第38話 壁画
肩で息をしていたスーだったが、二刀を拭い、鎧の留め革を締め直すころには、もう呼吸を整え終えていた。
そして広間の壁に触れながら、遺跡の状態を調べているようだ。
アインは、弾かれた手斧を回収し、元の位置に収め、散らばった武器や何やらを見て回っている。
私は、全身が重たくて、その間ずっと、コレペティタが持っていた錫杖を見つめていた。
先端にあった黒い水晶は、もう無い。
でも、不気味で、手で触れる気にはなれない。
きっとあの水晶が、影から身を守るだけでなく、操ったり、生み出したりする謎の力をコレペティタにもたらしていたのだろう。
そして、魔法の心得のない、ただの人族の体を変異させ、影以上の怪物に姿形を歪ませた。
胸を貫かれても、大剣ではじき飛ばされても、倒れなかった。
それどころか、体が裂かれても、まだ動いていた。
ついさっきまであった光景が視界に蘇って、私の肌は粟立った。
構えていたときは感じていなかった恐怖が、全身に沸き上がる。
「どうだ?」
私がずっと錫杖を見ていたことに気付いていたのだろう、アインが側に来て言った。
「分からない。もう、何でもない棒にしか見えないけど……」
ふむ、と言ってアインが杖に歩み寄る。
ぎくりとした。
そして、ひょいと拾い上げて、なんでもないというふうに私の方に戻ってきた。
大丈夫なの、と声をかけようとした瞬間だった。
「ぐあぁぁっ!!」
アインが急に膝をついた。
「アイン! アイン!!」
駆けよって、肩に手を乗せて名前を呼ぶ。
まさか、まだ何か影響力があったんだろうか。
アインがあんなふうになったら、どうしたら。
「あぁぁぁ……はっは、はっはっは」
顔を上げて、笑っている。
信じられない。
今の今まで、あんなに緊張して戦っていたのに、もうふざけるなんて。
「もう、なんでもなさそうだ。たてがみにも、別に何も感じない。お……」
アインが固まった。
そのまま固まっていればいい。
しなくていい心配をさせられて、涙があふれてきてしまった人間の気持ちを、ちょっとくらい分かればいい。
「アイン様、今のはあまりにも……」
どの時点からか近くに来ていたスーが、顔をしかめて言った。
「すまん……」
私は目元を袖で拭う。
「トリル様、無事だったからこそ出来る戯れです。多分に悪趣味ですが」
スーが近寄ってきて、私の腰に手を当て、言葉を紡いだ。
私は鼻から息を出して、もう一度目元を袖で拭い、口を開く。
「なにか、分かった?」
スーは一瞬迷ったような表情になったが、こくりと頷いた。
「一周回ってみましたが、奥がありそうです。私達が入ってきた道と、ちょうど逆側に、もう一本通路がありました」
スーがアインを一瞥した。
私は見なかった。
広間に入ってきた順番とは変わり、スーが先頭を行き、私がそれに続き、アインが後ろになった。
奥に続く通路は、前の通路と同じようにうすぼんやりと光る筒が埋め込まれていて、十分に明るい。
ある程度歩いた辺りで、スーが振り向いた。
「着きました」
奥に広がっていたのは、部屋だった。
広間と同じように、ぐるりと円形の造りだ。
スーのいた屋敷の食堂くらいの広さの部屋。
さっきまでいた広間とは比べるべくもないが、私の家の台所よりは断然大きい。
「これは……」
スーが見上げた先を、私も見る。
そこには、絵が描かれていた。
「壁の絵……壁画?」
描かれていたのは、たくさんの人々だ。
しかし、よく見ると、その人々の見た目がそれぞれ異なっている。
「耳が長いのは、森人、だよね。これはミノタウロスで、こっちは竜人?」
「ケンタウロス、鉱人らしき姿もあります。こっちの水辺に描かれているのは、水人でしょうね。ということは、この辺りに描かれているのは、人族、でしょうか。みな一様に横を向いていますが……」
部屋の丸壁に、ずっと横長にその光景が描かれている。
辿っていくと、その先には黒く塗りつぶされた部分があった。
「これは、どういうことでしょうか」
「黒い部分は、影をあらわしているのではないか」
後ろから声がして、私はアインを見る。
見る、というより睨むような目になってしまっているのが、自分でも分かる。
アインも、ばつが悪そうな顔で私を見ている。
「これが、「失われた絆」なのかな。かつては、すべての種族が、生活を共にして、力を合わせて影に対抗していたってこと?」
壁画に向き直って、私は呟いた。
予言に謳われた、失われた七種族の絆。
「これが、トリル様とアイン様が、お二人で紡ぐもの、ですね」
そう言うと、スーは振り返った。
そしてアインをキッと見る。
「はっきり申し上げます。さっき、アイン様がなさったことは、あまりにも浅薄でした。およそ戦いというものから離れた生活をされてきたトリル様が、あのような異形に立ち向かって平常の心持ちであるはずがありません。故郷を出てひと月、恐怖に膝を折ったり、泣き叫んで前後不覚になってもおかしくなかったかもしれません。そんな女性を心配こそすれ、直後に不安がらせるなど言語道断です!」
腕を組み、小さい体ながら堂々とアインに言ってのけた。
ちらっと見上げると、アインは神妙な顔で聞いている。
「騎士団や魔術師団の任で鍛えられてきた私ですら足がすくみました。にも関わらず、トリル様は決定的な機を生んで下さいました。それも、二度もです。内一度は、魔法を使ってですよ。その意味は、アイン様もお分かりですよね?」
分かっている、とアインが呟く。
「であれば、先程の行いについても含めて、ご自身の口から、トリル様にお伝えすべき言葉があるはずです。私はこの壁画をある程度描き写して行きたいので、少々お時間を頂きます。その間、お二人は広間に戻って影がまた現れないか、警戒をお願いします」
しかし、と口を挟みかけたアインを、スーは指で制した。
「よろしいですね?」
アインが口をつぐんで踵を返し、通路を戻っていく。
私がスーを見ると、スーは私を抱きしめた。
「ご健闘、本当にありがとうございました。本当に、本当に、ご無事で何よりです」
スーが私の肩に手を置いて、ぐっと離した。
翡翠色の瞳が、少し潤んでいるように見えた。
「これからも旅は続きます。心の荷を溜め込まず、きちんと言葉になさってください。そのために、このスーに出来ることなら、何でもご協力しますから」
「スー……」
彼女はにこっと微笑んだ。
その瞳が、柔らかい白い光を映している。
「この広さで、急にサイクロプスやオーガが顕現するとは思えません。私は一人で大丈夫ですから、あの乙女心が分からなかった戦士殿の護衛をこそ、して差し上げて下さい」
スーの言葉に、私はついクスッと笑ってしまった。
私は頷いて、アインが戻っていった通路に入った。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、
ブックマーク登録や、下の☆☆☆☆☆欄での評価をしていただけると幸いです。
それでは、また次のエピソードで。




