雰囲気だろ? そりゃみんなほっとかないよね。学校中の男たちが虜になったと言っても過言ではないくらいだった」
「それもまあ、彼女なら驚きはしないな……柚月もやっぱり彼女に惹かれた?」
「俺? 俺は例外。可愛いとは思うけどさ、それだけかな」
彼女の虜にならないなんて、やはり柚月は変わり者だ。
それに柚月こそ大変にモテるのに、彼女というものを作る気配が一向にない。何度か告白されている場面にも遭遇したが、どれもそつなく断っていた。
軽い気持ちで愛を受け入れないところは、僕からすれば好ましく見える。しかしこの世界におけるこの年代の男の行動にしては珍しいだろう。
もしかしたら柚月にも心に決めた運命の相手がいて、いつの日か出会えることを待ち望んでいるのかもしれない。
「――それで椿ちゃんが入学してから、森園には椿ちゃんフィーバーが起きた。でもちやほやされても別に嬉しそうじゃなかったし、本人は至ってクールだったね。笑い返したりしてるのも見たことない。野次馬はみんな無視。だけどそんな愛想を振り撒くタイプじゃなかったのが幸いしてか、ある程度時間が経ったら椿ちゃんフィーバーも一応は落ち着いたんだ。一応はね」
「なんだよ、含みがあるな」
「みんな表向き諦めただけだよ、相手にされなかったから」
ちょっとやそっとで諦めてしまえるなどと、そんな軽薄な気持ちでみな彼女に愛を囁いたのだろうか。押しが強すぎて彼女の迷惑になっていたのなら許せないが、簡単に捨てられるほどの思いしかなかったのなら、それはそれで理解し難い。
一体どこに目をつけているのだろう。いくら高嶺の花であろうと、彼女の魅力は諦められる程度などではない。
「で、しばらくは特に何も起きなかった。友達ってよりは崇拝されてる感じだったけど、クラスの子ともうまくやってたみたいだし。男に媚びない感じとか、女子受けもしたんだろうな」
真崎さんも言っていたように、彼女は男女問わず人気があるようだ。
彼女のまっすぐな瞳は、同性の心にも深く刺さるのだろう。
「でも一年ちょっと前……俺が中三の終わり頃で、椿ちゃんが中二の時ね。トラブルが起きちゃったんだ」
まさか、彼女の身に何かあったのだろうか。僕の心に不安がよぎる。
「んー……俺の同級生だった女子の一人と、ちょっとね。その子は別の学校に仲良い彼氏がいたんだけど、その彼氏とけっこう大きな喧嘩をしたらしいんだ。その喧嘩の時に、彼氏がよくないことを言った」
「よくないこと?」
「そう。椿ちゃんの可愛さをお前も見習えだの、一回紹介しろだの、まあそんな類のことをさ」
「それは……酷いな」
許しがたい男である。他の女性を引き合いに出して、好いた女性を傷つけるなんて。
彼女はとても眩く美しいが、それは他の女性が輝きを失うことには繋がらない。彼女には彼女の、その女性にはその女性の魅力があるというのに。
「だろ? そんなこと彼氏に言われたら、傷つくに決まってる。それにそれだけじゃない。椿ちゃんに対して敵対心を持っちゃう言い方だろ?」
もちろん椿ちゃんは何も悪くない。少しも悪くない。しかしその彼氏とやらの不用意な発言によって、椿ちゃんは知らぬ間に知らぬ女生徒の恋敵となってしまったのだ。
「その同級生からしたら椿ちゃんは後輩なわけで、それもまた面白くなかっただろうし。だからその子はつい、椿ちゃんにあたっちゃったんだな」
「あたった?! 彼女に?!」
「落ち着けって。物理的に何かしたわけじゃない。偶然さ、校内で二人がすれ違う機会があったんだ。ほらあの、視聴覚室前の階段のあたり。あそこですれ違いざまに椿ちゃんに言っちゃったんだよ、男にちやほやされていい気なもんだとか、顔がよければ何してもいいんだ、的なことを」
それはそれで酷い暴言だ。椿ちゃんは何もしていないというのに。
「もちろんいきなりそんなことを言われたんだから、椿ちゃんだって怒る。先輩とはいえ、けっこう激しく言い返したんだ。いきなり失礼だとか、あなたは私の何を知ってるんだとか…….まあ当然の主張だな。でもまさか言い返されるとは思ってなかったから、同級生は焦った。さらに焦った拍子に足を滑らせ階段から落っこちて……」
「えっ……大丈夫だったのか?」
急展開である。椿ちゃんに暴言を吐いたことは許しがたいものの、その子だってある意味被害者なのだ。なんて嫌な衝突だろう。
「大事には至らなかったけど、手首にヒビは入ってた。休み時間でその騒ぎを見てた人も多かったから、けっこうな騒ぎになっちゃってさ。それだけならまだしも、こういうのって尾鰭がついちゃうもんだろ? いつの間にか椿ちゃんが彼女持ちの男を誘惑して、さらにその彼女を階段から突き飛ばしたって話になっちゃってて……――」
「ええっ?!」
なぜだ。なぜ彼女が一人悪者にされなければならないのだ。おかしい、断じて許せない。
「ことの成り行きを中途半端に見てたやつが適当に噂を広めたか、又聞きしたやつが話を歪めたか……そんな感じだろうな。実を言うと、俺はちょうどその場にいて一部始終を見てたんだ。怪我した同級生を保健室まで運んだのも俺。だから本人からも事実を聞いて知ってるんだけど、ほんといつの間にか噂が広まっちゃってたんだよな……」
柚月は僕と同じように心底悔しそうに顔を歪めた。そのように事実が歪曲されることを、柚月は良しとはしないだろう。おそらくどうにか誤解を解こうと、彼なりに努力はしてくれたはずだ。
今僕にこの話を詳細にしてくれているのも、校内の誤解を解く一貫かもしれない。
「……椿ちゃんと同級生は後で呼び出されて、ちゃんと和解したんだ。同級生が反省して、謝罪して、椿ちゃんは悪くないってことで話は終わった。でもなんて言うかこう……普段から椿ちゃんのことをやっかんでる子とか、相手にされず逆恨みしてるやつとかがさ、あのトラブルをきっかけに気持ちを抑えられなくなっちゃったんだろうな。椿ちゃんを悪者にしちゃいたいって言うかさ」
柚月や真崎さんの話からすると、本宮椿という彼女は美しく凛々しく、みなから好かれていたのだろう。
しかしそんなあまりに完璧すぎるがゆえに、嫉妬を抱く者がでてしまったのだ。
そしてそれだけならいざ知らず、愛を受け入れてもらえないがために逆恨みするなどと、全くもってあり得ない。そんなもの、僕は愛とは認めたくない。
「もちろん同級生は聞かれれば本当のことを言ったし、俺もそうした。でもそれを聞いてくれるのは結局周りだけで、他の学年に至っては訂正する機会すらなし……しかもその同級生は外部受験組だったから、高校は別のとこいったんだ。当事者がいなくなったもんだからさらに噂ばっかり広まって、あの日以降、椿ちゃんはかなり居心地悪かったと思う」
事実無根な噂話によって、どれだけ傷ついたことだろう。その心情を思うだけで、どうしよもなく辛い。
「俺も何度か椿ちゃんをフォローしようとしたんだけど、本人に拒否されちゃってさ……先輩には関係ない、噂なんて気にしてないって。まあフォローって言っても、俺にできることはほとんどなかったんだけど。でも椿ちゃんが留学したのはそれから間もなくで……あのことが関係ないならいいけど、やっぱあれが原因で居心地悪かったのかなあー……――」
柚月は悩ましげにため息をついた。彼の中でその出来事は、かなりのしこりになっていたのだろう。
「……事実を知ってる柚月から聞けてよかった。聞かせてくれてありがとう」
たとえ噂話のほうを先に聞いたとしても、僕の彼女に対する愛は変わらない。しかし悪意を持って彼女の噂を聞かされたなら、僕はその話し手にに悪意を持たねばならなかった。
柚月は僕に、努めて客観的に話してくれているように感じた。
「水瀬ももし今みたいな椿ちゃんの噂聞いたら否定してくれよ。俺もその都度してはいるんだけどさ……」
柚月は言葉尻を濁したが、僕はなんとなく察した。
柚月は人望もある人気者だ。だがそれゆえに、柚月は柚月で嫉妬を集めやすい。柚月が椿ちゃんを庇えば、面白く思わない女の子も多いだろう。
僕は椿ちゃんのためにも、もちろん噂話の否定を快諾した。
もっともそんな話をする間柄の友人は、僕には柚月しかいないのだが。