第98話 北へ
「トリル様」
スーが本を繰る手を止めて、私を見つめて言った。
「なに?」
「今日の午後、私にいただけませんか」
「でも、まだなんの手がかりも……」
「ここ二日籠もりきりで、息が詰まってきました。私が気分転換をしたいので、友人として付き合って頂けませんか」
スーの目は真剣だった。
「そういう言い方は、ずるいと思うな」
「決まりですね。もう、午後からと言わずに今から行きましょうか」
少しの問答の後、いつになく強引なスーに結局押し切られ、私達は書庫の片付けもそこそこに王立図書館を出た。
「どこに行くの?」
「騎士団の厩舎です」
「きゅうしゃ……ってことは、馬に乗るってこと?」
スーは笑って頷いた。
「その内乗馬を覚えたいと、ずっと前におっしゃっていたじゃないですか」
「それはそうだけど……」
馬か、と思う。
アインのことが頭をよぎってしまう。
「ほら、またそういう顔」
スーが寂しそうに笑った。
やっぱり、スーには見抜かれてたな、と思う。
アイン達が旅立って一日目の夜、私は夢を見た。
アインが、マチネとソワレとまぐわっている夢だ。
起きて汗びっしょりになっていて、夢でよかったと心から安心してしまった。
ところがそれから、どうしてもその映像が頭をよぎって離れないのだ。
考えないようにしようとすればするほど、アインの顔が頭に浮かぶ。
格好いいことを言って送り出した割には、心がついてきていない。
私はせっかくの王立図書館での時間を、読書ではない時間に苛まれていた。
「新しいことに挑戦して、違う気持ちをつくりましょう。ね、トリル」
言い慣れない呼び方に顔を真っ赤にして、私の手を握ってスーが言う。
親友がこんなに気を遣ってくれているのに、いつまでもうじうじしていられないよな。
「うん、そうだね。やってみる」
騎士団が管理しているという厩舎にくると、いろいろな匂いがまじって鼻をついた。
どの馬にしますかと聞かれ、選び方が分からないので任せますと答えた。
これで白い馬が目の前に来たら、もう、笑うしかない。
期待に反してか、期待通りか、私の前に来たのは真っ黒い馬だった。
「おとなしい性格ですが、足はすこぶる速いですよ」
オラトリオという名の、飼育担当の若い騎士がそう言って笑った。
スーはお気に入りの一頭がいるらしく、栗毛の一頭に既に跨がっている。
首をなで、ごしごし拭いてやっていた。
「髪の色が私とそっくりだから、ずっとこの子にしているんです。ノーチェっていうんですよ。胡桃という意味なんです」
そう言われてみると、私にあてがわれた一頭の毛色が、私の髪の色とそっくりなような気がした。
「この子、名前はあるんですか?」
「アウローラです。夜明け、暁、という意味合いだそうですよ」
少し前、リリコが私の髪の色を、夜明けの色だと褒めてくれたっけ。
「よろしくね、アウローラ」
黒い馬は、ブフ、と啼いて答えた。
厩舎前の庭で、一通りの指導を受けて、実際に試してみる。
馬の動きに合わせて自分の身体を動かすことで馬と一体になることができること。
騎乗者の体重が左右に同じくらいかけてあげると馬が楽になること。
頭、肩、お尻、かかとが一直線上にあるといいこと。
肩の力は抜いて、胸を適度に開くと安定すること。
ひとつひとつを意識すると、初めは大変だったが、なんとなくコツを掴めてきた。
「そうそう、その調子です。飲み込みが早いですよ、トリル様」
乗りながら、初めてアインが背に乗せてくれたことを思い出す。
こんなに上下動しなかった。
傷に響かないように、細心の注意を払ってくれていたんだと、こんなに時間が経ってようやく気が付いた。
はぁ、まただ。
気が付くと、アインのことを考えてしまっている。
「ねぇ、スー」
「なんですか?」
「ノルドに行かない? 馬の足なら、二日くらいだよね。スーにノルドを見せたいな」
目を大きくしてから、スーが笑う。
「いいですね。一度屋敷に帰って支度をして、これから発ちましょうか」
こうして私達は、ただの思いつきと勢いで、急遽ノルドに行くことになった。
スーの屋敷の女中さん達を大いに驚かせて、慌ただしく準備を終わらせて、私達はカステロを出た。
「そろそろ、速度を上げてみましょうか」
カステロを出てそれほど経たない内に、スーが馬を走らせ始めた。
少しの恐れと、大きな高揚感を感じながら、私もアウローラのお腹に刺激を与える。
臀部周りに緊張を感じながら、なんとか体は崩さずに乗れている。
頬を撫でていく風が気持ちいい。
森人の、樹上の里で感じた風も心地よかったが、それとはまた別の感じがした。
街道沿いに水場を見つけて、私達はその近くで一泊することにした。
あまりにも水場の近くだと、野の獣たちが寄ってくるかもしれないので、それなりに距離はとった。
「二人で旅をするのは、初めてだね」
私が言うと、スーは小さく頷いた。
「旅と言うより、トリル様にとっては帰省ですけれどね」
「まぁね。旅が終わるまでは帰れないかと思ってたけど」
「積もる話がありますから、前半と後半に分けるためにも、一度帰った方がいいですよ。一度に全部を話していたら、丸一日あっても終わりません」
私とスーは笑って、簡単な食事を済ませた。
翌朝、また駆け、馬たちを労い、食事を摂り、また駆けた。
二頭の足はかなりの速さで、私達は王都を経って三日目の昼にはノルドに到着してしまった。
「早駆けにも耐えうる子達ですね。立派、立派」
スーがノーチェを撫でてやり、私もアウローラを撫でてやった。
「では、馬宿に預けてきますね」
「うん……って、スー、場所分かるの?」
しまった、という顔をしたスーに、私は苦笑した。
「来たこと、あるのね。そりゃそうか」
「すみません、言わなくて。初めて来たという方が、トリル様に喜んで頂けるかと思って」
「そんなに気を遣わなくていいよ。だいぶ、大丈夫になってきたから。こうなったら、意地でもスーが驚くところに連れて行くよ」
私の言葉に、スーが頷く。
「でも、明日からの方がゆっくり回れていいよね。今日は、このまま家に行こうか」
「はい。トリル様のお宅に伺うなんて、なんだかどきどきしてしまいます」
私達は馬宿に二頭を預け、家に向かった。
住居としての入口ではなく、店側の表戸から私は入った。
「ただいま」
番に立っていた母が驚きの表情になる。
「トリル! それに、スーブレットさん」
「スーで結構です、お母様」
困り顔でスーが断ると、奥から父も姿を見せた。
「トリル! それに、スーブレットさん!」
「あの、スーで結構です、お父様」
苦笑するスーを横目に、私は肩を揺らして笑ってしまった。
「旅は終わったのか?」
父の言葉を、私は首を振って否定した。
「ううん、まだ半分。東側をぐるっと回ってきたから、一度モナルキーアに戻ってきたの」
「何日ノルドにいられるの?」
優しい目で母が言う。
「まだ決めてないけど……今日と明日は、泊まっていくよ」
さすがに店番の手伝いをする気にはなれず、私はスーを自室に招いてくつろいだ。
自室と言っても、軋むベッドと雑多な棚があるくらいで、その棚にもろくに服は入っていない。
「平民の暮らしぶりに驚いたでしょ?」
空っぽの引き出しを開けて私が笑うと、スーは苦笑した。
夜は久しぶりの母の手料理で、食べ慣れた魚を頬張った。
スーの舌にも合ったようで、しきりにほめては口に運んでいた。
食事が落ち着き、食後の水を飲みながら、私達は旅の話を続けていた。
「……それで、そのカストラートが持っていた剣が、刀身が真っ赤だったの」
一応、自分が肩を突き刺されたという部分は伏せた。
そんな危ない目にあっているのなら、もう旅には行かせられないなどと言われたら困るからだ。
「イーラ鋼か」
「知ってるの?」
驚く私をよそに、父は落ち着いて頷いた。
「赤熱鋼とも呼ばれる鉱石で、竜人達の住む山で稀にとれる希少金属だと聞く。流通するものではないから、俺も、実物を見たことはない。だが、真っ赤だったということは……その剣、いつか折れるだろうな」
私はぎくりとして頷いた。
「どうして分かるの?」
「イーラ鋼は、合金にすれば色が変わるそうだ。真っ赤だったということは、純度が高かったということだからな。昔も教えたが、剣は純粋なものほど折れやすいんだ」
ぎくりとした。
純粋なものほど折れやすい。
私がアインに抱いていた気持ちも、純粋だったから……
「どうしたの、トリル?」
母が私の顔をのぞき込む。
「ううん、なんでもない。そういえば、スーの剣も、色が変わってるんだよ」
スーが披露した青い美しい双剣を見ながら、父も母も感嘆した。
私は少し安心しながら、明日スーにどこを案内しようか考え始めていた。
読後感と必然性を大切にしたい、作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。




