第58話 帰還
水源の地を出た私達は、大きく外回りに山の入り口に戻った。
途中、アインとシラブルが石壁の上に飛び乗ったという高台を見たが、足場は明らかにもろく、私とスーがいたら確実に止めていただろう場所だった。
「結果的に功を奏したのだから、問題あるまい」
そう言われて、私はアインの背中にくっついた。
危険を冒して、命をかけて、助けてもらったのだということをあらためて思い知った。
フォンテの都に戻る道中は、私の怪我の具合を見て、極力ゆっくり進めるということになった。
私はなるべく早く帰った方が、と異議を唱えたが、三人が断固として反対した。
特にシラブルの語勢は強かった。
「水精の止血の魔法は、万能じゃない。水精は元来きまぐれな精霊と言われていて、何かの拍子に出血が始まることも多いから、何度か水辺でかけなおす必要があるんだ。精霊の力に頼り過ぎず、僕たち自身の体の力で治癒を図ることが重要なのだぞ」
反論するとシラブルの横のスーが怒鳴ってきそうな表情をしていたので、私は頷くしかなかった。
帰路についてすぐ、少数のサハギンの群れに襲われたが、アインは極力動かず、長剣を構えて敵を威圧するにとどまった。
その間、シラブルとスーの二人が勢いよく敵を影に帰していく。
二刀の型をとれないスーだったが、違和感なく敵を切り伏せていっていた。
戦いが終わり、少し先に進んでから、早めの野営となった。
「カストラートは、その、完全になぶるつもりだったようです」
天幕で、スーが暗い表情で言葉を紡いだ。
「どの部分も、確実に出血するように狙っています。肩の傷口も、腱や筋を避けて、血の通り道を貫いていました。最後まで剣を振り続けることは出来て、でもどんどん血を流していく。こんなに残酷で性格な剣を、私は見たことも聞いたこともありません」
ぞっとした。
アインが来なければ、確かに私は剣を振るしかなかっただろう。
「あ……」
スーが声を上げた。
「どうしたの?」
「軟膏が……」
スーの持つ木の器が、空になっていた。
消費しきってしまったらしい。
傷の箇所が多いためだろう。
「ごめん、旅に出てから私しか使ってないのにね」
「謝らないでください」
スーが俯く。
「不甲斐ないです。トリル様がこんな目に遭っている中で、気を失って倒れていたなんて、私は……私は……!!」
大粒の涙がこぼれた。
「……すみません、言っても仕方のないことでした。装備を、なるべく軽くしましょう。念のため鎧は身に着けておくとして、留め具は緩めておきましょう」
「これ、スーが使って。一本じゃ、戦いにくいでしょ」
私はベルトから剣を外して、スーに渡した。
「……はい」
実際のところ、一本でも彼女は大丈夫だろう。
でも、今は私が彼女に剣を託すという事実が、彼女の心を支えてくれるような気がしたのだ。
右肩の痛みはひどかった。
痛み止めの丸薬もつきかけてきた。
それでもシラブルがことあるごとに水精に呼びかけてくれて、出血はほとんど止まっていたので、血で服が汚れることもなかった。
こうして私達は、山に向かった時よりも長い時間をかけてフォンテに帰った。
緊張の糸が切れたのか、私は水たまりの門を抜けたあたりで記憶が途切れてしまった。
目を覚ましたときは、私はベッドの上にいた。
その裾で、スーが船をこいでいる。
「スー?」
私が呼びかけると、スーははっとなって私を見た。
「トリル様」
緑色の瞳が、涙に包まれていく。
「ご無事で……」
両手で顔を覆って、スーが肩を揺らす。
「ここは?」
「フォンテの治療施設です。守備隊が管理しているところで、薬も質の良いものが揃っているとのことでした」
そっか、と言いながら、私はきょろきょろ周りを見回した。
貝殻のような質感の壁は、まさに水人達の建物の様相だ。
部屋には私が横になっているベッドしかなく、こじんまりとしたつくりだった。
「アインは?」
「女王陛下にカストラートとの戦いについて報告したあと、必要なものを調達するといって出かけられました」
ふうん、と言って私は目をつぶった。
まあ、スーがいてくれたらそれでいいんだけど、もっとこう、目を覚ますまで傍にいてくれてもよかったんじゃないか、という気がした。
勢いとはいえ、その、くちづけをかわしたわけだし……
「トリル様、顔が赤いですが……」
スーが私の顔に手を当てる。
「やっぱり、少し熱っぽい気がします。飲むものをもらってきますね」
スーが席を立って離れていった。
申し訳ないことをした。
余計なことを考えたせいで、スーにいらぬ心配をかけてしまった。
私は寝た姿勢のまま、右肩を見た。
ぐ、と力を入れて上げてみようとすると、ズキ、と痛みが走った。
当分、動かすことはできなさそうだ。
「トリル様、どうぞ」
スーが戻ってきて、半透明な白い杯を私に差し出した。
私は受け取りながら、その器の美しさに見とれた。
「きれいな器だね」
「貝を加工してつくったものだそうですよ。中身は薬湯です」
中を見ると、器の美しさをかき消してしまうほどの、濁った緑色の液体が満ちている。
「これは……」
「薬湯です」
飲む気になれない。
じっと見ていると、スーが口を開いた。
「失った血を増やすためにも、内側に活力をよみがえらせるためにも、必要なものです」
うん、と言いながらも、私の手は動かない。
しかしスーは、じっと私を見つめ続ける。
飲まないと怒るだろうか。
彼女を怒らせるとどうなるかは、シラブルとの手合わせで見たとおりだ。
今後、苦いものを口にしないためには、怪我をしないようにするしかないな。
私は意を決して、杯をあおった。
思った以上にさらさらした飲み心地だったが、口いっぱいに苦みが広がった。
いつかアインが摘んできてくれたカルマンテ草が甘く感じられるくらい、苦い。
なんとなく清涼感があるのがせめてもの救いか。
飲み干して、ふーっ、と息を吐く。
「それでは、私は女王陛下にトリル様が目を覚ましたことを伝えてきますね」
「あ、ちょっと待って。フォンテに戻ってきてから、どれくらい時間が経ったの?」
「日で言うと、一日も経っていませんよ。水の門を抜けて半日ですから」
私はスーを見送って、天井を見た。
たった半日しか経っていないのなら、なおさら、アインが待っていてくれなかったことに納得がいかなかった。
女王様に報告するのだって、シラブルに任せればよさそうなものだ。
スーが傍にいてくれたのはありがたかったけれど、何かの調達のほうが私よりも大切なのか。
武器、だろうか。
アインのことだから、ありえる話だ。
男の人って、よくわからないな。
それとも、ケンタウロスにとって、くちづけってそれほどたいしたことじゃないのかな。
はぁ、と息をついた。
かか、と音が聞こえた。
蹄の音だ。
顔を向けると、アインが姿を現した。
どういう顔をしていいのか、分からない。
「具合はどうだ」
「そこそこ」
私は目を閉じて言った。
かつかつと音が近付いてきた。
額にやわらかい感触が当たって、小さく水音が鳴った。
ぱっと目を開けると、アインが私の額に唇をあてていたと分かった。
「ちょ……!」
とっさに開けた口に、アインが何かを放り込んだ。
むぐ、と口を閉じると、口いっぱいに甘さが広がった。
「水人には甘い菓子をつくる文化はないようだったが、女王がレチタティーボからもらった飴を持っていたぞ」
口の中から、薬湯の苦みが消えていく。
「俺からもらうものは、まずいものばかりではないだろう?」
アインが笑った。
調達してきた必要なものって、これのことか。
私のために。
「バカ……」
顔が熱くなる。
「顔が赤いな……少し熱っぽいが、大丈夫か?」
アインのせいだよ、と言いたかったが、まともに顔を見れなくなって、私は目の下まで布団をたくし上げた。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、
ブックマーク登録や、下の☆☆☆☆☆欄での評価をしていただけると幸いです。
それでは、また次のエピソードで。




