第4話 紫色の瞳
私にとっては不幸な事故によって明るさを取り戻した食卓は、ほどなくして閉じられ、私達はそれぞれの客室へ戻った。
初めて口に含んだ火酒に体が火照った私は、横になっても落ち着かず、両親に言って中庭で涼むことにした。
寝間着にと渡されたローブの肌触りは心地よく、柔らかな風に相まって気持ちを安らげてくれる。
「おや、眠れませんかな」
中庭のベンチにいたのは、バルカロール氏だった。月が満ちていて明るいのに加え、あちこちに明かりが灯されているから顔がはっきり認識できた。
「はい、ええ、あの……」
しどろもどろになる私に微笑み、氏は隣に座るよう促してくれた。
座るのが失礼なのか、断るのが失礼なのか判断がつかず、間違っても小娘のことだと笑い話になるだけだろうと腹をくくり、私は腰を下ろした。
「何分、初めてのお酒だったものですから」
私が言うと、氏はハッハッハと大きな声で笑った。
夜の静けさに、よく響く声だった。
「彼の話も、目の覚めるような話だったしなぁ」
そう言って氏は、遠くを見た。
私は何を言えばいいのか言葉を失って、同じように中庭の虚空を見た。
「懐かしい名を聞いた。凶刃カストラート」
驚いた私が氏を見ると、氏はやはり遠くを見ていた。
心なしか、目が潤んでいるように見えた。
「お知り合いだったんですか」
私が問うと、氏は頷いた。
「同輩だった。同じ釜の飯を食い、同じ教官に叱られ、同じ時間帯に寮を抜け出した。そして共に剣術、用兵術について切磋琢磨した仲だった」
氏は私の方を見て、穏やかに笑った。
私もその穏やかさにつられて、自分の表情が和らいだのが分かった。
体の火照りのせいか、ふわふわした心地だった。
「奴は強かった。当時、教官ですら、奴の剣に押されていたよ。それでいて魔法の心得もあったのだから、まさに、天才だった」
今の私なら負けないがね、と氏が笑い、私もつられて笑った。
「奴が異例の、諸国遊歴の旅を許されたのも、その能力の高さ故だった。しかし、2年ほどの旅から戻ってきた奴は、すっかり変わってしまっていた。天才ゆえに、道の間違え方も大きかったのだろうかね……私の妻も、奴とは知った仲だったから、退団して種族主義団体を打ち立てた時はまさかと驚いていた」
「奥様、ですか?」
氏の言葉に、私は彼が既婚であることに驚いた。
食事の前にも後にも、その姿はなかったけれど、と思う。
「ああ。私達の結婚式には、奴も参列していたよ。その妻は、数年前に病で他界したがね」
しまった、と思った。
慮るべきだった。
すみませんと謝ると、バルカロール氏はあたたかく笑ってくれた。
「実は、妻の遺言なのだ。我々貴族の生活を支えてくれている市井の方々に、まっとうな評価と報酬を与えていける国にしていってくださいと。それは現女王アリア様の施政にも通じるゆえ、私は武具職人の皆様に直接会うことを始めたのだ」
職人の皆様、という敬語表現に、私は驚いた。
この人は、本当に父に対して敬意をもってくれているのだ。
嬉しい気持ちが盛り上がったのが、お酒の勢いに乗せられて、目頭が熱くなってきた。
「こちらから足を運ぶようにせねばならんな、と今は思っているがね。それはともかくとして、実際に会ってみると、職人の方々というのは、実に澄んだ眼をしている。純粋な情熱を宿らせた、美しい瞳だ。お嬢さんも、お父上と同じように……」
そこまで言って、氏はハッとした。
私はその理由を勝手に察して、弁明のために口を開いた。
「あ、私の眼、父と違うんです。母とも違います。生まれつき、この色だったみたいで……でも、正真正銘、あのふたりの娘です」
私は笑いながら言う。
目の色が違うということは、つまり実の父ではないということなのか……などと不要な気遣いをされても困る。ただ、目の色が違うだけだ。
「紫眼……」
「しがん?」
氏が発した一言を、私は復唱する。
「君は、ノルドで生まれた。鳥の嘴の街で」
私はとりあえず頷いた。
ノルドが鳥の嘴にあると表現されることは、本で読んで知っている。
不完全ながら、と書き添えられた世界地図を見たとき、世界は翼を左右に広げた鳥のように見えた。それはあらゆる人がそう感じるらしく、各地が鳥になぞらえた言い方をされている。
例えば、ここ王都は鳥の喉元。ノルドは北の半島の、さらに先端にあるから、鳥の嘴だ。
「鳥の嘴、紫眼……あとは、なんだったか」
大声の氏らしからぬ小声のつぶやきに、私は首を傾げる。
「トリル嬢、明日の予定は決まっているだろうか」
氏に問われ、私は両親の顔を思い浮かべて、言葉を紡ぐ。
「予定では王都を見学しようと話していましたが、こちらにお邪魔している時点で予定通りではなくなっているので、たぶん、まっさらだと思います」
「それは重畳だ。明日、是非、我が知己に会ってもらいたい」
氏の意図は分からなかったが、私は頷いて応えた。
饗応に預かり、湯浴みという贅沢までさせてもらって、相手方の要求を断れるはずもない。
私の反応に氏は満足そうに頷き、それから立ち上がった。
「それでは、私は寝るとしよう。トリル嬢も、夜風に当たりすぎて風邪など召しませんようにな」
分かりました、と返事をして、氏が立ち去ってほどなく、私も寝室に戻った。
翌朝、私達はバルカロール氏に案内されて、同じほどに大きな屋敷に足を運んだ。
屋敷の主人はインテルメッツォと名乗った。近衛騎士団に並ぶ組織の、宮廷魔術師団の団長なのだという。なるほど、グレーの長髪を後ろに束ね、やや細面ながらも眼光鋭い風貌は、熟練の魔法使いという雰囲気だ。
「ようこそ、バルカロールのお客人方。この無骨な男のものとは違う、王都式のもてなしをさせていただきましょう」
インテルメッツォ氏がにやりと笑うと、バルカロール氏は鼻で笑って返した。気の置けない仲なのだろう、と思った。
「そして、ケンタウロス族の方にお会いするのは、幼少の頃以来です」
アインを見て、魔術師長は言った。白い脚をもっている方には初めてお会いするがと付け加えると、アインは軽く頭を下げた。
通された応接間は広く、磨き上げられた白い石壁は美しかった。調度品の多くは白を基調としていて、バルカロール氏の屋敷の食堂とはちょうど対照的な雰囲気だと感じた。
「さて、お茶が運ばれてくるまでの間、少しおとぎ話に付き合って頂きましょうか」
インテルメッツォ氏が口を開いた。
「リブレットの書、と呼ばれる本があります。予言者リブレットが書き記した古い書物で、そこに書かれた出来事は次々と的中し、時の王家はその予言書をもって数々の災いを退けてきました」
唐突に始まった、聞いたことのない、しかし興味深い話。横を見ると、そんな風に感じたのは私だけではなかったらしく、父も母も、アインも、皆、真剣な面持ちで聞き入っている。
「にわかには信じがたいでしょう。ブッフォ殿。25年ほど前、ノルドを襲った津波のことを覚えておいでですか」
氏の言葉に、父は頷いた。
「覚えています。大地が揺れ、地が裂け、海から大波が押し寄せたときは、まだ若かった身ながら死を覚悟したものです」
この話は、私も何度か聞かされたことのある話だった。土の精霊テラが土中で大いくさを始めてしまい、それに迷惑を被った水の精霊アクアが激昂し、海を乱し、その余波が街を襲ったのだ、と言われている。ノルドに住む者なら、一年に一度は耳にする話だ。
「あのとき、ブッフォ殿はどちらにおられましたかな」
父は記憶をたどっているようだった。
「たしか、朝早く騎士団がやってきて、午後に高波が街を襲うから丘の上に逃げろと知らせて回っていました。それで私は、健在だった両親と持てるだけのものを持って、逃げた、と記憶しています」
「え、待って。大地の揺れは昼過ぎだった、ってお父さん言ってなかった?」
思わず口を挟んでしまった。でも、この話は印象的だったから覚えている。父は太陽が昇りきるあたりで大地が大きく揺れて、と話していた。
「じゃあ、大地が揺れるよりも早く、お父さん達は避難したの? 順序がおかしくない?」
私の言葉に、インテルメッツォ氏が満足そうに頷いた。
「鳥の喉元で、一昼夜水が枯れる。翌朝に水は帰ってくるが、その日が昇る頃、鳥の嘴が大きく震え、裂けた大地に海の水が注ぎ込まれる」
そういう予言でした、と氏は加えた。
「災害と呼ばれるものは、ほぼ全て予言書に網羅されています。それがあるからこそ、能力的には他種族に劣ると言わざるを得ない人族が国を建て、影の怪物達に対抗し、生き抜くことが出来ているのです。このリブレットの書を読み解くことは、まさに人族の未来を読み解くこと。これを……」
インテルメッツォ氏の眼が爛々として、そこから蕩々と難しい話が繰り広げられた。聞いたことのない言葉もちらほら出てきたせいで、少なくとも私は何割か理解しきれなくなってきた。
ちょうどお茶が運ばれてきて、私達の前には心地よい香りのするカップが置かれていった。
一口含んでから、氏が言葉を紡ぐ。
「ちょっと語りすぎましたね。とにかく、人族は予言によって危機を回避してきた、ということです」
知りませんでした、と母が言うと、バルカロール氏が笑った。
「これは、まさに国家機密ですからな。末端の兵士や下位の貴族はもちろん、それなりの身分にあるものにすらほとんど知らされていないことなのです」
「となると、次なる疑問が出てくるでしょう」
バルカロール氏の言葉を次いで、インテルメッツォ氏が口を開きかけたところで、私は無意識に言葉を紡いでしまった。
「なぜ、自分たちにそれを教えたのか」
魔術師長が少し驚いた表情を浮かべながらも、頷く。
「その答えは簡単。まさに君が、予言書に登場するからなのですよ」
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