無邪気なプライマリー
康隆にとって小学校は期待よりも恐怖の方が大きな存在だった。
幼稚園よりも大きな校舎、広い運動場、そして、保育士並みに大きく感じる上級生たち。
その小学校は朝は近隣の全学年の児童が通学班として登校し、夕方には学年ごとの通学班で下校していた。この徒歩による通学というものにも康隆は不安を感じていた。それまで日常的に歩いたことのない距離を知らない子供たちと一緒に、速度を合わせて登校することは未知数だった。しかし、ありがたいことに、通学班には岩田と彼の兄もおり、康隆の不安は和らいだ。
小学校の授業は一部を除いて恐れていた程のものではなかった。というのも、康隆は幼稚園児の頃から両親によって平仮名や片仮名、足し算、引き算を教えられていたからだ。そのおかげで小学校で最初にされる授業やテストに苦手意識を持つことはなかった。幼い時点で苦手意識を持たなかったから、その後の勉強も並よりはスムーズに進んだのではないだろうか。
ただ一部の授業には大変な苦手意識があった。嫌悪感と言っても過言ではなかった。それは体育の授業である。
康隆は短いそれまでの人生ではほとんどスポーツというものに触れてこなかったのである。彼の両親はよくいる父母のように野球やサッカーといったスポーツに興味がなく、キャチボール等の運動をほとんどしたことがなかった。それは岩田たち幼馴染と遊ぶ時も同じで、運動と言ってもせいぜいが公園での遊具遊びであった。それまでそういった運動に触れてきた他の児童たちとは明らかに差があった。経験がなく、身体の使い方を知らないだけでなく、康隆は肥満気味の体型であったのも要因であろう。
そんな訳で体育の授業は嫌いだった。マラソンを走れば誰よりも最後まで晒し者のようになり、サッカーやバスケ、ドッチボールなどの集団競技では周りから当てにもされず、ほとんどただ参加している風だけして傍観することになった。最も嫌いだったのは縄跳びと鉄棒、跳び箱だった。縄跳びは回数跳べたら座る、二重跳びができたら座るという授業が多かったのだ。そもそも康隆は前跳びが一回しかできなかったから二重跳びの時はただただ立ち尽くすしかなかった。鉄棒は高所恐怖症の為一度も回れなかったし、跳び箱は低い段を普通に跳ぶのが精一杯だった。どれも他の児童から見られて明らかにダメなのが分かってしまう競技だった。
唯一、体育で苦手意識がなかったのは水泳だけだった。夏休みの補習授業を受けさせない為に両親によってスイミングスクールに通わせてもらっていたからだ。並には泳ぐことができたのである。運動が嫌いにも関わらず水泳がそれなりに続けられたのは同じスイミングスクールに岩田と通っていたからである。彼も同じ理由で通い、その二人の送り迎えは康隆の母親と岩田の母親が交互にしていた。後から考えれば、やはり友達という存在は大きいものだったのである。
運動が苦手ということもあり、休み時間はもっぱら他の男子児童には混ざらず、教室で本を読んだり、絵を描いて過ごした。岩田や諒、守に直接誘われ、気が乗ればドッチボールくらいには参加したが、ほとんどの時間を『他の世界』に思いを馳せていた。
岩田によって出会ったゲームに出てくる主人公や武器、モンスター、好きなアニメや物語に出てくるキャラクターを真似たり、創作して自由帳に何冊も描いていた。本は歴史が好きなこともあり、図書室の偉人伝を読んだり、ロボットアニメが好きだった為にSF小説を読んだりしていた。特に夢中になったのは、魔法のある世界での少年の成長と宿命の敵との戦いを描いたシリーズだった。丁度子供向けに書かれた本でもあり、シリーズの映画化もされている作品だった為、のめり込みやすかった。そのシリーズの最新巻が出る度に買う程だった。
こうして彼の休み時間は友達よりも『別世界』と過ごすことが多かった。ただこれが悪影響だったのは授業中のことである。学年が上がるにつれ、どの授業も康隆にとっては簡単になってしまい、教科書に良く『別世界』を描いてしまっていたのである。授業態度としてはよろしくはなかったが、テストの点数はすこぶる良かったのもこれを歯止めできない理由だった。
岩田や諒、守はほとんど運動場で遊んでいた。ドッチボールやフットベースやバスケをしていた。だが、雨の日には康隆の描く「別世界」を覗くこともあった。
交友関係は広がった。また、岩田たち幼馴染の繋がりからもあった。ただ遊び方はほとんど変わらなかった。次々と新しいタイプのゲーム機が開発され、流行した時期であったというのも関係しているだろう。一年生から六年生までのほとんどの期間の遊びと言えば集まってのゲームだった。たまには公園でドッチボールをしたり、近場の小川でザリガニやドジョウなどを獲ったりもした。ゲームの普及というのもあるだろうが、これも後になって考えてみれば、康隆が苦手な運動をあまりしないという、友人達の小さな配慮があったのかもしれない。
幼馴染連中の中で康隆や岩田はゲームに夢中で同学年の友人の中でもトップクラスの進行度と上手さで、特に岩田はどのゲームもより上手だった。ゲームに関しては岩田がパイオニアで、それに釣られて康隆がプレイし、周囲に広まっていくというパターンが多かった。
これに対して、諒は少年野球チームに所属し、毎週末は練習に大会にと忙しそうにしていた。守もテニスクラブに所属して忙しそうに練習して、「今日は練習で遊べないや」という日があった。そして、よく大会で成績を残して全校集会で紹介されていた。大概の場合、大会後の最初の登校日は全校集会よりも先の為、守は登校してすぐにその大会での結果をみんなに話していた。相手は何処の誰で、どれくらいの強さで、結局何位だったのか。負けてもどれだけ接戦で惜しくも負けたのかを話した。
小学生にはよくあることだが、諒も守もスポーツ万能で、教師にも従順は優等生であった為、いつもクラスの中心だった。
小学生時代の記憶で最も康隆の心に残っているのは岩田たちとゲームを遊び更けたことともう一つあった。
それは大体四年生から五年生頃の記憶である。
「デブ!」
「デーブ豚!」
「鈍足!」
「引きこもり!」
小学校の廊下で名前も知らない上級生の男子三人組が大声で康隆をヘラヘラと罵る。
康隆は無言で怒りを露わにし、走って殴りかかろうとするが、彼らは走って逃げ去る。悲しいことに康隆の足は遅く、毎回追いつくことは出来なかった。
「死ね!クソバカども!」
康隆は走り去った上級生たちに怒声を投げる。当人たちには聞こえてはいないだろうが、悔しさの捌け口と周囲の児童に対する怒りの表現だった。
同じようなことが何度もあり、その度に悔しい思いをした。運動場で遊ぶ時に故意にボールを当てられたり、下校中にランドセルの上にゴミを乗せられたこともあった。
康隆はいじめが原因の自殺というニュースを度々耳にしたが信じられなかった。何故嫌な思いをしている方が死ななくてはいけないのか。嫌な思いをさせている方を殺せばいいのに、といつも本気で思った。機会があれば、本気で気が済むまで痛めつけてやろうという殺意を持っていた。手も足も使って、髪を思いっきり引っ張ったり、教室にある教科書や椅子を使って痛めつけてやろうと。その頃よく読んでいた第二次世界大戦を扱った本の影響も少なからず受けていた。いつか敵に一矢報いる、と。
そんなある日、その機会はやってきた。
康隆が廊下に備え付けてあるウォータークーラーで水を飲んでいるといつもの三人組が後ろから近付いてきた。その気配に気付いた康隆は思いっきり右脚で後ろ蹴りを入れ、一人の左腹に当たった。そして、直様振り向き、後ろ蹴りが当たって逃げ遅れた一人に飛び掛かった。右手で相手の髪を思いっきり掴み、左手で相手の服を掴んで押し倒した。
上級生も服を掴んで抵抗したが、我を忘れて日頃の怒りを力に変換した康隆には有効ではなかった。
すぐに周囲の無関係な男子児童が数人がかりで康隆を引き剥がした。しかし、康隆は男子児童たちに捕まりながらも『標的』に向けて力ずくで近付こうとした。怒りと悔しさと涙を露わにしていた。
少し離れたところでいつもの三人組がいつものように罵倒してくる。何を言っているかは康隆には伝わらない。
「死ね!」
何故俺は止められて、原因のアイツらは止められないんだ。理不尽だ。
そうこうしているうちにすぐ近くの教室から男性教師が飛んできた。
彼は康隆の正面に立ち、両腕を掴んで宥めようとした。しかし、怒りと涙は収まらない。
「どうしてこんなことするの⁉︎」
そんなの復讐に決まってるだろ!そう叫びたかった。
隣や更に隣の教室からも騒ぎを聞きつけた教師がやってくる。
男性教師の向こう側を覗くと『標的』はもう居なかった。
始業のチャイムが鳴るとどの児童も教室に戻って行ったが、康隆と彼を止め入った児童は担任に職員室に連れてかれた。
担任は他の児童から事情聴取をし、康隆がある程度落ち着いてから、本人にも話を聞いた。
「どんなことがあっても暴力はいけません。相手の身に何かあったら責任取れるの?お母さんにも連絡するからね。」
担任はそう怒った。
言葉の暴力はいいのか?俺の身に何かがあっても良いのか?第一、前々からいじめられているって話てたよな?先にやってきたのは向こうでこっちは防衛の為だぞ?先生がどうもしてくれなかったから。
康隆は今度は担任やその他の教師に対する怒りが湧いてきた。
下校してから母親に連れられて、また学校の職員室に来た。そして、母親は担任に謝り、電話を通して『標的』の親にも謝罪をした。
「明日、ちゃんと仲直りしようね」
担任はそう言ってきたが、康隆は何も返答をしなかった。
完全に帰宅すると外は真っ暗になっていた。母親はこの喧嘩については全く怒らなかった。むしろ、遂に爆発してしまったことにを慰めてくれた。そして、教師が動いてくれていなかったことに愚痴を言った。
次の日の昼休み、上級生を担当する教師が例の三人組を康隆の教室に連れて来た。
「じゃあ、謝って。もう殴ったり蹴ったりの喧嘩はしないって。仲直りの握手、ね」
担任がそう言って双方に促した。
「ごめん」
『標的』はそう言ってヘラヘラと笑いながら手を差し出してきた。
康隆は無言で手を差し出した。向こうは握ってきたが、康隆は握り返さなかった。この二つは康隆のせめてもの反抗だった。
気持ち悪い。全く反省していないじゃないか。今すぐにでも飛び掛かりたい。でも、そうしてもすぐに教師に止められてしまうし、昨日の二の舞だ。死ねばいいのに。教師もこれで解決だと思っているのか。
担任も上級生を連れて来た教師も満足そうな顔をしている。
ムカつく。
そんなことがあったあとも、頻度は減ったものの、いじめがなくなることはなかった。むしろ例の三人組は調子に乗っていた。
康隆は毎度怒りが爆発しそうなのを堪えて、反撃の罵声をして、すぐにそっぽを向いた。連中の卒業までの我慢だ、という考えるようにしたのである。
どうせ誰かに話しても解決しないのなら、自分で反撃すれば悪者扱いされるのなら我慢するしかない。
そうやって我慢はし続けたが、やはり自殺という考えには共感できなかった。むしろ馬鹿にしていた。そして、『標的』に対する殺意はずっと持っていた。
また、この一件以降、元々体育の授業などで晒し者にされて来たのも合わさり、余計に教師という存在を信頼することができなくなった。
小学生も終わる六年生になると新たな問題が発生した。
それは小学生に入学する時と同じような不安だった。
他の小学生から来る子たちと仲良くなれるだろうか。部活は何にしようか。教科が増えるが大丈夫か。定期テストや受験という難易度の高いテストもあるらしい。しかも、通学距離も伸びるのだ。
ただ、そんな不安も友達と遊んでいれば忘れられた。
「中学校に入ると授業時間も長いし、宿題も多くなるから今のうちに遊び倒しておこう」
そう言って皆で有言実行していた。
日々の楽しい記憶と未来への不安で少しずつだが、康隆の心の傷は癒えていった。だが、一生治りきることのない傷跡は残った。
土井康隆という男は自らの非力さと顔や身体の醜悪さを脳に刷り込まれた。また、教師という存在への偏見も持つことになってしまった。
自分の感情がどうであれ、力がなければどうしようもない。どれだけ感情が大きくても。
康隆はこんな自分でも好いてくれる人間は本気で大切にしたい、狭く深い関係こそが自分に合っているだろうと感じていた。