死んだコンフィデンス
高校に進学しても康隆の絶望は続いたままだった。
努力が報われなかったことから来る無気力と目標を失ってしまったことから来る燃え尽き、そして今までの小学校、中学校とは全く異なる環境への不安が合わさっていた。
世間には高校デビューという言葉があるが、康隆はそんなこともできなかった。
クラスの周囲の人間は嫌いなタイプが多かった。推薦で入学し、それを誇るだけで、学力の低いお調子者連中とそれらと同調する連中。授業中の発言やテストの結果を見れば、彼らの学力の低さは明らかだった。
それが康隆の心を傷付けた。
そんな連中と同じ学校という括りをされることでプライドを傷付けられ、そんな学校にしか入れなかった自分に嫌気がさした。
そんな状況で新たな友人ができるはずもなかった。康隆は教室で感情を表にすることがほとんどなくなっていた。クラスや行事への参加は中学生の頃とは打って変わって消極的になった。
康隆の孤独を少しだけだが、和らげてくれたのは幼馴染の存在だった。諒と守は志望通り、康隆と同じ高校に進学することができていたのである。
康隆は機会があれば彼らと会った。そして、彼らはやはり友人を作るのが上手かった為、その人たちとも諒や守経由である程度仲良くなることができた。クラスよりも他クラスの方が喋ることのできる相手が多いという状況になった。
目標達成に失敗し、半ば自暴自棄になっていた康隆は何か新しいことに挑戦しようとも考えていた。
中学と同じ部活に入ることも少し考えたが、結局好きにもなれず、何も得られなかったように感じた為、それは止めた。今までの経験からチームで競う競技も向いていないと確信していた。
そこで康隆は何故か剣道を選んだ。
後になって考えれば、偉大なる選択、分岐であった。
辛い、難しい、臭い、お金がかかる、という負の印象ばかりだが、自分を変える為の未知への挑戦には魅力的だった。
一応は武道であり、勝ち負けも重要だが、稽古を通じて自信の成長を目指すものなのだ。
何も持ち得ないと感じている康隆には丁度良かった。以前から少しだけ興味があったというのもあった。
勿論最初は筋力トレーニングやランニングばかりから始まり、素振りを少しずつ取り入れられていった。
部の監督は界隈ではある程度知られた教師で、定年後の再任用でその職に就いていた。その人は厳しい人で、時には理不尽なことで叱ったりもした。何もできない、未経験で、しかも体力も筋力もない康隆に対して全くと言っていいほど興味を持っていなかった。ほとんど指導されなかったのである。後になって聞くと、すぐに折れて辞めるだろうと思われていたらしい。
確かに延々と体力作りと素振りばかりで、疎外感もあり、辛かったが、康隆にとっては受験の失敗に比べれば耐えることができた。
さらに、先輩たちは出来ないなりに頑張ろうとする康隆の面倒を良く見てくれたこととただ一人の同級生の存在も大きかった。素振りの仕方や足の使い方を手隙で教えてくれたし、夏になって康隆が防具を着けるようになってからも基本からしっかりと教えてくれた。それ以外の場面でも先輩たちはイジリやすく従順な康隆を可愛がってくれた。
その唯一の同級生というのが渡利拓郎だった。身長は低いがしっかりとした筋肉の身体、剣道部らしい坊主頭に犯罪者顔と言われる強面の男だった。中身はと言えば、ふざけるのが好きな甘党の男だった。拓郎は諒と同じクラスで仲良しでもあり、ここでも康隆は幼馴染に助けられていた。
拓郎は康隆の忌み嫌う『推薦組』でもあったが、彼は全くそれを表には出さず、それでいて努力家で、しっかりと学力も伴っていた。
そんな拓郎と康隆は自然と仲良くなり、部活動の約二年半を共に頑張ることになった。
部活動は辛いのは辛かったが、康隆は割と好きだった。自分にとってはある意味『師匠』にすら当たる先輩や拓郎たちと必死になって頑張る、よりできることが増えていくということに達成感があった。私立を除いた公立高校の中ではトップの強さを誇る部について行っている、という嬉しさもあった。
そうやって必死に食らいついていく中で康隆は一年生の夏の終わりまでに十キロもの原量がなされ、その分の筋力と体力がついた。それ以前では考えられなかった変化であった。元々肥満気味であったとは言え、久しぶりに会った人から別人と間違われるほどの変化があった。
康隆が剣道を始めたと聞いた時、諒や守は勿論、別の高校に通っていた岩田もかなり驚いていた。スポーツに興味がなく、体力も運動能力もない人間がそんなものを始めたことは信じられなかったようだ。しかし、幼馴染たちはそれを応援してくれたし、変わったと褒めてもくれた。
二年生に進級すると後輩もできたが、当たり前だが、康隆よりも上手な後輩たちばかりだった。それでは『先輩らしく』、教えたり、上手いところを見せたりというのはできない。だが、康隆はそれでも腐らずに必死に真面目に食らいついていった。
その姿勢と元々妹の世話を見ていた康隆の面倒見の良さが功を奏して、後輩たちはちゃんと『先輩』として立ててくれた。
一個下の後輩たちは六人もおり、同級生よりも多かったが、康隆にも拓郎にも良く懐いていた。
後輩たちに言わせれば、康隆は確かに弱いし下手だけど、根性もやる気もあって凄い、とのことだった。
康隆は結果として公式の試合には個人でしか出場出来ず、成績も残せなかった。そして、拓郎が率いる部の最後の試合が終わった帰り、いつものように拓郎と歩きながら喋っていた。試合の結果は残念ながら、途中で私立強豪校に敗退してしまい、予選敗退だった。
いつもなら後輩たちも一緒に帰るが、その日は二人に気を遣ったのかもしれない。いつもよりもだいぶ静かな帰り道だった。
「結局何もできなかったな…。悪かったな何の役にも立たなくて」
康隆は溜息混じりにそう言った。
「そうかもな。すまん。俺も悪い。」
珍しく拓郎が落ち込んだ様子で謝った。
「むしろありがとう。実は俺は途中で辞めてしまおうか考えたんだ。受験勉強に本腰入れようかと思ってさ。でも、お前がいたから、いつも頑張ってたお前がいたから、俺もまだ頑張ろうと何度も思ったんだ。お前のおかげだよ。」
「俺は何もしてないし、何もできてないよ」
康隆は少し恥ずかしくなってその照れ隠しにさっさと同じことを言ってしまった。
「俺は後輩に何も残せなかったんだ。でも、拓郎はアイツらに色々残せただろ?俺の後悔というか悔しさだよ、何も後輩に残せなかったのは」
「いや、そんなことはないと思うぞ。アイツらはお前の姿勢をしっかり見ていたし、俺はそれに助けられたんだ。むしろ何も残せなかったのは俺の方だ」
拓郎が涙を流しているのを見たのはそれが最初で最後だった。
康隆も釣られて少し涙ぐんでしまい、声が震え始めた。
共に歩んだそれまでのことと可愛い後輩たちに思いを馳せた。
確かに部活動は引退したが、次は大学受験だ。今度はそちらで頑張らなければ、後輩たちに良いところを見せなければと強く思った。
二人は別れるまでの帰り道、思い出話に耽った。
暗くなった夜道に笑い声と涙声を混ぜながらだった。
高校での康隆の勉強と言えば、中学時代と変わらず、学年のトップに属していた。特に世界史の科目は好きなことも合わさり、常に一位を争っていた。
部活動でヘトヘトになっていても元来の物覚えの良さと好奇心の強さからその成績を維持することができた。部活動で鍛えられた集中力と体力の存在も大きかった。
模試でも高偏差値の結果を出し、新たに目標とする所謂旧帝大の判定も良い時が多かった。
高校受験の失敗をバネに大学受験こそは成功しようと気合いを入れていた。勿論後輩たちに良い格好をしたいという思いも少なからずあった。
目標とする大学は旧帝大ということもあり、県内では最難関の大学だった。妹のいる康隆には県外に出た場合の仕送りはあまり期待できず、将来の枷となることを考えると奨学金を借りるということもしたくなかったため、県内での進学を目指した。
何度も受ける模試の結果を見る度に確かに手応えと可能性があった。
だが、不安もあった。状況としては高校受験の時に非常に似ていたからである。また同じことにならないだろうか。
センター試験は約三年ぶりの大きな緊張に支配された。
結果は目標点数を大きく下回った。康隆は文系だったが数学が割と得意な方で模試ではいつも高得点だった。しかし、この試験では振るわなかった。高校の理系の生徒の平均よりも点数はあったが、全教科で見た時の点数は低くなってしまった。
康隆は第一志望の大学を受けるかを非常に迷った。過去の合格者最低点や自身の過去の模試の点数を鑑みても受かるか落ちるかは当日次第、五分五分といったところだった。
最終的には、挑戦することにした。挑まなければ、目標は絶対達成できない、と考えてのことだ。浪人はできない。判定から考えれば余裕もない。正真正銘の一発勝負だった。
康隆は当日まで必死に勉強した。
しかし、三年ぶりの徒労に終わってしまった。
何度合格者発表のサイトを見ても自分の受験番号は無かった。
何度確認し、何度見間違いか夢ではないかと祈ったことか。
この段階で既に第一志望に落ちた人たちの中には浪人を決めた人も多かったらしい。
だが、康隆の挑戦は終わってしまった。三年前と同じ結果で。
また駄目だった。全くもって何もできない人間だ。康隆は絶望のどん底に落ちた。
第二志望は県内の教育系の国立大学の社会科専攻だった。康隆が学びたかった社会科関係のことを学べそうなのは県内ではそこにしかなかった為である。ただし、レベルは第一志望から大きく下がった。
その大学の後期試験は非常に簡単だった。過去の問題集を解いてみても、中学生時代でも多少勉強すれば簡単に解けそうな問題ばかりだった。ついこの間まで国内でもハイレベルな問題を解いていたのに、ここまでの落差は拍子抜けだった。正直、康隆には余裕だと思えてしまった。
それがさらに絶望を大きくした。この程度の入学試験を突破してきた学生など、大したレベルではないだろう。そんな学生に対して行われる講義も余裕のあるレベルだろう。
自信の通り、結果は勿論合格だった。嬉しさはなかった。きっと自分で考えて勉強する機会が必然的に増えるだろうとしか思えなかった。
唯一、この試験期間の間で喜びは同じ専攻を受験した同級生が落ちたことだった。その同級生はいつも飄々と調子に乗り、試験終了後も余裕そうな雰囲気を醸していた。康隆がいつも嫌いだと感じていた同級生の一人だ。そんな余裕ぶった人間が、あんなにも簡単な試験で落ちていたのだから、酷い話かもしれないが、少し気持ちが良かった。他人の不幸は蜜の味、と言ったところだろうか。
また康隆の挑戦は失敗に終わってしまった。
康隆は大学の入学式までの間、ひたすらに家に引きこもってゲームだけをして過ごした。特に、あの剣と盾を持った勇者が冒険する思い出のゲームのリメイク作品とそのシリーズをひたすらにプレイした。康隆のゲーム人生のスタートであり、友達を作ってくれたあのゲームたちをプレイすると、今現在の絶望を忘れ、楽しかった記憶を身近に感じることができた。
大学生になったらどうなるのだろうか。そういった不安がないでもなかったが、それよりも失敗のダメージが圧倒的に大きかった。
康隆は高校生活を送って、挑戦そのものと教えを請える存在、共に歩める存在の大切さを実感し、胸に刻んだ。
良いことを学んだ反面、自身の無力さ、無能さが身に染みてしまった。それは康隆が基本的に『自分なんて』などのネガティブな考え方をする様になってしまう要因となった。彼の人格形成にとってこの二度の続く失敗は大きな影響を及ぼしたのだ。トラウマと言っても良い。
自分は努力しても決して成功者にはなれない。努力は報われる、などというのは成功者側からの見え方に過ぎない。努力が足りない?こちらの立場になってみろ。努力よりも才能と運と環境が大事なのだ。そう康隆は考えるようになった。
何を言っても負け犬の遠吠えにしかならない。それは十分に理解していたが、少しでも吠えて自分を正当化しなければ、過去の自分を完全に否定することになりそうで、絶望に押し潰されそうで怖かった。