寒空ハプニング
「だーれだ?」
康隆は幼馴染たちとの会を終え、駅のホームに立っていると後ろから両腕を掴まれた。
聞き覚えのある声だ。
掴まれた腕を振り解き、勢い良く振り向いた。
そこには昔と変わらぬ笑顔を見せる懐かしい小柄な男がいた。
「お前っ!」
康隆は思わず叫んでしまった。駅の静かなホームに声が響く。
拓郎はとても嬉しそうにマジマジと康隆を見ていた。
「元気そうじゃんか」
そう言う拓郎は現場作業員のような格好をしている。昔に比べて筋力が大きく落ちたのだろう、小柄な身体が記憶よりも小さく見える。
「お前、ちゃんと生きてたのか」
康隆には再会の嬉しさと気恥ずかしさがあった。
もう五年ほど連絡を取っておらず、SNSの投稿を全くしない拓郎の動向は全く知らなかった。
「そりゃブーメランだろ。まだ自殺してなかったのかよ」
「当たり前だろ。どんな辛くても、死んでも自殺なんかしねぇよ」
懐かしい。
まさか幼馴染たちに会った直後にまた懐かしい顔に、拓郎に会えるとは夢にも思わなかった。
まだ次の電車が来るまで十五分程ある。二人はホームのベンチに座って話し始めた。ホームに刺すような冷たい風が吹いている。
一息ついて康隆は口を開いた。
「お前、今何やってんだよ?全然消息が分からんから気にはなってたんだよ。」
「まぁ、所謂フリーターってやつかな。色々な仕事を転々として生きてるって感じ。お前は?」
拓郎は無邪気に笑う。昔と変わらない。康隆は少し安堵した。
「俺は一応飲食業やってるよ。料理人を名乗るにはクソ過ぎてアレだけど。」
康隆は頭を掻いた。
「教育大学出て、ブラックな飲食業かよ。安定した公務員様にはならんかったんだな」
「そう言う拓郎だって、大学院まで出てるはずだろ?そんなんでフリーターかよ」
拓郎は笑った。作業員の服はあまり彼には似合っていない。どうしても高校の時のイメージもあるからだろうか。
「気楽でいいぞコッチは。休みたい時に休めるし、嫌になったら次に行ける。時給とか日給で生きるのは自由なんだよ。」
拓郎の横顔は思ったよりも幸せそうだ。康隆は自分はそんな風に見えているのだろうか、と疑問に思った。
「誰にも縛られず、自分の時間を自由に使えるんだぜ?究極、ナマポで生きるのが楽だけど、それだと財布の自由が狭まっちまうからな。」
拓郎は鞄から取り出した甘そうなカフェオレを一口飲んだ。相変わらず甘党のようだ。
「刹那主義的だな。会社員だったら社会保障しっかりしてるし、昇給もあるのに。」
康隆は心の中で、自分には昇給もないし休みも少ないが、と考えてしまった。また嫌なことを考えてしまった。
「未来なんかより今だろ。今楽しくなきゃ未来に向けて頑張れねぇもんよ。楽しんでなんぼの人生よ。」
拓郎はやはり楽しそうだ。
「それに俺には競馬っていう娯楽兼ボーナスもあるしな」
拓郎は康隆に競馬を教えてくれた張本人だった。大学生の時、当時京都の大学に通っていた拓郎の家に遊びに行った時に、一緒に競馬場に行ったのが始まりだ。
康隆は金をかける競馬は直ぐに辞めたが、今でも純粋なスポーツとして観戦している。
拓郎は相変わらず賭けているようだ。
「彼女とかはできたか?」
「そんなもの微塵もないよ、勿論」
「だよなぁ。俺もさ。風俗と右手が彼女さ」
そう言いながら拓郎は握った右手を素早く上下させた。
二人して笑った。昔もこんな風に下ネタで笑ったものだ。今でも楽しい。
「でも、康隆は今でも頑張ってはいるんだろ?あの時みたいに」
「まぁ健康なのとそれくらいしか能がないからな」
拓郎はまたカフェオレを口にした。
「ならそれで十分じゃねぇか。俺たちみたいな変人は世間様とは違うんだよ。」
「お前みたいな異常性欲者と一緒にするなよ。」
また二人して笑った。ホームに笑い声が響き、寒風を忘れさせる。
「お前は幸せそうだな。」
康隆は羨む口調で言った。
拓郎はカフェオレを飲み干してペットボトルを投げて遊び始めた。
「そりゃ幸せさ。毎日自分の為だけに生きてんだからさ。世間が将来だとか、昇進だとか、結婚だとかでがんじがらめになってるのに比べたら天国さ。自転車操業なんて言うけど、サイクリングも捨てたもんじゃないぜ?」
何にも固執せず、縛られず、自分の為に生きる。
康隆は羨んだ。しかし、それを真似ることはできないとも思った。明確な夢や目標も守るべき関係もないが、外聞を気にし、漠然とした不安に負けてしまっているからだ。ちゃんと正社員として働いていれば、世間の言う幸せが、普通の幸せが手に入るのではないかとも思ってしまう。彼女とか結婚というのには貯蓄や社会的地位が必要なのではないかとも考えてしまう。しかし、そんなものあっても変わらないままだ、と考える康隆もいた。
その後は他愛もない会話をした。くだらない話を。
そうこうしている内に電車のライトの光が向こう側に見えてきた。
康隆と拓郎は同じ車輌に乗り、途中で康隆が先に降りた。
別れ際に手を振る時、康隆は少しだけ涙が出そうだった。
ホームを歩きながら拓郎との会話を反芻した。
来た方面とは反対側の電車が強い光を向けてホームに入ってきた。
康隆は少しだけ目を細めながら出口に向かって歩を進めた。