第94話 妥協点
「食べ物以外で、印象的だったことはある?」
モナが微笑む。
食べ物以外で、どんなことがあったろうか。
「個人的には、物語です」
「物語?」
「はい。私達の国には、白馬の王子様の物語があるじゃないですか」
「ああ、英雄サルヴァトーレの物語ね。庶民も貴族も、女なら一度は憧れるでしょうね」
私は頷き、同じ名前でありながら子細が違った各地の物語を伝えた。
モナは興味深そうに聞き入り、満足そうに頷いていた。
「それは面白い符合ね。同じ名前が残っているということは、きっと、大元になる物語がひとつあって、それが種族ごとに脚色されて伝わっていったのね」
「なるほど……そう考えると、そうかもしれません」
「起源となる物語は、いったいどんな話だったのかしらね」
起源、という言葉を聞いて、ふと森の壁画のことを思い出した。
人族が全ての種族の起源になっているというのなら、人族に残っている物語が始まりだったのだろうか。
「どうかした?」
「あ、いえ、なんでもないです」
美しい金色の瞳にのぞき込まれ、私は慌てて首を振った。
首にかけていたティアドロが揺れて、モナがそれを見た。
「あら、素敵な石ね。このへんでは見ないけれど……」
「これは……」
きゅ、と手で掴み、揺れを止めた。
石の揺れは止まったのに、気持ちの揺れは大きくなった。
「聞くのは野暮ね、きっと。ありがとう、いろいろと興味深い話だったわ」
なんとなく、この人に打ち明けたい気持ちになった。
会ってまだ間もない人なのに、いや、だからこそだろうか。
誰かに聞いてもらいたいのかもしれなかった。
「あの」
「なぁに?」
「たくさんの人の生活が関わることがあって、でも、自分の気持ちはそれと違う方を向いているとしたら、どうしますか?」
「全体の利益をとるか個人の感情をとるか、ということ? 面白い問いね」
モナが笑った。
「すみません、おかしなことを聞いて」
「いえ、興味深いわ。私にとっては、特に」
微笑みながらモナは腕を組み、考え込むような仕草をとった。
「本来は、前者を選ぶべきよね。でも、人の気持ちってそう簡単じゃない。だから、妥協点を見つけることが大切だ、と私はいつも考えてる」
「妥協点……」
同じ言葉を、マチネもつかっていた。
「例えば、ここまでは自分も許容できる、ここからは許容できないという内容的なもの。あるいは、この期間は自分の感情を押し殺すけれど、それ以降は自由にして良いことにするというような、時間的なもの。私は、そんなふうにすることが多いかしら」
まるで自分のことのように語るモナに、私は聞き入ってしまった。
「……とまぁ、偉そうに言ったものの、実際には出来ていないからこうして出歩いているのよねぇ」
モナはそう言って立ち上がり、私の頬に触れた。
「十六か……少し羨ましい気もするけど、それゆえの悩みもあるでしょうね」
「え?」
何も言わずに微笑んで、モナは中庭から出ていった。
歩いて行く様が上品で、その姿が見えなくなるまでみとれてしまっていた。
だいぶ話し込んでいたらしく、少し、風が夜めいてきた。
そろそろ部屋に戻ろうと私も屋敷に戻ると、ちょうどスーが帰って来たところだった。
「トリル様」
「おかえり、スー。帰ってすぐに仕事なんて、大変だったね」
いえいえ、とスーは笑ったが、顔には疲れが見えた。
「お風呂に入るなら、背中、流してあげようか?」
「えっ……」
両手で口を覆い、視線が横に動く。
短い時間の思案の末、スーが出した結論は頷きだった。
「そ、それじゃあ、お願いしてもいいですか」
私は一緒にスーの部屋に行き、屋敷の中の浴室に一緒に向かった。
「トリル様は、入浴されたんですか?」
「ううん。部屋にあった甕に水が張られてたから、それで汗は拭いたけど」
「それじゃ、一緒にお湯に浸かりましょう。裸の付き合いということで」
旅の最中に同じようなことがあったときは、恥ずかしくて断った。
でも、今は、別にいいかという気がした。
スーの帰りを察して女中さんがお湯を張ってくれていたので、私達はすぐに浴槽に入ることが出来た。私もスーも体格が大きいわけではないので、二人でなんとか一緒にお湯に浸かることができた。
スーの生肌と触れ合うと、くすぐったいような、心地よいような、不思議な感じがした。
「肩の傷、残っちゃいましたね」
「うん……でも、動かすのには支障がないから、別にいいかな」
そう言いながら、私は赤い剣を受けた肩口を見る。
うっすら白く、線が見える。
もっと大人になってドレスを着るときに、目立ってしまうだろうか。
「名誉の負傷……とは言えないか。勝負にならなかったし、スーは取り乱すし」
「取り乱して当たり前じゃないですか、あの状況で……でも、あれ以降大きな怪我をさせずに済んで本当に良かったです」
スーがそう言ってから、はっとして、表情を曇らせた。
そしてすぐ、首を振る。
「どうかした?」
「……私ではなく、もっと優秀な騎士がついていたら違ったのかな、と思ったんです。でも、そう言ったら、きっとトリル様は怒るだろうな、と思って」
「そうだね、それは激昂するね。だって、私と友達になりたくなかったって聞こえるもんね」
私はお湯を手ですくって、えいっと、そのままスーにかけてやった。
「もう、何するんですか!」
スーも負けじと反撃してくる。
まるで泥水をかけあって遊ぶ子どものように、私とスーはケラケラ笑って水をかけあった。
「誇りある水人は、水で遊んだりしないのだぞ!」
途中で私が言うと、スーがきょとんとした。
「あれ、似てなかった? シラブルの真似だったんだけど」
「もう、やめてくださいよ!」
また、私とスーは声をあげて笑った。
そうやって笑いあって、背中を流し合って、髪を梳かし合って、私は旅の疲れをようやく落とすことが出来た気がした。
浴室から出ると、私の服がまた新しいものに代わっていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
髪をよく拭いて、服に手を通す。
「付き合って頂いて、ありがとうございました」
「ううん、こっちこそ。ありがとうね、スー」
私が言うと、スーは、穏やかに首を振った。
「何があっても、私は側にいますから」
「うん……ありがとう」
スーが私を優しく抱き寄せてくれた。
支度が済んで、スーが食堂に向かいましょうと言ったので、私達は廊下を進んだ。
中庭が目に入って、私はそういえばと口を開く。
「モナっていう人に会ったよ」
スーが不思議そうな表情を浮かべる。
「どなたですか?」
「え? この屋敷の主人に世話になっているっていってたから、てっきりスーも知っている人だと思ったんだけど」
「いえ、聞かない名前です。父の知り合いにも、そういう方はいなかったような……どんな方だったんですか?」
「えっと……すごく綺麗な女の人だったよ。長い金色の髪で、瞳も金色だったの」
え、とスーが口を開ける。
大きな目が、もっと大きくなった。
「金色の髪で、金色の瞳だったんですか?」
うん、と私が頷くと、スーがはっきり聞こえるように唾を飲んだ。
「まさか……いや、でも……」
ぶつぶつ言い始めたスーを、私はのぞき込む。
「スー?」
「トリル様、もしかしたらその方、アリア女王陛下かも知れません」
「え?」
「モナという名前も、モナルキーアを短く切っただけですし。何より、私の知る限り、髪と瞳が金色であるというのは、王家の方だけのはずなんです」
まさか、と笑いながら、モナと名乗った女性の気品を思い出すと、あり得ない話ではないような気がしてくる。
「実は私、宮殿で父と話している最中に、陛下に話しかけられたんです。紫眼の乙女は、今どこにいるか、って。私は、屋敷で休んでいると思いますと答えて……」
「それで、私に会いに来たって? それは、まずいよ。だって、私、森人の里でお酒飲んだ話もしちゃったし」
え、とスーが固まる。
「トリル様……私、その部分は手帳にも書かないでおいたのに!」
「だ、だって、まさかそんな人だなんて思わないじゃない。それに、もしかしたら女王陛下じゃなかった可能性もあるわけで。そもそも、そんなに偉い人が、ふらっと私なんかに会いに来るかなぁ」
「あの方なら、なんの不思議もありません……どちらにせよ、明日、トリル様とアイン様は、私と一緒に宮殿へ行き、陛下に謁見することになっています。そこで、明らかになることではありますけれど」
食堂に着いて、私達には久しぶりの人族の料理が振る舞われた。
でも、私は料理の味よりも、さっき会った人が、アリア女王その人なのかが気になって仕方が無かった。
読後感と必然性を大切にしたい、作者の成井です。
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