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二度目のクライシス

 大学に入学しても待っていたのはまずは絶望だけだった。

 三年前と同じ状況だった。

 同じ学科の人間は何故か自信に溢れていて、自分を面白いと思っていたり、凄いと思っている人間が多かった。

 康隆はそんな人間が相変わらず嫌いだった。そのため、より殻に閉じこもった。講義の休み時間や昼休み、グループワークでも口を閉ざし続けた。昼食は学食で一人で済ませ続けた。

 そんなだから勿論新しい友達などはできなかった。

 それどころか、同じ学科の中心人物、お調子者の部類の人間からいじめのようなものを受けた。

 SNSで直接的に誹謗する投稿をしたり、グループSNSから得た康隆の連絡先に執拗に電話をしたりしていたのである。

 教育者を目指す人間がイジメか。呆れて反抗する気にもならなかった。気力を失っていたからかもしれない。昔の康隆なら、あの時のように暴力に訴えていただろう。大学の機関に通報するのも面倒だし、連中にシラを切られれば終わりだ。

 康隆はただ無視をすることで対処した。そもそも同じ舞台に立ってすらいない低レベルな『ゴミ』に時間を割くのは馬鹿らしい。

 そういう人間に限って色々と上手くいってしまうのがこの世界で、その『ゴミ』は学科内で面白がられ、人付き合いが多かった。『ゴミ』が持て囃されるココは肥溜めなのだと康隆は考えた。

 康隆は自分を肥溜めから離れた自分の世界に隔離した。そうでもしなければ、暴力に訴えるか、狂ってしまっていただろう。


 講義は必修の教育学系のものばかりで構成されて、退屈だった。しかも、勉強などしなくても答えられるような内容ばかりだった。

 何の為に通っているのか分からなかった。学歴の為だけだろうか。

 康隆は以前にも増して教師という存在が嫌いになった。こんな簡単な講義しか受けておらず、イジメはする、イジメは見て見ぬふりをする、学内の交通ルールは守らない、期日は守らない、講義はサボる、そんな学生が教師になるのだ。康隆の過去の経験も当然の結果とも言えよう。より嫌いにならないのは無理な話だ。

 こうして孤独で無気力な康隆の大学生活は始まってしまった。


 唯一、康隆のモチベーションを維持してくれたのは部活動だった。

 大学生になってまで部活動に時間を割くのは馬鹿らしい、という人も多いが、康隆は元々やろうと決めていた。

 自分を変えてくれた剣道を続けたい、まだ何も出来ていない、特に教えてくれた先輩に恩返しができていないという思いと少しの好意があったからだ。おまけに、この大学の剣道部にはその世話になった先輩も所属していたのだ。康隆が気持ちを決めるのは簡単だった。

 どうせ学科は嫌い、講義は簡単なら部活動に時間を割かれても問題はない。自分をもっと成長させよう。康隆はそう考えた。

 幸いなことに、部活動では良い同期に恵まれた。

 長谷部、山岡、土井、伊田、田中の五人だった。長谷部以外は女子部員だったが、康隆はどちらかというとそちらと馬が合った。特に、山岡カナコと土井貴実の二人とは仲が良かった。二人とも色々と深く考えて動く性格で、少し変わった性格もしていた為だろう。

 唯一の男子の同期は女受けする顔だったが、楽をする為なら手段を選ばないという感じの不真面目な男だった。人間としては嫌いではなかったが、あまり馬が合わなかった。本人たちには自覚はないだろうが、三、四回生の先輩たちがそうだったように、剣道の実力こそが人権、というような考えを持ち、康隆が努力してもそれを嘲笑うかのような発言をすることもあった。「下手なんだからもっと頑張れよ」、だそうだ。言われなくても頑張っている。頑張っても必ずしも結果に結びつく訳ではないのに。だから、康隆はあまり好意は持っていなかった。

 カナコと貴実がそんな考え方を嫌っていたというのも康隆が特に二人と仲良くなれた要因かもしれない。結果を伴ってはいなくても、微々たる成長でも自分より劣る者の努力を嘲笑うのは違う、と。

 実力よりも自身の成長が武道の役割だと康隆は考えていた。経験の浅い、実力のない人間の綺麗事、負け犬の遠吠えだとは感じていたが、そう考えることで自分の心の平穏を保った。

 

 女性経験皆無の康隆が部の女性陣と仲良くやれたのは、中学校のクラスでの経験と、色々な話題について行ける引き出しの多さが要因だっただろう。カナコや貴実に言わせると女性的な考えの部分が結構ある、女性脳に近い、とのことらしい。

 康隆はそれまでの経験から自分に自信がなく、自分から話し手にならない為、聞き手に回ることが多かった。女性は聞き手と共感を求めるとも言う。それも要因だったかもしれない。


 部での康隆はやはり剣道の経験年数が短く、センスもなかった為、最も弱い位置にいた。だが、その真面目に稽古に臨む姿勢、どんな相手でもへこたれずに立ち向かう姿勢、先輩に従順な性格から一部の先輩からは可愛がられはした。特に、高校からの先輩である人とその仲が良い同期の先輩には可愛がられた。所謂愛されキャラ又はイジられキャラという立ち位置を確率することができていた。

 体育会の『しきたり』として下級生が準備などの様々な雑務をする役割にあったが、康隆は率先してそれを行った。当たり前と言えば当たり前だが、康隆の妙に真面目な性格と自分にはこれくらいしか貢献できないという卑下の感情があり、康隆自身を動かしていた。

 それは誰にも感謝されなくても、同期にやってくれるのが当たり前と思われるような状況になっても続いた。自己満足なのだから康隆は別段気にはしていなかった。変に真面目過ぎるのか、ただのマゾなのか、自問することはあったが。


 二回生になってからも退屈な日々は続いた。相変わらず、面白くもない必修の講義を受け、ダラダラと過ごす日中だった。

 ただ、この頃の、一回生の中盤くらいから康隆が違ったのは、借りた本やインターネット上の資料によって様々な作品の感性と知識を得出したことである。これは講義中に隠れて読んだり、調べたりしていたが、簡単な講義よりも後の康隆の物の捉え方を大きく変えた。歴史や政治、文化は勿論、その他の興味のある分野に色々と手を出した。勿論、息抜きも兼ねてフィクション作品にも何度も手を出した。

 退屈な日常にフィクションや新しい知識が良い刺激となった。

 しかし、相変わらず部活動以外では話をする人間はほとんどいなかった。その唯一の存在は諒だった。

 昔から教師を目指していた諒は学科は違えど、同じ大学に入学していたのである。学内でたまに出会えば、軽く話をした。彼はますます男から見てもお洒落な好青年に見えるようになった。元来のコミュニケーション能力の高さから親しくする人間は多いようだった。

 康隆はほんの少しだけ諒を羨んだが、今現在の誰にも縛られず、自由にやりたいことをやれる状況が嫌いではなかった。誰かの好き嫌いや予定に合わせる必要の無い気楽さがあった。

 講義やバイトに忙しくなってからは幼馴染連中と会う機会がめっきり減ってしまったのは残念だったが、これも大人の階段を登るということだとも康隆は考えた。

 

 部活動では当たり前だが、後輩が入ってきた。

 再び康隆は高校時代と同じ不安を感じた。実力のない自分、後輩たちよりも弱い自分は彼らに舐められるのではないだろうか。指導する立場になれるのだろうか。

 それは幸いにも杞憂に終わった。

 指導する立場というのは無理だったが、共に切磋琢磨する仲間、友人に近い立場になった。真面目さと親しみやすさからだろうか。

 また部の選手としては、やはり下級生の方が選ばれていたが、正直康隆にとってはどうでも良かった。

 この頃の康隆は表には出さなかったが、部の結果には我関せずというスタンスだった。自分のことだけを考えて、自分が上手く、強くなれればそれでいいとしか考えていなかったのである。自分勝手と取られるとは分かっていたが、どうしたって自分がチームの結果に影響を与えることはないのだから関係ないと自分を正当化していた。

 『兄』としてのアイデンティティを持つ康隆は面倒見が良く、後輩たちと友人に近い関係性を築いたことにより、度々彼らの相談を受けるようになった。そのことが康隆の心の安定の一助でもあった。

 イジリやダル絡みも彼らからのある種の好意、愛を感じていた。

 唯一、康隆が結果を残すことができたのは、二回生の夏にあった地方の個人戦の段別大会だった。夏の厳しい合宿が終わり、部としての予定が空いている期間に丁度その大会が開催される予定だったため、部員全員がこれに参加することになった。

 康隆は二段しか持っておらず、その他の部員はより高い段位の階級に出場していた。一般男性二段の部は出場者数は十六人だけだった。

 一般の階級としては低い階級だったが、康隆はその大会で三位に入賞することができた。強い人たちからすれば、レベルの低い試合で、その中でも三位でしかない、という感じだっただろう。

 しかし、康隆にとっては初めての入賞だった。初めて大会で成績を残すことができたのである。康隆は勝ち進むにつれて、感じたことのない緊張感と高揚感を感じた。

 おまけに、この試合は康隆の通っていた高校の近くでの開催ということもあり、他大学に進学して、帰省していた先輩が観戦していたり、高校時代の監督が審判長を務めていたりもした。

 試合をする場所は丁度審判長の座る席の真前で、その監督も『あの』康隆の試合を食い入るように見ていた。敗退後、高校時代の監督の下に挨拶に行った時には褒められたのだった。

 高校から大学とずっと同じくしてきた先輩や仲の良いカナコや貴実、田中、後輩たちは祝福をしてくれた。初めての経験だった。

 康隆の興奮が冷めやらぬ内に帰省していた先輩は差し入れにコーラを持ってきてくれ、抱擁をして褒めてくれた。

 そのコーラの味は、疲れていたこと、興奮していたこともあって、今まで味わったことのないような美味しさだった。いつもの、よく知ったコーラのはずなのに。これが『勝利の美酒』というやつなのか。

 その後も地域の良く知った先生たちから祝福された。 

 さらに閉会後には先輩たちに祝勝会として焼肉に連れて行ってもらった。三位でも、みんな自分のことのように喜んでくれているのを見て、康隆は自分が少なからず愛されているのだと感じた。

 帰宅してからは両親からも褒められた。遅いスタートでも良くやった、と。

 この結果は康隆にとって少なからず、努力をし続けようというモチベーションになった。


 康隆個人にとって大きな出来事がもう一つあった。

 成人式とそれに繋がる小規模な飲み会だった。

 成人式が近づいてきた十二月、諒が康隆と優菜に成人式前だけど飲みに行こう、と声をかけたのである。

 康隆は他ならぬ諒からの誘いに、勿論二つ返事だったが、その人選に疑問を持った。

 確かに諒は優菜とも仲が良かったが、何故また?

 過去に康隆と諒と優菜は学習塾で何度も一緒に勉強した、という関係だろうか。

 何にせよ康隆は楽しみだった。諒としっかりと会うのも久しぶりだったし、優菜とは中学校を卒業してから約五年ぶりの再開でもあったからだ。

 久しぶりに会った優菜は、当たり前だが、康隆の記憶よりも大人びていた。そして、成人式で髪を結う為に長く伸ばしていた。

 久しぶりの再開の恥ずかしさから康隆は少し顔が硬くなってしまった。

 髪は伸びているが、面倒臭がりの優菜らしく、髪は纏めていない。懐かしい声、喋り方。思い込みかもしれないが、恐らく康隆の初恋の人。

 会話はほとんど諒が進行をした。大学の勉強、サークル、目標の仕事、そして色恋の話。

 康隆は優菜のそれぞれの話に興味があった。その事に対して康隆本人も気持ち悪さを感じた。だが、心が勝手に求めてしまっていた。

 やはり最も気になってしまったのは色恋の話だ。我ながら気持ちが悪かった。

 優菜は今はフリーだと言う。それに対し、康隆は少しだけホッとしてしまった。

 諒に彼女の有無の話を振られた時、康隆は良い人がいたら紹介してくれ、と少しだけ下心を込めて言ってしまった。

 ああ、何て卑しいんだ。

 康隆はそこから少し気持ちを抑えた。

 それから約一月後、成人式だった。

 康隆は幼馴染三人と一緒にスーツ姿で会場に向かった

 約五年ぶりに会う懐かしい顔ぶりが沢山だった。

 人混みの中、この間ぶり、と優菜とその友人たちのグループに会った。皆、晴着で着飾り、髪を美しく結っている。

 康隆はまた不確かな気持ちが湧いてくるような気がした。

 それは二次会である夜の飲み会でも同じだった。着物から黒いドレス姿に着替えていた優菜に対して、あの気持ちがまた込み上げてきた。

 いや、所謂『成人式マジック』というやつだ。早まるな。落ち着け。それにどうせ無理だ。

 康隆はそうやって自制した。それよりも会を楽しもう自分に言い聞かせた。実際に、久しぶり会う懐かしい面々との会話も楽しかった。

 三次会、四次会と進み、康隆は全てに参加した。気がつけば、朝日が登っていたが、微塵も後悔はなかった。

 かなりアルコール類を飲んだ記憶もある。おかげで眠気と残った酔いで頭が痛い。

 康隆と男性陣は優菜たち女性陣の帰宅の為にタクシー代を適当に渡した。ヒールを履いているから歩きで帰るのは大変だろう、と誰かが言い出したのだ。男たちの見栄だったろう。

 申し訳なさそうにしながらも、彼女たちはタクシーに乗って帰っていった。

 康隆は同級生たちとの帰路、くだらない話をしながら笑って歩いた。

 何だかこの一日でしっかりと大人みたいなことをしたな、と康隆は感じていた。

 しかし、自分の心から湧き上がる気持ちを抑え、その後日も抑え続けたことに対してはマイナスな気持ちを抱いた。

 もしあの時、気持ちを口にしていれば、未来は変わっただろうに。それが良いものか悪いものかは置いておいて。


 康隆は自身の所属するコミュニティの結果や目標、あるいはそのコミュニティ自体を無視し、自分のことだけに集中することを覚えてしまった。勿論、そのコミュニティに害は与えない範囲でだが。

 結果として自分の能力が上がれば、チームにも貢献することにはなるのだが、それはどうでも良いことだった。

 ただ自分の成長こそが康隆の目的であった。

 そして、一度きりではあるが小さな結果も残すことができた。

 また、嫌いな人間とは極力関係性を断ち、コミュニケーションを拒否することが自分の心の平穏を乱さない手段だと学んだ。嫌いな人間に対しての怒りや不満はあるが、関係性を断てば、それが見えなければ、乱されることはない。


 自分の能力は低く、何もできないという考えもしっかりと骨の髄まで染み付いてしまっていた。そのため、康隆はこの頃からどうすれば自分の自己肯定感を高められるのか、何をすれば良いのかを探すようになった。

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