第65話 野営
私が生まれ育った北の街ノルドにも、近郊に森はあった。
獣も少なからずいて、危険だから立ち入らないようにと随分言われたものだった。
ある時、誤って鹿の角で腹を突かれたと大けがをして帰ってきた猟師を見たことがある。
私にとってはそれで充分、森は怖く、恐ろしい場所なのだと思えた。
しかし、大陸は広かった。
湖の下に街があることを想像も出来なかったように、世界には私の想像を超える光景があるものだ。
「いくらなんでも、大きすぎない?」
今、眼前に広がっている森林は、端がなかった。
はるかかなたまで、切れ目なく木々が立ち並んでいる。
「行き来する人が少ないだろうから、例によって道はないわけでしょ?」
私が言うと、スーもうーんと唸った。
「一応、ぐるっと森の外周を歩いてはみるつもりでしたが……」
言いながら、スーがちらっとアインを見る。
「ケンタウロスも、平野を好んで渡り歩いていたからな。森の中がどうなっているかは、正直、よくわからん」
カスカータを離れて半日が過ぎ、太陽は下がり始めている。
「とりあえず、歩けるだけ歩いてみて、日が暮れたら野営の準備をすることにしようか」
「そうですね。東と西、どちらに向かいますか」
そう言われて、私はきょろきょろ見渡してみる。
「どっちにどれくらい伸びているか分からないけど……ここから西に向かおう」
「理由はあるのか?」
「うん。東の街オストで、多くはなかったけど森人を見かけたでしょ。ってことは、運が良ければ森から出てくる森人にばったり会うかもしれないし、そうでなくても道っぽいものは見つけられるかもしれないじゃん」
なるほど、とアインが呟く。
「では、トリル様の考えでいきましょう」
私達は沈んでいく太陽に向かう形で歩みを続けた。
左に森を見ながら、入り口を探しつつ歩いていく。
森の中は光が差し込んではいるが、奥が見えず、中に何がいるのか、ようとして知れない。
不意に、ギュイィ、と甲高い声が聞こえた。
「鳥?」
「いや……」
私のつぶやきに、アインが答える。
「ハーピーだ。翼をもった影。本来は海辺にしか姿を現さないはずだが……」
アインが空を仰ぐ。
私もスーも見上げてその姿を探す。
「いた」
アインが指した方向に、一体のそれが見えた。
それも私達の姿を見つけたか、次第に高度を下げ、私達に向かってくる。
ガチャ、と音がした方を見ると、アインが手斧を構えていた。
太い腕が手斧を握り、すさまじい勢いで振られ飛んでいく。
滑空してきていた怪物はギャウゥと声をあげ、力を失って地面に墜落した。
私も剣を抜きながら、落ちた場所に駆けつける。
既にこと切れている怪物は、翼だけでも私の背丈ほどの広さがあった。
「ハーピーって、大きいんだね」
木目の剣を握りながら、私はその骸を見る。
顔は人間に似ているが、やせこけていて、目はくぼみ、黄色い。
異様に口が大きく、ぎざぎざの歯が覗いていた。
胴体は人間のそれと同じだが、肩から先が銅のような色で鳥の翼になっていて、下肢も鳥のように羽毛で覆われている。足元はと見てみると、やはりそこも鳥の足を大きくしたような形だった。
「脅威がある相手ではない」
アインが言う。
「頭上から襲い掛かってくるしか攻撃手段を持たないからな。足のかぎ爪で貫かれれば、さすがに致命傷になるだろうが、それだけ注意しておけばいいということだ」
さらっと言っているが、私は頭上から飛び掛かってくる相手と訓練したことはない。
アインのように距離があるうちに投擲で倒してしまえればいいだろうが、練習したとはいえ、細い投げナイフでは絶命させるほどの威力はない。
「降りてきたところに、機を合わせて足を斬る、ってとこかな」
「そうですね。私も同じように考えていました」
深い青の双剣を握りながらスーが言う。
「それにしても、影が増えているとか、武装しているとか、様々な話を聞いてきましたし、見てもきましたが、出現する場所まで変わっているのでしょうか」
「カストラート達の仕業という線もあるかもしれんな」
アインが言う。
「連中が持っていたあの錫杖が影と深い関わりがあるのは間違いなかろう。もしかすれば、各地で怪物を発生させたり、武器を与えたりということを長い間、しかも大々的にやっているのかもしれん」
「そんな……なんのために?」
「人族だけの世界をつくるため、か」
「でも、影は人族も襲います。人々を危険にさらしては、詮無きというか……」
話している内に、ハーピーが影になって消えた。
がらん、と突き刺さっていた手斧が土に落ちる。
「なんともわからんな。だが、カストラートほどの実力者が、使い走りであるはずもない。少なからず、勢力が削がれてはいるだろうさ」
手斧を回収して、アインが元のさやに納める。
私はハーピーが残した影をじっと見る。
「そもそも、影って、いったいなんなんだろう?」
アインとスーが顔を見合わせる。
「考えたこともないな。この世界のすべての生き物にとって危険な敵、ではないか」
「ってことは、生き物ではない、んだよね」
「少なくとも何らかの生活様式をもっているとは考えられていませんね」
スーが続ける。
「モンテ山の壁画にも描かれているくらいですから、古い時代から存在していることは間違いないと思いますけれど」
「でも、フォンテの壁画には人と他の種族が争う姿が描かれていたじゃない? 影の脅威が昔からあったのなら、種族同士で戦う余裕なんて、あったのかな」
「人族同士、ミノタウロス同士、ケンタウロス同士でも喧嘩することはあろう。余裕があるかどうかではなく、必要に迫られればそうなるというだけだ」
なるほどね、と言いながら、私は剣をしまった。
「ごめん、変なこと言って。もう少し進んでみよう」
ふたりは頷いて、私達はまた歩き始めた。
その後は影に遭遇することもなく、かといって森の方に何かを見つけられることもなかった。
ほどなく私とスーが天幕を張り、アインが駆けて食べられそうな獣を狩りに行った。
収穫はまるまるとした野兎で、皮をはいで内臓を抜き取っても、食べる部分が多く残るくらいだった。
「スーの味つけ、久しぶりだね」
とろみのあるスープをすすりながら、私が言う。
口の中に広がる濃い味が、疲れた体に染みていく。
「水人の料理も美味かったが、比べるとミノタウロスの方に勝ちが行ってしまうな」
「私は悩ましいところですね。生のお魚はそうでもないですけど、いろいろな貝はすごくおいしかったです」
「生の魚と言えば、初めて食べたときに二人が私に毒見させたよね」
私が二人を見ると、アインとスーはお互いに目を合わせた。
「俺も貝は好みだったな」
「鎧貝が身まで利用できるというのは素晴らしかったですよね」
「ちょっと、無視しないでよ!」
まったくもう、と言いながら、私はもう一口スープを飲んだ。
もうひとつ、スーが用意してくれた保存用につくられた固いパンをかじる。
「森人の料理は、どんなのがあるんだろうね」
「森は幸が豊富でしょうから、おいしいものがあるかもしれませんね」
「絆を繋ぐ旅として始めて、壁画を写し、昔話を集め、しまいには料理を食べ歩く、か。なんとも得るものが多いな」
久しぶりの三人での野営は、どこか懐かしく、居心地の良い夜だった。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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それでは、また次のエピソードで。




