第87話 帰還
「お待たせしました」
スーが手帳を閉じながら、大きく言った。
「しっかり描けた?」
私が尋ねると、スーは満足そうに頷いた。
「では、セーメに戻るとしよう。帰りは樹海を戻るより、海岸を回った方がいいだろうな」
「賛成。蛇の怪物になんて会いたくないもん」
私が苦い表情をつくると、三人とも笑った。
静かになった広間を抜けて、通路を通り、遺跡の入口に来た。
リリコが風精に呼びかけ、私達は出っ張る形になっていた場所から飛び降り、波と岩とが浸食し合っている、踏み場の少ない足場に下りた。
ブーツが濡れて、シラブルのことを思い出した。
シラブルがいたら、濡れない魔法を使ってもらえただろうな。
いつか、シラブルとも、リリコとも、一緒に旅をする日が来るだろうか。
なんだったら、ルーラードさんも一緒になって、みんなで旅が出来たら楽しいかも知れない。
「何をにやついているんだ?」
リリコが私の顔をのぞき込む。
「ううん、なんでも」
私はそれだけ言って、リリコに続いて足場を渡っていく。
進んでいくと、岩壁に突き当たった。
「感覚的には、この向こう側が南西の海岸だな。さて……」
リリコがきょろきょろ見渡して、私達に向き直った。
「壁を砕いていくわけにいかないから、一度海に出るしかないだろう。確認していなかったが、泳げるか?」
私は頷いた。
生まれてこの方、ずっと湾に面した都市で過ごしてきたのだ。
海で遊んだ日がたくさんある。
スーを見ると、表情が固い。
「スー?」
「ちょっと、自信がないというか、装備をつけたままだと怖いというか」
「俺が預かろう」
アインがスーに手を差し出した。
「アインは泳げるの?」
当然だ、と言ってアインは私にも手を差し出した。
「トリルも、剣は俺に寄越せ。剣を帯びて泳いだことはないだろう」
「まぁ……」
着衣で泳いだことはあるし、銛突きで遊んだこともあるから、特に問題は無いような気もする。
ただ、気を遣ってくれているのだから、甘えておこうと思った。
「私はいい。別に重いものをもっているわけでもないからな」
リリコはそう言って、海に入っていった。
それにスーが続き、私、アインの順に水に進んでいく。
両手で水を掻きながら、ゆっくり進んでいく。
入り組んだ地形の割に波は穏やかで、体をさらわれる感じはほとんどない。
ぐるっと岩壁を回り込むと、リリコの言ったとおり、海岸がすぐに見えた。
ギャウ、ギャウとハーピーの声が遠くに聞こえる。
「この状態で飛びかかってこられたら苦しいな。先に行くぞ」
リリコが泳ぎ方を変えて、速さを増した。
「私も先に行くね」
スーとアインに言って、私もリリコと同じ泳ぎ方に切り替えた。
剣はアインに預けたが、ナイフケースは腰に帯びたままだ。
多少は戦える。
足の着くところまで来て、私はすぐに砂場の方に駆けた。
リリコも弓を持ち、矢を何本か触って感触を確かめている。
「矢って、濡れてても飛ぶもの?」
「私が拵えたやつならな。レジーロのところで補充したせいで、混ざってしまった」
遠くにいるハーピー達は、まだ私達に気付いていない。
「このまま行けるかな?」
「運次第だな」
アインとスーが泳ぎ終わり、静かに駆けて私達に寄る。
「よし、行くぞ。装備の持ち替えは、森に入ってからやれ」
リリコの言葉に頷き、私達は早々に森に走った。
運が良かったらしく、結局ハーピーは私達に気付くことなく、空中を飛び交っているだけだった。
森でアインから剣を受け取り、腰に帯びなおす。
スーも双剣を受け取って、腰につけた。
「セーメの里まで、どれくらいの距離ですか?」
「そう遠くない。腹が減るまでにはつくさ」
笑って言って、リリコが歩き出した。
「泳いで疲れた?」
私がスーに言うと、スーは、少し、と言って笑った。
「今度、シラブルに教わったらいいかもね」
「ど、どうして彼の名が出てくるんですか」
顔を赤くしたスーを置いて、私はリリコの隣についた。
「一日だけ休んで、森を発つね」
「ああ。しっかり休んでいってくれ」
リリコの言葉通り、セーメの里にはすぐに着いた。
魔法で里に飛び上がり、私達は借宿に戻った。
「私は、ラーモに行ってくる」
「今から? 疲れてないの?」
「疲れはあるが、君達が森を発つのを、ティコも見送りたいだろうから。伝えてくるよ」
リリコはそう言って、さっさと走って行ってしまった。
「もうちょっと、ゆっくりしていけばよかったかな」
私が言うと、アインが首を振った。
「急ぐ旅ではない、と言いたいところだが、そうでもなくなってきているだろう。連中の仲間が、大陸のどこで何をしているか分からん。集められる情報を早く集め、打てる手を早く打った方がいい」
「アインは木の上にいるのが落ち着かないってだけじゃないの?」
私が笑うと、アインが口を尖らせた。
「俺は真面目な話をしている」
「わかってるよ、冗談。でも、スー」
スーが私を見る。
「モナルキーア……というか、カステロには、どれくらい滞在することになりそう? 出来れば、リリコに目安を伝えていきたいの。間に合うことはないんだろうけどさ」
「そうですね。私も、出来ればリリコ様に同行してもらえたらと思っていますから……王都で二週間は見た方がいいと思います」
「二週間もか?」
スーが頷く。
「まず、旅の報告をしなければ。コレペティタのこと、カストラートのことは、人族のしでかしたことです。それに、インブロリオについての情報を集めたり、モナルキーアの遺跡について調べたりと考えると、それくらいはかかると思います」
あ、と思い至った。
「遺跡について調べるのって、王立図書館?」
声がうわずってしまって、スーに笑われてしまった。
「以前、トリル様、行きたいと言っていましたもんね。到着して落ち着いたら、ご案内しますよ」
「では、まずは一晩体を休めて、明朝出発するとしよう」
アインの言葉に私達は頷いて、借宿に入った。
途中、アインが気を利かせてくれて、宿を私とスーだけにしてくれた。
おかげで私達は水で体を拭くことが出来た。
「アイン様、こういう気遣いをなさるようになったんですね」
「リリコも加わったら、男一人に女三人だもんなぁ。ちょっと、肩身が狭いかな?」
私とスーは笑い合って、汗を拭いた。
ただ、どうやらアインが出て行ったのは私達に気を遣ってと言うこと以上に、食糧を調達に行ったという意味合いが強かったようだ。
戻ってきたアインの手には、そこそこの大きさの鹿があった。
内蔵の処理やら血抜きやらも終えて、あとは調理するという段階にまでなっている。
スーが、ぜひ森人に譲ってもらった調味料を試したいというので、私は材料を切ったり火の準備をしたりするくらいは手伝って、あとは任せることにした。
天気も良く、風が心地よかったので、私達は借宿が面している広場に出て、食べ物を並べた。
ここ最近で、一番豪勢な料理が目の前に並んでいる。
「戦って泳いで疲れてるのに、ありがとうね、スー」
いえいえ、と嬉しそうに頭を掻くスーに、私も笑った。
「この串焼きはアーリョを多めにしました。こっちはぺぺが多いので、少し辛いかも知れません。それはゼンゼロを使ってみたので……」
「美味いな」
「アイン様、聞いてます?」
「ほんとだ、これも美味しい」
「ちょっと、トリル様も、ちゃんと聞いて下さいよ!」
色々な形に切られて、色々な味付けをされた肉はどれも美味しく、疲れた体にしみていくようだった。
口の中が美味しさで一杯になる。
「おいしそうだな」
声がして顔を上げると、リリコがいた。
「リリコ。もう戻ってきたの?」
驚く私に笑って、リリコが隣に腰を下ろす。
私とリリコ、そしてスーが並ぶ形になって、向かいにアインが座っている。
「最後に、君達と食事をとりたくてね」
リリコが緑色の筒の栓を抜いて、ぐっとあおる。
「君も飲むか?」
「何、それ?」
「ヴィノという飲み物だ。大切な時に、大切な人と飲み交わす」
「そんな風に言われたら、飲まないわけにいかないじゃん」
微笑むリリコから受け取って、私は口を付けた。
口を付ける直前に、ふわっと芳醇な香りが立った。
お酒っぽいな、と分かってしまったが、飲まないわけに行かない。
とろ、と口の中に液体が入ってくる。
じゅわ、と口の中に甘さと熱さが広がる。
ごく、と喉を通ると、喉もふわぁっと熱くなる。
「おいしい……」
「そうだろう? 私の手作りだからな」
私も飲んでみたいです、と言ってスーが受け取り、口を付ける。
「これって……これ、森人の皆さんは、おいくつから飲まれるんですか?」
「別に、いつからということもない。作り方を覚えるのは、三十くらいかな」
スーが私を見る。
飲んで大丈夫でしょうか、という目だ。
私は笑ってごまかした。
ここは森人の里だ。
モナルキーアの決まりを、少しくらい忘れてもいいだろう。
「気に入ったなら、まだあるぞ」
リリコが持ってきた革袋から、同じような筒が何本も出てきた。
アインにも、私のも一本ずつ配り、リリコも一本手に取った。
「里が落ち着かない内は、祭や宴というわけにもいかないが、今夜だけは許されるだろう」
リリコが笑う。
「遠くない将来の再会に向けて、今夜のことは忘れまい」
アインが言う。
「また、一緒に冒険しましょうね」
スーがもう赤くなった顔で言う。
「では、樹海の冒険の成功を祝って……」
私がスー、アイン、リリコを見る。
スーが、リリコに耳打ちをし、リリコが頷く。
「ヴィンクルム!」
四人の声が重なって、ヴィノの筒が高らかにぶつかり合った。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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それでは、また次のエピソードで。




