第6話 出立
※8月25日 ドワーフ族の精霊について『土』→『金』に修正
食事はまだ運ばれてきておらず、何か重苦しい空気が部屋に立ちこめている感じがあった。
テーブルを挟んで向こう側には、屋敷の主人であるインテルメッツォ氏が居たが、大声のバルカロール氏が居なかった。後ろには揃いの装飾付きの鎧を着ている騎士達が直立している。
私の隣には母が、その奥には父が居る。アインは別の部屋に通されていていなかったし、私達を案内してくれたスーの姿もなかった。
口火を切ったのは、意外なことに母だった。
「トリル、旅に出ていらっしゃい」
えっ、と驚く私に、母は次ぐ。
「あなたが予言で謳われた人物なのかどうかは分からないけれど、あなたがずっと、旅に憧れていたのは分かっているもの。家のこともあるし、女の子なのだからと思っていたけれど……元々、お父さんとお母さんで店はやってこられていたんだしね」
私は視線を奥に移した。
父も、私を見ていた。
「路銀の心配もいらないそうだ。これまでお前には様々我慢を強いてきたとは思うが、いい機会だ。夢を叶えてこい」
二人の目は、二人の言葉が決して冗談ではないことを物語っている。
「信頼できる者を供につけましょう」
インテルメッツォ氏が言った。
「先に説明した通り、大人数を割くことは出来ません。しかし、様々な可能性を考慮して、有能な人間を同行させます。もっとも、アイン殿ひとりでも道中の危険はほとんど取り除かれるでしょうが……」
がちゃり、と音がして、スーが入ってきた。
街を歩いたときの、女の子らしい服装とは打ってかわって、騎士が着る、黒く丈夫な衣服を纏い、腰には左右に一本ずつの剣を帯びている。
「スー?」
私が言うと、彼女はぺこりと頭を下げた。
「あらためまして、宮廷魔術師団特殊班のスーブレットです。予言遂行のために尽力致します」
「娘は武芸に加えて魔法の技術、さらには狩猟や野営の技術も身につけております。何しろ、幼少期に私の予言研究を盗み見て、自分も人族の危機を救うのだと息巻き、バルカロールはじめ方々に訓練を願い出てきたじゃじゃ馬ですから」
父親の言葉に、スーは頭を掻いた。
「白馬の王子と乙女の予言は、私も知っていました。そのおふたりの助力が出来るとなれば、まさに私が夢にまで見た生き方そのものです。トリル様、頑張りましょう!」
言いながら爛々とするスーの眼は、インテルメッツォ氏が語り出したときの眼と一緒だった。
「トリル殿。アイン殿は、間違いなく、古代遺跡探索の旅を承諾しますよ」
インテルメッツォ氏が口を開く。
「今、バルカロールが彼を口説いています。人族の王家として彼に旅を要望する代わりに、彼の求める情報を広く集め、すべて伝えるというのはどうか、と」
私は小さく何度か頷いた。
なるほど、と私は思った。
彼は復讐の相手を探して人族の都に来たと話していた。そもそもここにいないと分かれば他を巡る予定だったろうから、旅をすること自体に異存はないだろうし、情報を集める手段が増えるとなれば、渡りに舟といったところだろう。
つまるところ、外堀はきちんと埋められていて、私が旅立つための準備はすっかり整ってしまっているということだ。
「私は、何を頂けますか?」
私は言った。
「両親に金銭的な援助が約束されたことは、察しがつきます。それとは別に、私個人には何か、報酬はありますか?」
私の言葉に、父と母は笑った。
「女王陛下からは、この予言の真実が明らかになった暁には、私の願いをなんでもひとつ叶えて頂く約束になっています。その権利を、君に譲りましょう。私は、予言が歴史になる瞬間に居合わせられれば、それが最大の喜びですからね」
こうして、私の平穏は終わった。
旅のはなむけにと饗された食事を頂きながら、私とスー、そして快諾したらしいアインはあらためて自己紹介をし、これからの旅をともにする思いを口にした。
アインは言った。
「俺の旅は復讐が目的だ。だが、そのためだけの命ではない。ケンタウロスはそもそも旅をする民だ。古い人工物のいくつかは見たことがあったし、昔から興味もあった。それを巡るとなれば、楽しい旅になるだろう」
スーは言った。
「予言のほとんどは人族のために必要なことです。ですが、この予言は、人族という枠を超えています。これがどのような内容で、どんな結末を迎えるのか、この目で見られることは身に余る光栄、僥倖です。道中の困難辛苦は、私が全力で取り払います」
私は言う。
「いつか街を出て、旅が出来たらな、ってずっと思ってた。いつからか、口にはしなくなっていたけれど。それが、アインに命を救われて、予言なんてものを知って、紫色の眼に意味があるなんて言われて、その気になっちゃうよね。たいして取り柄のない私に、そんな大それたことが出来るとは到底思えないし、たくさん迷惑をかけちゃうと思うけど、よろしくお願いします」
食事のあと、私は寝室で両親と色々な話をした。家にいる時も毎日色々な話をしていたけれど、その夜は違った。私の身を案じる母と、同じように案じる父に、私は絶対に無事に帰ることを約束した。
「これを持って行け」
父が私に差し出したのは、馬車で襲撃されたときに父が構えた木目の剣だった。
昔、私が持ったとき、お前にはまだ長いなと笑われたことを思い出す。
私は黙ってそれを受け取った。
「研ぐ時は? 普通の砥石でいいの?」
私が聞くと、父は鞘を指さした。
「それ用のものが、鞘の先に仕込まれてある。小さくて研ぎづらく思うかも知れないが、ノルドのドワーフから譲ってもらった特別なもので、一研ぎで鋭さが戻り、刃もこぼれにくくなる。金精の魔法がかかっていると言っていた」
「そんな貴重なもの、よく譲ってもらえたね」
私は黒光りする鞘の先に触れながら、故郷のドワーフを思い浮かべた。確か、コロラトゥーラという名前で、子どもくらいの身長に樽のような恰幅、髭もじゃの顔だった。偏屈で愛想のない人だったが、私が鍛冶屋の娘だと分かってからは、他の人よりは話をしてくれた。
「その剣を見せたとき、驚いてから、この剣には見合う鞘が必要だと彼がつくってくれたんだ。そんなこともあって、俺はドワーフ族に技を習ってみたいと思っていた。彼は頑として教えてくれないがな。お前の旅がうまく行って、そんな日が来てくれたら、と思っている」
そう言って父が私の頬を優しく撫でた。がさついて無骨で、でも温かい手だ。
母は私に、いくつかの丸薬をくれた。効能については、一緒につくったからどれも分かっている。
私はそれも含めて、インテルメッツォ氏が餞別にとくれた肩掛けの革鞄に入れた。中には、旅先で必要になりそうな物をということで、既に色々なものが入っていた。使い方がよく分からないものもあったが、スーが熟知しているから大丈夫だということだった。
翌朝は、快晴だった。
私は例の鞄を肩に掛け、腰には木目の剣を帯びた。服は、インテルメッツォ氏の女中さんが朝に部屋に持ってきてくれた上等な衣装だ。なんでも、王都の近衛騎士団でも採用されている特殊な素材でつくられていて、動きやすいけれど丈夫で、旅に最適なものなのだという。黒を基調にしながらも、何箇所か紫色のステッチが施されていて、一目で気に入ってしまった。ただ、その上に軽く丈夫な上質の革鎧を着ているし、旅の必需品だという外套をさらに上に羽織っているせいで、結局はよく見えないけれど。
スーは私と同じようなものを着込んでいるそうだが、なんとなく着慣れている感じがした。ただ、私が小振りな盾を持ったのに対して、彼女は流線型の黒鉄の小手をはめている。盾と同じようなものですと彼女が笑ったが、どのように扱うのか、まだ分からない。
アインは出会った時にそうだったように、革鎧の他にも革製の防具をあちこちにつけ、またあちこちに短剣や手斧、弓や矢筒を備えている。一人で百人くらいを相手取れそうだ。ただ、出会った時と違って、鎧の上のジャケットは汚れた物ではなく、私とスーと王都で買った真新しいものだった。
「陽精の加護がありますように」
インテルメッツォ氏が口を開き、私達に手をかざした。
『トイ、トイ、トイ。太陽の御使い、光の化身、陽精よ』
聞き慣れない響きの言葉が流れる。
『力在る言葉』と呼ばれる、古い言葉だ。精霊に語りかけ、力を借り受けるために必要な特別な言語。
『この者達の前途を照らし、あまねく厄災から逃れられるよう、その身に活力をもたらし、疲労を軽減させたまえ。イン・ボッカ・アル・ルーポ』
氏が唱え終わると、私達の足下に光の粒が集まって、やがて消えていった。
「旅は長くなるでしょう。道中様々なことも起きるでしょうが、どうか三人で協力して、世界を見てきて下さい」
氏の言葉に、私達三人は大きく頷いた。
こうして、私達の旅は始まった。
私が本当に予言に謳われた紫眼の乙女なのかは、正直、自信がない。
でも、今はただ、自分の人生が大きく変化したという胸のドキドキが、私に前を向かせた。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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