垣根のないフレンドシップ
「ヤス〜、久しぶり〜」
焼肉店の駐車場の向こうからカナコが小走りで近づいてきた。『ヤス』というのは康隆の学生時代のあだ名だ。
背が低く、少女とも見間違えられる見た目の彼女は康隆には年相応のファッションに見えた。昔から変わらないショートカットと飾らない服装だった。
「かなりぶりだな」
康隆は弄っていたスマートフォンを上着の左ポケットにしまった。
年末が近づき、世間が冬休みと呼ばれる期間になる中、康隆、カナコ、貴実は運良く予定が合い、久しぶりに焼肉に行こうということになったのだった。
カナコと貴実は焼肉が大好きだった。噂によく聞く少食をアピールする女子たちと異なり、彼女たちはいつもモリモリと食べていた。
康隆はいつものように早めに店に着き、その下調べをして時間を潰していた。
この店は精肉店直営で、新鮮な肉を安く提供できるのが売りらしい。
康隆は気分的にホルモン類が食べたかった。そんなことを考えているところにカナコは到着した。
「相変わらず早いねえ、アンタは」
カナコは康隆がついこの間言われたことを繰り返した。
「初めて行くところは余裕持って行かないとな。それに待たせるより待つ方がよっぽどか良い。」
カナコは馬鹿だねえ、とでも言いたそうな顔をした。
そうこうしている内に店の反対側から貴実が顔を出した。少し恥ずかしそうな嬉しそうな顔を見せた。
彼女も相変わらずの格好だ。肩までのショートカットを後ろに束ね、流行りだと思われるパンツスタイルだ。シックな色が中心のコーディネートで、『お姉さん』というイメージの服装だった。昔からファッションには人一倍気を遣っていた貴実はいつもオシャレだった。
一応、康隆も自分なりに少しだけシンプルなオシャレをしていた。紺のシャツでいつもよりも明るめにし、腕にはいつもはしない腕時計を巻き、短い髪も整髪料で整えていた。友人とは言え、流石に『レディ』と食事をするのに全くオシャレに気を遣わないのは失礼だと思ったからだ。それでも依然としてシンプルかつ暗いコーディネートなのは康隆の性格の表れだろう。ただカナコと貴実はそこまで分かっていた。
「ごめん。待った?」
「俺は二〇分くらい待ったかな〜」
「それは自分が悪いじゃん!」
ほとんど変わらない二人を見て康隆は冗談を飛ばし、カナコが先程の感情を露わにした。
三人は揃って店内に入り、予約の席に案内された。テーブルには炭火を設置する穴と注文をするためのタッチパネルがあった。
「取り敢えず、何頼む?」
上着を脱ぎ、座ると康隆は率先してタッチパネルに触れた。
「アタシはハイボールと取り敢えずの牛タンね」
カナコがすぐに答える。
「ワタシは…、カシオレと取り敢えずの牛タンニ人前」
少しだけ悩みながら貴実は答えた。
「相変わらず好きだねぇ、タカネェ。じゃあ取り敢えず牛タンを六人前くらいと盛り合わせ的なヤツね。」
『タカネェ』というのはふざけた時の貴実の呼び名だ。クールビューティーで姉御肌な彼女、『タカミ姐さん』を短縮した形だ。
「米は中が二つでいい?」
そう言いながら康隆はタッチパネルで注文をしていった。二人は軽く返事をした。自分の分は取り敢えず牛のマルチョウとジンジャーハイ、大盛ご飯を注文した。脂っぽいものにスッキリさせる為のジンジャーと炭酸を合わせる組み合わせだ。
三人がおしぼりで手を拭いて少しすると、飲み物が運ばれてきた。そのすぐ後には火のついた炭の入った七輪が運ばれてきた。炭火で少し暖かい。
「取り敢えず乾杯!」
カナコが音頭を取った。
貴実はグラスを右手、スマートフォンを左手に構えて、三人のグラスが合わさるところの写真を撮った。
「ハイ、こっち見て〜」
今度は貴実が音頭を取り、スマートフォンで三人を撮った。
「家族に自慢しとこ」
そのまま貴実はスマートフォンを少し弄った。
「アタシも自慢しとこうかな」
そう言ってカナコは康隆の写真をサッと撮った。
カナコと貴実の家族にはこの三人が仲が良いということが知られていた。しかも何故か、康隆とは直に面識があるわけではないが、彼女たちの家族は康隆に好印象を持っているらしかった。
そうこうしている内に牛タンたちが運ばれてきた。
「足らねえ…」
カナコが牛タンを見て一言呟いた。康隆もそれには同感だったが、女性が言うのが少しおかしかった。ただ値段の割には合格だと思った。
また康隆は率先して焼く用のトングで牛タンを網の上に乗せていった。まずは一人一枚ずつだ。この面子だと康隆はいつも『焼き奉行』だ。二人が信用してくれているのもあるが、康隆が唯一、多少の料理の理解があるからでもあった。
小さく炎が上がり、薄い牛タンの表面に肉汁が浮き出し始める。
「うまそ〜」
カナコと貴実は声を合わせた。カナコはハイボールと箸を手に持ってはいるが、まるで少女のように身体を躍らせている。貴実は冷静にタレやレモン汁の準備をしていた。
康隆は裏返し、焼き上がった牛タンをそれぞれの取り皿に分ける。
それぞれが牛タンを口に運ぶと、それぞれ声が出た。康隆は自然と頬が緩んだ。
「うんめ〜」
カナコがそう言いながらハイボールを煽る。
康隆はご飯を口に運んだ。
次の分の牛タンを焼き始めるとカナコが口を開いた。
「みんな最近どうよ?」
「仕事は怒られっぱなしだし、プライベートは相変わらず暇してるしで、ある意味普通よ」
康隆は新たに運ばれてきたマルチョウを網の端に置いた。
「なら金はたっぷりあるな。ご馳走様です。」
カナコはニヤリと笑った。
「ご馳走様です。暇なら自由でいいじゃない」
貴実が冷静に言った。
「えぇ〜。お前らもちゃんと出せよ!」
康隆は笑いながら顔を顰めた。
「確かに自由だけども、何のために仕事してるか分かんなくなっちまうな」
「アタシたちに奢るためじゃない?」
カナコと貴実は笑った。
康隆は焼き上がった肉をまた配膳する。
「それはないわ!未来への、万が一、億が一、彼女とかができた時の為の貯金かもな」
「いいんじゃないの。お金あれば課金できるもんね。ヤスは後輩にも一杯課金してたもんね」
貴実は少しふざけて言った。
確かに後輩たちにはかなり奢った。最大で後輩八人を連れて焼肉の食べ放題に行き、全額奢ったこともあった。それだけ後輩を可愛がっていたし、後輩たちも慕ってくれていた。他の人に言わせれば、学生の奢り方じゃない、とのことだが。
「金があるのは大事よ。一人は自由だし、好きなもの沢山食べられるし」
カナコは染み染みと言った。彼女が以前付き合っていた男性は大学院まで進学したため、かなりの額の奨学金の返済の必要があった。しかし、その男性はそのことをほとんど気に留めず、金銭感覚がカナコとは大きく違っていた。その為、仲は良かったものの、別れたということもあったのだ。
そして、実家暮らしのカナコは今では好きな食べ物を取り寄せたり、旅行したりと自分の趣味にお金を使っていた。
「まぁ、食べ歩きはしてるけどな。ランチで一食五、六千円使うからな。勉強も兼ねて。」
「良い趣味じゃん。実益も兼ねてて」
貴実が相変わらずだな、という感じで褒めてくれた。
「で、貴実はどう?例の男とは?」
カナコが話を振った。
「仕事はぼちぼちって感じ。彼とはまだ続いているよ。年内はもう会う予定ないけど」
貴実は流行りのマッチングアプリで出会った男性と付き合っていた。
康隆もこの話を聞いて、彼女たち二人の勧めもあり、すぐに一年間ほどマッチングアプリを使ってはみた。しかし、マッチングを一回し、少しだけやり取りをしただけで、一人とも会えてはいなかった。こちらでも康隆は何の成果も出せていなかった。
「いいねぇ。同棲とかすんの?」
カナコはこういう感じの少しお節介な話が好きだ。
「まぁ、その内考えてるよ」
貴実は少し恥ずかしそうだ。自分のこういった話をするのは昔から苦手なのだ。
康隆はまた少し、世界に置いていかれてしまったかのような感じがした。
一個、二個上の大学の先輩の中にはもう結婚している人もいるのだ。同期にも出てきてもおかしくはない。
「真由美はもう同棲してるし、結婚もするらしいよ」
カナコは三人の同期の伊田真由美の話を出した。真由美は童顔でモテる人だったが、変な男に引っかかり、別れるというのが通例だった。現に学生時代から数えて今の彼氏は五人目だ。彼女の恋の仕方は恋は盲目、彼氏がいないと不安定になる、という感じだと三人はいつも話していた。
「へぇ〜、あの真由美がねぇ…」
康隆もSNSを通じて真由美の同棲の話は知ってはいたが、その進展を聞くと、彼女の遍歴から妙な感情になった。
そして、やはり、また少し置いていかれているような気にもなった。
「貴実、仕事ってメーカーだったよな?どんなことやってんの?」
康隆は話の軸を逸らした。
新たに注文した肉を網に置く。
「メーカーとは言っても開発じゃなくて、特許関連の仕事やってるよ。」
貴実は理系で、教育学部だったが、そういった一般の職に就いていた。元々、教員になる気はなかった。
「ほえ〜。アタシは担任も顧問もやって大変よ。先月なんか丸一日の休み、六日しかなかったもん」
カナコが溜息混じりにそう言った。彼女は教材を研究することと子どもが好きなことから初めから教師を目指していた。また、安定した給料と昇給があり、女性一人でも十二分に生きていけると踏んでの考えもあった。彼女は知らないことだが、そこは岩田によく似ている。
「ブラックやな〜。でも、やっぱり子どもの成長見るのは楽しいだら?」
康隆も子どもや教えることは嫌いではなかった。だから、その楽しみ、喜びは理解できた。
「そりゃあね。目に見えて分かるからねえ。ブラックだけど悪い仕事ではないのよ」
だが、康隆は教師という存在が嫌いだった。過去の出来事からそう頭に刷り込まれてしまっていた。だから、教師にはならなかったし、絶対になりたくなかった。
今度はカナコがタッチパネルを操作して追加の注文をし始めた。
「そう言えば、ヤスは仕事どんな感じなの?」
貴実はそう尋ねて軽く飲み物を口にした。
「まぁ、小さな店だから調理も接客もどちらもやってるね。めっちゃ上司には怒られまくってるけど。」
どこか専門学校で勉強した訳でも、他で修行をした訳でもない康隆には飲食従事者としての能力は当たり前のように欠けていた。いつもと同じく何の能力もなかった。だから、毎日のように怒られては修正をするという日々を過ごしていた。
「料理上手くなった?」
「まだまだ全然さ」
康隆はグラスを飲み干した。氷が溶けて少し味が薄まっていた。しかし、今日は酔いが回り易い日のようだ。もう酔ってきた。
「俺は何ならできるんだろうな。仕事もできん。彼女もできん。剣道もできん。もうどうしたらいいんだろうな」
酔いが回ってきたせいか、彼女たちに気を許しているせいか、ネガティブな言葉が出てしまった。
「自分のことが見えてるだけでもいいじゃん。」
カナコが語気を強める。
「何の取り柄もない、目標も夢もないのは分かってるけど、それで詰んでんのよ?」
漠然と自分の能力を上げたい、自己肯定感を高めたいという思いはあるが、康隆に将来こうなりたいというヴィジョンは全くなかった。ふわっと考えることはあっても、結局は自分自身の自信と能力の無さからそれを否定していた。
「頑張ってれば、何か結果が出るよ。大学の時もそうだったじゃん。それに頑張ってるのを見てくれてる人は見てくれてるよ」
貴実が勇気づけるように言った。
「結果が無ければ、努力は徒労さ」
少しの間、誰も何も喋らなかった。周りの席の話し声、肉の焼ける音、火の爆ぜる音だけだった。二人が康隆のこれまでをよく理解し、ネガティヴが染み付いているのを知っているからだろう。
しかし、すぐに誰とも無しにくだらない話、思い出話、誰かの近況について話出して、場の雰囲気は温かくなった。
やはり友人といる時、全ての不安を忘れられ、楽しめる。先日に引き続き、康隆はそう強く感じた。