第86話 樹海の壁画
これまでにもそうだったように、私達は奥の通路を進んだ。
緊張が高まる。
山の遺跡では、七つの種族がともに影に立ち向かっている光景が描かれていた。
あれを見たとき、私は、自分の使命が「みんなで手を取り合って影に立ち向かう、その手助けをすること」だと思った。
でも、水底の遺跡の壁画では、人族が、他の種族と争っている様子が描かれていた。しかも、人族の目はわざわざ紫色に縁どられていた。
何が正しいのか、どういうことなのか、分からないことばかりだ。
でも、ここの壁画を見れば、また少し、分かることが増えるはずだ。
「着いたぞ」
アインが奥に入り、私も部屋に入る。
壁画はこれまでに見たものよりもはっきりとした色合いで、あるいは線で描かれていた。
「これは……壁画、か。君たちが各地で探しているのは、これか」
リリコが興味深そうに壁画に触れ、指先でこする。
スーは鞄から手帳を取り出した。
私は、じっくりとその内容を見る。
「ここに書かれているのは、人族、だね」
もっとも端に描かれているのは、人族だった。
たくさんの人が描かれた部分が丸で囲まれていて、人以外にも丸い何かや筒状の何か、針のようなものなど、人工物とおぼしき色々なものがびっしり書き込まれている。
その丸から横に、矢印が長く伸びている。
そしてその先が、枝分かれしている。
「先に描かれているのは……森人かな」
一本の矢印の先には、耳が長い人が描かれていた。
「こっちは水人、鉱人、ミノタウロス、ケンタウロス、竜人。すべての種族が描かれてる」
もう一度、ケンタウロスに伸びている矢印を見る。
たどっていくと、その途中、矢印の中に描かれているのは、人と馬だった。
人の集団から伸びた矢印が、人と馬を通って、ケンタウロスに繋がっている。
「全部、矢印の中に人と何かが描かれてる。人と牛、人と魚、人ととかげ、人と木、人と石……人とそれらの組み合わせ、ってこと……?」
「組み合わせは、もう少し複雑だったようだな」
壁画に近づき、アインがケンタウロスに繋がる矢印を指で辿る。
矢印の中に、細かく別の模様が描かれているのに気付く。
「見ろ。これは、三日月を模している。月精を描いたと見て間違いないだろう。同じように、水人の所には水の雫が描かれているから、水精。森人の所には渦巻きが描かれているから、風精……人族と動植物と精霊を組み合わせた先が、種族だ」
みな、一様に押し黙ってしまった。
頭に浮かんでいることが、現実離れしていて口から出ていかない。
ふー、と息を吐いて、アインが言葉を紡ぐ。
「古い時代に、人族をもとに、他の種族が生み出されたということだろうな」
「馬鹿な。私達森人の始祖が、人族だというのか?」
「森人だけではない。我々ケンタウロスも、水人も、ミノタウロスも、すべての種族にとっての大元が、人族だったという図だ」
リリコが額に手を当てる。
スーも、口元を両手で覆っている。
私も、頭の中が混乱している感じがする。
種族の始まりが何かなんて、考えたこともなかった。
「これを見て、人族こそが至上だと考える輩はいたかもな」
アインが苦々しく言葉を紡ぐ。
スーが顔を上げた。
「カストラート、ですね。確かに、彼は各地を遊歴して後、その思想に取り憑かれたとのことですから、つじつまは合います。この壁画を見て、カストラートは極端な思想を持ち始めた」
ただ、と付け加えて、スーが言葉を次ぐ。
「この遺跡に、カストラートが入れたとは思えません。リリコ様のような森を熟知した森人の力を借りて樹海を抜け、風の精霊の力でようやくたどり着けた場所ですよ。一介の剣士が、これを見られたはずはないと思います」
「インブロリオ」
私が呟く。
「それが、インブロリオっていう人物だったとしたら、話は合うんじゃない? もちろん、魔法を使いこなせる人物だったっていう前提になるけど、これを見たインブロリオが、旅をしていたカストラートに出会い、お互いに通じ合って、各地で悪さをし始めた」
ふむ、と言ってアインは頷いた。
「仮説としては、成り立っているように思えるな」
「その部分はね。でも、他の壁画との繋がりが分からない。全ての種族が手を取り合って影に立ち向かっている光景と、人族と他の種族が争っている光景とが、どう結びつくんだろう……」
「まだ、情報が足りませんね」
スーが言葉を紡ぐ。
「しかし、大陸の東側を渡り歩いて、たくさんのことを知ることが出来ました。欠けている部分は、大陸の西側に眠っていると考えていいのではないでしょうか」
私とアインは頷いた。
「西には、鉱人の国と、竜人の国がある。少なくとも、壁画が二つはあるだろう」
「三つじゃないのか?」
リリコが首を傾げて言った。
「ケンタウロスは別として、人族の国に壁画はないのか?」
私がスーを見ると、スーは表情を曇らせた。
「モナルキーア領内に古代遺跡があるという話を、私は聞いたことがないんです。ただ知らないだけかもしれませんが」
「どちらにしても、森人の森を調べた後は、一度王国へ戻るつもりだっただろう。帰りがてら、人に話を聞くなり、調べて回るなりしてみればいいだろう」
リリコが口を開いて、何も言わずに閉じた。
何を言いかけたんだろう。
一緒に行く、と言おうとしたんだろうか。
それとも、何か別の提案があったんだろうか。
少し待っても、リリコは何も言わなかった。
「では、一旦私はこの壁画を書き取ります。今までよりも詳細が大切になりそうですから、時間をください」
スーの言葉に私達は頷き、それぞれが壁画を眺めたり、武器の確認をしたりし始めた。
私は壁画に描かれている人々の、瞳の色をじっくり見ていった。
矢印のはじまりにいる人々を見ても、瞳の部分は黒や茶色で塗られている。
縁の色も、紫色じゃない。
辿っていって、他の種族の目を見ても、紫色の瞳をもっているものはいなかった。
ただ、森人は緑色に、水人は青にわざわざ塗られているところをみると、やはり、色にも意味があるのは間違いなさそうだった。
ふと気が付くと、リリコが壁に背中をつけて、黙って私を見ていた。
「どうかした?」
「いや……随分、まじまじと見ているなと思ってな。何か気になることでもあるのか?」
どき、と胸の奥が疼いた。
ただ、リリコには、言っても構わないような気がした。
「実は、水人の国で見た壁画が、紫色の瞳をしている人族と、他の種族が向かい合って争っている様子だったの。それで、この壁画の人達は、どんな目の色なんだろうと思って……」
私の言葉を聞いて、リリコが壁画に近づく。
いくつかの色を確認してから、あらためて、私の顔に近づいて目を見た。
草色の瞳に私が映る。
「その壁画に描かれていたのは、完全に紫色だったのか?」
「いえ、紫色で縁取られていて、中は黒や茶色でした。正確に写したつもりです」
走らせていた筆を止めて、スーが言葉を紡ぐ。
「ちょっと、見せてもらっていいか? ……なるほどな。トリル、君は自分の瞳をしっかり見たことはあるか?」
「うん、ある、と思う」
「君の目は、瞳全体が美しい紫色だ。登り始めた太陽が照らす夜明けの空のように美しい。だが、スーの絵は、紫色の輪郭があるだけで、君の瞳とは随分様子が違うように見えるぞ」
言われてスーの絵を見ると、確かにそうだ。
「むしろ、君の瞳は縁が青みがかってはいるが、黒っぽい。太陽の下でなら、もっとはっきりそう見える。物事は注意深く見なければ、大切なものを見落とすぞ」
そう言って、リリコは優しく笑った。
「握ってから薔薇のとげに気付く、ということわざがある。目立つことだけに気をとられないようにしろ、ということだ」
母親とは違う、頼れる姉に言われたような気分だった。
「うん、覚えておく。ありがとうね、リリコ」
「どういたしまして。こんな冒険に加わらせてくれたことへの、せめてもの恩返しだと思ってくれ。どうも、君の様子が、何か心配事があって仕方ないという風だったからな」
私は少しうつむいて、顔を上げてリリコを見た。
リリコは、穏やかな微笑みをたたえたまま、私を見ている。
「リリコ。私達と一緒に、モナルキーアに来ない?」
リリコの微笑みが、わずかに陰った。
「氏族による役割のしがらみがなくなったら、リリコだって守護者じゃなくなるんでしょ? リリコが一緒に旅をしてくれたら、すごく心強いし……」
「……ありがとう、トリル」
私の頬に、リリコの手が優しく触れる。
「そう言ってくれることを、期待していた自分がいるのは確かなんだ」
「じゃあ……」
「でも、行けない」
「どうして?」
「少なくとも、セーメの里が落ち着いて、ティコの安全が保証されてからでないと、私は森を離れられない。これは、誰に決められたことでもなく、私が私に課した使命なんだ」
リリコが手を離し、口を次ぐ。
「あの子が生まれたと同時に、あの子の母親は風に還った。弱い人だったから。私は彼女に託された。どうかこの子が一人前になるまで、護って下さいと。私は、彼女の手を取って承諾した」
「リリコ……」
「きっと、その日は、そう遠くない。だから……」
リリコの草色の瞳が、わずかに濡れていた。
「あと少しだけ、我慢するよ」
何も言えなかった。
目の色が、深かった。
「俺達の旅は、まだ当分は続く」
アインの声がした。
いつの間にか、私の側に来ていた。
「それに対して、里の安定はすぐに済むだろう。早く終わらせて、さっさと合流しろ」
「そんな言い方……」
私がアインをにらむと、リリコが笑った。
「そうするよ。君達がどれくらい人族の国に滞留するか分からないが、準備ができ次第、まずは訪ねさせてもらう」
「うん。きっと、また、すぐ会えるよね」
リリコは黙って、しかし大きく頷いて応えた。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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それでは、また次のエピソードで。




