第50話 水人
水人の都フォンテそのものが結構な広さで、街を出るのに半日がかかってしまった。
その間ずっと天井は水が揺れているのだから、ラーゴ湖の広さたるや、驚くべきものだ。
「この水の門を過ぎると、サハギンが出没する通路になる。遭遇したところでたいした相手ではないが、一応伝えておく」
シラブルは一度振り向いて口を開き、あらためて水の門に手を触れた。
『アプリティ・セイ・サモ』
垂直に留まっていた水の壁は消え、私達は岩壁をくぐった。
全員が通り過ぎて少しすると、水の壁はまた元の通りによみがえっていた。
「その呪文は、どういう意味なんですか?」
「古くから伝わっている言葉で、正確な意味を知っている者はいないらしい」
ふむ、と頷きながらスーがシラブルの隣を歩く。
街を出るまでもそうだったが、スーはずっとシラブルにいろいろなことを聞いていた。
水人の文字や言葉、魔法について、あるいは生活様式についてスーが聞くと、シラブルはそれに淡々と答えた。
話す中で、スーがシラブルを様づけしていないことに、アインも途中で気が付いていた。
「スーは、彼に対しては様づけしないのだな」
「そうだね。本人も、なんとなくそうしてるみたいで、深くは考えてないみたいだけど」
「やはり、人族というのは面白いものだ」
前は前で話し込んでいるので、自然、私はアインと話すことになる。
思えば、三人で歩いているとなんとなく三人で話す場面が多かったので、二人で話すという時間は意外と少なかった。
こうして腰を落ち着けていない状態でアインと言葉を交わすのは、少し新鮮だ。
「そうだ、アインにいいものあげようか」
そう言って私は、外套のかくしから小さな巾着を取り出し、その中からほんのり黄色い、丸い塊をひとつ取り出した。
「なんだ?」
「まぁまぁ、遠慮せずに一口でどうぞ」
私が笑って促すと、アインは怪訝そうな顔でつまみ、口の中に放った。
「……飴、か?」
「レッチの家に泊まったときに作ったの。あるものはなんでも使っていいって言われたから」
「たいしたものだ」
口の中でコロコロさせながらアインが言う。
私もひとつ、口に入れた。
「スーはスーで作ってたけどね。私のは、お母さん直伝の味」
正確に言えば、砂糖の質も水飴の質も何もかもミノタウロスのものの方が良いので、直伝の味ではない。
でも、作り方は同じだから、嘘というわけではない。
「ルーラードのところでもそうだったが、トリルは料理が得意なのか?
それとも、人族というのはみな、こうして親から教わるものなのか?」
「う~ん、人によるんじゃないかな。私は料理も鍛冶も興味があったから教わったけど……」
「鍛冶と言えば」
シラブルが振り向きながら言う。
「ディクション隊長に聞いたのだが、陸地の種族は石で刃を研ぐというのは本当か?」
「砥石のこと? まぁ、あんまり使わない種族もいるみたいだけど……」
答えながら、ちらっとアインを見る。
明らかに私と目を合わせないようにしている。
「わざわざ聞くっていうことは、水人は違うの?」
「というよりも、水人の武器の素材はなんなのだ?」
「武具をつくる上でも、しきたりはあるんですか?」
「一度に聞くな!」
シラブルが声を上げて、私達は笑ってしまった。
「まったく……武具をつくる上でのしきたりは、もちろんある。
専門の職人がいるのだが、専用の場所、専用の道具を使って、手順も決まっている。
使われる素材は、主に湖鉄と鎧貝だ」
「湖鉄?」
「鎧貝?」
私とアインの声が重なる。
「だから、同時に聞くなと……まあいい。
湖鉄というのは、上のラーゴ湖の横壁から産出される鉱物だ。地上で使われている鉄と同じようなものだと聞く。鎧貝というのは、とにかく堅い巻き貝でな……」
シラブルはそう言って、槍の石突を見せた。
そこには巻き貝が添え付けられている。
「これが鎧貝だ。これは装飾として使っているだけだが、こいつを加工して鱗状にして防具を作る。硬さだけで言えば湖鉄よりも堅いのだが、武器に加工するには適さない。専門家が専門技術で防具をつくるのがようやくだ」
なるほどね、と私は頷く。
「それで、武器の手入れはどうやってるの?」
「魔法だ」
シラブルが言う。
「水精に、強烈な水の圧をかけてもらい、研ぎ上げてもらっている」
「水の圧……って、金属を削るくらいに強いんだ」
私の言葉にシラブルが頷く。
「水の力というのはすさまじい。だから僕たちは、水精に対して畏敬の念をもっている。
だからこそ、注がれてくる水に精霊がいないということは、本当に一大事なんだ」
若い水人がぐっと唇を噛んだ。
「伝統やしきたりをないがしろにしていいとは思わない。でも、そのために、目の前に迫っている危機を解決する行動をとれないのは、歯がゆいんだ」
「あなたが案内役を買って出た理由が、分かった気がします」
スーが言う。
「すべきことが明確でないのも苦しいですが、自分に出来ることが見えているのに身動きがとれないというのは、もどかしいですよね」
前を見ながら、スーがぽつりと言った。
お互いのことを分かってきたとは思うけれど、彼女の中には、私がまだ知らない物語がたくさんあるんだろうという気がした。
「僕は決して、」
「水人の在り方を否定しているわけではない、のは分かってますよ。水人を思えばこそ、先を急いで逸るのも、分かっているつもりです。一日でも早く解決出来るように、頑張りましょう」
シラブルの言葉を遮って、スーが言葉を紡いだ。
「……ありがとう」
「いえいえ」
前を歩く二人は、何も言わずに歩いた。
なんとなく、気持ちが通じ合っているような雰囲気があった。
羨ましい、という気持ちとは違う、でも少し近い感情が私の中に生まれていた。
私達がそのまま歩いて行くと、聞き覚えのある濁った声が反響し始めた。
「いるな」
シラブルが声を潜めて後ろを見る。
「この先は、少し開けた場所になっている。だが、アインの大剣を振り回すほどの空間はない。
僕が先行して不意打ちを仕掛けるから、それに続いてくれ」
スーが二刀を引き抜く。
「一でシラブルと私、二を開けて、三でトリル様とアイン様が。その方が確実です」
シラブルが頷いて、槍を構えた。
二人が目配せをして、駆けだした。
私も木目の剣を抜いて、低く構える。
アインは長剣を手に取っていた。
ギュオッ、というくぐもった断末魔が聞こえ、私は一歩踏み出した。
アインも踏み込む。
広間に躍り出ると、確かに牙と鱗の影が爪を向けていた。
入口そばの一体に剣を振り下ろす。
後ろに跳んだサハギンはその距離が足りず、私の剣がその胸を裂く。
薄い手応えが伝わった瞬間、私はさらに一歩踏み込み、首元に刃を走らせる。
サンッ、という乾いた音と共に、怪物の胴体と首とが離れた。
すぐに剣を正面に構えなおし、壁が背になるように身を翻す。
瞬間、飛びかかってきたサハギンの爪を横飛びで避け、その勢いで体を回転させて敵の胴体部分目がけて薙ぎ払う。
はっきりは見えないが、確実な感触が握る手に響く。
剣を構えると、既に戦いが決していることが確認できた。
広間には緑色の鱗の体が散らばっていた。
よし、と息をつく。
私も、成長してる。
ふとアインを見ると、にっと笑って頷いてくれた。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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それでは、また次のエピソードで。




