お付き合い開始
大学を卒業して社会人1年目。
私、岸羽奈は食品メーカーに就職した。
実家から一人暮らしをしているマンションに帰る途中だ。
日が暮れ始めていて西日が眩しい。
実家の最寄り駅で見つけた美味しそうなカップラーメンを大学の同級生で、彼氏の慧星のお土産に買った。
まだ同棲はしていないけど、もう少しお互いの予定が落ち着いたら一緒に暮らしたいと私は思っている。
改札を通ってホームに行くと見覚えのある姿があった。
慧星だ。
声を掛けようと近付くと、隣には小柄で可愛い女の子がいて恋人繋ぎをしていた。
そして、お互いに“けーくん” “えりちゃん”と呼び合っていた。
「慧星、何やってんの?」
私が話しかけると、やっと私に気づいたのか青ざめてえりちゃんの手を離した。
えりちゃんが首を傾げて私と慧星を交互に見た。
「けーくん、この子誰?」
「も、元カノ。2ヶ月前くらいに別れた子」
「はぁ?別れてないけど」
「別れただろ?お前が別れないって勝手に言ってただけで俺は振っただろ」
なに、言ってんの?こいつ。
マジでありえない。
怒りで言葉に詰まっていると、隣に背の高い男性が来た。
「君に羽奈ちゃんは勿体ない」
聞き覚えのある声に驚いて隣を見上げると、中学からの親友である愛理の双子の兄、海里くんが立っていた。
慧星が驚いているうちに、海里くんは私の手を引いてさっき来たばかりの電車に乗った。
そして、その次の駅で降りると少し申し訳無さそうな顔をした。
「羽奈ちゃん、勝手なことしてごめんね。一部始終見てて、ムカついて」
「いいよ………」
「羽奈ちゃん、夜ご飯食べに行こう。何食べたい?」
「………焼肉」
海里くんは近くの焼肉屋さんを調べて連れて行ってくれた。
個室が空いていたから、個室にしてもらって食べ放題のコースにした。
明日は愛理と飲みに行くから今日は飲まないのでドリンクバーもつけた。
「………あと1ヶ月で付き合って2年記念日だったのにな」
さっきまでは怒りが勝っていたけど、遅れて悲しさや寂しさが襲ってきた。
泣きたくないのに、涙が溢れた。
「あれ、おかしいな。なんでだろ」
「羽奈ちゃん、」
「待って。すぐ涙止めるから」
「我慢しなくていいよ。俺、見てないから」
海里くんはそう言うと私に背中を向けるように壁の方を向いた。
私は声を殺して泣いた。
失恋なんて初めてだから、こんなに傷付くなんて知らなかった。
私、自分で思っていた以上に慧星のこと好きだったんだなぁ。
しばらくして落ち着いてきて涙が止まると、お肉が運ばれてきた。
タイミングが良すぎて、もしかしたら店員さんが気を遣ってくれたことに気が付いて小声でありがとうございますと言うと微笑んでたくさん召し上がってくださいと言われた。
「海里くん、食べよう」
「そうだね」
いただきます、と手を合わせて牛肉を口いっぱいに詰め込んだ。
美味しい。
おかわりをして野菜を煮込んでいる間にメッセージアプリのRailで慧星の連絡先をブロックした。
「羽奈ちゃん、白菜食べる?」
「食べる」
海里くんに気を遣わせてばっかりだな。
少し申し訳なく思いながらも、意外と楽しく感じていた。
海里くんと2人で話す機会なんてほとんどないし、なんなら2人でご飯食べるのなんて初なのにこんなに居心地がいいなんて変な感じ。
愛理と双子だからかな?
「そういえば、海里くんってなんで彼女いないの?てか、彼女いたことあるっけ?」
「ないよ」
「じゃあ、これから彼女できたら初彼女だね。なんか、特別感あって羨ましい」
「だったら羽奈ちゃんがなる?初彼女」
海里くんの言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
沈黙の中、海里くんの顔を見ると少し赤くなっていた。
海里くんは私に合わせてソフトドリンクしか飲んでいないから酔っているわけじゃない。
これで気付かないほど私は鈍感じゃない。
「………いつから?」
「羽奈ちゃんを好きになったのがってこと?」
「うん」
「中学3年生になってからかな」
「8年も?ごめん、気付かなかった」
「隠してたからね。気付かれてたら困るよ」
海里くんは少し照れたように笑うと、少し長めの髪を揺らして私の目を見つめた。
「羽奈ちゃん、好きだよ。クリスマスまでのお試しでいいから付き合ってみない?」
「お試し?」
「俺、その間に羽奈ちゃんに好きになってもらえるように頑張るから。絶対泣かせないって約束はできないけど、絶対に気持ちが変わることはないからチャンスが欲しい」
「わ、分かった。いいよ」
「羽奈ちゃんが絶対に好きにならないって判断したら、クリスマスじゃなくてもお試し終了していいよ」
その日、10年間交換していなかった連絡先をやっと?交換した。
〜〜〜〜〜
っていうのがもう3週間近く前の出来事。
愛理と愛理の彼氏の蒼井がつい先日婚約した。
つまり、海里くんと蒼井が義兄弟?
なんか、変な感じ。
海里くんはというと、蒼井とは仲が良いからむしろ義兄弟になれて嬉しいと言っていた。
今日は仕事が休みだから海里くんとデート(仮)をする。
会うのはあの日以来で少し緊張する。
私のマンションの近くまで海里くんが車で迎えに来てくれた。
「おはよう、羽奈ちゃん」
「おはよう」
「少し遠いからそろそろ行こうか」
「うん」
今日は紅葉が有名な庭園に行く。
昔から海里くんはお祖父さんとよく一緒に行っていたらしい。
「そういえば、今何してるの?」
「臨床実習が終わって学校での実習とか講義受けてるところだよ」
「そうなんだ。やっぱり医学部って忙しそうだね」
「まあ、人の命を預かる仕事をするにはこれぐらいはしなきゃいけないってことかな」
海里くんは医学部の5年生で、絶対に忙しいのに予定して空けてもらうのが申し訳なく感じる。
まあ、当の本人は楽しそうなんだけど。
庭園に着いて車を降りると、辺り一面真っ赤に染まった紅葉で覆われていた。
すご。思っていた以上に紅葉が多くて驚いていると海里くんは楽しそうに笑った。
「すごいでしょ?って、俺が威張ることでもないけど」
「綺麗。海里くん、あっちの方見に行ってもいい?」
「うん。行こう」
奥の方に歩いていくと、紅葉が絨毯のように地面に広がっていた。
写真を撮りながら少しずつ歩いていると、不意に海里くんに腕を引かれて抱きとめられた。
すると、私と同じように上を向いて写真を撮りながら歩いていた人がすぐ前を通った。
多分、あのまま歩いていたらぶつかっていただろう。
「ごめん、ありがとう」
「どういたしまして。俺が周り見ておくから羽奈ちゃんは写真に集中していいよ」
なに、このイケメン。
海里くん、天然でやってるの?わざとなの?
どっちにしろ、サマになりすぎてて違和感がない。
いかにも紳士って感じ。
写真をフォルダいっぱいに撮って満足すると、庭園をゆっくり散歩した。
周りにいた観光客の女性たちは紅葉よりも、それを背景に穏やかに笑う海里くんに夢中になっていた。
まあ、身長も180以上はありそうな感じだし、スタイルいいし、イケメンだし、知らない人だったら普通に芸能人と間違いそうな感じだからな。
けど、こんな人がなんで私を好きになったんだろ。
「羽奈ちゃん、どうかした?」
「ううん。なんでも」
「そっか」
海里くんは微笑むと風が吹いた。
その風で髪がなびいて、紅葉がはらりと落ちてくる。
顔にかかった髪を耳にかけて海里くんの顔を見上げると、下を向いていて何かに見惚れているような顔をしていた。
私は思わずその表情をスマホに収めた。
すると、海里くんが我に返ったのか少し照れたように笑った。
「なんで今撮ったの?」
「え、あ、………なんでだろ。ごめん、嫌だったら消すよ」
「驚いたけど、嫌じゃないよ」
「そっか」
なんで、撮ったんだろ。
自分でも分からず、スマホを鞄に入れた。
それから庭園を一周歩いて車に戻ってきた。
これから近くの和食料理屋に行って昼食を食べる。
助手席に座って海里くんに運転をしてもらって和食料理屋に着いた。
お昼前だからまだ空いていて注文すると十数分で出てきた。
私も海里くんも秋の天ぷら定食を頼んだ。
「茶碗蒸しもついてくるんだ」
「安くて美味しいって愛理に勧められたんだ。羽奈ちゃん、こういうお店好きだよって」
「うん。好き」
「そ、そっか。じゃあ、俺も安くて美味しいお店他に見つけたら共有するよ」
「うん。ありがとう」
昼食を食べ終えて、車でどこかに向かった。
海里くんは羽奈ちゃんが好きそうなところだよと言って楽しそうに車を運転している。
なんか、少し可愛く思えてスマホを構えていた。
危ない危ない。また勝手に撮るところだった。
「海里くん、写真撮っていい?」
「え、まあ、いいけど」
「ありがとう」
海里くんは少し照れたような困ったような笑みを浮かべていた。
あれ、なんか今、ドキッとした?
気のせいかな?
ついたのは外観が箱のような建物がある場所だった。
海里くんのあとに続いて中に入ると、内装がおしゃれな本屋さんだと分かった。
それにしても、すごい量の本だな。
「こんなところあったんだ」
「羽奈ちゃん好きかなって思って」
「うん」
めっちゃ好き。
深く頷いて階段を登って大きな本棚の前に来た。
一番上にある本が見えないくらい大きな本棚に隙間なく本がびっしりと並べられている。
少し古い本や新しい本など種類は豊富で1時間近くまわって2冊だけ買った。
海里くんもおもしろい本があったみたいで、1冊だけ買っていた。
カフェスペースでまったり買った本を読んでいると、あっという間に日が暮れ始めていた。
「羽奈ちゃん、今キリが良い?」
「うん」
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「そうだね」
海里くんの車に乗ってそのまま家の方向に走った。
途中で牛丼屋に寄って夜ご飯を食べることになった。
私は梅おろし牛丼を頼んで、海里くんは牛そぼろ丼を頼んでいた。
やっぱり秋は食べ物が美味しい。
「海里くん、訊きたいことがあるんだけどいい?」
「いいよ」
「なんで、私のこと好きになってくれたの?」
「羽奈ちゃんだからだよ」
「いや、え?」
あまりにも当然のように言われて、私が変なのかなと心配になった。
「好きになったきっかけっていうか、」
「そういうこと?」
「うん」
「羽奈ちゃんのことは、よく家に遊びに来る子だなってくらいの印象だったけど、愛理からよく話を聞いてたんだ。すごくいい子だって」
なんか、恥ずかしいけど嬉しいな。
「けど、きっかけは学校の帰りに道に困ってたおばあさんに道案内してる羽奈ちゃんを見たことだよ。愛理から聞いてた話だと意外と人見知りって言ってたから緊張しながらも勇気出して話し掛けたんだなって思って羽奈ちゃんのことが気になり出したんだよ」
そうなんだ。
あんまり覚えてないけど、中学生の頃におばあさんに道案内したことはある。
確かにあのときは人見知りだったから頑張って話し掛けたけど、海里くんがいたなんて知らなかったな。
「でもね、おばあさんを助けてたら誰でも好きになるわけじゃないよ。羽奈ちゃんじゃない人があのときおばあさんを助けてても好きにはならなかったと思う。だから、きっかけはそれでも好きになるのに理由なんてないんだよ」
海里くんは少し照れているのか耳が赤くなっていた。
それを見ていると、私まで照れが移ってくる。
ありがと、と小声で言って残りの牛丼を食べた。
それから食べ終わって海里くんに送ってもらってマンションの前に着いた。
なんか、あっという間だったな。
「あのさ、せっかくだし初デート記念ってことでツーショット撮らない?」
「え、」
「嫌なら、別にいいけどさ」
「嫌じゃないよ!むしろ、羽奈ちゃんとツーショット欲しかったから嬉しいよ」
「そっか」
スマホを出して海里くんに少し寄ってシャッターボタンを押した。
なんか、2人とも表情が固くてぎこちなくて写真を見て海里くんと顔を見合わせて笑った。
「今日はありがと。ホント楽しかった」
「俺の台詞だよ。今日はありがとう。俺も楽しかった」
「今度はさ、海里くんの行きたいところとか興味あるところとか行こ」
「いいの?」
「いいの?って海里くんの興味あることとか好きなこととか知りたいから言ったんだけど」
そう言うと海里くんは驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「分かった。どこにするか考えておくね」
「うん。じゃあ、バイバイ」
「バイバイ」
海里くんに手を振って助手席から降りてマンションの自分の部屋に帰った。
それからさらに2週間後の昼休憩に海里くんからメッセージが着た。
仕事終わりに駅で会わないかということだった。
電話は数日に1回くらいの頻度でしているけど会うのはデート以来だ。
昼休憩を早めに切り上げて定時で仕事を終わらせて駅まで早足で向かった。
海里くんと待ち合わせているカフェに行くと、眼鏡をかけて勉強していた。
ホットラテとホットコーヒーを1つずつ買って、海里くんの向かい側に座った。
海里くんは、あ、と声を漏らして私の顔を見て微笑んだ。
「羽奈ちゃん、お疲れ様」
「う、うん」
この笑顔は反則すぎる。
てか、眼鏡めっちゃいい。似合いすぎ。
「ラテとブラックどっちがいい?」
「じゃあ、ラテ貰ってもいい?」
「うん」
「ありがとう」
海里くんはノートと参考書を閉じてホットラテを飲んだ。
まあ、訊くまでもなく海里くんがこっちを選ぶって知ってたけど。
愛理が海里くんはブラック無理って言ってたし。
ギャップが本当にいい。
いかにも大人って感じの雰囲気を纏ってるのに、ブラック苦手って可愛すぎない?
「クリスマスまであと1ヶ月ちょっとだね」
「………そうだね」
それまでには答えを出さないといけないんだよね。
「あ、ごめんね。急かしたかったわけじゃなくて、」
「大丈夫。分かってるよ」
答えが出てるかって言われたら多分、出てると思う。
だけど、海里くんと付き合うのが少し怖い。
もちろん、愛理と気まずくなるのが嫌だっていうのもある。
だけど、海里くんと釣り合うわけがないって心のどこかで考えてる。
その考え自体、海里くんと釣り合わない。
見た目とかスペックとか、そういうのを気にするとか小さい人間だなって自分でも思う。
私がもっと自分の気持ちに素直に生きていられたら悩まずにすぐに答えられたのにな。
「そういえばさ、行きたいところ考えてくれた?」
「羽奈ちゃんって、ジェットコースターいける?」
「うん。好きだよ」
「じゃあ、遊園地行かない?」
「行きたい!」
「じゃあ、早速だけど今週の土曜日って空いてる?」
「うん!」
答えを出すのは、もう少し海里くんのことを知ってからでも遅くないよね。




