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僕が小道を覗き込んだ時、暗がりにいた数人の男女もまた、こちらを向いた。
平手打ちの主は、苛立ちを隠さないままに僕を睨みつけてくる。他の者はみな私服だが、彼女だけは紺色のセーラー服に身を包んでいた。
彼女は、彼女の周りを囲んでいる男女に比べて小柄であるにも関わらず、非常な存在感を放っていた。周囲の人々は彼女を際立たせる添え物であり、建物の影やセーラー服の紺、それらは彼女を映えさせるためにそこに塗られたようだった。
目力のある、きれいな瞳。艶のある短い黒髪、白い肌、形のよい唇。全てが人形のように繊細で緻密で、とても美しい。
「――……誰? 本宮さんの知り合い?」
一瞬の静寂を破って、取り巻きの一人の男が平手打ちをした彼女に問いかけた。突然現れた僕に対して、不信感をあらわにしている。
「……知らない」
本宮と呼ばれた彼女は、短く答えた。
「じゃあ、真崎の知り合い?」
真崎というのは、平手打ちをされたであろう彼女のことのようだ。
「……………」
しかし彼女は何も答えず、しゃがみ込んだまま自身の隣に落ちていた鞄を拾った。よく見てみれば、あたりにペンケースやノート類が散らばっている。おそらくこの男女たちに、鞄の中身をぶちまけられたのだろう。
質問に答えないことに苛立ったのか、取り巻きの誰かが舌打ちをする。
「……あんたももしかして、真崎の新しい男?」
そして取り巻きの少女が、今度は暴言を吐きながら彼女の鞄を蹴飛ばした。
それでもなお、真崎という名の彼女は何も発しない。先程と同様に鞄を拾い、手で泥を払っている。
「……もういい。行こ」
その様子に興が冷めたのだろうか。本宮と呼ばれた彼女は、道を塞いでしまっていた僕を押しのけるように、小道の暗がりから出て行った。
「あっ、ちょっと待って……! 僕は……――」
僕は慌てて彼女に声をかけようとしたが、取り巻き連中がそれを遮った。
彼女を追うとともに、僕が彼女に近づかないように道を塞ぐ。
「お前のこと、本宮さんは知らないってさ」
「あんたもどうせ、真崎にたぶらかされたんでしょ? 色んな男に色目使ってるから、気をつけてね」
取り巻きたちは口々に言い、中でも鞄を蹴飛ばした少女は憎々しげに真崎という彼女に目線をやる。僕もつられてそちらを見ると、彼女はまだ鞄の中身を集めていた。
難しい選択ではあるものの、まずはこちらが先決だ。
「――……遅くなって、ごめん。手伝うよ」
僕はしゃがんで、ちょうど足元に落ちていたペンを拾う。
背後で、取り巻きたちが去っていく足音が聞こえた。彼女を追いかけて行ったのだろう。
「はい、これ……頬は大丈夫?」
僕は彼女に、ペンを渡しながら問いかけた。
「――……ありがとうございます。大丈夫です、慣れてるので」
彼女は耳に髪をかけながら顔をあげ、ペンを受け取った。
肩ほどの柔らかい髪がふわりと揺れるさまは綿毛のように可憐でありながら、静かな落ち着きのある声からは、根強さをも感じられた。
透明感のある肌に長いまつ毛が影を作り、血色の良い唇が色を添える。まるで油絵から抜け出してきたかのように眩く深く柔らかく、そして美しい。
彼女はてきぱきと物を拾っては、汚れを落として鞄に戻していく。
なかなかのことをされていたが、その様子に落ち込みは見られない。
「……慣れてるって、どういうこと?」
「そのままの意味です。でも、別に気にしてないので、あなたも気にしないでください。拾ってくれて、助かりました」
口ぶりからして、それは虚栄でもなさそうだった。
だがいくら本人が気にしていないとはいえ、僕が気にしないでいることは出来ないのだ。
彼女の頬はまだ赤い。きっとかなり痛かっただろう。倒れ込んだ時の衝撃か、スカートにも目立つ汚れがついてしまっている。
一体、先ほどの彼らとこの彼女の間に、何があったのだろう。
――本宮と呼ばれた彼女と、真崎と呼ばれた彼女。
平手打ちをした彼女と、平手打ちをされた彼女。
この世界に来てから、彼女との出会いのパターンを僕は様々に想定した。
しかしこの状況は、なんとも想定外に他ならない。
彼女は、この世界に二人いる。