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あの春休みの日、彼女たちに出会った日から、僕の心はふわふわと浮かれていた。
この世界に生まれて以来、楽しいことはたくさんあった。しかし、こんなに満ち足りた気持ちになったのは初めてである。
やはり僕の人生には、彼女という存在が必要不可欠なのだ。
「――なあ水瀬、なんか変わった? いいことでもあった?」
僕の多幸感は、どうやら滲み出てしまっていたようだ。なんだったか、この状況を詠んだ和歌があった気がする。
和歌というものは、とてもいじらしく心に沁みる。僕はこの文化を特に気に入っていた。
ああそうだ、たしか……しのぶれど色にいでけり我が恋は――だったな。
「なあ、聞いてる?」
「え? ああ、ごめん柚月。聞いてたよ」
柚月は僕のクラスメイトだ。そしてこの世界で初めてできた友人であり、唯一の友人でもある。
顔良し、頭良し、性格良し。運動神経もさることながらコミュニケーション能力に長け、あらゆる方面から好感度が高い。つまるところ、欠点という欠点のない男だ。
しかしこの男はどことなく変わってもいる。
まず、僕と一緒にいるという時点で変人だ。自分でいうのもなんだが、僕はけして人から好かれるタイプではないだろう。
元々この世界の人間ではないし、精神構造や人生観も違う。そして彼女以外の人には興味が湧かなかった上に、この世界を探求することに忙しかった。
それゆえに、僕は高校に入学するまで人間関係の構築に容量や時間を割く余裕はなく、またそうしようともしてこなかった。他者との衝突は避けつつも、距離を縮めることなく生きてきたのだ。
だが柚月というやつは高校入学以来、いくら僕がそっけなくとも構わず話しかけてきた。彼は中学から森園であるから、同じクラスに友人もたくさんいた。それにもかかわらずなぜか、登下校時も休み時間も、いつも僕にばかり話しかけにきた。
柚月に言わせると僕は、「変わっていて面白い奴」らしい。とりたてて変な行動はしていないつもりだが、何かが彼の目を引いてしまったようなのだ。僕からすれば、変わっているのは柚月のほうであるのに。
しかしまあ僕だって、向こうから距離を縮められたなら悪い気はしなかった。異文化交流というものも興味深かったし、何より柚月は気持ちのいい人柄で、共にいるのは楽しかった。そんなこんなでいつの間にか、僕らは友人という間柄になっていたのだ。
「それで、何かあった? もしかして、好きな子と同じクラスになれたとか?」
柚月はにやにやしながら、わざとらしく声をひそめて言ってきた。
「やっぱり三輪? それとも佐々木? 水瀬のタイプってどんなやつなの?」
あいにく、三輪という人も佐々木という人も存じ上げない。僕のタイプは彼女だけだ。
二年生のクラス編成でまた柚月と同じクラスになれたことは素直に嬉しかったが、それ以外の面々には正直なところ興味がない。
今の僕が気にしているのは、二人の彼女の高校生活だけである。まもなく二人がこの高校へ入学し、同じ学舎で学べる時がやってくる。それがもう待ち遠しくてたまらない。
柚月にもこの感情を共有したいところだが、どこから説明すればよいのかわからないので黙っておく。
「別に何もないよ、ちょっと考えごとをしてただけで……それよりも柚月に聞きたいことがあるんだ」
「なんだ、つまんないの。何? 改まって」
「本宮椿、って子のこと知ってたりする? 中等部の子で、今年から高等部に入るらしいんだけど」
柚月は部活動などのコミュニティに属してはいないものの、なぜか校内で顔が広い。もしかすると、彼女について見聞きしたことがあるのではないかと思ったのだ。
僕が彼女の名をだすと、柚月はちょっと驚いた顔をした。
「もちろん知ってるよ、有名人だもん。でも水瀬の口から椿ちゃんの名前が出てくるとはな、予想外だ」
「椿ちゃん……?!」
真崎さんもそう呼んではいたが、柚月は一体彼女とどういう仲だというのだろう。
「いや、そんな睨むなって! 椿ちゃん、ってのは俺が勝手に呼んでるだけ。彼女は呼び名が多いんだよ、椿様とか女王様とかさ。有名人だから、みんなそれぞれ勝手に呼んじゃってるんだよな」
「有名人? 僕は聞いたことすらなかったけど」
「多分水瀬以外はみんな知ってるよ。話したところで興味ないと思ったから、話題にしたことなかったけどさ。今まで女なんて眼中になし、って感じだったじゃん?」
そう言われると、その通りなので何も言えない。正確に言えば彼女以外眼中になし、だったのだが。
「あー、たしか今年留学から帰ってくるんだよね。イギリスだっけ? 姉妹校のとこ」
「本当詳しいな、学年違うのに」
「まあ……たぶん高入生以外は知ってる情報かな。でもなんで急に椿ちゃんの話?」
「いやまあ……話せば長くなるんだけど、春休み中にちょっと話す機会があって。どんな子なんだろうか、と……」
別にあの日の出来事だけならすぐ話せてしまうことだったが、あの部分だけ切り取ってしまっては、彼女の印象に悪影響を与えてしまうかもしれない。
「ふーん、話す機会ね」
柚月は何かを感じ取ってはいたようだが、深く踏み込んでくることはしなかった。こういうところも、柚月がみなから好かれる所以だろう。
「まあ、なんで有名なのかも話すと長くなるんだけどさ……――」
そして柚月はどこか重たげに、彼女について教えてくれた。