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抜け殻のクレイジー

 康隆の転職先は所謂中小企業だった。社員数も、店舗数も以前の会社より断然少なかった。

 康隆が安定も外聞も捨ててこの企業を選んだ理由は、康隆の地元に根差した企業であることとしっかりとした技術を求められるような店舗での募集ではなかったことの二つである。

 一度地元を離れて痛感したのは地元の暮らしやすさだった。二十年以上住んだ土地を離れるのは簡単なことではなかったのだ。孤独を埋める存在が近くにある、慣れ親しんだものが近くにあることは大きかった。

 そして、重要なのはしっかりとした技術を求められるような店舗の社員としての採用ではなかったことだ。そもそも何の技術を持たない人間が基礎の基礎を学び、踏み台としようとするのに高度な技術を要する場所は気が引けた。

 康隆は本音を言えば、レストランなどで働いてみたかったが、ただの足手まといになるのは嫌だった。だから、その前段階として、バルのような比較的庶民的な店で基礎を学ぼうと考えた。

 バルを下に見ている訳ではなかったが、まだ自分でもやれることがあるだろうという甘い考えがあった。

 

 配属になった店舗はイタリアンバルだった。席数が四十席程しかない小さな店で、社員数も康隆を含めて二人という店だった。

 マンツーマンで教えてもらえ、やらせてもらえることも必然的に多くなるだろう、という期待に少しだけ胸が膨らんだ。

 そこで出会った上司は真栄田誠という人だった。元々料理人で、人手不足で今現在店長をやっているという人だった。康隆よりも一回りほど年上で、しっかりとした技術と知識を持っている人だった。線は細いが、髭面に強面の顔で怖い印象を与える人だった。しかし、接客する時のオーラは別人のように優しい雰囲気だった。

 真栄田は部下の育成に熱心で、少しずつだが、接客と調理の基礎を康隆に教えた。

 康隆は今まで書籍などでしか得られなかったことを実際に教えてもらえることに有り難さを感じた。

 ある程度教えてもらうと仕込みは全て康隆に任された。メインの商材である肉の処理からデザート、前菜の仕込みに至るまで全てである。勿論間違っている場合やより効率的なやり方がある場合には指導をされた。

 小さな店とは言え、技術と経験のない康隆にとっては中々の量の仕込みだった。それでも康隆は自分の未来の技術の為でもあり、真栄田に信用されている証拠でもあると考えて必死にそれに従事した。

 営業中はメインの料理は店長兼料理長である真栄田が調理し、康隆は前菜やデザートの盛り付け、あるいは客席での接客を担当した。オーダー処理の速さ、正確さの圧倒的差からそうなっていたが、真栄田が休みの日にはその役割を任せてもらえていた。

 康隆は前の会社にいた時よりも忙しさを感じていたし、実際に拘束時間も日に八時間程度から十二時間程度に増加していた。しかし、以前よりもやり甲斐と成長を感じられた。そんなことに康隆は自分は狂っているのかマゾヒストなのか、と感じることもあった。

 毎日のように技術と知識の無さ、そして意識の低さに怒られる毎日だったが、それを正せば成長できると思えば耐えることができた。康隆はいつも高校時代の理不尽な怒り方をする監督を思い出し、それが今の忍耐力に繋がっていると感じていた。

 

「将来どうしたいの?」

 真夏のある日、営業後の締め作業を終え、店の裏口で康隆は真栄田にそう尋ねられた。かなり暇な営業日だった。

「独立して自分の店を持ちたいとか、店長になりたいとか、そういうのあんの?」

 真栄田はヘビースモーカーだ。今も煙草を片手に煙を吹かしながら康隆に問うている。

 別に怒っている訳ではない。単純に康隆を今後どのように教育していけば良いかの判断材料としたいのだろう。

 そして、単純に営業後の一服の雑談に近しい口調だった。

「今は全く何もないです。取り敢えず技術と知識を身につけようっていう漠然とした目標だけです。どうせ今の自分が目標を持ったところでそんなのは叶いっこないですし、今までも叶えたこともないので」

 康隆はエプロンを外し、畳みながらそう話した。

「目標がないのねぇ…。まぁ、でも何の力もないのにアレやりたい、コレやりたいって口ばっかりよりはマシかもね。現在地が見えてる分。」

 真栄田は煙を吹く。

「でも、未来は、目標は持った方が良いのも確かだよ。進む道がはっきりとするからね。だから少しでも良いから考えなさい。目標がなければただ毎日を頑張るだけになってしまうよ。それはまだ若いとは言っても勿体無いことだし、同年代に置いていかれてしまうよ。」

 真栄田の顔は叱っている時に近い顔だった。

 康隆の心に『置いていかれてしまう』という言葉が深く刺さった。

「でも、やっぱり技術も知識もないのに、目標だけ高らかにっていうのは無理があると思っちゃうんですよね…。今までの人生で目標を設定して達成したこともないですし…。」

 康隆は言葉尻が小さくなってしまい、一瞬自分の足元を見た。

「相変わらず心配性だし、ネガティヴだね。失敗したらそれを糧に次に修正を入れれば良いさ。それに根拠のない自信があるよりも自分が見えている分ネガティヴな方がマシではあるけど、それにも限度があるよ。道は足元にあるけど、平坦とは限らないからね。階段や梯子を登る時は上も見ないとね。」

 少しは前向きな考え方をしろ、そう遠回しに諭されているようだ。

「目標かぁ…」

 康隆には分からない。どんな目標を立ててもそれを実現できているヴィジョンが見えなかった。

 小説家のジュール・ヴェルヌの言葉を借りれば、『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』。ならば、逆に想像できないことは実現できない。そう康隆は考えていた。ただ、想像をすることをネガティヴが遮っているだけなのかもしれない、とも感じてはいた。

「ま、土井君の考え方の癖からすると、あんまり未来のことを考えていると無駄に考えすぎてしまうだろうけどね。どうしようもないことをあーでもない、こーでもないってね。それは注意。心配ばかりしても前には進めないからね。」

 真栄田はほとんど吸い終わった煙草の先端を康隆に向けた。

「はい…」

 康隆は小さく返事をし、額の汗を拭った。

 真栄田は新しい煙草に火をつけ、再び吸い出した。

「ま、どうしたいにしても、今はこの店の為に頑張ってくれればそれでいいけどね。俺の元でしこたま叱られてやってれば、間違いなく成長はできるだろうからね。」

 真栄田はいつも口癖のように言っていた。『しこたま叱られて、しこたま修正して成長する』。古い考え方だという自覚はあるらしいが、一つの真理だと考えている、と言っていた。

「頑張りはします…」

 康隆はほとんど無意識にいつものように返した。

「はい、駄目ね。その『は』っていうのいらないよよ。それだと『頑張るけど駄目だろうから許してください』って受け取られ方しちゃうから。単に頑張ってくれれば、怒りはしないから。性格を知っているから自信がないのは分かってるけどね。」

 康隆はハッとした。

 真栄田は軽く笑ってはいるが、目は真剣だった。

「頑張ってれば、いつか対外的な、客観的な評価をもらえる時が来る。それを持って自信にすれば良いのよ。俺だってそうだったんだから」

 康隆はそれはいつになることか、と心の中で思ったが口には出さなかった。

「途中で折れちゃ駄目だぞ。最初はどんなでも、最後まで折れずに続けれた奴が結局、技術も知識を得られるんだから。」

 真栄田はまた新しい煙草に火を着けだした。

 康隆は少し忘れていたことを思い出した。

 真栄田と同じようなことを大学の部活の監督が言っていた。その監督は学生時代にはパッとした競技者ではなかったらしいが、今では剣道の最高段位を持ち、県内でも有名な剣道家だった。

 康隆は軽く深呼吸をしてゴミ捨てに向かった。

 取り敢えずは諦めずに頑張り続けるしかない。

 それくらいしか『まだ』できないのだから。


 康隆が辛くても成長の為に頑張れるのはやはりそれまで培ってきた土台があったからだろう。中学時代に挫折を耐え、高校時代に怒られ慣れ、大学時代に様々な思想に出会ったおかげだ。身体の丈夫さと体力の多さのおかげもある。

 頭を空っぽにする訳にはいかないが、狂ったように謙虚に、ガムシャラに努力するしかない。

 それが康隆の今の見解だった。

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