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「拾うのを手伝ってくれて、ありがとうございました。それじゃあ……」


彼女は散らばっていた私物を拾い終わると、立ち上がって去って行こうとした。

それは困る。

ここで別れてしまったら、再び巡り会うまでにどれほどかかるかわからない。


「あっ、ちょ、ちょっと待って……!」


僕は慌てて彼女を引き留める。


「……? 何か?」


彼女は振り向きながら、小首を傾げた。そのさりげない仕草一つとっても、とても愛おしい。


「えっと、あの……実は道に迷ってて……――よかったら駅まで……いや、大通りまででもいいんだけど、道案内を頼めないかな……?」


これは決して嘘ではない。

彼女の時間を奪うのは申し訳なかったけれど、どうにかして話す時間を作りたくて、僕は彼女にそう懇願した。


「あ、なるほど……ここら辺の道って、わかりにくいですもんね」


彼女は微笑みながら、僕の願いを二つ返事で受け入れてくれた。


「いいですよ、お礼がてら駅まで送ります」


この世界の彼女の笑顔を見るのは、初めてのことだ。そしてその笑みが僕に向けられているなんて、こんなに嬉しいことはない。




僕は彼女と二人で連れ立って、昼下がりの街を歩き始めた。

駅まではどのくらいかかるだろうか。少しでも長く、この時間が続けば良いのに。


「ありがとう、助かったよ。僕は水瀬……水瀬雫。四月から高校二年生になる十六歳。よかったら君の名前も聞いても?」


僕はまずこの世界での自己紹介をして、彼女に名前を尋ねてみた。

なんだかナンパのようになってしまったが、致し方ない。


「……真崎です。真崎ぼたん」


彼女は少しためらいながらも、名前を教えてくれた。

――真崎ぼたん。

大輪の花をまとっているかなような美しさのある、彼女らしい素敵な名だ。


僕は、彼女に伝えたいことが山ほどあった。この世界で巡り会えた喜び、今の彼女の魅力、そして彼女への愛情……。時間がいくらあっても足りないほどだ。

しかし、僕はこの世界での常識をしっかり身につけている。

突然見知らぬ男から愛だの恋だの言われたら、彼女は萎縮するどころか恐怖してしまうかもしれない。過剰な愛情表現はストーカー行為とみなされかねず、ロマンチシズムはナルシスト扱いを受けかねない。

とりあえず僕は、今の彼女の境遇を知りたいと思った。


「あの……嫌だったら言わなくていいんだけど、さっきは一体何が?」

「ああ……やっぱり気になりますよね」


彼女は少し考えてから、軽い口ぶりで驚くことを言った。


「……最後に私の鞄を蹴った子、いたじゃないですか。あの子の彼氏を、私が取っちゃったんです。それでその子が怒って仕返しに来た、って感じでしょうか」

「えっ……?!」


なんてことだ。

すでに彼女に特定の相手がいるなんて、想定外にもほどがある。この国は一妻多夫制ではないのだ。

彼女が選んだほどの相手なら、きっと素晴らしい人物に違いない。僕に勝ち目はあるのだろうか。愛情一つとって言うならば僕の圧倒的勝利は揺るがないが、それ以外はどうであろうか。

僕の頭は衝撃のままに、ぐるぐると色々なことを考えそうになる。


……しかし、しかしだ。

考えるよりもまず、確認せねばならないことがある。


「……あの子の元彼氏であり今の君の彼氏だという男は、自分が原因で二人も傷ついているというのに、どこで何をしてるんだ……?!」


全くもって許しがたい。いくら彼女が選んだ相手とはいえ、言語道断である。

愛した女性を傷つけ、愛する女性に傷を負わせ、互いを衝突させてしまうだなんて。


湧き上がる怒りが、彼女にも伝わってしまったのだろうか。彼女は僕を見て、驚いた顔をした。

しかし次に口に手を当てて、ころころと鈴を転がすように笑い始めた。


「……あははっ、その反応は初めてかも。ほんと、何してるんだろ? 顔も知らない、私の彼氏は」

「――……? 顔も知らない?」

「知りません。顔どころか、名前も知らないし。というかそもそも、付き合った覚えもないし」

「……???」


僕の頭は混乱した。


「その人、私のことを駅で見かけて、好きになったんですって。だから別れてくれって、そう言われて、あの子はフラれたらしいんです。その彼氏さんの中ではすでに私と付き合ってることになってたみたいで……まあ、あの子が怒るのも無理ないですね」

「え、っと……それはつまり、見ず知らずの相手から一方的に思いを寄せられているということ? 勘違いか何かでそいつはすでに君と付き合ってると主張して、あの子を振った。それであの子は君を逆恨みしていると?」

「まあ、そんな感じです」


なんてことだ。

たしかに目の前の彼女は魅力にあふれているから、ひと目見たらあっという間に恋に落ちてしまうのも頷ける。現に僕もそうだからだ。

しかし、当人に断りもなく交際宣言するなんて。しかもそれを、交際していた相手に伝えるなんて。それでは彼女に恨みがいくに決まっているではないか。どんな男か知らないが、彼女の名誉を二重三重に傷つける行為に他ならない。


「なんて男だ! それでさっきの彼らはみんな誤解してるのか、君に原因はないのに……」

「いくら本当のことを言っても、どうせ信じてもらえないですから。ああいう時はとりあえずさっさっと謝ることにしてるんです。必死に否定したところで伝わらないし……――私のせいであの子がフラれちゃったことに、違いはないんだし……」


さらりと言った最後の一言は、まるで独り言のように小さな声だった。

ああ、彼女は深く傷ついている。自らへの仕打ちに対してではない。自分が原因で他人を傷つけてしまったことを、ひどく悲しんでいるのだ。

彼女は少しも悪くなんかないのに。


「……君は、優しいんだね」


僕はどうにか一言だけ、彼女にそう伝えた。

ここでいくら君は悪くないと言ったところで、彼女の心には少しも響かない気がしてしまう。


「優しくないですよ、私。人を傷つけてばっかりですから。あの子だけじゃないんです、同じような理由で今までに何人も何人も……嫌われて当然の人間です。私も私が嫌いだし」


なんて、なんて悲しいことを言うんだろう。

彼女がどこをとっても素晴らしく、異性を惹きつけるという点に関しては否定できない。しかしそれは、彼女の意図するところではないのだ。自身の力では止めようがないほどに、彼女の魅力があふれでてしまっているだけなのだ。

この世界の彼女も、元の世界の彼女と同じだ。自身魅力を認めず、自らを否定してしまっている。


「……別に異性に好かれようとしてるわけでも、同性に嫌われようとしてるわけでもないんだけどな。なんでいつもこうなっちゃうんだろ……――あ、ごめんなさい。暗くなるようなことばっかり言って。とりあえずその、さっきみたいなことは慣れてるので……本当に気にしないでください。ご迷惑をおかけしました」


彼女は加えて、とりなすようにそう言った。

言い寄ってくる男だけでなく、先ほどのような勘違い野郎や、迷惑をかけてくるやつもたくさんいたに違いない。どれほど辛い思いをしてきたのだろう。


彼女には、これ以上傷ついて欲しくない。

彼女に対する愛が今にも口をついてしまいそうだけれども、何とかそれを飲み込んだ。今ここで愛を囁いたのなら、彼女はまた自分が悪いのだと思い込んでしまうだろう。

僕はひとまず、彼女へのありったけの愛を心に秘める。


「謝ることない、君に悪いところはないんだから。なんとなく事情はわかった。だったら君は……また同じ目に合うかもしれないの? さっきの子たちは、あれで納得してくれたんだろうか」


僕が第一に優先すべきは、彼女の安全だ。また心身が傷つくことが起きかねないのであれば、何か対策を講じなければならない。


「うーん、どうでしょう? 納得はしてなさそうだったので、また呼び出されることもあるかもしれませんね。椿ちゃんとは高校一緒だしなあ……同じクラスだったらいじめられるかもですね。他の子は、どこの高校にいくんだろう」


彼女はまるで、他人事のように言う。


「椿ちゃんっていうのが、君に彼氏を取られたと勘違いしている子?」

「ああ、違くって……えっと……中心にいた子です。ビンタしてきた可愛い子」


ということはつまり、もう一人の彼女ではないか。

ここで僕は、ずっと気になっていたことを彼女に聞いた。


「その子……椿ちゃん、って、もしかして森園学院生?」

「あ、そうですよ。そっか、制服着てましたもんね。登校日だったのかな。よく知ってますね」


紺色に白地のラインの入ったセーラー服に、赤いスカーフ。胸元のマーク。やはり見間違いではなかったか。

彼女が着ていたのは、森園学院中等部の制服だったのだ。


「言いそびれていたんだけど……実は僕も、森園なんだ。高等部の二年生」

「えっ……!」


僕がそう告げると、彼女は驚いて僕の顔をまじまじと見た。

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