第60話 水底の壁画
アインが戻ってきた。
道中は影に襲われることもなく、快適な旅だったという。
カストラートの赤い剣は折れた刀身とともに鞘に納められ、抜けないように厳重に紐で縛られていた。また、彼が使っていた錫杖の残りの部分もアインは回収してきていた。
「スーの剣は、見つけられなかった」
アインが言うと、スーは何も言わず頷いた。
見つからないものと覚悟を決めていたのだろう。
カストラートの遺品はディクション隊長が受け取り、警護の固い建物に厳重に保管されることになった。
私とアイン、そしてスーは、身なりを整えて宮殿に向かった。
「それでは、見に行きましょうか」
シェーナ女王は立ち上がった。
「これから向かうんですか?」
「ええ。というより、場所にはもう着いているのですけれど」
女王が笑って言葉を次ぐ。
「我ら水人の知る遺跡とは、このフォンテの街以外にはありません。他に街はありますが、どれもフォンテを模して後世、しかもごく最近作られた街ばかりです」
私達は顔を見合わせた。
「あなたたちは、コリーナの山中で壁画を見た、と言いましたね。それと同じようなものは、わたくし達の足下、そのずっと下にあるのです」
女王が歩き出し、私達はそれに続いた。
らせん状の階段を下り、さらに下り、また下った。
かなりの深さまで降りてきた感じがしてたどり着いたのは、丸みを帯びた広い部屋だった。
モンテ山の遺跡、コレペティタと戦った広間を彷彿とさせた。
「先に、小部屋があります。どうぞ、ご覧になってきてください。ただ……」
目を伏せた女王の様子に、私は首を傾げた。
女王は私を見て、それからスーを見た。
「あなたたちには、あまり気分の良いものではないかも知れない、と先に伝えておきます」
私とスーは互いに顔を見合わせ、何も言わず、奥に進んだ。
アインの蹄の音が広い空間に響く。
奥の部屋には、確かに壁画はあった。
しかし、描かれていた光景は、山の遺跡とはまるで違っていた。
「ケンタウロス、ミノタウロス、森人、水人、鉱人、竜人、それと、人族。確かに七種族が描かれてるけど……」
「人族と他の種族が争っているように見えるが」
アインの言う通りだった。
体の向きが全体として向かい合う構図になっていて、直接組み合っているような所もある。
「どういうこと……?」
私がひとり呟いても、スーもアインも何も言わなかった。
誰もその答えを持ってはいない。
「……ひとまず、私はこの絵を写します。お二人は、どうされますか?」
私とアインは互いに目を合わせて、私が先に口を開いた。
「邪魔にならないように、外に出てるよ。広間に何かないか、見ておくね」
分かりました、と答えたスーを置いて、私達は広間に戻った。
「水人が多種族との交流を断っていた理由のひとつが、あの壁画です」
女王は言った。
「謂われは分かりません。でも、かつて人族と他の種族との戦いがあったのでしょう。争いが、種族をまたいで起きたものだとすれば、種族同士の関わりが少ないことこそが最善だろうと、歴代の女王は考えてきたのです」
水色の澄んだ瞳が私を見つめる。
「しかし、しきたりに囚われた私達の水を、あなたが取り戻してくれた。そんなあなた達の献身に、争いの種などあろうはずがない」
美しい首を縦に振って、女王は右手を差し出し、私の左手を優しく包んだ。
「出立の際には、ささやかながら見送りの宴を催しましょう」
そういうと、守備隊を数人残して、女王は上に行った。
「傷はどうだ」
「うん、だいぶ良くなったと思う。どれくらいで完治する、とは言えないけど」
それだけ言うと、アインは黙ってしまった。
「何かあった?」
「いや、具体的に何があったわけではない。ただ、コレペティタ、カストラートと戦い、奴らは徒党だと知れた。各地に散って悪行を働いているかと思うと、放ってはおけんと思ってな」
アインの言葉に、私ははっとした。
アインはもともと、一族の仇を討つために旅をしていたのだ。
今回の戦いで、目的は達成されたことになる。
これからも旅を続けるつもりはあるんだろうか。
「アインってさ……」
「む?」
「これからも、旅、続けるの?」
人馬の戦士はきょとんとした表情になってから、大声で笑った。
「何を今更。壁画の謎、昔話の奇妙な一致、不埒な悪党共、これらがすべて中途半端なまま、旅をやめられるはずがないだろう」
それに、と言ってアインは言葉を次ぐ。
「それらがなくとも、俺はお前と旅をしたいと思っているよ」
そっか、と言って私は下を向いた。
少なくとも、そういう言葉は、二人きりのときに言ってほしいものだと思う。
たぶん、残った守備隊の人たちには聞こえていた。
聞こえなかったふりをしてもらっているのが申し訳ない。
それからほどなく、スーが戻ってきた。
「しっかり描けた?」
「しっかり……はい、ええ。しっかり、描けたと思います」
スーの言葉に何か違和感を覚えながらも、私達は上に戻った。
「では、今しばらくトリルの養生のために滞在してくださいな。何か入用であれば、遠慮せずシラブルにでも申し付けてください」
急に名前が出て驚くシラブルをしり目に、スーは分かりましたと元気よく返事をした。
「アイン様、毎日でなくても構いませんが、私に剣の手ほどきをしてくださいませんか」
「いいだろう。俺も、スーの剣を学びたいと思っていた」
そんな会話をして、アインとスーは訓練場に向かった。
ディクション隊長がシラブルに顎で指図し、シラブルはそれに従って駆け足で出て行った。
私はというと、治療所を出て、借宿に移らせてもらった。
だいぶ具合がよくなってきたというのもあるし、薬湯から逃れたいというのもあった。
体がなまりきらないように街中を散策し、人と話し、生の魚をごちそうになり、貝も生で食べられるようになり、疲労を感じたら『力在る言葉』の学習をした。
アインが使った力のようなものが、陽精にもあるんだろうか、と疑問に思った。
定型から外れていたから、厳密にいえば魔法ではないのかもしれない。
でも、精霊の力を借りるという点では魔法のようなものだ。
生涯に一度きりの特別な力は、ケンタウロスにのみ許されたものなのか、それともどの種族にも可能な超常の力なのか。
少なくともスーは聞いたことがないと言っていたけれど……
「ただいま戻りました」
思考を巡らせていると、スーの声がした。
「おかえりなさい。厨子さんが食事を持ってきてくれるまでまだ時間があるから、汗、流して来たらいいよ」
はい、と言ってスーは浴室に向かった。
そういえば、スーの様子がおかしかったっけ。
思い出した私は、食卓につきながら、スーが来るのを待った。
やがて食事が運ばれてきて、私達は談笑しながら食事を進めた。
「ねぇ、スー」
私は口を開いた。
はい、と言って、スーは明るい表情で私を見る。
「何があったのか、言って欲しいの。壁画を描き写して戻ってきたとき、何か、いつもと違ったから」
はっとして、スーが口を結ぶ。
「スーは私に、一人で抱え込まないで、って言ってくれた。あの時の言葉を、スーに返すよ」
スーは少し目を伏せてから、あらためて私を見た。
「何でもないことなのかもしれません。ですが、一度気にすると、どうしても引っかかってしまって……」
「壁画?」
スーは頷いた。
「書き写しているときに気付いたんです。人族の瞳は、全て、紫色で縁取られていました」
私は言葉を失ってしまった。
「当時の描き方がそうだったというだけかもしれません。しかし、他の種族の目元は、そうはなっていなかったんです。明らかに、意図的に、人族の目だけを紫色にしていたように見えました。色褪せていて遠目には分かりにくいですが、顔料の元の色は紫色で間違いないです」
思わず、目元に触れてしまう。
瞳が紫色っていうことに、何か意味があるの?
紫眼の乙女は絆を紡ぐ存在なんじゃないの?
「すみません……胸の内に秘めておくべきだったかも知れません……」
苦しげな表情を浮かべるスーに、私は笑顔をつくってみせた。
「ううん、言ってくれてありがとう。他の地方の遺跡にも壁画があると仮定して、きっと、これがどういう意味なのかが分かる日が来るよ」
笑いながら、胸中に不安が渦巻いているのが分かる。
私は胸の石をきゅっと握った。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、
ブックマーク登録や、下の☆☆☆☆☆欄での評価をしていただけると幸いです。
それでは、また次のエピソードで。




