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第44話 水先案内

「ここが入り口よ」


 レッチが指さしたのは、ただの水たまりだった。

 いや、水たまりというには面積は広く、周囲は石垣のようなもので囲まれていて、何か、普通の水たまりではないような雰囲気はある。

 だが、誰かにそうだと示されない限り、そこに何かがあると考える人はいないだろう。

 人工的な池というにはあまりにも無造作で、何日か日照りが続いたら水は消えてしまうのではないかという感じだった。

 少し先に広く見えている湖に比べると、なんとも頼りない水の量である。


「私も偶然だったんだよね。あちこち旅して回っていて、これと同じような場所から出てきた水人フォークを見かけてさ。それで、その子と仲良くなって、通路の入り方を教えてもらえたのよ」


 石垣を乗り越えて、レッチが水たまりに近づいていく。

 私達も、それに続いた。


「手を入れてみると、分かるよ」


 レッチが手招きをして、水の中に手を入れてみるよう促す。

 私は胸をどきどきさせて、恐る恐る水面に手を近づけた。


「後ろから脅かすとかしないでよ」


 私はアインを見て言った。

 アインはきまり悪そうに頷いた。

 ぴちゃ、と冷たくはない水面の感覚を通って、手を下げる。

 特に、何かがあるようには感じられない。

 深さはあるようで、私の手のひらが水底の土に触れることはなかった。


「ただの水たまり、だと思うんだけど……」


 そう言って手を引き抜いて、私はあっと気が付いた。

 袖が濡れていない。


「それが、水人フォークの魔法でつくられた水だって証拠ね」


 確かに水の中の感触だったのに。

 私は手首を回してあちこちから袖を見てみるが、どこも、水滴一つしたたってはいない。


「それじゃ、通りましょうか。同じようにやってみてね」


 レッチはそう言ってしゃがみ、水面に手を当てた。


『ミ・スクーシ』


 彼女は古い言葉を唱えると、立ち上がり、おもむろに水の中に飛び込んだ。

 驚いて目を見張ったが、彼女は音もなく水たまりの中に体を消してしまった。

 私がスーを見ると、スーはこくりと頷いて、水面に手をかざした。


『ミ・スクーシ』


 スーも同じように唱え、水の中に飛び込み、消えた。

 私はアインを見る。


「先に行く?」


 アインが顔をしかめる。


「じゃ、私からね」


 私はレッチとスーがそうしたように、もう一度水面に手のひらを当てた。

 やっぱり、ただの水にしか思えない。


『ミ・スクーシ』


 手を放してみる。

 別に、何かが変わったようには思えない。

 でも、二人が行ったんだから、きっと大丈夫なんだろう。

 私は念のために息を止めて、足から水たまりに飛び込んだ。

 ドボン、という音が体に響いたかと思うと、自分の身長くらいの水の柱を抜けたくらいで、私の体はすぐに重さを取り戻した。

 水の下、と言えばいいのか、土の下、と言えばいいのか。

 とにかく、水の通路の先は、土や石、あるいは何かの鉱物を切り掘って作られた空間に繋がっていた。

 先に降りてきていたレッチとスーを見つけて、私は二人に近づく。


「呪文を知らないと通れない道、ということでしょうか」


 スーが手帳に書きつけている。

 もちろん、その手帳はどこも濡れていない。

 水の中にした感覚はあったのに、私の髪もまるで濡れていなかった。

 ジャボン、という音がして、そっちに目を向けると、アインの姿が現れた。


「無事に全員到着ね」

「ここが、カスカータ?」


 私が問うと、レッチは首を振った。


「広い意味ではカスカータ王国の一部なんだろうけど、まるきり端の方だからね。

 フォークの都であるフォンテに行けば、きっと驚くわよ。まさに都、って感じだから」


 笑って言いながら、レッチが腰に帯びていた短刀を抜いた。

 慌てて私も腰の剣に手を伸ばす。


「あら、いい反応ね、トリルちゃん。

 ここからの通路は、たまにオンブラが沸くからさ、一応ね」

水人フォークの敵と言えば、サハギンと聞いたことがあります。

 たしか、水中でも呼吸ができ、陸地でも動ける両棲の怪物だとか」


 スーも二刀を抜いて言う。

 その言葉で、私も絵本の挿絵を思い出した。


「たしか、魚に足が生えたような、トカゲが立って歩いているような、そんな見た目だったっけ。

 牙と爪が鋭くて、いかにも凶悪そうな絵だったような気がするんだけど……」

「あっはっは、そんなにたいした相手じゃないわよ。たぶんそれは、生で見たことのない人族が想像で描いて、どんどん尾ひれがついていったんじゃないかしら。牙も爪も、それに体格も、たいしたことないわ。オークの方がよほど面倒なくらい。サハギン連中は、私の細腕でも、あっさり影に戻せる程度の相手よ」


 細腕、という言葉に反応してつい彼女の腕に目をやったが、正直、細くはない。

 レッチの腕で細いということになると、私はおろか、スーの腕などないようなものだ。

 ミノタウロスの中では細い、ということなのだろう。


「それに、連中は陸地の奴ら以上に明るいところが苦手だから、フォンテ周辺まで行けばまるきり姿を見なくなるしね。全身緑色で、しかもヌメヌメしてるから、見たいとも思わないけど」


 ふと後ろを見ると、アインが手斧を二本構えていた。

 確かにこの通路の広さだと、彼の大剣は横壁に引っかかってしまうだろう。

 そして私達は、レッチの先導に続いて歩いた。

 歩いている方向的に、私達は湖の方に向かっている感じだった。

 しかも通路は多少の起伏がありながらも、緩やかに下がっていっている感覚がある。

 ということは、私達はどんどん湖の底の方に向かっているということだ。

 どんどん通路は暗くなっていくが、苔か藻のような緑色のものが岩壁にびっしりついていて、それがほのかに光を放っているために、真っ暗闇になるということはなさそうだった。


「しっ」


 レッチが小さく言った。

 目を凝らすと、前方に気配がある。

 ギャッ、ギャッと濡れた革製品をこすりあわせたような声が聞こえる。


「サハギンだわ」


 ふりむいて言う女ミノタウロスに、私は頷いて、腰の後ろに手を回す。

 向こうが気付いていないのなら、遠くから撃つのが効果的だ。

 そう思った瞬間、後ろからビュンと風を切って何かが飛んでいった。

 ギャウッと消え入る声が響き、怪物は倒れたらしかった。


「さすがケンタウロス、お見事」


 もう一度振り向いて、レッチが言う。

 アインの投擲だった。


「見えてたの?」

「見えなかったのか? 前方に二匹のサハギンとやら」


 私の言葉に、アインは笑って答えた。

 私は、目を凝らして姿を確認できたから、撃てばどこかには当たるだろうというくらいだった。

 でも、アインが放った手斧は致命的な一撃となって襲いかかったのだろう。ということは、彼にははっきりと姿が見えていたということか。

 戦いのことで、アインに敵う戦士なんてそうはいないだろうという気がした。


「たいしたものねぇ。さ、そろそろフォンテの門に着くだろうから、そのつもりでいてね」


 レッチが歩き始め、私達はまた続く。

 通りがけにサハギンの姿を見る。

 全員が鱗に覆われているその姿は、トカゲというより魚のそれに近い気がした。体の大きさは人族より小さいくらいだった。ただ、鱗の一枚一枚が大きく、それだけで異様な生き物だという気がした。

 通り過ぎると、アインが手斧を拾い上げる音がした。

 それからしばらく歩いていると、急に視界が開けて、ちょっとした部屋のような空間に出た。

 不思議だったのは、その正面に、水の壁があったことだ。

 風のない水面を、岩壁の天井と床に立てたような感じだ。

 不思議な光景に見取れていると、レッチが一歩歩み出た。


「この向こうが、フォンテだよ」


 笑ってそう言われて奥を見ようとしても、何も見えては来ない。


「どうすれば通れるのですか? さっきと同じように、何か呪文が?」


 スーが尋ねると、レッチは頷いた。

 そして水の壁に手を当てて、言葉を紡ぐ。


「アプリティ・サモ・セイ」


 私も、スーも、アインも、固唾を呑んで壁を見つめる。

 しかし、何の変化も起こらない。

 レッチは、少しして、あ、と言った。


「呪文、間違えちゃった」

作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。


「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

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それでは、また次のエピソードで。

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