第5話 予言
手で指し示されて、私は思わず横に座っていた母を見た。
母は首を横に振り、その奥に座っていた父も同じように反応した。当たり前だが、誰にも、言葉の意味がよく分かっていない。
「我々宮廷魔術師団の最たる任務は、我ら人族を守護する太陽の精霊ソルの力を借りて魔法を行使し、国の安全を守ること。しかし、陰の任務がひとつあります。リブレットの書を読み解き、その予言を人族のために役立てることです」
そう言って、インテルメッツォ氏は後ろに居た部下から、一冊の本を受け取った。
「これはリブレットの書の書き写しです。この中の一節を、読み上げましょう」
パラパラと本を繰り、氏は口を開いた。
「赤い月の夜、鳥の嘴にて、紫眼の乙女が生を受ける。乙女が十六の年、白い馬の王子に命を救われる。ふたりは七種族の失われた絆を紡ぎ、世界に平和と安寧をもたらす」
そして、氏は続けた。
「トリル嬢が生まれたのは、夜ですね。そしてその夜は、月が赤く輝いていた」
私が横を見ると、母は驚いた表情のまま、大きく頷いた。
自分が生まれた夜の月の色なんて、聞いたことはなかったが、母の反応を見る限り、どうやらそうだったようだ。
「赤い月って、どういう……」
私が口を開くと、魔術師長が答えた。
「原理はわかっていないのですが、そういう風になることがあるのです。城の記録によれば、百年に一度くらいの周期でそうなるようですね。月の精霊ルナに関わると言われているが、詳細はわかりません」
「月精の祭だ、とケンタウロス族は考えている」
口を開いたのはアインだった。
「そうか、君たちケンタウロス族の守護精霊はまさに月精。君たちの方が造詣が深いのは当然ですね」
インテルメッツォ氏が笑うと、アインはハッとして首を横に小さく振った。
「いや、そういう謂われがあるというだけで、細かくは知らない。口を挟んで申し訳ない」
いやいや、勉強になるよと満足そうに笑ってから、インテルメッツォ氏は私の方に視線を戻した。
「鳥の嘴とは、北の街ノルドのこと。そしてそこで、百年に一度の赤い月の夜、紫色の瞳の女の子が誕生した。やがてその子は成長し、白い馬の姿の戦士に命を救われた。おそらく聞くまでもないことでしょうが、トリル嬢。君は今、十六歳ですね」
私は恐る恐る頷いた。
しかし、頭に浮かんだ反論を口にする余力はあった。
「しかし、同じ日に生まれた女の子は、探せばいるのでは?」
インテルメッツォ氏は数度頷いてから、口を開く。
「いるかもしれません。だが、私は少なくとも、紫色の瞳をした人物を、君以外に知らない。随分珍しい色だし、しかもご両親から受け継いだものではないと聞きました。これを偶然というには、あまりにも出来すぎていると思いませんか」
驚く私を横に、今度は母が言葉を紡ぐ。
「恐れながら、赤い月の夜が百年に一度くらいと分かっているのであれば、該当する人物がいるかどうかを調べることなどはなさらなかったのですか?」
これには、インテルメッツォ氏が苦笑した。
「出来ないのですよ、奥方」
言葉を発したのは、バルカロール氏だった。
「先程も申し上げたように、予言は国家機密。それにまつわる仕事をする人員も、ごくごく限られており、少人数の秘密組織があるだけなのです」
何よりも、とインテルメッツォ氏が言葉を継ぐ。
「現女王陛下が予言に対して懐疑的で、人手が必要な大事は許可が出ないのです。先王夫妻、つまり陛下のご両親の事故死を予見できなかったために、致し方ないことではあるのですが……」
私は長い息を吐いた。
こんなことってあるだろうか。
自分が、そのなんとかいう予言書に記された人物だと。
アインが予言書に登場する人物と言われたら、それは分かる気はする。鍛え上げられた戦士、物語に出てくるような白い馬の姿。彼にまつわる事柄のことごとくが、どこか詩的だ。
でも、自分は鍛冶屋の娘で、一般庶民で、つい先週まで生まれた街を出たこともない世間知らずだ。そんな人間を、偉い予言者が見いだしたりするものだろうか。
「俺は部族の長の息子ではあったが、王や王子という概念はケンタウロスにはない。俺がその白い馬の王子だというのも、確証はないのではないか」
アインが言う。
「いや、リブレットの書は、我々が魔法で使う『力在る言葉』よりも古い言葉で書かれていましてね。王子というのも、あくまでも今の人族の文化に照らし合わせて翻訳した結果です。リーダーの子、というような意訳も出来る言葉なのですよ」
インテルメッツォ氏の言葉に、アインはふむと言って黙ってしまった。
「さて、急な話で驚いたことと思いますが、後半の『ふたりは七種族の失われた絆を紡ぎ、世界に平和と安寧をもたらす』という部分は、かなり重要だと考えています。周知の通り、鳥の大陸の右の翼には牛人、水人、森人が国を建て、左の翼には鉱人、竜人が国を建てている。だが、それぞれが門を閉ざし、交流はほとんどない。しかし、これはおかしなことです。それぞれの種族がもっと交流すれば、文化や魔法がもっと発展するはずでしょう?」
「たしかに、ノルドに住むドワーフの宝飾職人は、素晴らしい技術の持ち主だ。彼らの種族に技を習ってみたいと思ったことは、何度もある」
父が呟いた。
「失われた、という表現がなされているということは、おそらくはるか昔には種族間の交流はあったのです。そして、それは何らかの理由で閉ざされてしまった。しかしその絆を紡ぐことは、きっと不可能ではない」
インテルメッツォ氏が続ける。
「その役目を担うのが、その予言の乙女と王子だ、と?」
母が言うと、魔術師長は大きく頷いた。
「これも世間にはあまり知られていないことですが、大陸の各地に、はるか昔に栄えた古代文明の遺跡が点在しています。予言に謳われた者たちがそれらを巡ることで、何か変化をもたらすのではないか、と私を初めとした歴代の研究者達は考えてきました」
そう言って、インテルメッツォ氏は私を静かに見つめた。
奥行きのある眼差しに、私はどきりとした。
でも、と私は言葉を紡いだ。
しかし、それ以上の言葉は口から出ていかなかった。何をどう言っていいものやら、考えがまとまらない。
「一度、休憩を挟もうか」
私の言葉を遮って、バルカロール氏の大声が響いた。
「トリル嬢はじめ、ご一家は王都の見学を考えておられたとか。であれば、ご両親には大人向けの、トリル嬢とアイン殿には若者向けの名所を案内して差し上げるのがもてなしというものだ」
少し驚いたように目を見開いてから、インテルメッツォ氏は頷いて微笑んだ。
「確かに、バルカロールの言うとおりだ。急にたくさんの話をしてしまって申し訳なかった。スー!」
応接間の中に居た一人が、歩み出た。
私と同じくらいの年齢の、整った顔の女性だった。亜麻色の髪は馬の尾のように後頭部で束ねられ、眼は透きとおった草のような緑色だった。その目の色に合わせてか、淡い緑色のワンピースを着ている。
「彼女の名はスーブレット。私の娘です」
紹介された娘は、丁寧に頭を下げ、深々と礼をした。
「はじめまして、各々方。スーブレットと申します。スー、とお呼びください」
「娘に、若者二人の供をさせましょう。ご両親には、別の配下をつけますので」
インテルメッツォ氏の指示で、父と母には二人の案内兼護衛役がつき、私とアインはスーの案内で王都を歩くことになった。
「よろしくお願い致します」
勢いに流されて外へ出ると、スーが私達に向き直って挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私が頭を下げようとすると、彼女はそれを手で制した。
「予言に謳われたお二人に、頭を下げて頂くわけには参りません。どうか私に対して敬語も使うことなく、なんなりとお申し付け下さい」
そういうわけにはいかないと何度か反論してはみたものの、スーは頑として譲らず、同い年ながら誕生月が一月上だという理由で、私は彼女の要求を呑むことになった。
その間、アインは黙って私達のやりとりを見ていたが、終わったのを見計らって口を開いた。
「人族は、年齢によって言葉を使い分けるのだな」
「ケンタウロス族は違うの?」
アインは頷く。
「俺の部族だけかもしれないが、相手によって言葉を変えるという考え方はしていなかったように思う」
ふぅん、と私は言った。
こんなちょっとしたことすら違う、種族という大きな差異。
そんな他の種族と交流をもつための何かが、自分に出来るとは、やはり思えない。
「では、最初におふたりのお召し物を買いに行きましょう。そのためのお金は持たされておりますので」
こうして始まったスーの王都案内は、昼前に始まり、夕暮れまで休む間もなく連なっていった。
まずは絹のワンピースを買い、土産にと動きやすい衣装も数セット持たされた。同じ店で、アインにも上等な革のジャケットや手袋が当てられ、買い物という経験がそもそもないらしい白いケンタウロスは、されるがままになっていた。
昼はオープンになっているテラスで、ふわふわしたパンに甘い果物のジャムをたっぷり塗ったものを食べた。こんなに甘いものを食べたことがない、と私とアインは驚いた。
それからスーは王都の中央広場や恋人達の集まる丘、大通りから外れた菓子通りと呼ばれる道、『第八種族』と呼ばれている角の生えた人間の像などを見せて回ってくれた。
歩きながらそれなりに会話を出来て、なんとなく、私達は距離が縮まったような感じはした。
「急ぎ足でしたが、いかがでしたか?」
スーが笑う。
「すごく楽しかった。すごく美しい街だと思ったし、何より、スーの案内が良かったんだと思う。私が自分の街を案内しろって言われても、こんなに色々説明したり紹介したり出来ないよ」
「ケンタウロスにはふるさとの街というものがそもそもないが、スーが流暢に話す姿はいかにも賢明な印象を受けた」
私達の賞賛を受けて、スーはさらに笑顔になった。
とてもしっかりしている人だが、こういう表情を見ると、ああ、同じくらいの子なんだな、という気がした。
屋敷に戻ると、父と母はもう戻ってきていて、私は食堂に案内された。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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